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しおりを挟む「ん……」
閉じた瞼の向こうが白く輝いているのを感じて、ぼんやりと目を開ける。
窓から差し込んだ朝日が室内の壁を明るく照らし、窓の外の梢の影がゆらゆらと揺れているのが見えた。
(朝だわ……)
今、何時だろう……。
「――あさ……っ!?」
慌てて飛び起きて隣を見ても、ベッドはすでに空っぽ。触れたシーツは冷たい。
(やっちゃったわ!)
急いでベッドから降りて室内履きを履いたところで、寝室の扉が開いた。
「エリカ、起きたのか」
そこには、すでに文官の制服に着替え、黒髪をきっちりと後ろに撫で付けたベルンハルトが立っていた。
眼鏡の向こうの瞳と目が合って、私の中で公私が切り替わる。
「おはようございます、ヴィルツ補佐官。もう出勤ですか?」
「ああ。王城から遣いが来た。王太子と謁見してくる」
言いながら、ギュッとネクタイを締める彼を見て背筋を伸ばす。
「承知しました。それでは、昨日の問い合わせについてはこちらで資料を準備しておきます」
「助かる。午後から騎士団長室で打ち合わせがあるから、君も同席してほしい」
「分かりました」
「では行ってくる」
「はい。いってらっしゃいませ」
制服の上からコートを着た彼は、そのまま寝室を後にした。
「……っ」
(ま、またやってしまったわ……!)
声を上げそうになって、ボスッと枕に突っ伏す。
今日こそは彼の髪を染める姿を見たいと思っていたのに、連日の激務で朝がさっぱり起きられないのだ。
結婚以来、こうして寝室を共にしているけれど、まだ一度も、彼があの補佐官の姿へ変身するところを見ていない。
今日こそは見たいと思っていたのに!
(あの姿だと急に上司になるから、私も切り替えて仕事ができるんだけど……)
彼のあの徹底した切り替えのお陰で、職場では完全に上司と部下になる。
そもそも、私の婚約破棄から日が浅いということで、ベルンハルトは私との結婚をまだ公にしていない。それは私も望んだことだったので、むしろそういう配慮がありがたかった。
いくらなんでも、婚約破棄から二か月足らずでほかの男性と結婚しただなんて、私だけではなく彼までなにを言われるか分からない。彼に、私のせいで迷惑を掛けたくないのだ。
私たちのことを知っているのは、騎士団長と副団長、ベルンハルトの親友、そして互いの両親。
部署の皆には、結婚したことまでは知られていない。
(彼らは、私とベルンハルトが付き合っていると思っているのよね)
まさかすでに結婚していて、一緒に暮らしているなんて知りもしない。
「はぁ……、私もそろそろ行く支度をしなくちゃ」
眠っても取れない疲労で重たい身体を起こして、私も仕事へ行く準備を始めることにした。
*
一カ月に及ぶ近隣国の周遊を終えて帰国した私たちは、婚約期間を設けず、すぐに入籍した。
互いの両親は、いい年齢の娘、息子に相手がいないよりはずっといいと、まったく同じ反応を示し、特になんのお咎めもなく結婚を許可してくれた。
そうして私たちはすぐに役所へ婚姻届けを提出して、その足でそのまま、ベルンハルトが暮らすタウンハウスで生活を始めた。
ついに始まった新婚生活に胸を躍らせていたのも束の間。
復帰した私たちを待ち構えていたのは、残業、激務、未曽有の業務量、だった。
「おはようございます」
「おはよう」
出勤して席に着くと、同僚が声を掛けてきた。
「リーベルトさん、団長室に呼ばれてますよ」
「え、もう?」
団長室へ打ち合わせに行くのは午後だったはず。
「打合せ資料はまだいいので、急いでくるようにって」
「分かったわ、ありがとう」
(なにかしら)
急いで事務室を後にして、私は騎士団長室へ向かった。
「エリカ・リーベルトです」
「入れ」
扉をノックしてすぐに室内から返事が返ってくる。室内に足を踏み入れると、そこにはグライスナー副団長、そしてベルンハルトがいた。
「おはようございます」
「おはよう、朝から呼び出して悪いね。まずは座って」
副団長に促されて、ベルンハルトの隣に腰を下ろす。なんとなく、彼の雰囲気がピリピリしている。
向かいのソファに腰を下ろした副団長は、そんな彼を見て苦笑しながら切り出した。
「ヴィルツ補佐官にはもう話したんだが、君に他の業務を兼務してほしくてね」
「え?」
「期間限定だよ。王太子妃補佐室で欠員が出てしまって、後任が決まるまでの間、補助を頼みたいんだ」
(王太子妃補佐室で補助……!)
