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第5章 マーへ大陸の陰謀

閑話:バルドルの視点から『弱さ』

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 時期的には140話より少し前になります。




 ***

 クランハウスの朝は、ドアの向こう側をパタパタと歩く仲間の足音で目が覚める。
 テントの朝は何となくだ。これまでの経験で、大体三時間くらいで目が覚める。夜番の時は深夜から朝まで寝ていられるが、そういう時は開かない窓から差し込む光りに戸惑うことが多い。そもそもテントらしさが外見にしかないから論じること自体が無駄なんだが、寝心地の良過ぎるベッドで、個室、風呂もトイレも個人仕様、とてもダンジョンに挑戦中の生活環境ではない。洗濯が手洗いなのが不便といえば不便だが、まぁ、むしろそれくらいやらないとダメになりそうだしな。
 それから最近の、船の朝。
 たまにデッキの見張りにつくことはあってもクランハウスにいる時と変わらない穏やかな時間の中、身近に起きた大きな変化と言えば寝起きする部屋がクルトと共用になったこと。
 起きたら、さすがに手は届かないにしても隣のベッドで寝ているクルトの顔が見える。
 一日の最初と最後に互いの顔が見られるという状況に俺はかなり浮かれていて、エニスには「生殺しじゃないか?」と呆れられたが、いくらパーティメンバーだって他の奴がクルトと一緒になるのはイラつくんだからどうしようもない。本能を抑えつける方がよほどマシだ。

 俺は、クルトが安心出来る存在でありたい。

 ずっと一緒にいても大丈夫だと信じられる存在になれるなら恋愛感情じゃなくてもいい。だから、俺の唯一。いざという時には頼って欲しい……、あの日から、ずっと、何度も、伝えて来たつもりだった。




「……」

 ここ数日、起きると寝台の上で顔色悪く頭を抱えているクルトがいる。
 発情期は12月から2月の間に一週間くらいだと聞いているし、間もなく前回の発情期から一年が経過する。そろそろなんだろう。

「……大丈夫か?」
「っ」

 驚かせないように注意しながら声を掛けたが、クルトは肩を震わせて顔を上げた。
 真っ青だ。

「具合が悪いのか?」
「ううん、平気だよ」
「だが」
「大丈夫! 本当に、全然……」

 だんだんと声が小さくなる相手に、決して困らせたいわけじゃないんだがな……と内心で息を吐く。

「何かあればすぐに言えよ」
「……うん」

 クルトは今にも泣きそうな顔で頷いた。


 レイナルド達が帝都に戻って来るというその日、城内の一室で待機していたら、レンが急に百面相し始めた。隣にいたクルトも気付いたらしく、赤くなったり眉を寄せたりする後輩に笑っている。そんな自然な笑い方は久しぶりに見た気がした。
 百面相を指摘されたレンは恥ずかしかったり、焦ったりと忙しない。
 こいつが規格外なのは確かだが、相手が相手だけに他じゃ想像もつかない苦労があるのは何となく判るから、もしかしたら例の一週間の休みの件で思い悩んでいるんじゃないかと心配になった。
 が、聞いてみたら「解決した」って。

「主神様が一週間にこだわっていたのにも理由があったらしくて、相談したら、あっさり」

 どういうことだ。
 思わずクルトと顔を見合わせてしまったが、何となく気まずくて互いに目を逸らす。というか主神様が一週間にこだわる理由って何だったんだ?
 実年齢はともかく何も知らなさそうなレン相手じゃ初回に時間が掛かりそうなのは想像がつくが、何も知らない相手を一週間も閉じ込めて……あー……?
 あぁ、なんか解った気がする。
 想像がついた自分もどうかと思うが、レンは今後もダンジョン攻略を続けるって公言しているし、主神様としちゃ俺ら下々の者に遠慮するような状況は許容したくないけどレンが望まない限りどうしようもないんだろう。

 無自覚で尻に敷いてそうだしな……。

 つまるところ、主神様が一週間で達成したかった目標を、レンが言うところの「相談」が達成させてしまったんだろう。
 正確に把握した俺達にレンは戸惑ったみたいだったが、冒険者を10年以上も続けていればソッチ関係は切実な問題だ。
 パーティに雌体を一人加える事で解決してきた連中は幾らでもいる。
 まぁ、その後で教会に行かなくて大丈夫だと言われた時には規格外を改めて実感させられて反応に困ったけどな。
 その後、レンがグランツェにメッセンジャーを送ると言って窓辺に移動すると、クルトは小さく息を吐いた。

