【完結】黄金の騎士は丘の上の猫を拾う

かほなみり

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崩壊

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「城の様子は」
「静かなものです。夜半、潜入するのに問題ないかと」
「相変わらずこちらの呼び掛けには無反応か」
「五日経ちましたがまだ何の返答もありません」
「都の混乱に乗じて兵達も敗走している。最早時間の問題だな」
「周辺の町や村に捕えられたシュバルツヴァルド人の救出も進んでいます」
「港は」
「船は全て焼き払いました」

 ユーレクは報告を一通り聞くと、小屋を出て足元を見下ろした。
 周囲をぐるりと高い城壁で囲まれているが、彼方此方で煙が上がり城壁としての機能は失われ、そこにいるべき衛兵も郊外へ敗走している。
 内部の手の者により、昨夜遅くロイド率いる騎士達が都に侵入した。固く閉ざされた城門が開くのも時間の問題だろう。
 だが、ユーレクには先に行かねばならない場所があった。

「指揮はロイドに任せている。後はロイドの指示に従え。行くぞエーリク」

 背後に立って黙って都を見下ろしていたエーリクに声を掛けると、ああ、と低い声で返事をした。

「嫌な匂いだね」
「そうだな……どう思う」
「似ているけど、何か違うんだよね」

 エーリクは肩を竦め、鐙に足をかけ騎乗したユーレクを見上げた。
 ユーレクは愛馬の首をポンポンと撫でながらエーリクにニヤリと笑って見せる。

「じゃあ、何の匂いか確かめないとな」

 馬の腹を蹴り駆け出したユーレクに、エーリクも馬に飛び乗るとその後を追った。

 眼下に見える色のない都の空には灰色の重たい雲が垂れ込め、チラチラと真っ白な雪が舞い降りはじめていた。

 *

 都への砦門は逃げ出そうとする人々で溢れていた。
 馬車に荷物を積み道の人々を罵倒する御者、背中に大きな荷物を背負い子供の手を引く母親。誰もが必死の形相でこの国を捨てようとしている。エーリクとユーレクはその混乱に乗じ、あっさりと都に潜入した。

 先に潜入していたユーレクの部下が連合軍の進軍が始まると噂を流してすぐ、貴族が我先にと都から逃げ出した。
 その姿は噂をすぐには信じなかった市井の人々に不安と恐怖を与え、やがて連合軍に皆殺しにされる、この国に他国が攻め入ってくると噂が一人歩きした。
 海を見れば遠くに船団が見え、遠く国境付近の村がある方角からは煙が上がる。王家からは何の説明もなく、城門は固く閉ざされたまま。
 やがて人々は家を捨て家財を持てるだけ持ち、隣国の国境へと大きな列を成し移動を始めた。


「こちらです」

 ユーレクとエーリクが都に入ってすぐ、ユーレクの部下が合流し二人を案内した。馬を休ませ徒歩で移動する。

「状況は」
「私では、なんとも」

 珍しく言葉を濁す部下を一瞥すると、ユーレクたちは細い路地を抜け民家の立ち並ぶ道を通り抜けた。
 金目のものを狙ったのかどの家も扉や窓は割られ、人の気配がない。
 すると前を走っていた部下が立ち止まり、腰を低くして片手を挙げた。ユーレクとエーリクは素早く散開すると対象となる建物の入り口に神経を向ける。
 窓も割れ、壊れた扉が辛うじて立て掛けられている家の中から人の気配がする。
 あちらも窺っているのか、息を殺すような呼吸が聞こえた。ユーレクは視線で部下に裏へ回るよう命ずると自らは腰の剣に手を載せ呼吸を止めた。

 腰を低くしたまま静かに室内に侵入する。
 続くエーリクは隣に続く扉へ向かった。ユーレクは迷わず気配のする部屋へ向かい、廊下を奥へ進みながら裏口から部下が入ってくるのを視界の隅で捉えた。
 気配のする部屋の前に辿り着くと中の気配を確認した部下が素早く扉を開け、ユーレクが先に中へ飛び込んだ。

 そこにいた人物は、身体を大きく震わせ自分を守るように丸く踞っていた。
 長い尻尾を身体の下に仕舞い込むように抱え、大きな白い耳を伏せて震えている。
 その姿を確認したユーレクは素早く部下を下がらせると、膝をつき顔を隠していたマントを取った。
 ガタガタと身体を震わせるシュバルツヴァルド人の少年は顔を背け、その痩せ細った身体を益々小さく小さく縮まらせた。
 足首には足枷が嵌められ、何とか取ろうとしたのか足首は血だらけだった。

「……大丈夫だ。さあ」

 ユーレクは腰の短剣を取り出し素早く枷の鎖を壊す。それでも少年は顔を膝に埋めたまま動こうとしない。
 後から部屋に来たエーリクは台所から持ってきたのだろう、保存用のパンと水をユーレクに渡した。ユーレクは出来るだけゆっくり少年に話しかけた。

『もう大丈夫だ。これを飲むといい』

 びくりと肩を震わせ少年がユーレクを初めて見た。その薄黄色の瞳の瞳孔は開き顔には痣がある。ユーレクは少年の前でその水を一口飲んで見せた。

『これを飲んで落ち着いたら、少ししかないがこれも食べるんだ。城門は分かるか?すぐにそこへ向かえ。シュバルツヴァルド人が待っている』
『……シュバルツヴァルド人が?』
『ここから逃げて、国へ帰れる』
『そんなの……』
『行ってみろ。そうしたら分かる』

