つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

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【番外編:ユリア編】

第310話 伝えている言葉。届かない思い(二)

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 本日の歴史書翻訳を終えると本を閉じた。
 この国の歴史になど興味はなく、ただ事務的に翻訳するだけだと考えていたものだが、いざ始めてみると意外に面白いものだと思い直した。もしかしたら父もただ翻訳するだけではなく、その内容にも興味を引かれていたのだろうか。

 私は席を立つと、デレク様に歴史書と翻訳文を預けた。
 以前はロザンヌ様のお部屋に訪れるエルベルト殿下に直接お渡ししていたが、ベルモンテ家の出入りが禁止され、王家のみ入室できるという状況に変わったのでここでの保管ということになったようだ。

「確かにお預かりいたしました。ご苦労様です」
「はい。それでは失礼いたします」

 挨拶をすると部屋を後にした。
 最初こそデレク様との会話はぎこちなさがあったが、両親のお墓参り以降、少しずつ互いの丁度良い距離感で接することができるようになったと思う。

 距離感と言えば。
 最近、ジェラルド様との距離感を測りかねている気がする。
 以前は隙を見せないジェラルド様の懐から物を盗る感覚で、意識させないで接近することを目標としていたが、なぜか今はそこまで近付くことを躊躇してしまう。……それが当たり前だとロザンヌ様からは言われそうだが。

 もしかしたら測りかねているのはジェラルド様との距離感ではなく、自分の心なのかもしれない。

 一階に下りて廊下を歩いていると、庭を横切っておそらく鍛錬場に向かおうとしている体格の良い騎士がこちらに気づき、大股でやって来た。

「おう。ユリア・ラドロじゃないか」
「こんにちは」

 アレ何とかという騎士だ。名前が不確かなので、挨拶で留めておくことにする。
 あらためて彼を見てみると、背が高く横にもがっしりとした人だと思う。背はジェラルド様よりも少し高いかもしれない。一体何を食べているのだろう。

「最近、鍛錬場に来ないな」

 少し前までは、王家の呪い解明のごたごたに関わっていて鍛錬場に行く間がなかった。今はようやく元の生活を取り戻しつつあるが、あらためて復帰した歴史書翻訳が面白くなってきた経緯もあり、それに休みを使うこともある。
 何よりも、ジェラルド様の束の間の休みを頂いていることに申し訳なさが出てきたということが一番だ。きっとこれまでもお疲れが残る体で、お付き合いくださっていたはず。今さらながら後悔する。

「本業が忙しくなってきましたので」
「威勢が良いのはもう終わりか? 臆病風に吹かれたか?」

 どの口が言うのかと一瞬思ったが、もしかしたら私には伝わっていないだけで、歓迎してくれているのかもしれない。
 そうだ。別にジェラルド様にお付き合いいただかなくても許可さえ頂ければ、一人で鍛錬することもできる。少なくともこのアレ何とか騎士は相手してくれそうだ。

「その内に行き――」

 と言いかけたところで。

「ああ、ちょうど良かった」

 聞き慣れた声が背後から聞こえてきた。振り返らなくても分かる。――ジェラルド様だ。

「アラン・オーギュスト騎士」

 ジェラルド様は歩を進めて私の前に立つと目の前の彼に話しかけた。
 この人はアラン・オーギュスト騎士と言うのか。頭の片隅に置いておこう。

「お話し中でしたか? 申し訳ありません」
「いや。俺に何か?」

 ジェラルド様の方が役職は上だと思うが、ジェラルド様が特別丁寧なだけなのか、オーギュスト騎士が不敬なのか、話し方はぶっきらぼうだ。

「ええ。実は先ほど鍛錬の予定表をカルロ・アレオン騎士に渡したのですが、一枚置き忘れていたので持って行こうとしていたのです。これから鍛錬場に向かうなら持って行っていただけますか」

 オーギュスト騎士はジェラルド様が差し出す書類に視線を落とすと、素直に手を出して受け取った。

「ああ、分かった。じゃあ、俺はこれで」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

 身を翻したオーギュスト騎士を見送ることなく、ジェラルド様はすぐにこちらに振り返る。

「ユリアさん、こんにちは。朝のお仕事はもう一区切り付いたのですか?」
「はい」

 ジェラルド様は先ほど立ちはだかるように私の前に立たれた。そんな素振りはまるで見せないが、もしかしたらオーギュスト騎士に絡まれているように思われたのだろうか。

「あの、ジェラルド様。オーギュスト騎士とは普通にお話をしていただけです。何もされていません」

 彼の名誉のために一応そう言っておく。

「はい。存じています。ただ、私が嫌だっただけです」
「嫌?」

 ジェラルド様が嫌などという言葉を使うのは初めて聞いた気がする。
 少し驚きつつ首を傾げるとジェラルド様は困ったように笑う。

「はい。あなたが他の男性と仲良くしているのが嫌だったのです。私はユリアさんが好きですから」
「――っ」

 突如響いた言葉に一瞬息が詰まった。しかしすぐに取り繕うように口を開く。

「ありがとうございます。私もジェラルド様が好きです」
「はい。私こそありがとうございます」

 ジェラルド様は穏やかな表情で微笑んだ。
 いつもと変わらぬ態度のはずなのに、なぜかひどく胸にこたえる。

「ユリアさん。今からお昼に入るのでしたら、よろしければご一緒しませんか」
「……はい」
「良かった。では参りましょう」

 無意識に頷くとジェラルド様はまた少し笑顔になった。

 伝えてもらって響いた言葉。伝えているのに届かない思い。
 これで……いいのだろうか。
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