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しおりを挟む「アリサ様、本当にこのお召し物しかお持ちではないのですか?」
部屋に戻りクローゼットを開けてぼんやりと服を選ぶ、というよりも眺めていると、ノラが仕度を手伝いたいとやってきた。
そしてクローゼットの前に立つ私の隣にやってきて一緒に中を見た一言が、それだ。
「だって、まさか出掛けるとか思いもしなかったから」
とは言いつつ、そもそも服自体あまり持っていないのだけれど。
「それにしても少ないと思いますわ。ご自宅に置かれているのですか?」
「ええっと、そうね、何着か……」
「そのお返事ではあまり期待できそうもありませんね」
(仰る通りです……)
もともと服やドレスに興味がない私は、今の流行に疎い。ドレスも持っているけれど何年も前の型落ちしたものだし、ちょっとしたお出掛けにと購入していたブラウスやスカートは、正直地味だ。
(ザックに買い与えられたものを着ていたから持っていないのよね)
ザックは、自分好みの服やドレスを私に買ってくれることがあった。それが私に似合っていたかどうかはわからないし、興味のない私にとって、彼が喜ぶならそれでいいと疑問に思わず身に着けていた。
ただ、彼に会う時にだけ着ていたそれらは、また着たいかと言われると着たくないし、彼と別れた翌日、早々に処分した。
「例え形だけでもユーリ様の婚約者になられる方が、どこにも出かけないなどありえませんよ。身なりもきちんと整えなくては」
(……そういえば、ユーリは結局、貴族なのよね?)
このお屋敷がお母様のものだとは聞いていたけれど、はっきりとは聞いていない。
家名を聞いてもピンとこないし、もしかしたらユーリには爵位継承権がない末子とかなのかと思っていたけれど、このノラの様子からしてどうも高位貴族のように思えてならない。それなら本人に爵位はなくとも、親戚付き合いや血脈に連なる者として相応しい装いは必要だろう。
(私、本当に何も知らないわね)
家族のこと、友人のこと、彼のこれまでの経歴。
何ひとつ、話題に上ったことがない。
クローゼットの中からせめてこれを、と一着を取り出したノラは、「そうだわ」と笑顔で手を合わせた。
「今日のユーリ様とのお出掛けで、いくつか新調されたらよろしいのですわ」
「え、ええ?」
「ユーリ様とゆっくりお買い物を楽しまれたらいいのですよ」
ノラはウキウキと嬉しそうにユーリへ伝えてくると言い残し、部屋を出て行った。
(男性と一緒に買い物?)
そんな面倒なことに付き合わせて良いのだろうか。
一人取り残された部屋で手渡された服を見下ろし、とりあえず待たせては申し訳ないと急いで着替えることにした。
*
支度を終え、急いで階下へ降りると玄関ホールでユーリが待っていた。
いつもの隊服ではなく、ライトグレーの上着にクラバットを締め、細身のズボンが彼の脚の長さを強調していた。美丈夫って何を着ても似合う。
慌てて降りる私を階下から見上げた彼は、にっこりと美しい笑顔を見せた。
「ごめんなさい、お待たせしました」
「待ってないよ、大丈夫」
彼の前に立つとユーリはくるりと私の周囲を回った。
「な、なに?」
「ん? 文官の制服以外を初めて見たなって」
「どうせ地味だって言うんでしょ」
「地味かもしれないけど、地味に見えないくらい君は綺麗だよ」
「なっ……!」
その言葉にかあっと顔が熱くなる。近くにいたノラが、「あらあらあら」と声を上げ笑った。
「ではもっとその美しさを引き出すお召し物をお買い上げになってくださいね」
「そうだね、わかった」
(何を勝手に二人でわかっているの⁉)
ユーリはまたにっこりといい笑顔でほほ笑むと私の手を取り、二人で屋敷を後にした。
