【完結】恋多き悪女(と勘違いされている私)は、強面騎士団長に恋愛指南を懇願される

かほなみり

文字の大きさ
31 / 39

30 悪女の告白

しおりを挟む

 耳元で低く囁いた声に、振り返らずともそれが誰か分かる。
 混乱と歓喜と、そして締め付けられるような愛おしさに胸が苦しくなった。

「――っ、エ、エイデンさま……?」
「会いたかった、アレックス」

 ドキドキと激しく胸が鳴る。けれど、背中に触れる彼の身体からも、同じように激しい鼓動が響いてきた。
 彼の腕が、私をきつく抱き締める。

「もう、どこへも行かないでくれ」

 懇願するように掠れた声で言う彼の言葉に、息ができない。少しだけ震える逞しい腕に、私はそっと手を添えた。

「どうしてここに……」
「あなたに会うために、クレマン子爵へ連絡を取った」
「え?」
「イーゼンブルグ公爵家から可及的速やかに対策を講じねばならない案件がある、と連絡をした」
(それはいかんなく公爵家の威光と権力を行使したということ……)

 地方の子爵家がその名を聞いて、どんな内容であっても否と答えるはずがない。

「使えるものは使う。あなたのためなら」

 そう言って、エイデンさまは私をひょいっと横抱きにした。

「エ、エイデンさま!?」
「逃げられては敵わないからな」

 そう言って、彼は私を膝の上に抱きあげたまま椅子に腰かけた。

「逃げたりなんかしませんから!」
「では、どうしてこちらを見ない?」

 彼の膝から降りようと身を捩る私を、ぎゅうっと逞しい腕が抱き締める。密着する身体が熱くて、否応なしに鼓動が早くなった。

「そ、それは、申し訳ないと、思って……」
「申し訳ない?」
「――っ、何も言わずに、逃げて、しまったから……」

 あの夜、気を失うように眠りについた彼を置いて、私はこっそり宿を抜け出した。あのまま目を覚ました彼と、話をする勇気がなかったのだ。
 彼から離れなければならないという私の決意が、簡単に揺らぎそうだったから。

「俺はあなたに、気持ちを伝えた」

 私を抱き締めて、髪に鼻先を埋めながら話すエイデンさまの熱い息が、私をあの夜へと引き戻す。

(ダメ、せっかくもう終わったことにしたかったのに……!)

 決意なんて、もろいものだ。こうして彼を前にしてしまえば、あっという間に彼に恋していた王都での日々に、心が戻ってしまう。

「わ、私は」
「あなたも、俺を好きだと言ってくれた。そうだろう?」

 大きな掌が私の頤を捕らえ、上を向かされた。すぐ近くで目が合った青い瞳には、私の混乱する顔が映っている。

「――ええ、そうね」
「それは、今も有効だろうか」
「――エイデンさま、私は」
「アレックス」

 彼は私の言葉を遮るように、首を振る。

「あなたが俺の立場や身分を慮ってくれたのは分かっている。確かに、俺には責務があり、やすやすとその立場を捨てることはできない」
「でしたら、私ではなく、エイデンさまに相応しい方をお探しになってください」
「無理なんだ」

 彼は、諦めたように瞳をくしゃりと細めた。優しいような、泣きそうな表情で、額を私に合わせる。

「俺はあなたを愛しているんだ、アレックス。あなたのことを忘れるなんて、できるはずがない」

 彼は私の手を取って、そのまま自分の口元へと運ぶ。指先に触れる熱い唇が、少しだけ震えていた。

「わ、私は、御覧の通り男爵家の娘です。貴族的な振る舞いなどできないし、学んでもいません。あなたの迷惑になるのに、どうして気持ちだけで乗り越えられると思えますか?」