 少年はじっとユーレクを見つめたあと、ユーレクが差し出した水を受け取ると一気に飲み干し、パンに食らいついた。あっという間に平らげると素早く立ち上がり扉に向かう。
 エーリクが柔らかく微笑み少年に城門までの道を教えると、少年は何度かユーレクたちを振り返り、やがて素早い身のこなしで去っていった。

 少年の足から外した鎖を拾い上げる。
 まだ赤い血に、茶色く変色した血もこびりついているそれを強く握り締めると、冷たい鎖が手の中でジャリっと音を立て砕けた。

「ユーレク」

 エーリクがその背に声をかけると、ユーレクは何も言わずマントをかぶり直し、その場を後にした。


 家々のひしめき合う細い路地を抜け広場に出ると、目の前に三つの尖塔を空に向けて建つユーレクたちにとっては見慣れた教会が現れた。
 扉は壊れ、窓も全て割れ、真っ黒な四角い口がぽっかりと開いているようだった。周囲の花壇や木々も枯れ果て、知らない者が見ると教会とは思わないだろう。

「酷い匂いだ」

 ユーレクはフードのマントで鼻先を覆った。
 腐敗臭のような臭いが辺りに充満しているが、戦場で知った臭いではない。

「エーリク」

 振り返り先程から黙ったままのエーリクを見遣ると、じっと教会の壊れた入り口を睨み付けている。

「……ユーレク、これは魔物ではないよ」

 そう言うと腰の剣に手をかけた。
 一層強い臭気が辺りを覆う。ここまで案内して来た部下の顔色が悪い。ユーレクも剣に手をやると腰を低くし構えた。
 ズルズルと何かを引きずるような音が教会から聞こえて来た。ガラスを踏みつける音、何かが落下する音。そこに、ヒューヒューと風が小さな穴を通るような音が重なる。

「まだだ。見極めてから」

 エーリクは小さな声でユーレクを制した。普段は翡翠の瞳が黄金色に輝いている。ユーレクは目を細め教会の入り口を見つめた。

 やがて教会の入り口に、内側から手が掛けられた。扉のない入り口の縁に掛けられた手は、白く傷一つない。
 真っ黒くぽっかりと口を開けた深淵のような教会の入り口に掛けられた手は、白く輝いているようにその場にそぐわず異様だった。

「エーリク」
「あれは魔物じゃない。でも、もう人間でもない」

 真っ黒な入り口がガタガタと揺れる。臭気が目に見える程強く、煙のように入り口から漏れて来た。

「魔物が産まれようとしてる」

 その途端、獣の咆哮のような雄叫びが響いた。
 ビリビリと空気を震わせ風が巻き起こる。
 その瞬間、入り口から飛び出して来た黒い塊にユーレクとエーリクは一斉に剣を抜いた。

 エーリクは身体を低くし、真っ直ぐ黒い塊の足元へ飛び込むと剣を払う。獣の咆哮のような耳を突く叫び声をあげ大きな身体が傾いた。
 エーリクが飛び込むのと同時に高く飛び上がったユーレクは、傾いた巨体へ斜めに剣を振り下ろし、その身体を両断する。
 真っ黒な塊はそのまま崩れ落ち広場に土煙を上げ動かなくなった。

 マントで口元を覆いながらユーレクが苦々しくその身体を見下ろす。
 人間がブクブクと肥大化したようなその身体はあちこちに瘤のようなものが出来、見開かれたままの瞳は白く濁っている。しかし手首から先のその手は細く真っ白で、手入れが行き届いた夫人のような形をしている。

「なんだこれは」
「魔物になりかけたもの、だろうね」
「あの薬か?」
「違う。見て、この人は……これは、シュバルツヴァルド人じゃないよ。ほら、この瘤」

 エーリクが指し示す肩にある瘤をよく見ると、それは人の顔を呈している。

「人の顔、か?」
「教皇が言っていた。魔物は人の悪しき感情の塊だって。これはその悪しき塊が集まったものなんだよ。人の感情が魔物になろうとしている」
「魔物は深淵から生まれるんだろう」
「そう、だからここが深淵になろうとしているのかもしれない」

 エーリクはそう言うと周囲を見渡した。今はもう他の気配はない。ユーレクは剣を一振りし鞘に収めた。

「廃墟になった教会が深淵になるなんて皮肉だな」
「ここは早く浄化したほうがいい。国境に来ている教会の人間を呼び寄せないと」
「他にもいると思うか」
「恐らく。でもこの程度ならうちの兵士じゃなくても対処できるだろうから、問題ないよ」
「俺はこの後ロイドと合流する。任せていいか」
「……いや、僕も行く」
「エーリク、魔物の件を処理しに辺境から出て来たんだろう」
「あのね、僕は聖職者じゃないんだよ。ここにいても役に立たない。本職に任せないと。それに、この魔物まがいのものを使って薬を開発していたのかは王城に行かないと分からないだろうね」

 エーリクはそう言うと一緒に来ていた部下にいくつか指示を出し、自分の剣も鞘に納めた。

「どうやって行く? ユーレク」

 こんな時でも柔らかく笑う友人に、ユーレクは大きなため息を一つ吐いた。この男は、こういう時は何を言っても聞かないのだ。

「もちろん堂々と正面から行くさ。馬を取りに戻るぞ」

 ユーレクはそう言うと先に立ち、また路地へと向かって走り出した。
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