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第一章 辺境伯領
バルテンシュタッド辺境伯領
しおりを挟むバルテンシュタッド辺境伯領。
北の最果てに位置するこの辺境伯領には、防壁を守護する王国軍が駐在する。
王国の北に広がる魔が発生する森、深淵の森から這い出て来る魔物から王国全土を護るのが役割の彼らは、日々魔物の討伐を行い死闘を繰り返し、人々の安寧を護り、貴族や平民といった身分差など一切関係のない実力主義の世界に身を置いている。
彼らは騎士のようにこの国の王に忠誠を誓うのではなく、王国、ひいてはここに暮らす人々に忠誠を誓っている。
そんな一筋縄ではいかない軍を率いるのが、バルテンシュタッド辺境伯レオニダス・フォン・バルテンシュタッド=ザイラスブルク。
五年前、王弟であるレオニダスの父が魔物の討伐で命を落とし、当時二十四歳のレオニダスが辺境伯の爵位を継いだ。
父の元で幼い頃から軍人として類稀な戦闘力を発揮していたレオニダスは、王国軍最強と謳われる辺境の将軍に相応しく圧倒的な強さを見せつけ、兵たちを従えてきた。
そう、従者も付けず一人で深淵の森へ行っても問題ないくらい強い。
レオニダスは一年のうち二日だけ休暇を取り、必ず深淵の森へ出かける。一人で。
これはレオニダスが十三歳の頃から始まった。
初めの頃は魔物と遭遇し怪我をして帰って来ることもあり、危険な目にも遭っている。だが、決して止めなかった。
周囲の者は誰か人を付けようとしたが、却って足手纏いだと一蹴された。今となってはその通りなのだが。
現在はレオニダスの忠犬オッテとウルが行動を共にしているが、レオニダスの強さを間近で見るチャンスだと、同行を希望する兵士は多い。
* * *
「やれやれ」
防壁の門扉に身体を預け気怠げに深淵の森を眺めてため息を吐く金髪の美丈夫は、髪をかき上げ、ポケットから手のひらに収まる大きさの小さな望遠鏡のようなものを取り出し、レオニダスが帰って来るであろう方向を見た。
「閣下は今回も何か見つけたのでしょうか」
一歩下がった場所で背筋を伸ばし、同じく深淵の森を見遣る赤い髪の兵士が遠くを見る金髪の男、アルベルトに声を掛ける。
「……そうみたいだよ」
黙って望遠鏡を覗いていたアルベルトは、ははっと笑うとゆっくりと身体を起こした。
「今回はすごいお土産だよ」
* * *
ナガセを連れたレオニダスが真っ直ぐ執務室に向かうと、アルベルトが執務机に寄り掛かりワクワクした様子を隠さず待っていた。
オッテとウルはいつもの定位置である窓際のクッションで既にくつろいでいる。
「それで?」
「……」
「その子、どこで見つけたの?」
「……東の丘辺りだ。魔物に追われてた」
「へぇ、ウルを見つけた辺りだね。なんでそんなとこに居たのかなぁ」
アルベルトは入り口の前でじっと立っているナガセに視線を向ける。その表情はキラキラとしていて、ナガセに対する好奇心が抑えられない様子だ。
「深淵の森に行くたびに何かしら拾って帰って来たけど、ついに人間まで連れて来るなんて」
アルベルトは嬉しそうに笑った。
「ナガセ」
レオニダスが声を掛けると、入り口で立ったままのナガセがピクリと肩を揺らした。ソファに座るよう促すと、ソロソロとソファに近づきそっと腰を浅く下ろす。警戒しているのか、落ち着かない表情でこちらを窺っている。
「ナガセって言うの? 変わった名前だね。僕はアルベルト。かわいいね、なんか拾われた猫みたい。拾ったんだけど」
「言葉が通じないぞ」
「そう! なんか珍しい顔立ちだなとは思ったけど、そうか、益々庇護欲が増すね?」
アルベルトはニコニコと笑顔を崩さないままレオニダスを見遣る。
「魔物に追われているのを反射的に助けたが、まさか子供だとは思わなかった」
