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最終章 深淵

青い空に溶けて

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 それから更に三日、熱が上がったり下がったりした私は暫くベッドから降りられなかった。

 薄着で吹雪の中を動き回り、極度の緊張状態にあった私は風邪と疲労で完全にダウンしてしまい、薬のせいもあってウトウトと一日のほとんどを寝て過ごした。
 その間レオニダスは、砦へ行かず私に付きっきりで看病をしてくれた。薬を飲むために起き上がる時も手を貸してくれて、ナサニエルが作った優しいスープをスプーンで掬って口に運ぶ。汗をかいたら身体を拭き、着替えもしてくれる。
 シーツを取り替える時は私を横抱きにして、アンナさんがその間に清潔なシーツに取り替える。汗がひどい時は何時だろうとレオニダスが取り替えてくれた。
 そして夜は必ず私を抱き締め、眠りに落ちるまでずっと優しく頭を撫でてくれた。


 そうして少しずつ体力も回復し起き上がれるようになると、レオニダスはぽつぽつと今回の顛末を教えてくれた。

 王都で見つかったあの赤い包みの薬は魔物から抽出した毒素が使われていて、バルテンシュタッドで原料が精製されていたこと。
 関係していた組織の人達は全て捕らえて王都に送り、ベアンハート殿下は全て回収して一緒に王都に帰って行ったこと。
 後は王太子が対処することだとレオニダスは素気なく話していた。
 ただ、軍の人間が関係していた事は少なからず砦に衝撃を与えた、と眉根を寄せて呟いていた。クラウスさんの部下だったと言うから私も会ったことがある人なのかもしれない。
 なぜその人がこんな事に手を貸したのか、その人は亡くなってしまい今となっては真相は分からないけど、クラウスさんが王都へ行ってベアンハート殿下と共に調べているらしい。

 白い塊が何故ラケルさんをずっと閉じ込め、更に私を飲み込もうとしたのかをベアンハート殿下は解析したようだったけれど、全ては想像の域を出ないから話すことはない、と言っていたそうだ。
 私もそれでいいと思う。
 何故私がこの世界にいるのか説明がつかないように、あの白い塊のことも魔物のことも、人の負の感情や闇も、はっきりと説明は出来ないのだろうから。

 あの白い塊のようなものが消えた時、深淵の森にいた魔物も一緒に消滅したと聞いた。
 オーウェンさんが昔のスタンピードを思い出して、私が飲み込まれたのではないかと凄い剣幕で森から帰って来たお義兄様に食ってかかったらしい。ラケルさんの二の舞なのか、と。
 お義兄様が私はちゃんと戻った事、意識を失ったのでレオニダスとすぐに邸に帰った事、そして、ラケルさんとジークムントさんの事を伝えたと聞いた。
 オーウェンさんは二人のことを知っていたから、きっと何か思うことがあったんだと思う。

 それから暫く、オーウェンさんは店を閉めていたそうだ。
 みんなと一緒に戦ってくれて、私を心配してくれたオーウェンさん。
 ラケルさんとジークムントさんに対する思いにけじめをつけたのだろうと、レオニダスは私の髪を梳きながら話してくれた。


 前回のスタンピードの教訓から、街のみんなは有事の際に取るべき行動を徹底していた。
 声による緊急時の警報を聞き、素早く決められた避難場所に避難する。地下がある家はそこへ避難し、難しい場合は教会に避難する。全てが終わるまで、王国軍から避難解除の通達があるまで決して出て行かない。
 今回砦を越えたのは殿下の言うあの白い塊の体毛だけで、魔物が街に出る事はなかったけれど、あの嵐だと思った白い塊が魔物を生み出すものなのだから、何が起こってもおかしくはなかった。
 迷いのない行動が街を救ったのだとレオニダスは誇らしげに話していた。
 そしてあの白い塊が霧散してから暫く、魔物が深淵の森から消えた。
 小さな猫のような魔物が何匹か目撃されただけで、これまでのような大きさの魔物は出没していないらしい。
 もちろん完全に消滅した訳ではないので変わらず砦では警戒をしているけれど、少し息抜きが出来ると兵士たちに交代で休暇を取らせたりしているらしい。


 こうして、バルテンシュタッドはまた平穏を取り戻した。




「足元に気をつけろ」
「ふふ、もう、大丈夫だってば」

 レオニダスに手を取られ、丘の上を目指し小道を行く。
 夏の昼下がり、濃い青の空には真っ白な入道雲がむくむくと伸びている。蝉の声がいくつも重なりうるさいくらいだけれど、背の高い木々に囲まれた小道を風が通り抜け、ひんやりと身体を冷ましてくれる。
 この先の木々が開けた丘の上には、ザイラスブルク家の墓地がある。
 そこにあるジークムントさんの墓石に、昨日ラケルさんの名前が刻まれたと聞いて、レオニダスと共にどうしても墓前に花を手向けたいとお願いして連れて来てもらった。

 ラケルさんが好きだったという花を庭師に頼んで花束にしてもらい、レオニダスと共に墓前に捧げる。
 黒く艶のある墓石に並ぶ名前。
 やっと並ぶことの出来た2人。
 ジークムントさんに抱き締められていたラケルさんの笑顔は、本当に綺麗だった。
 そして、レオニダスとお義兄様に愛を伝えた時の優しさに満ちた笑顔も。

「ラケルさん、よかったね…」

 そっと墓石に触れて、つるりとした黒く光る石を撫でる。

 今でもあの白い世界でのことが夢のように思える。
 ラケルさんがずっと一人でいたのは何故なのか、私があの白い世界に行ったのは何故なのか。何故私たちがあの白い塊に取り込まれたのか。ラケルさんが言っていた、呼ばれた、とは何なのか。
 結局何も分からないまま。
 でも、私はあの白い世界でラケルさんに会って、連れ出すことが出来た。
 今はそれが全て。


 レオニダスも私に続き、暫くじっと墓石に手を載せて二人の名前を見詰めていた。

「……感謝している」

 レオニダスはぽつりとそう零すと、それ以上は何も言わなかった。


 レオニダスと来た道を戻ろうと振り返ると、そこには花を一輪手にしたお義兄様が少し離れた場所に立ってこちらを見ていた。
 その花は、ラケルさんの好きな花。

「お義兄様」

 駆け寄ると優しくハグをしてくれる。

「ナガセ、よかった元気になったね」

 そう言って頭頂部にキスを落とす。

「お義兄様、まだ忙しい?」
「いや、大分落ち着いたよ。ごめんね、全然顔を見に行けなくて」
「ううん。お義兄様は大丈夫? 休めてる?」
「ふふ、ありがとう。大丈夫だけど、そろそろナガセのお弁当が恋しい」

 お義兄様の顔を見上げると、少し疲れた表情をしている。

「私はもう大丈夫だから、また邸に来てね」
「もちろん行くよ! レオニダスが駄目って言ってもね」

 そう言うと優しく頬にキスをして笑った。

「そんな事は言わない」

 レオニダスが後ろから私の腰に腕を回しグイッと引っ張ってお義兄様から離した。

「そんな狭量な振る舞いをしながらよく言うよ」

 苦笑しながらじゃあ、と私たちの横をすり抜け片手を上げる。

「僕も花を手向けて来るよ」
「……ああ。…行こう、カレン」
「うん。じゃあ、また」

 レオニダスの手を取り来た道を戻る。


 小道に戻りふと振り返ると、小高い丘の上、墓前に花を手向けてじっと佇むお義兄様の後ろ姿が青い空に溶けているようで。


 ……私はなんだか、泣き出しそうなほど悲しかった。

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