つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

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第62話 エルベルト殿下の苦悩(前)

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 私はエルベルト・フォンテーヌ。この王国の第一王位継承者。
 人が聞けば羨むような立場なのだろうが、私は幼き頃より奇病を患っている。

 その奇病とは、人に憑くおどろおどろしい影が見え、その人物に接触することで自らに取り憑き、さらに体調を崩すことだ。
 体の重だるさ、脱力感、めまいや激しい頭痛を始め、症状が酷いと高熱を出し、体中がじわじわと蝕まれるような痛みが走り、吐き気、嘔吐で悶え、ベッドから起き上がることができなくなる。

 体調を崩した後はどんな薬も効かず、かと言って何もしないままで快復することはないため、古くから仕える呪術師によって影祓いしてもらうしか手はない。

 影祓いは体を酷く消耗し、体力を奪う。せっかく影が祓われても、元々弱っている体をすぐに元に戻すことができないのが欠点だ。そのせいで日々の生活に支障をきたすことが多く、まだ成長段階で体力がなかった頃はベッドの中で過ごす日々がほとんどだった。

 毎日ベッドの中で過ごしていると、自分だけ世界から切り離されているような、この世でただ一人取り残されているような寂しく、ひどく恐ろしい気分になる。
 もちろん両親は毎日顔を出してくれてはいた。ただ……。

「エルベルト、体の調子はどうかしら?」

 扉の側から声をかけてくる母を見て首を振る。

「……そう。入っては駄目なのね」
「申し訳ありません」
「いいのよ。また来るわね」
「はい。ありがとうございました」

 忙しい時間を縫って両親が顔を出してくれても影が憑いていることがあり、そんな時は決まって部屋に入らず引き返してもらった。
 見舞いに来てくれても追い返すことしかできず、いずれ自分は見放されて誰も寄ってきてくれなくなるのではないかと、奇病よりも恐怖したものだ。

 ただ、両親はその病気に理解があった。私の祖父にあたる人物も同じ奇病を患っていたからだ。それどころか、いつの時代にも王族には必ず一人出るという。後に分かったことだが、それは呪いの類いらしい。そして今のところ解明された例は無いということも。おそらく死ぬまで付き合っていかなければならないものなのだろう。

 当然、人が集まる学校には通えず、王宮に教師を呼んで教育を施された。
 病を抱えていようが、私は王位第一継承者としての立場があるからだ。

 少し成長して体力もついて動けるようになってきた頃には同世代の貴族と顔を合わせたり、話をする機会も増えてはきたが、友人と呼べる人はいなかった。

 いや、そもそも自分の立場で友人などできるはずはなかった。心を許せる友人を作ってはならなかった。周りの大人は王族という地位に媚び入り、自分の息子や娘にもそれに応じた教育をするためだ。何かしらの下心を秘めて近付く人間と表面上の付き合いしかできなかった。

 野心を笑顔で隠す人間を相手にしなければならないのは、何も自分だけではないだろう。しかし彼らに取り憑くおぞましい影が彼らの本心を体現しているようで、心が凍りついていく。それでも私には王位継承者として常に大人・・でいることが求められる。

 笑顔の奥に欲を秘めて近寄ってくる人間を蔑視しながら、皮肉なことに自身もまた笑顔の仮面をつけていた。

 そのような生活を長らく続けていたが、転機が訪れた。
 ロザンヌ・ダングルベール子爵令嬢との出会いだ。

 社交界の前より影が取り憑いていた私は、今年、社交界デビューする貴族との挨拶の頃には体調の悪さが最高潮に来ていたと思う。しかし恒例行事であり、デビュタントにとっては晴れ舞台となるわけでこれだけは外せない。
 気持ちだけで何とか自身を立たせていた。

 もうそろそろ終わりを迎えようとした頃だ。
 ロザンヌ嬢が私の前に現れた。
 彼女は緊張した様子で丁寧に礼を取っていたと……思う。しかし私は彼女の行動よりも、後ろに控える動物のような影の姿に視線が固まった。

 猫のようなしなやかな体つきの四本足の影で、燃えるような真っ赤な目。大きさは普通の成猫くらいだが、威圧感はこれまでの影とは比べようもないくらい力強い。触れれば一瞬の内に倒れるだろうと推測できた。

 ところが予想外だったのは、その影が私に触れようと前足のようなものを伸ばして来たことだ。通常、影は私に取り憑くことはあっても、手を伸ばしてくるような行動は取らない。

「――っ。近寄るな!」

 私は影を祓うつもりで、彼女の手を振り払ってしまった。
 直後、彼女の手の感触に我に返ったが、時すでに遅し。辺りはしんと静まり返っていた。

「す、すまない。今日は体調が優れず……。少し失礼させていただく」

 おそらくすぐに脱力感がやって来る。この場で倒れることだけはできない。
 そう考えて、私は簡単な謝罪だけ残して社交場を足早に去った。

 だが、彼女の茫然とした表情が忘れられない。訳も分からず大勢の前でいきなり恥をかかされて、家に帰ったら号泣するだろうことを考えると酷く胸が痛んだ。
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