「危機一髪だった訳だ。十二、三歳……もう少し年上かな? どうやって入り込んだのかな。防壁に穴でも開いてる? そんな報告ないしなぁ。言葉も通じないしこんな軽装でさ、あ、もしかして捨てられたとか……身元を調べないとな、この国に入国した人間から調べるか……」
あれこれ思考を巡らせ始めたアルベルトを無視して、レオニダスはナガセの向かいに腰を下ろした。
不安げな様子でこちらを見つめるナガセに向かって、安心させるように口の端を少し上げてみせる。
「大丈夫だ」
「だいちょうぷ」
ナガセは膝の上で手を握り締め、眉根を寄せて真剣な表情でコクンと頷く。正確な意味はわかっていないはずだが、それでもこの言葉を伝えると少し安心したような顔をする。
レオニダスはもう一度、ナガセに向けて柔らかく微笑んだ。
魔物に怯え言葉も通じないこの少年が何故あんな場所にいたのか。レオニダスもここに戻るまでの間ずっと考えていた。
防壁は森からの侵入に対しては鉄壁の守りを固めているが、反対に出て行く者に対する警戒が薄い部分がある。
犯罪者が一時的に身を隠す為逃げ込むこともあれば、自ら命を絶とうとする者、生活に苦しくなって子を捨てる者。
そして皆、一晩と持たずに魔物の餌食となる。
レオニダスはナガセもそれらに巻き込まれたのかと思った。
だが、ナガセは不自然なほど清潔感がある。身に付けているものは見たことのないものばかりだが、決して安価なものではない。健康面でも、魔物に襲われ顔色が悪かったものの、生活に窮している様子は見られない。白く長い指は爪に至るまで手入れされているのか美しく、労働者の手ではなかった。
それに、思い浮かぶのはナガセの色。
この国では見たことのない漆黒の髪。
耳が見えるほど短く切られた髪は手入れがされているのか、濡羽のように艶やかに光り、目にかかるくらいの長さの前髪がサラサラと揺れる。その向こうに見える黒曜石のような輝きを持つ双眸。
白い肌に、少し切長で大きな瞳、涙で濡れた長いまつ毛。細い手首は、力を入れたらすぐに折れてしまいそうだった。
レオニダスは素直に、美しい顔をしている少年だと思った。
今目の前にいる乳兄弟のアルベルトも王国一の美しさを持つと言われている。金髪に紫と濃紺のオッドアイを持つこの男は絵本の中の王子様然としていて、王都へ行くと貴族の令嬢のみならず老若男女、この男の美貌に酔いしれる。幼い頃は好色どもが近付いて来てアルベルトは何度も危ない目に遭っていた。乳兄弟を守るのは自分しかいないと、拳を振り剣を振ってよく追い払ったものだ。
見慣れた自分にはアルベルトが美しいのか最早よく分からないが、ナガセのように見た目の色が珍しいうえに身寄りのない少年が好奇の目に晒されるのは想像に難くない。あるいは好色の金持ちに目を付けられ、餌食になりかねないのではないか。いや、そもそも売り飛ばされたところを逃げて迷い込んだのかもしれない。
一度その考えに囚われてしまっては、レオニダスはもう自分が連れ帰って保護することしか考えられなかった。
幸い、屋敷には死んだ妹夫婦の息子がいる。まだ八歳だが、大人しか身の回りにいないあの子にとっていい刺激になるかもしれない。
それに、自分が保護すれば疾しい人間が近づくこともここではまずないだろう。
自分の庇護の元、言葉が分からないなら覚えさせ、自立できるように手助けすればいい。自分にできる仕事を見つけさせ、この国で生きて行く術を身に付ければいい。
拾った責任を取ろう。
身体を震わせ声を殺して泣いた、この子のために。
本当はナガセをどこで見つけたかなど、
自分の胸の内にしまっておけばいい。
レオニダスはじっとナガセの瞳を見つめ、小さく息を吐き出した。
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