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1.やんごとなきお方からのご依頼

第2話 日常のお仕事

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「さあ。そろそろ開店準備をしないといけないから、テーブルを拭いて」

 ユリウスがカウンター越しに布巾を渡してきた。

「はーい」
「ああ。マディが顔を転がしていた部分は特に念入りにするように」
「失礼ね!」

 理不尽に不満を零しつつ、それでも言われるままに素直にテーブルを拭いていると。

「おはようございます」

 まだ準備中となっている店にドアベルを鳴らして入ってくるのは、パン職人のミロさんだ。彼はまだまだ見習いで、年齢は十代最後の年である私たちと年齢が近い、二十代前半だと言っていた。
 長身で腕など筋肉質だが圧迫感がないのは、ユリウスとは違っていつもにこにこと愛想の良いの笑顔を浮かべているからだろう。そんな彼の表情にこちらもつられて自然と頬が緩む。
 私は席を離れて彼の元へと近付いて行く。

「おはようございます、ミロさん」
「はい。おはようございます、マデリーネさん」
「あ! 受け取りますね」

 パンが入っている箱を受け取ろうとしたが、横から腕が伸びてきたかと思うと箱が彼から私の横へと移動した。ユリウスがカウンターから出て来たらしい。

「おはようございます、ミロさん。いつもありがとうございます」
「おはようございます。こちらこそいつもご利用ありがとうございます」
「別に出て来なくても、私が受け取るのに」

 少し不服げに伝わってしまったのだろうか。ユリウスは冷たい視線を寄越してきた。

「マディは駄目。この間、そこで派手にすっ転んでいただろ。せっかくのパンを台無しにされては困る」
「ちょっと。それ、今言わなきゃいけないこと!?」
「商品を死守するための最重要事項だろ。ミロさん、今後、決してマディに渡さないでください」

 急にユリウスから話を振られて、え、と目を丸くするミロさん。
 どれだけ私をドジっ子認定しようとしているのよ。

「酷い!」
「いいから、マディはそろそろ看板を変えてきて」

 ユリウスが私を追いやろうとするのは気に入らないが、いつもおふたり仲が良いですねと、くすくす笑っているミロさんを前にしぶしぶ了承する。

「分かったわよぉ」
「じゃあ、ミロさん。お支払いしますから」

 私は入り口に足を向けたが、肩越しに少し振り返ると、ユリウスはカウンターへと歩きながらミロさんと談笑している。
 本当に私以外には愛想がいいんだから。

 少しむっとしながら扉を開けて外に出ると、青く澄み切った空にふっくら美味しそうに焼き上がったパンの形をした雲がゆっくりと流れゆくのが見えた。
 良い天気だ。気持ちいい朝は今日も一日頑張るぞというやる気が湧き起こって来るから不思議だ。

 機嫌を直した私はうーんと背伸びすると、看板を『営業中』に変えて店内へと戻った。
 すると精算が終わったのだろう。ありがとうございましたとミロさんがこちらの出入り口に向かって歩いて来た。
 彼はすぐに柔らかな笑顔を私に見せる。

「あ。マデリーネさん、ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございます。また明日よろしくお願いいたします」
「はい」

 お互い軽く挨拶をすると彼は出て行き、私もユリウスのいるカウンター内へと入った。

「ありがとう」
「うん」

 うちのカフェは現在、店主のユリウスと私だけで切り盛りしている。店内は十数席程度の小さな規模だが、すぐに女性客で一杯になる昼以降とは裏腹に、朝はその数をぐっと減らす。
 そこで朝に軽食を低価格で提供したところ、多くは平民出身の騎士さんたちだが、時折騎士隊長さんも利用してくれるようになった。単価は女性客よりも低いが、回転率が高いために忙しいものの、昼の売り上げと肩を並べる位になったのは私の功績と言っても過言では無い! ……と思う。おまけに騎士団が立ち寄る店として、不穏分子が入って来ないのも良い効果を生んでいる。

「ユーリ、店員を増やさないの?」
「え?」
「今はまだ私一人でも何とか回せるけど、私が超売れっ子の占い師になっちゃったら、お店を手伝えなくなるなと思って」

 うふふふと含み笑いしていると、ユリウスは白けた表情を浮かべた。

「……孵化前にひよこの数を数えるな。せめて名が知られるようになってから言うんだな」
「冷たいな! 夢見るくらい自由でしょ」
「それは夜ベッドに入ってから思う存分どうぞ。ほら、口より手を動かす」
「キーッ!」

 悔しい。絶対に超売れっ子になって、私の足元に跪かせてやる!
 拳を作って自分の中で決意表明するが、続々と入ってくるお客様の対応で、その思いは瞬く間に霧散した。


 朝の局所的な忙しさが過ぎると店内は落ち着きを取り戻し、昼に近付くにつれて客数は減っていく。何分、人手ギリギリの二人で回している店だ。昼休憩を取るためにお店を一時準備中にするためである。それから午後に入って、人々がお茶をしたいなと動き出すような頃から営業している。
 今はもう最後のお客様も帰り、間もなく昼休憩に入ろうとしている。

「もう、あと数枚だから」
「はい」

 私は食器を拭きながら、横で洗い物をしているユリウスを盗み見た。
 以前、昼も食事を提供してみたらどうかと提案してみたが、食事ではなくお茶を楽しんでもらいたい店だからと却下された経緯がある。午後からの女性客に好評の菓子類は私が作っているが、お給金も頂いているし、果たして利益が出ているのだろうかと心配になってしまう。
 ユリウスは副業をしているから問題ないと言うが、ならばなぜカフェ経営をしているのか。