 王都で行う社交も、政治的な意味を含む他国との交流も、それらすべて、彼はこれから背負わなければならない。そんなとき、隣で支えられる女性である自信が、私にはない。

「アレックス、俺はそんなことは望んでいない。屋敷へ帰ったとき、肩の荷が下りたときに、あなたの笑顔が見たいと思っている。休みの日にはあなたと馬の世話をして、遠乗りがしたい。あなたの人柄と笑顔を、俺は生涯守りたいし、そばにいたいと思っている」

 ああ、ずるい人。そんな泣きそうな顔で私に懇願するなんて。
 そんなことまで教えた覚えはないわ。

「それに、あなたが王都へ来る必要はない。俺がすべてを捨ててこの領地へ来る」
「えっ!?」
「その方針について話し合いが必要だったため、来るのが遅くなってしまった」

 ちょっと待って、なんだか思っていたのと様子が違う。

「そ、それは、どういう……」
「クレマン子爵に、喫緊の課題について方策を練りたいと相談した」
「ほ、ほうさく……?」
「子爵はふたつの提案をした。ひとつは、あなたの御父上である男爵に子爵位を譲渡すること」
「はい?」
「あなたが家格を気にするのなら、それが早い。ご両親へも伝えている。だがそれは、あなたが王都へ来る場合の話だ」
「はい!?」
(うちの両親といつの間に!?)

 お父さまもお母さまも、二人ともそんなことは一言も話していなかったし、なんでもないことのように言わないでほしい!

「もうひとつは、俺がこの子爵領を治める方法だ」
「――おさめる……?」

 ちょっと意味が分からない。何かいろいろ飛躍している。

「公爵位を辞退して、俺がこの領地を相続する場合だ」
「そ……っ、えっ!? ちょ、ちょっと待って!?」
「俺の爵位など、どうでもいいのだが、さすがに今さら平民になっても扱いにくいと子爵から言われた」
「そうでしょうね……?」
「職がないのはあなたに迷惑を掛けるから気になっていたが、子爵の後継である先ほどのフィル殿が婚約者の実家である子爵家の資産を受け継いで管理し、俺がこの領地を相続すればいいという話になった」
(話になった、じゃなくて!)

 フィルもエイデンさまと、すでに話し合いをしていたということ!?

「俺の爵位継承権は身内へ譲渡できる。王位継承権もだ。そうすれば、俺はあなたとここで生きていける」
「そんなこと無理です!」
「可能だ。王太子にも話してきた」
(なんて!?)

 頭が混乱して何ひとつ理解できない。理解することを、拒んでいる。

「アレックス、俺はあなたの自由さも愛している。あなたに変わってほしいなど思っていない。だが、あなたと一緒になれるのなら、俺はいくらでもあなたのために変わることができる」
「か、変わる?」
「そうだ。俺が背負っているものは、必ずしも俺でなければならないことはない。代々受け継がれ継承されてきたのだ、それが直系の俺ではなくなるだけのこと」
「待って、エイデンさま! いったい、なんの話を……」
「アレックス」

 エイデンさまは、ふーっと細く長く息を吐き出して、混乱する私を膝から下ろした。触れていた熱が急に離れて、寂しいと思う身勝手な私がいる。
 彼は立っている私の前で跪き、私の手を取った。

「アレックス・ラトゥリ嬢。愚鈍で無知な俺は、あなたという人に出会い、自分の人生を顧みた。生まれながらに与えられた地位と責務に相応しい己であろうと、努力し、果たしてきたつもりだ。そしてそのことを後悔はしていない。――だが、あなたと出会って、俺は人生で初めて心から欲するものを知った」

 彼は私の指先に口付けを落とし、まるで祈るように俯いて自分の額に押し当てた。

「これまで、こんなにも強く欲したことはない。俺は、あなたと一緒にいたい。あなたとこれからの人生を共に歩みたい。それが叶うのならば、俺は手段を選ばないと決めた」
「エイデンさま……」
「地位は問題ではない」

