つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

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第80話 人の恨みは恐ろしい

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 王族の方々でも読めない歴史書とは……。

「え? あれ? ですが、殿下はこの国にも暗い歴史があるとおっしゃいましたよね。それは歴史書から学ばれたからではないのですか?」
「ああ。君が手に取ったこの書物の時代、ルイス王の次の世代のアベル王以降に作成された歴史書からな」

 殿下は手の甲でぽんと表紙を軽く叩いた。

 ルイス王がまだ王太子だった頃、商業が盛んになり、他国との交流も活発になり始めた。主に貴族間で使われていた文字は元々難解で使いづらい文字であったため、当時から商人が使っていた今の文字へと移行されることになったそうだ。それと共にその時代までに使われていた貴族文字がこの国から消滅していくこととなる。
 言語の消滅というのも文化の消滅のようで、どこか物悲しいものがある。

「幸いルイス王までの歴史書も簡略的に作成されていて、それまでの歴史は分かっているが、原文で読みたいところではある。全く正確に作成されているのではなく、自分の都合の良いように歴史を修正している部分もあるだろうからな」

 おやまあ。このお方はご先祖様を信用していないらしい。でも、ここの歴史書を門外不出にしている時点で、何かしら不審に思う殿下のお心は理解できる。

「この一角の書物はルイス王までの歴史書で、失われた言語で書かれているんだ」

 殿下はそう言いながら本を元の場所に戻した。
 つまりこの書庫室にある書物は、今の言語で書かれた物がほとんどということになるのか。

「遡るところ四百年前に途絶えた文字とは言え、少なくとも次の時代ならばまだ読める方も多かったのでしょう? 訳語をまとめたものなどは残されていないのですか?」

 文字を変える方針にしたならば、なおさら残しておくべきだ。

「当時はあったのだろうが、紛失か盗難かで現在のところまで見付かっていない。二百数十年ほど前には未曾有の大災害が起こったとあるから、貴族たちの資産や資料も失われたのだろうな」
「そうなのですか。では、もはや現代の人間では誰も読むことはできないのですね。四百年前ですと、手掛かりなどあるはずもありませんもの」

 となると、もうこれは歴史書ではなく、歴史的価値のある当時の書物としてしか意味を成さなくなる。

「……いや」

 殿下は過去の記憶を呼び戻しているのか、少し視線を逸らした。

「聞くところによると、十数年ほど前だったか、この文字を研究する言語学者がいたそうだ」
「え? それでは」

 期待を抱きかけた私を打ち砕くかのように殿下は首を振った。

「とは言え、残念ながら火事か何かで亡くなったらしい。その人が訳語を残していれば追えたかもしれないが、火事ともなるとそれも難しいだろうな」

 その当時も調査したはずだろうから、難しいというより無かったのだろう。結局のところ、原本の翻訳は不可能ということなのね。

「歴史書を紐解くと、ルイス王太子の時代に呪いがかけられたと記載されているから、原本が読めるならと思ったが、今のところその方法はない」
「もしかしたらこの部屋みたいにどこかで隠し部屋が見つかって、資料がひょっこり出てくるかもしれませんよ」
「だといいが」

 軽い気持ちで慰めてみると、殿下は苦笑いする。

「ところで殿下。アベル王様以降に作成された本ではどのような記載があるのですか?」

 殿下は頷くと再び付いてくるようにと身振りをして元の部屋へと足を向けたので、私も慌てて追う。そして殿下は一つの書架の前で立ち止まった。

「ルイス王までの歴史書が保管されている棚だ」

 先ほどの原本に対して数は多くはない。それだけ簡略化して書かれているのだろう。
 殿下は一冊の本を取り出して腕の上で広げると、文字を指で追う。

「ここにこう記載されている」

 ルイス王が王位に就く前の王太子だった頃、王位継承権を捨ててまで一緒になろうとした身分違いの恋人がいた。そこには若さ故の情熱があったのかもしれない。まだ王位継承は遠い話で、周りを説得できると考えていたのかもしれない。

 ところが父である国王が突如、病床に伏す事態となり、政務がままならない状態だったため、国王は王位を退くことを決意する。

 一方のルイスは、必要に迫られて王太子としての立場を自覚したのか、はたまた恋の熱が冷めたのか、彼は王位を継承することを選ぶ。

「王位に就かせる条件として、公爵家の娘と婚姻を結ぶことが必要だった。ルイス王太子は結局その恋人を捨てることにした」
「うわぁ……」

 酷いとでも言うのだろうか。それとも仕方ないとでも言うのだろうか。何を思って恋人を捨てたのかは分からないけれど、王族の人間としてはその行動は間違っていなかったのかもしれない。
 悲しいけれど、立場がある人間は自分の行動が制限されるものだ。

「しかし話はそれで終わらず、恨みを抱いた彼女は王太子を苦しめるために呪いをかけた。どうもその恋人は稀代の天才魔術師だったようだな。その結果、王太子は何日も酷い高熱にうなされ続けることになった。おそらく影を取り憑かせたのだろう」
「それが現在まで続く呪いですか」
「ああ。四百年を経ても未だ続く呪いだ」

 恐ろしい話だなと殿下はため息をつく。

「ええ、ええ。分かります。女の怨みと食べ物の恨みは、いつの時代でも恐ろしいものですよね」

 記憶力の悪い私でも十二年前の夏、とっておきのお菓子をシモン兄様に食べられたことを今でも恨みに思っているもの。毎年夏になると、グチグチと言ってやります。

「……女の怨みと食べ物の恨みを同列にするのは君ぐらいでは?」

 殿下は顔を引きつらせて笑った。
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