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第一章 辺境伯領

ガラスの向こう

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「わたしは、おんな、です」


 レオニダスの顔を瞬きせず見つめて、そう告げた。レオニダスはピクリともせず黙っている。
 私は構わず続ける。こういうのは一気に言うに限る。

「わたしは、おとこのこちがいます。おんなのこもちがいます。わたしのとし、おとなです」

 レオニダスの表情は変わらない……と思っていたけど、ふっと表情が抜け落ちたのが分かった。
 伝わったかな。

「…………女……大人……?」
「はい。あの、……わたし、……二十三さい」
「…………、ぃや……、……に…………は?」

 たっぷりの沈黙の後、ついにレオニダスの目がこれでもかってくらい見開かれた。
 わあ、目が落ちそうだよ。

 そうだよ、私は二十三歳。大人なんですよ! お酒も飲めるし!
 童顔なんて言われたことないけど、こっちの世界の人達に比べると子供顔だよね!

 何も言わないレオニダスに不安になって、握っていたレオニダスの指をにぎにぎしてしまう。

「……おこりますか」
「え?」
「わたしのはなし」

 もう顔を見ていられなくて、にぎにぎしている指に視線を落とす。レオニダスの長い指。

「わたし、いうしまてん。うまく、はなす、できない。でも、かくす、しない。はなす、むずかしいです」

 ボソボソと俯いたまま伝える。どうやって言うかあんなに考えたのに、いざとなったら何だかもうぐちゃぐちゃになってしまった。
 子供と思って保護してくれたのに、実は大人でしたって、やっぱり腹立つかな? 今更言うかみたいな?
 あれ、もしかして大人だと分かったら私追い出される? 確かに仕事はさせてもらえてるけどいきなり一人暮らしとかキツイかもでも現状甘え過ぎだよね?

「わたし、でていく、する?」

 つい、ポロリと口にしてしまった。

「それはダメだ!!」

 レオニダスが突然大きな声を出した。
 驚いて顔を上げると、また眉間に皺が。にぎにぎしていたはずの私の手は、逆にレオニダスに包まれた。

「いや……違うんだ、出て行く必要などない。……怒る訳がない。そのことは俺が悪い。すっかり思い込んでいて、違和感はあったが確かめることもしなかった。本当に……いや、だが、今はそうではなくてだな」

 レオニダスはごにょごにょ何やら呟いている。眉間の皺が益々深くなる。

「ナガセ」

 そっと私の頰に触れる。
 レオニダスの瞳が揺れている。私はこの瞳に弱い。

「……辛い思いをさせてしまった。すまなかった」
「……いいえ。つらい、ちがいます。だいちょうぶ」
「そうではない。こんな事は起こってはならない事だ」
「こんなこと?」
「怖かっただろう」
「……」
「身体の大きな男たちに、集団……大勢に囲まれて、暴力を受けた。怖くないはずがない」

 私は、ハク、と口を動かす。
 でも、何も言葉が出てこない。

「ナガセ」

 レオニダスの優しい声。

「これは、大丈夫ではない」

 頬を撫でる手が、私の伸びた髪を耳にかける。

「もう二度と怖い思いはさせない。……だが、」

 そしてすっと頬を親指で拭う。レオニダスの指が濡れてる。

「怖かった思いに、蓋をするな。我慢などしなくていい」

 あれ、私、泣いてる?

「ナガセ」

 レオニダスが椅子から立ち上がり、ベッドの脇に腰掛けた。
 ベッドがギシリと音を立てて、反対側で寝ているウルの耳がこちらを向いた。
 わたしの傍で見下ろすように顔を覗き込むその眉間には皺はなく、瞳には優しさと後悔が浮かぶ。

 ぶわり、と感情が溢れてきた。


 そう、怖かった。

 怖かった、怖かった怖かった怖かった……!!
 怖くて怖くて、痛みも他人事のように感じるしかなくて、邸に戻ってからもずっと続いている気がして、怖かった。
 みんなに優しくされて、あの時の事はぼんやりしてガラスの向こうの他人事のようになっていたけれど、眠っていても誰かといても突然脳裏に蘇って。

 怒声、嘲笑、悪意のある言葉、威圧、圧倒的な暴力。

 グルグルと渦巻いて私を貶める。
 夜中に目を覚ます度、ウルの体温を求めて縋って。


「……っ、ぅ、レオ、……」

 身体の痛みが記憶を呼び起こす。
 怖い。
 私はレオニダスの胸に縋った。レオニダスの服を掴み、震えた。

 そう、私はまだ怖いんだ。

 縋った胸は大きく熱く、私を包む。

 あなたに会いたかった。会いたくて会いたくて、堪らなかった。



 レオニダスは強く、でも優しく、私の背中に両腕を回して何も言わずにずっと抱き締めてくれた。
 溢れる感情に、もう名前はつけられなくて。

 私はただ只管に震え、泣いた。

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