 そこまで言って、彼は顔を上げた。
 私を見上げる青い瞳は、まるで今日の青空のように輝いている。

「アレックス・ラトゥリ嬢。俺に、この先の人生をあなたの隣で送ることをお許しいただけないだろうか。騎士団長でも、子爵でも、公爵家後継者でもない、ただのエイデンに」

 跪いて私を見上げる彼の言葉に、ぎゅうっと胸が締め付けられる。
 彼の隣に立つのが私じゃなければならないなんて、そんなこと考えもしなかった。
 ただずっと、私では彼に釣り合わない、この気持ちは彼に迷惑を掛けてしまうと、身を引くことしか考えていなかった。けれど、彼は変われると言う。私のためにすべてを捨てて、何もない自分で私と共に歩みたいと言ってくれる。
 そんなことまで言わせて、では私は、彼に何を返せるのだろう。私だけ何も変わらずに、彼の愛をただ享受していいのだろうか。

「あなたを愛している、アレックス。どうか、俺と結婚してほしい」
「エイデンさま……」

 跪く彼の手を両手で握り返す。彼の身体がびくりと揺れた。
 森の木陰を抜けた涼しい風が、私たちの火照りを冷ますように優しく吹く。彼の銀色の髪が、ふわりと舞い上がるその様子を、一生胸に留めておこうと思った。

「――私も、あなたを愛しています、エイデンさま」
「アレックス……!」

 立ち上がろうとする彼を、手で制する。ぴたり、と動きを止めて、不安げな瞳が私を見た。

「でも、子爵の提案は受け入れられないわ」
「それは……」
「私は、あなたのこれまで守ってきた矜持と責務を、手離してほしいとは思っていない」
「そんなもの、あなたと共にあることと比べたら些末なことだ」

 心を決めたのだと、彼の瞳が揺らがずに私を見上げる。ここまでしてくれるほど愛されているのだと、私の全身が震えた。
 では、私には何ができる? 彼のためにできることは?

「私は、誇り高いあなたをとても好ましく思っているわ」
「俺も、あなたには自由でいてほしいと思っているし、そのままのあなたでいてほしいと願っている。だから俺がこの地で……」
「あら、エイデンさまは私が王都へ行ったら変わると思っているの?」
「それは……」

 ぐっと眉根を寄せて俯く彼に、そっと掌を頬に添えて上を向かせる。

「私は、恋多き悪女を演じられたように、あなたの隣に立つのに相応しい女を立派に演じて見せるわ」
「アレックス……」
「それに」

 何やら感動した様子の彼に、小さく肩を竦めて見せる。

「私、あの丘を気に入ったの。休みの日には二人で馬に乗って出かけましょう? 馬の世話も自分でしたいわ。ね、私はちゃんと私らしくいられるわ。あなたと一緒なら」

 恋多き悪女を引き受けたように、彼の隣に立つ覚悟を持とう。彼にだけ覚悟を決めさせない。
 私だって、彼のために変わることができる。
 その先にどんな大変なことがあっても、絶対に乗り越えて見せる。
 だって私は、恋多き悪女、ビルギッタ・ラトゥリ・バーンズの姪なんだもの。

「一人で決めてしまわないで、一緒に考えましょう? これからの未来は、二人で歩むのだから」

 きっと変わる未来は、決して悪いものではない。

「――求婚をお受けいたします、エイデンさま。私をずっとそばに置いてね」

 彼は、私の言葉を最後まで聞かないうちに、深く、噛みつくような口付けをした。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

【完結】何もできない妻が愛する隻眼騎士のためにできること

大森 樹
恋愛
辺境伯の娘であるナディアは、幼い頃ドラゴンに襲われているところを騎士エドムンドに助けられた。 それから十年が経過し、成長したナディアは国王陛下からあるお願いをされる。その願いとは『エドムンドとの結婚』だった。 幼い頃から憧れていたエドムンドとの結婚は、ナディアにとって願ってもいないことだったが、その結婚は妻というよりは『世話係』のようなものだった。 誰よりも強い騎士団長だったエドムンドは、ある事件で左目を失ってから騎士をやめ、酒を浴びるほど飲み、自堕落な生活を送っているため今はもう英雄とは思えない姿になっていた。 貴族令嬢らしいことは何もできない仮の妻が、愛する隻眼騎士のためにできることはあるのか? 前向き一途な辺境伯令嬢×俺様で不器用な最強騎士の物語です。 ※いつもお読みいただきありがとうございます。中途半端なところで長期間投稿止まってしまい申し訳ありません。2025年10月6日〜投稿再開しております。

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

悪役令嬢と誤解され冷遇されていたのに、目覚めたら夫が豹変して求愛してくるのですが?