「……そっか、レンくんは決めたのか」

 たぶん声に出ているなんて気付いていない。遠くを見るような眼差しで足元を見ながら、長い、長い、息を吐く。さすがに声を掛ける事が出来なくて自分も席を立った。
 レンと会話を続けようと思ったのは何となくで、……いや。
 レンはいつだってクルトの味方だから、かな。
 傍に立った俺に、レンは驚いた顔をした。

「どうしたんですか」
「いや……一週間の件がなくなった後で頼むのもどうかと思ったんだが……日程に融通が利くなら、あいつのアレの時期にわざと休んでもらう事って出来るか?」
「あいつのあれ……あ」

 大きな声が出そうになったのか、慌てて口を塞いだレンは吐息みたいな小さな声で返してくる。

「そろそろなんですか?」
「判らん。……けど、普段はそんなことないのに最近は起きるのが辛そうだからさ」
「よく見てますね」
「そりゃあな」
「……付き合っては」
「ない」
「じゃあ……少しくらいそれっぽいことは」
「ないって」
「船に乗ってからずっと一緒の部屋なのに」
「信頼を積み重ねている最中なんだよ、こっちは」
「……好きだからですよね?」
「ああ」

 簡単な質問ばかりで即答していったら、レンが変な顔をした。
 つーか、いまはそういう話をしていない。

「それより本題」
「あ、そうでした。クルトさんの体調に合わせて休むのはたぶん簡単です。リーデン様も協力してくれる気がしますし……」

 何を根拠に、と思わないではないが協力してもらえるならそれに越した事はない。

「僧侶に頼れない状況なら「風邪を引いた」で1週間くらい誤魔化せるが、いまは身近に3人もいるからさ。クルトが頼ってくれれば2日もあれば充分だが……」
「あー……」

 レンは首を捻ったが、ふと思い出したように言った。
 それも、思っても見なかった言葉を。

「クルトさんに発情を抑制する薬を作りましょうかって聞いたんですよ」
「――は?」
「そしたらバルドルさんに……ぁ」

 レンが口を塞ぐ。
 待て、そこで止めんな。

「……何でもないです」
「そこまで言っといて?」

 責めるような口調になってしまったのは許せ。
 というか話せ、と目で訴えてみるがレンばぶんぶんと左右に首を振り、挙句「ちょっと待って下さい」と腰ポシェットの中を探る。
 セルリーへのメッセンジャーを飛ばそうと思ったが、なかったらしい。

「そっか、昨夜「います」って返信してそのままだから……これ早急に改良の必要有りですね」
「よく判らんがセルリーさんに何を言うつもりだったんだ」
「もらった薬のうち、幾つか俺は使わないものがあったから返そうと思っていたんです。でもバルドルさんが使うなら適正価格で売ってもいいか確認しようと思って」
「へぇ……で、薬って?」
「いろいろです。痛み止め、解熱剤」
「そっちじゃなく」
「……それは俺から聞いても嬉しくないでしょ」
「嬉しい話なのか」
「……さぁ」
「頼むからハッキリしてくれ」
「本人に聞きましょうよ。体調が悪そうなら、時間が無いかもしれないんでしょう? もう俺から聞いたって言って構わないのでしっかり話し合ってください。一人で悩んでいても無意味ですよ」
「妙な説得力があるな」
「俺も師匠に同じことを言われたばかりなので」

 あぁ、それで「相談」して儀式を受けることに決めたわけだ。
 そういう意味では俺よりレンの方がよほど男らしいし、セルリーには敵わんこと間違いなしだ。

「あんまりしつこく迫るのも……と思うんだが」
「人によるんじゃないでしょうか。バルドルさんだって何とかしたいんでしょう? イヌ科シアンはこの人と決めたら死ぬまで一途だって聞きましたよ」
「……だな」

 それは間違いない。
 もう何年も前から本能がクルトだけだと訴えている。
 だがこれはイヌ科シアンだけの本能でリス科エキュルイユには関係がない。自分の体質を嫌がっているクルトの心にどこまで踏み込んでも許されるのか、情けない話だが、俺には判らない。

 発情を抑制する薬の話なんか聞いたことも無ければ、相談すらされていないんだから。




 もし抑制剤の話を知ったのが一年前のあの日の後すぐだったら、きっと何も考えずに本人に話しが聞けたんだろう。
 苦しんでいるクルトの痴態に欲情して無理やりに抱いた。
 あんなに雌扱いされるのを嫌がっていたのに、我慢出来なくて、もう絶縁されてもいいって勝手な覚悟をして無茶苦茶に抱いて、……許された事で、少しは心が通ったかもしれないと自惚れた。
 もしかしたら次の休みにはまた抱けるかもしれないって期待し、能天気に浮かれていたあの頃なら、たぶん。