王太子妃補佐室は、女性文官の中でも花形と言われる部署だ。
学園を優秀な成績で卒業した貴族令嬢たちが、王太子妃のために業務を行う。他国との交流や王太子妃の公務を補佐するのが主な仕事で、多国語を操る補佐もいる。
「君も知っての通り、半年後に来国される隣国の王太子夫妻を迎えるために、王太子ご夫妻は連日忙しく過ごされている。だが、すぐには後任を探すのも難しい。それで君の名前が挙がったんだよ」
「ですが、私に務まるかどうか……」
「ヴィルツ補佐官のもとで仕事をしているから、現状も把握しているだろう。隣国の対応も、君なら問題なくこなせると思っている」
「ありがとうございます」
(私がそんなすごいところに……?)
確かに今は、半年後に行われる隣国との交流に向けて、調整を行うベルンハルトの補佐をしている。必要な情報を収集し、彼の会議資料を作成するのが主な仕事で、隣国については把握している方だと思う。
「ちょうど君たちの結婚のこともあるから、いい機会だとは思うんだがね。夫婦で、しかも新婚が同じ係にいるなんて仕事もしにくいだろう」
「問題ありません」
明らかに不機嫌な声音で、ベルンハルトが睨み付けるように副団長へ視線を向けた。いくら旧知の仲とはいえ、騎士団の中でも実質トップと言える彼にこんな態度でいられる人は少ない。
グライスナー副団長は、そんな彼の態度など意に介さず、おかしそうに笑った。
「お前に問題がなくても周囲にはあるんだよ」
(それはそうでしょうね……)
今はまだ恋人と思われているけれど、彼と仕事の会話をしているだけで周囲の視線を感じることがある。
見守られている、というか、ハラハラしている、というか。そんな視線に平気なふりをするというのも、続くとなかなか疲れるものだ。
それが、実は結婚していた、なんて知られたらいったいどんな目で見られることか。周知するタイミングはよく考えておかなければ、と思っている。
私の気持ちが分かるのか、副団長は同情の視線を私に向けた。
「リーベルトの能力は評価している。割り切れるお前のことも分かっているが、好奇の目に晒される彼女の身にもなってみろ。落ち着いて仕事をしようにも、能力を発揮できなくては彼女も仕事がしにくいし、評価が落ちては台無しだろう」
「……」
じっと副団長を見つめていたベルンハルトは、はぁっ、とため息を吐き出した。
「もう決定事項なのでしょう。それなら俺から言うことはありません」
「なんだ、ずいぶん物分かりがいいな」
苦笑した副団長は、ベルンハルトへ意味深長な視線を向けた。
「さっきまであんなに反対していたのになぁ」
(え、そうなの?)
隣に座るベルンハルトは無表情のまま、クイッと眼鏡を上げた。
「彼女の能力を正当に評価してくれることには感謝します。それに、この機会を彼女が喜んでいる様子だ。私はそれを止めるつもりはありません」
(ベルンハルト……)
不機嫌を滲ませたままそんなことを言う彼に、じわりと嬉しくなる。
じっと横で見つめる私の視線に気が付いて、彼はちらりとこちらを見た。目が優しく細められる。
「よし、じゃあ引き受けてもらえるかな、リーベルト」
「は、はい! 尽力させていただきます」
「ありがとう。早速で悪いが、明日から頼むよ」
(期間限定でも、王太子妃補佐室で働けるなんて!)
私には縁がない場所だと思っていた。今の仕事ももちろんやりがいがあるけれど、新しいことができるのもまた嬉しい。
「理解ある夫でよかったな」
「はい!」
思わずにやけてしまう頬を押さえながら答える私に、グライスナー副団長は声を上げて笑った。
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