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呼べない名前1

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「……ここは」

 馬車が到着したのは、丘の上から街を見下ろす堂々たる真っ白な建物の前だった。いくつもの尖塔が空に向かって真っすぐに伸びるそれは、記憶を失っていても王城なのだと分かる。

「……私はここに滞在していたのですか?」
「思い出した?」

 ニコニコと笑う王太子を思わずちらりと横目で睨むと、王太子は益々嬉しそうに相貌を崩した。なぜ嬉しそうなのか分からず、プイッと視線をそらすと、やはり嬉しそうに笑う気配がする。

「確認しただけです」
「そうか、それは残念」

 全然残念そうではない。
 馬車の窓からそっと外を見ると、門の前では多くの使用人や騎士たちが頭を垂れ、ずらりと並び出迎えてくれている。

(ちょっと待って何かしらこの人数!)
「ルディ」

 人の多さに動揺し固まっている私に向かって、先に馬車を降りた王太子が手を差し出した。
 その手を見つめ、王太子の顔を見る。そんな私をじっと見つめ返し、待っている王太子。
 ――私には選択肢がない。
 ここまで来たのだ、思い出すためにも今は前に進むしかない。
 口の中で小さく「大丈夫」と呟いて王太子の手を取り馬車を降りると、背の高い王太子が背中を丸めて私の耳元に唇を寄せ、小さく囁いた。

「大丈夫だよ」
「!」

 その声にどきりと心臓が鳴る。隣に立つ王太子の顔を見上げると、目許をほんのり赤く染め柔らかな表情をして私を見下ろしていた。
 ――きっと、大丈夫よ。
 この人についてきたのは間違いではない。
 そう思える笑顔だった。

 *

 通された応接室でソファに腰掛け、もう少し詳しい話が聞きたいと何人もの人々が入れ代わり立ち代わり、紙とペンを手に今日の出来事を質問してきた。
 何処にいたのか、気が付いたことはないか、覚えていることは何か。繰り返される質問に同じ回答を繰り返す。
 何も覚えていない、と。
 王城の侍医による診察も受け、見立ては診療所で言われたことと同じだった。
 その間ずっと、隣には王太子が張り付くように座っていて、けれど一言も口を挟まずそれらを黙って聞いていた。
 途中入室してきたマントを被った魔術師が手をかざし、私の魔力残渣を調べ始めた。じんわりと温かい魔力に思わずほうっと息を吐くと、魔術師が首を傾げた。

「魔力が極端に少なくなっていますね。回復途中のようです」
「魔力が?」

 王太子が顔を上げ、私の手をぎゅっと握った。
 驚いて手を引こうとしても強い力で握られて離さない。じっと何かを睨むように私の手を握り集中していた王太子は、顔を上げて私を見た。
 至近距離で見る青い瞳は海、と言うよりは湖だろうか。いつか見た湖。空を映し出し美しく青く光る湖。
 ――何処で見たのだろう、あの湖は……。

「ルディ?」

 名前を呼ばれ、はっと我に返る。

「すまない、疲れているだろう」
「いいえ、大丈夫です」

 王太子は私の手を握ったままじっと私の顔を見つめた。

「――記憶を失う前、何か大きな魔法を使ったようだ」
「大きな魔法……」
「君の魔力量は特別多い方ではないが、いくつか複雑な術式を使えることが出来た。それを使ったんだろうが、使わなければならない何かが君の身に起きた、ということか」

 考えを口にしながら王太子はじっと私を見つめる。その瞳は私ではない、別な何かを見ているようだ。

「まずは君が見つかった場所、声をかけられたという場所を徹底して調べよう」
 
 私の話を聞きながら似顔絵を描いていた絵師から絵を受け取った王太子は、素早く絵を確認し従者に手渡した。従者は絵を手に、騎士と共に素早く部屋を退室する。
 他の人々も頭を下げ部屋を立ち去ると、部屋には私と王太子の二人が残された。
 何か話したほうがいいのかしら……でも何を?
 さっきまで人の気配に溢れかえっていたのに、二人きりになると途端にソワソワと落ち着かなくなる。
 
「――ルディが行方不明になったのは」

 隣で私の手を握りしめたまま、王太子が視線を宙に向けて話し出した。

「ここに戻ってくる途中のことだった」
「出掛けていたのですか?」
「うん。候補の一人である、公爵家の令嬢のお茶会に呼ばれていたんだ」
「お茶会……」

 それって候補の一人が伯爵家格下の私を排除しようとしたのでは? そこで何かが起きた?

「君の思っているようなことじゃないよ」

 王太子はくすりと小さく笑うと、指先で私の手の甲を撫でた。そのくすぐったさに顔を熱くすると、王太子がふわりと笑った。なんだか私の考えていることが全て筒抜けのようで恥ずかしい。こういう時、今までの私はどうしていたのかしら。

「ルディと公爵家のご令嬢は昔から親友同士だ。今回の件に関与していないのは確認できているけど、まだ何も分かっていないからね。念のため距離を置いて欲しい」
「わ、わかりました」
「だが遣いは出しておこう。君が姿を消してとても心配していたからね」
「申し訳ありません、覚えていなくて」
「うん。……これは分かる?」

 ポケットから何かを取り出し、私の前で手のひらを開いて見せる。それは、黒ずみひびの入った小さな石がついているネックレスだった。
 その石をそっとつまみ上げると繊細なチェーンがしゃらり、と音を立てた。

「それは私がルディに贈ったネックレスだ」
「私に?」
「私の魔力を込めて、何かあったら護るように魔法陣を組んでいた。黒ずんでひびが入っているのは、その魔法陣が発動したからだ」
「では、私はこれを使ったのですね」

 手のひらに載せてじっと石を見つめる。黒ずみひびが入った石は空っぽで、何も感じない。

「何があったのですか?」

 王太子妃候補と言うのなら、一人で行動するはずがない。当然護衛や、馬車には侍女が付き従っていたはず。それが何故、行方不明になるのだろう。一緒に行動していた彼等は何も知らないのだろうか。

「この石の魔法陣で、君が護衛や侍女、周囲の者たち全員ひっくるめて王城に移動させたんだよ」
「……はい?」
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