「今日はどこに出かけるの?」
中心部に立つ屋敷からは、すぐに大通りへ出ることができる。高級服飾店や宝石、靴、雑貨に飲食店など様々な店が並び人通りも多い。
ユーリは慣れた様子で私と腕を組み街を歩いた。隊服を着ていなくても彼の美貌は相当目立つ。すれ違う女性に限らず男性までもが彼をちらちらと盗み見て振り返るのを、よくこんな視線に平気でいられるものだと感心してしまう。
「ノラに言われたアリサの服を買って、それから昼食を食べにカフェと、あとは君の行きたいところに」
「私?」
「そう。せっかくのんびり見て回れるんだから、何か見たいものとかない?」
「……わからないわ、あまり詳しくなくて」
休日はいつもザックに合わせて、彼の家や行きたいところに行っていた。
王都に出てきて遊ぶ暇なく働き、慣れてきた頃に彼と付き合い始めたから、正直私はよく知らない。
「そっか。じゃあ散歩みたいに見て歩こう。美術館や図書館も近いし、そうしたらアリサの好きなものが見つかるかもしれないよ」
ユーリはそう言うと、彼の腕に乗せている私の手をそっと優しく撫でた。
その優しさに、ふわりと心がほどけていく気がする。
(私の好きなもの……)
ザックに聞かれたこともないし、考えたことがない。
いつだって彼が中心で、彼の後を一生懸命ついて歩いていた。そのことにいつからか疲れてしまい、気がつくとその背中が遠くなっていた。
「ほらアリサ、あれかわいいよ。手芸店みたいだ」
隣で歩くユーリは、出店やショウウィンドウを見ては楽しそうに私にどう思うか聞いてくる。
そうやって私の好きなものを一緒に探してくれているようで、なんだか楽しい。
「あなたはああいうのが好きなの?」
「え、俺?」
ユーリはうーんと視線を上に上げて小首を傾げた。
「かわいいなと思うけど、好きかはわからないな。でもアリサが好きだったら俺も好きかも」
「どういうこと?」
「アリサの好きなものは、俺も好きってこと」
(そっ、そういうこと、恥ずかしげもなく言うんだから……!)
恥ずかしくなってパッと腕から手を離しウインドウに張り付いた。ドキドキと胸がうるさい。
(ダメダメ、落ち着いて。これは違う、これは違う……)
昨夜から、気持ちが彼に振り回されている気がする。いや、昨夜のことはもう終わったの。自分でそう言ったじゃない。
見ているふりだけで、ウインドウのものが何も視界に入ってこない。ユーリはそんな私を気にすることなく私の横に立ち、あれがかわいい、これはアリサに似合いそうだと、一つひとつ楽しそうに指さしていく。
そんな言葉にふと目を向けると、そこに並ぶのはレースのリボンや可愛らしいボタン、小花柄のキルトクッション。
こんなにかわいらしいものの中に、私に似合うものなんてあるのだろうか。
「好きなものを部屋に置くといいんじゃないかな。そうしたらあの部屋が自分のものだって思えるよ」
「そんなこと……」
「いつまでも来客用だと思うと落ち着かないでしょ? 好きなものやお気に入りのものを置いて、帰った時にホッとできる部屋にしたらいいんだよ」
形だけなのに?
そう言葉が出かかって、ぐっと飲み込んだ。
それは言ってはいけない気がしたから。
「……じゃあ、あなたの部屋にもお気に入りのものがあるの?」
「んー、部屋じゃないけど」
ユーリはふわりと優しく笑うと、私の少し落ちていた髪を耳にかけた。その仕草に、顔が熱くなる。
「屋敷にアリサがいる」
「……! な、なにを」
「あは、なんちゃって」
ユーリはそう言うと私の手を取り店の扉を開けた。
「ほら、アリサのお気に入りを探そう」
振り返り、屈託なく笑う彼の笑顔に、信じられないほど私の胸はうるさかった。
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