「……ってわけで、バルドル達は銀級アルジョンダンジョンに行ってみるか?」

 レイナルドの唐突な提案に息を呑んだ。
 いまこのタイミングで言うのかと、応えるより先にクルトに目線が行ってしまった。クルトの表情はいつも通りに見えた。無理をしていても、マズイと思っていたのだとしても、それを表には出していなかった。
 銀級アルジョンダンジョンに挑むのは以前からの目標でもあったし、時間を無駄にしないという意味でもパーティリーダーとして受け入れる以外の選択肢はなかった。
 ただ、心配だった。
 このタイミングで発情が来たら?
 発情期が来たからダンジョンへの入場は数日待って欲しいなんて口が裂けても言いたくないだろう。
 どうしたらいい?
 どうすれば今以上に傷つけなくて済むのか。

 ――……本人に聞きましょうよ。体調が悪そうなら、時間が無いかもしれないんでしょう? もう俺から聞いたって言って構わないのでしっかり話し合ってください。一人で悩んでいても無意味ですよ……

 レンの言葉が胸に響く。
 そう、だな。
 本人に聞くしかないんだろうな……。




 12月の30日。
 船の部屋。
 日に日に顔色が悪くなっていくのに平気なフリをして、明日からのダンジョン攻略に挑もうとしているクルトを布団に入る前に捕まえた。

「寝るのは待て、話がある」

 腕を掴んだら体が震えたのが判る。
 過剰反応?
 それとも、いよいよ……なのか。

「話って……?」
「おまえ、その状態でダンジョンに挑戦する気か?」
「なに……」
「発情が近いだろ」

 クルトの目が大きく見開かれて俺を凝視する。
 まさか気付いてないなんて、そんなはずがないだろうに。

「クルト」
「ち、ちが……発情なんて」
「だったらなんでこんな、体温上がってんだ」
「普通だよ」
「体調だって悪いんだろう、誰が見たって青白い顔してる」
「そんなこと」
「クルト」

 強く呼んだら怯えられた。
 大きな目が泣きそうになっている。

「……俺が怖いか?」
「ちがっ……怖くなんて……」

 目線が落ち、腕を取り戻そうとしているらしいが、弱い。体調は間違いなく悪化しているのに、それを隠さなきゃならないほど俺は信用がなかったらしい。

 だったら俺は――。

「っ……」

 コンコン、と。
 唐突なノックの音。

「バルドルさん、クルトさん、部屋にいますか? クルトさーん」

 コンコンコンコンコンコンコンコン……。
 少しだけ焦りを滲ませた声と、しつこいノック。
 思わず舌打ちしたい衝動に駆られたが何とか耐えて戸を開ける。

「なんだ」
「あ、いた」
「いたじゃねぇ。どうした」
「急ぎの話があって……クルトさん?」

 目敏いのか何なのか、部屋で顔色悪く立ち尽くしているクルトに気付いたレンは、その視線を俺とクルトの間で何度も往復させると、おもむろに俺を部屋の外に放り出した。

「は――」
「少し時間下さい、すぐです」
「ちょ、おい⁈」

 鼻先で扉を閉められてイラッとするが、すぐに思い出す。レンはいつだってクルトの味方だ。俺にしたら必要不可欠な盾だ。
 そんなレンが意味の無いことをするとも思えなかったので、とりあえず落ち着くことにした。

 ……うん、落ち着いた方が良い。

 深呼吸を繰り返す。
 このままだとクルトを泣かせてしまいそうだしな……と、背中を扉に預けようとした瞬間だった。

「だっ」
「ほあっ⁈」

 ゴンッ、て後頭部に衝撃。
 レンが戸を開けたせいだ。

「おま……っ」
「すぐって言いましたよねっ?」
「こんなすぐだと思わないだろ!」
「そん……いえ、たんこぶとか大丈夫ですか? 治癒ソワンしましょうか」
「魔力の無駄遣いすんな」

 止めたら、レンは申し訳なさそうに頷いて、小声で言う。

「クルトさんのこと、お願いします」

 言われた内容に目を瞠り、部屋を見る。
 クルトが、さっきとは打って変わった困り果てた顔で立っていた。




 ***

 読んで頂きありがとうございます。明日の更新はR18です、ご注意ください。
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