「そうだな。……娯楽、とか?」
「へ?」

 手を止めてこちらに視線を向けるユリウスに、私は間抜けな返事をした。

「だから娯楽」
「あ、いえ。そうじゃなくて。私、今口に出していた?」
「ああ。普通に」
「何たる不覚! ――って言うか、娯楽ってどういう意味?」
「そのままの意味だけど。副業の合間って言うか」

 ユリウスは小難しい古文書の翻訳を王宮から請け負っていて、それがかなりの額になるらしい。ならばこんな所で燻ってないで、最初から王宮勤めすればいいものを。

「娯楽で経営するとか、一体何様!? ああ。ユリウス様でしたね! ……あーもー! くやしーい! 何でこんな傲慢で、才能の無駄遣いする人間に能力を与えちゃうのよ。私の方がもっともっと素直で真面目で性格も良いのにぃぃぃ!」

 思わず拭いているお皿に入れる力も強くなる。しかし当の本人はしらっとしたものだ。

「お皿を割ったら給金から引くから」
「分かっています!」
「ならいい。――はい。最後の一枚」
「……はーい」

 こちらがどんなに熱くなっていても、ユリウスは淡々といなすのがまた悔しい。
 ぶすたれながら受け取る私を宥めるかのように、彼は私の頭に手をやってくしゃりと髪を乱した。

「それが終わったら、お茶にするから」
「うん!」

 娯楽で経営の話は横に置くにしても、コンセプトがお茶を楽しんでもらいたいカフェと言うだけあって、ユリウスが淹れてくれるお茶はとても美味しい。
 私は途端に笑顔になると、彼もこの時ばかりは皮肉っぽさや嫌味を含まない笑みで返してくれる。お茶は美味しいと遠回しに褒められているように思うからかもしれない。

「やったー。終わり!」

 私が最後の一枚を拭き終わり、食器棚に直したその時、出入り口のドアベルが小さく鳴った。
 視線をやると、ストールで顔に影を落とすほど深く被っている女性が遠慮がちに佇んでいた。

「あ、あの……すみません」
「申し訳ありません。午前中の営業はもう終了なのですが」
「そ、そうでしたか。申し訳ございません。それではまた営業中に」

 ユリウスが断りの言葉をかけると、彼女はこれ幸いとばかりに身を翻そうとした。けれど私は思わず声をかける。

「お待ちください! あの、失礼ですが。もしかして占いの方でしょうか」

 私はなぜかそんな彼女に閃くものがあったのだ。これぞまさしく占い師の性だろう。……いや。当たらない占い師なので、(少しばかりの自覚はある。少しばかりは)ここは女の勘と言ったところだろうか。
 しかし女性にとってはまさに図星だったようで、彼女の背中はびくっと小さく震えた。それからゆっくり振り返ると小さく頷く。

「え、ええ。そうですが、また日をあらためましてお伺いいたします」

 ユリウスに素早く視線を向けると彼は目線だけで頷いたので、私はエプロンを外してカウンターから出た。

「占いならまだ大丈夫ですよ」
「い、いえ、その」

 渋ってはいるものの、人目を気にしながらも決死の思いでやって来たのが分かる。だからこの言葉を言えば、きっと彼女の背中は一押しされるだろう。

「今なら誰もいませんので、ゆっくりお話を伺えるかと思います」
「……あ」

 やはり彼女にとって効果的だったようで、心を動かされたようだ。

「そ、それでは。よろしくお願いいたします」
「はい。お席にご案内いたします」

 私は先だって案内しながらも、ユリウスの言うコールド・リーディングではないが、その女性を注意深く観察する。
 控えめではあるが上質で美しい服、口調や所作から察するに、出自の良いお嬢様か、お貴族様だというのが分かる。育ちの良さというのは、やはり雰囲気に滲み出るものなのだろう。

 それにしてもこんな人なら、もっと高名な占い師に占ってもらうことも可能だろうに。こんな新鋭占い師(自称)とは言え、下町の占い師の元に縋らなければならないというのは余程人の道に外れた相談内容とかだったりするのだろうか。

 ……などと色々妄想してみるが、いやいや。先入観を持つことは占い師にあってはならぬ行為だ。
 ぶんぶん勢いよく頭を振りながら歩く私に恐れをなしたのか、彼女は少しびくりと反応して歩みを止めたので、慌てて笑みを作る。

「こ、こちらでございます」

 ユリウスに借りている店内の占い部屋に手の平を向けて指し示した。
 奥は、一テーブルと椅子が二、三脚置かれたごく小さなスペースだが、カフェ客との間には簡易型の間仕切りを設置している。防音ではないが、仕切りが入るだけでも相談者の安心度は違うというものだ。
 今、他のお客様はいない状況とは言え、彼女も同じ気持ちだったようで、緊張で強ばっていた表情が少し緩んだように感じた。

「どうぞお掛けください」
「ありがとうございます」

 彼女は私と向かいに腰を下ろす。しかし彼女にとって、普段は座り慣れない低品質の椅子だったのかもしれない。何度も居心地悪そうに座り直していたが、ようやく腰を落ち着けた。それを見計らって私は話を切り出す。

「それでは本日はどのようなご相談でしょうか」

 女性はこくんと小さく喉を鳴らすと、するりとスカーフを落とし、綺麗な顔立ちを露わにする。既に完成された美しさではあるが、まだ大人になりきる前の年代のようだ。
 その美しさと気品に思わず息を呑んだが、彼女の次の言葉がさらに私を驚かせた。

「わたく……いえ、私はさる高名な占術師から破滅すると言われたのです」
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