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6話《くもりのち》
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予定よりも多く買い物をしてしまった。そんなつもりはなくてもいざスーパーに行くと、あれもこれも、とつい。
スーパーから出ると、空は鉛色の厚い雲に覆われていた。今でも雨が降り出しそうだ。と、ここで僕は慌てて事務所を飛び出してきたために傘なんて持ってきていないことに気がついた。帰るまでに降らないといいけれど。そんなことを考えながら足早に事務所へと向かった。
結局事務所に着くぎりぎりのところで少しばかり雨に降られてしまった。濡れた前髪を整えつつ、冷静になった頭で。先生にちゃんと謝って。
「すみません、ただいま戻りまし──」
玄関の扉を開けた先に広がっていた光景を、僕は理解するのに少しばかり時間を要した。それは、理解するのを拒みたかったからかもしれない。
先生は、欲情した顔で犬のように床に這いつくばっていた。そして、そんな先生の顎を掴んで持ち上げていたのは知らない男だった。
「……お、こいつが噂の『助手クン』か?」
振り返った男は僕を見るとにやりと口角をあげた。
「……どちら様ですか」
自分でも驚くほど腹の底から冷たい声が出たのがわかった。
「へぇ、照から聞いてない? こいつの元相棒の安曇(あずみ)だよ」
「……はぁ、あなたが例の」
「なんだ、知ってんじゃん」
「今すぐ先生から離れてください」
この男の挑発に乗ってはいけない。感情的になるな、冷静になれ。自分にそう言い聞かせ、淡々と要求を口にする。
「そう怒るなって。俺はただ、こいつが物足りなそうな顔してたから。久しぶりにプレイしてやろうと思っただけだよ」
確かに、先ほど途中でプレイを切り上げてしまった。先生の欲求が解消されていないまま一人にしてしまったのは迂闊だった。自分のいたらなさに、また唇を噛む。しかしこの男は、以前先生を重度のSub dropに陥らせた男だ。危険人物には変わりない、一体どうして今になって再び姿を現したのか。
「もう僕が戻ってきたのでご心配なく。あなたはお帰りください」
「おいおい助手クン。よーく見ろよ照の顔。今は君がこいつのパートナーなのかもしれないけど、ちゃんと満足させられてんの? 前の男のコマンドでこんなに興奮してさぁ」
「っ、それは、」
思わず言葉に詰まる。先生の話では安曇は高ランクのDomらしい。そんな彼とのプレイに慣れていた先生は、果たして、Domとしてのランクが低い僕とのプレイで満足できているのだろうか。先生は優しいから、いつも「満たされた」と言ってくれていた。──本当に? 今まで感じたことのなかったような不安が自分の中に渦巻く。
「ま、いいや。今日は久しぶりに顔見せに来ただけだし。俺は帰るぜ。……また遊びに来るよ、照」
先生の頭をひと撫ですると、安曇は立ち上がり事務所から出ていった。
部屋には僕と先生だけが残された。
しばらく沈黙が流れる。
先に口を開いたのは先生だった。
「……すまない」
申し訳無さそうにそう言った。
「……なんで先生が謝るんですか」
「君というものがありながら……安曇のいいように、されてしまった」
「……いえ。それは……僕の、力不足です。僕が、先生を満足にしてあげられていない、から……」
「あいつの言うことなら気にしなくていい。安曇は頭が切れる上に性格が悪い。人の嫌なところを突いてくるのが得意なんだ」
先生は身なりを整えながらため息を吐く。
「でも、その通りじゃないですか。先生、僕とのプレイで本当に満足できているんですか?」
「もちろん、満足しているよ」
先生の宥めるような優しい声色すらどこかで完全に信じきれなくて。
「本当に……?」
「……信じてくれないのも、無理はないかもしれないけれど。それなら、」
先生は立ち上がると僕に歩み寄る。体を寄せ、首の後ろに手を回した。
「……助手君、プレイの続きをしようか」
スーパーから出ると、空は鉛色の厚い雲に覆われていた。今でも雨が降り出しそうだ。と、ここで僕は慌てて事務所を飛び出してきたために傘なんて持ってきていないことに気がついた。帰るまでに降らないといいけれど。そんなことを考えながら足早に事務所へと向かった。
結局事務所に着くぎりぎりのところで少しばかり雨に降られてしまった。濡れた前髪を整えつつ、冷静になった頭で。先生にちゃんと謝って。
「すみません、ただいま戻りまし──」
玄関の扉を開けた先に広がっていた光景を、僕は理解するのに少しばかり時間を要した。それは、理解するのを拒みたかったからかもしれない。
先生は、欲情した顔で犬のように床に這いつくばっていた。そして、そんな先生の顎を掴んで持ち上げていたのは知らない男だった。
「……お、こいつが噂の『助手クン』か?」
振り返った男は僕を見るとにやりと口角をあげた。
「……どちら様ですか」
自分でも驚くほど腹の底から冷たい声が出たのがわかった。
「へぇ、照から聞いてない? こいつの元相棒の安曇(あずみ)だよ」
「……はぁ、あなたが例の」
「なんだ、知ってんじゃん」
「今すぐ先生から離れてください」
この男の挑発に乗ってはいけない。感情的になるな、冷静になれ。自分にそう言い聞かせ、淡々と要求を口にする。
「そう怒るなって。俺はただ、こいつが物足りなそうな顔してたから。久しぶりにプレイしてやろうと思っただけだよ」
確かに、先ほど途中でプレイを切り上げてしまった。先生の欲求が解消されていないまま一人にしてしまったのは迂闊だった。自分のいたらなさに、また唇を噛む。しかしこの男は、以前先生を重度のSub dropに陥らせた男だ。危険人物には変わりない、一体どうして今になって再び姿を現したのか。
「もう僕が戻ってきたのでご心配なく。あなたはお帰りください」
「おいおい助手クン。よーく見ろよ照の顔。今は君がこいつのパートナーなのかもしれないけど、ちゃんと満足させられてんの? 前の男のコマンドでこんなに興奮してさぁ」
「っ、それは、」
思わず言葉に詰まる。先生の話では安曇は高ランクのDomらしい。そんな彼とのプレイに慣れていた先生は、果たして、Domとしてのランクが低い僕とのプレイで満足できているのだろうか。先生は優しいから、いつも「満たされた」と言ってくれていた。──本当に? 今まで感じたことのなかったような不安が自分の中に渦巻く。
「ま、いいや。今日は久しぶりに顔見せに来ただけだし。俺は帰るぜ。……また遊びに来るよ、照」
先生の頭をひと撫ですると、安曇は立ち上がり事務所から出ていった。
部屋には僕と先生だけが残された。
しばらく沈黙が流れる。
先に口を開いたのは先生だった。
「……すまない」
申し訳無さそうにそう言った。
「……なんで先生が謝るんですか」
「君というものがありながら……安曇のいいように、されてしまった」
「……いえ。それは……僕の、力不足です。僕が、先生を満足にしてあげられていない、から……」
「あいつの言うことなら気にしなくていい。安曇は頭が切れる上に性格が悪い。人の嫌なところを突いてくるのが得意なんだ」
先生は身なりを整えながらため息を吐く。
「でも、その通りじゃないですか。先生、僕とのプレイで本当に満足できているんですか?」
「もちろん、満足しているよ」
先生の宥めるような優しい声色すらどこかで完全に信じきれなくて。
「本当に……?」
「……信じてくれないのも、無理はないかもしれないけれど。それなら、」
先生は立ち上がると僕に歩み寄る。体を寄せ、首の後ろに手を回した。
「……助手君、プレイの続きをしようか」
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