いりん
恋愛
初恋の人と結婚できたーー これから幸せに2人で暮らしていける…そう思ったのに。 「私は夫としての務めを果たすつもりはない。」 「君を好きになることはない。必要以上に話し掛けないでくれ」 冷たく拒絶され、離婚届けを取り寄せた。 あと2週間で届くーーそうしたら、解放してあげよう。 ショックで熱をだし寝込むこと1週間。 目覚めると夫がなぜか豹変していて…!? 「君から話し掛けてくれないのか?」 「もう君が隣にいないのは考えられない」 無口不器用夫×優しい鈍感妻 すれ違いから始まる両片思いストーリー

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

勘違い妻は騎士隊長に愛される。

更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。 ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ―― あれ?何か怒ってる? 私が一体何をした…っ!?なお話。 有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。 ※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。

元平民だった侯爵令嬢の、たった一つの願い

雲乃琳雨
恋愛
 バートン侯爵家の跡取りだった父を持つニナリアは、潜伏先の家から祖父に連れ去られ、侯爵家でメイドとして働いていた。18歳になったニナリアは、祖父の命令で従姉の代わりに元平民の騎士、アレン・ラディー子爵に嫁ぐことになる。  ニナリアは母のもとに戻りたいので、アレンと離婚したくて仕方がなかったが、結婚は国王の命令でもあったので、アレンが離婚に応じるはずもなかった。アレンが初めから溺愛してきたので、ニナリアは戸惑う。ニナリアは、自分の目的を果たすことができるのか?  元平民の侯爵令嬢が、自分の人生を取り戻す、溺愛から始まる物語。

【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。

扇 レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋 伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。 それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。 途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。 その真意が、テレジアにはわからなくて……。 *hotランキング 最高68位ありがとうございます♡ ▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス

むにゃむにゃしてたら私にだけ冷たい幼馴染と結婚してました~お飾り妻のはずですが溺愛しすぎじゃないですか⁉~

景華
恋愛
「シリウス・カルバン……むにゃむにゃ……私と結婚、してぇ……むにゃむにゃ」 「……は?」 そんな寝言のせいで、すれ違っていた二人が結婚することに!? 精霊が作りし国ローザニア王国。 セレンシア・ピエラ伯爵令嬢には、国家機密扱いとなるほどの秘密があった。 【寝言の強制実行】。 彼女の寝言で発せられた言葉は絶対だ。 精霊の加護を持つ王太子ですらパシリに使ってしまうほどの強制力。 そしてそんな【寝言の強制実行】のせいで結婚してしまった相手は、彼女の幼馴染で公爵令息にして副騎士団長のシリウス・カルバン。 セレンシアを元々愛してしまったがゆえに彼女の前でだけクールに装ってしまうようになっていたシリウスは、この結婚を機に自分の本当の思いを素直に出していくことを決意し自分の思うがままに溺愛しはじめるが、セレンシアはそれを寝言のせいでおかしくなっているのだと勘違いをしたまま。 それどころか、自分の寝言のせいで結婚してしまっては申し訳ないからと、3年間白い結婚をして離縁しようとまで言い出す始末。 自分の思いを信じてもらえないシリウスは、彼女の【寝言の強制実行】の力を消し去るため、どこかにいるであろう魔法使いを探し出す──!! 大人になるにつれて離れてしまった心と身体の距離が少しずつ縮まって、絡まった糸が解けていく。 すれ違っていた二人の両片思い勘違い恋愛ファンタジー!!

処理中です...