つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

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第263話 変化する情況に対応する

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 馬車が到着したのはやはり日が傾いた夕食時の頃だった。
 空腹を主張しているお腹をこっそりさすると、誰ともなく忍び笑いされた気がする。多分――いや絶対に間違いなく殿下だ。

 まあ、それにしても不思議なことに、ああ帰ってきたんだなという気持ちがわき起こる。既にここでの生活が馴染んできているということだろう。

「すぐに夕食を用意してもらおう」
「はい。――あ、いえ。わたくしは急がなくても大丈夫です」

 笑みの残る唇で殿下に言われて、私はお澄まし顔で答えた。

 夕食は想いを伝え合って以降、殿下のご都合が良ければできるだけ、ご一緒させていただくことが多くなった。
 誰かと食事を一緒にすることは楽しいことなのだということは、この王宮に来てから一人で食事する毎日が続いた時に知ったが、心想う人との食事はまた違った感情が溢れるということも知った。

 ずっとこんな幸せで穏やかな時間が続けばいいのにと、叶いもしない夢を願いながら。


 それから帰郷以降、呪い解明にも特に何も進展もなく、また大きな問題もなく平々凡々な日々が流れていた。
 おそらく『血の契り』が呪い解明の要なのだろうと推測がついていたとしても、殿下と結んで最悪の状況に陥る可能性も低くなく、実行できずにいる。ただ、今後の情況を占うことができるであろう変化した出来事もあった。

 ある日のことだ。
 執務室のソファーに座っていた殿下の手が弾かれたように離された。
 私は横から殿下の顔を覗き込む。

「も、もう影祓いは終了いたしましたか」
「……ああ。ありがとう」

 殿下は笑顔を浮かべると、お礼を述べた。
 手を離された時が影祓いの終了だと重々承知しているはずなのに、私が思わず確認してしまったのは、これまでよりも早く影祓いが終了したからだ。

「どうやら軽い影だったようだな」

 軽い影。
 殿下はこのようにおっしゃってはいるが、エスメラルダ様の眠る地に訪問して以降、徐々に影祓いの時間が短くなってきているのは私も気付いていた。

 時には影の力自体が弱いことがあったのも事実だろうが、大半はネロの能力が強くなってきたことで素早く祓うことができるようになったということが真実なのだろう。

 ネロの能力が高まる意味は、どのように作用するかはわからないけれど、もしかしたら呪いを解くことができるようになる兆しということなのかもしれない。もちろん影祓いの役割としては何の不足もなく、むしろ喜ばしいことであり、殿下にとっては願ってもないことだ。

 けれど、いずれ……いや。もう、そう遠くない未来だと思う。殿下に触れることができるのはほんの瞬きの間となる時がやって来るのは間違いない。

「ロザンヌ嬢」
「あ、は、はい」

 いつの間にかうつむいていた私は慌てて顔を上げ、殿下の方へと顔を向けると。

「っ!」

 殿下は唇を重ねてきた。
 それは一瞬の内に離され、青ざめた殿下はソファーに重く身を沈める。

「で、殿下。どうしてこんな真似を」

 影払いが終わった直後にまた私に触れるだなんて無謀すぎる。
 唇の甘さや不意打ちされた驚きの感情よりも、殿下の不用意な行為を叱責するような口調になってしまう。

「大丈夫だ」
「そういう問題ではありません」

 咎める私に、体調が戻った殿下は再び身を起こして微笑した。

君の影ネロは後遺症をもたらさない。ほんの一時のものだ。だから何も心配しなくていい。これから先だって君に触れることはできる」
「……殿下」

 私が不安そうな表情をしていたせいなのだろう。殿下は身を持って私の不安を取り除こうとしてくれたのだ。
 影祓いとしての職務を担っている身として、本来私の方が気遣うべきの殿下に逆に気遣いさせてしまった不甲斐なさと、負担をかけることへの申し訳ない気持ち、そして殿下が私を求めてくれる嬉しさが入り交じる。

「だが、この際だからきちんと話し合っておこう」

 殿下は真剣な顔をしたので私も表情固く頷いた。

「君もネロの能力が高くなってきて、影祓いの時間が短くなってきているのに気付いているはず」
「はい」
「これから先、影祓いにかかる時間はますます短くなっていくだろう」
「はい」

 考えていた不安を言葉にして殿下は私に再確認させる。
 いつまでも真実から目を逸らしてはいけないと思うけれど、すこし……残酷だ。

「わずかな時間で影祓いが済むということだ」
「はい」
「逆に言えばごくわずかな時間しか君に触れられなくなるということだ」
「はい」
「だから執務室での影祓いも口づけは許されるな?」
「はい…………はい?」

 ん? え? は!? ――は、はああぁぁっ!?

「よし。言質は取ったぞ」

 ご機嫌な殿下を前に、私は別の意味で新たな不安を抱いたのは言うまでもない。
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