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4話
友人という立場<1>
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坂本が帰ったその日の午後は、ホスピスに行き、藤原さんと将棋を指した。将棋を指している時は余計なことを考えずに済む。
藤原さんといるとなぜかほっと出来た。
「王手」
藤原さんがそう言って、『金』を置く。もう逃げ場所はなく、僕は「参りました」と頭を下げた。しかし、今回は僕もいい所まで攻められた。
「倉田君、腕を上げたね」
藤原さんが優しい笑みを浮かべる。
今日はホールで藤原さんと将棋を指していた。
「藤原さんに勝ちたくて」
「そう簡単には勝たせんよ」
藤原さんが笑いながら、駒を並べる。
僕も駒を並べながら「次は勝ちますから」と宣言した。
のんびりした日曜日の午後だった。今日も天気は快晴で、平和な日常の中に藤原さんと僕はいる。藤原さんも僕も末期がんだなんて思えない。
ずっとこんな時間が続いてくれればいい。
「倉田君、今日はいい天気だな」
藤原さんが窓の外に目をやる。
「本当、いい天気ですね」
それから藤原さんは昨日、希美が働く凪で奥さんとデートをしたことを教えてくれた。
「藤原さん、『凪』に行かれるんですか」
あのカフェは若者向けのような気がしたから意外だった。
「妻があのカフェを気に入っていてね。あそこにいくと時間が止まるんだ。『凪』とは風のない状態を言うだろ? 風が止まって、水面が穏やかになる。そんな時間を僕はあそこで過ごさせてもらっている。月に一度、妻と凪に行くことが今の僕の生きる目標なんだ。だから、必ず来月の予約を入れてから帰る。そうやってこの半年過ごして来た。実はね、僕はもう医者に言われた余命より長く生きているんだ。倉田君、どんな時でも諦めちゃいけないよ」
藤原さんはキラキラした目で僕を見つめる。
藤原さんはただ死を待っているのではなく、生きようとしている。
「藤原さんは絶望しなかったんですか?」
「したよ。でも、妻がいるから、僕は医者に言われた余命よりも長く生きようと決めたんだ。この半年の間にダメだと思う日も何度かあったが、妻のことを思うともう少し頑張らないといけないと思ってね」
藤原さんは奥さんの為に生きているんだ。そこまで奥さんのことが好きなんだ。
僕にはそういう発想がなかった。
「倉田君は今、何の為に生きている?」
「僕は……」
希美に会いたい。希美と一緒にいたい。
そう思っていることに初めて気づく。でも、もう凪には行けない。
「僕は藤原さんに勝つためかな」
曖昧に笑って誤魔化すと、藤原さんが「後悔だけは残さないようにしなさい」と口にした。その言葉が胸に重く響いた。
*
ホスピスを出た後は真っすぐ帰る気になれず、野島崎灯台に立ち寄った。
モヤモヤした気分をスッキリさせたくて灯台に上った。展望台に出ると生温かい潮風に全身が包まれ、前髪が揺れる。地上で感じるよりも強い風だった。目の前には紺碧の海が広がっている。何度見ても壮観な眺めで、ずっと見ていたくなる。
海を見つめながら、今の僕は何の為に生きているのだろうと思う。
余命半年と言われ、運命から逃げるように東京を出て、南房総の最南端までやって来たが、藤原さんと話して、このままではいけない気がした。
僕にも生きる目標が必要なはずだ。しかし、希美以外に思い当たらない。つくづく希美が好きなんだと感じる。だったら希美の為に出来ることをするべきだ。今の希美は何を望んで、東京からここまでやって来たのだろう? なぜ凪で働いているのだろう? 希美は今、幸せなんだろうか?
そんなことを考えていたら、後ろで物音がした。
振り向くと、展望台に出て来た女性と目が合う。
「あっ」
僕の顔を見て女性の方が先に声を出した。
そこにいたのは水色のTシャツにジーンズ姿の希美だった。
藤原さんといるとなぜかほっと出来た。
「王手」
藤原さんがそう言って、『金』を置く。もう逃げ場所はなく、僕は「参りました」と頭を下げた。しかし、今回は僕もいい所まで攻められた。
「倉田君、腕を上げたね」
藤原さんが優しい笑みを浮かべる。
今日はホールで藤原さんと将棋を指していた。
「藤原さんに勝ちたくて」
「そう簡単には勝たせんよ」
藤原さんが笑いながら、駒を並べる。
僕も駒を並べながら「次は勝ちますから」と宣言した。
のんびりした日曜日の午後だった。今日も天気は快晴で、平和な日常の中に藤原さんと僕はいる。藤原さんも僕も末期がんだなんて思えない。
ずっとこんな時間が続いてくれればいい。
「倉田君、今日はいい天気だな」
藤原さんが窓の外に目をやる。
「本当、いい天気ですね」
それから藤原さんは昨日、希美が働く凪で奥さんとデートをしたことを教えてくれた。
「藤原さん、『凪』に行かれるんですか」
あのカフェは若者向けのような気がしたから意外だった。
「妻があのカフェを気に入っていてね。あそこにいくと時間が止まるんだ。『凪』とは風のない状態を言うだろ? 風が止まって、水面が穏やかになる。そんな時間を僕はあそこで過ごさせてもらっている。月に一度、妻と凪に行くことが今の僕の生きる目標なんだ。だから、必ず来月の予約を入れてから帰る。そうやってこの半年過ごして来た。実はね、僕はもう医者に言われた余命より長く生きているんだ。倉田君、どんな時でも諦めちゃいけないよ」
藤原さんはキラキラした目で僕を見つめる。
藤原さんはただ死を待っているのではなく、生きようとしている。
「藤原さんは絶望しなかったんですか?」
「したよ。でも、妻がいるから、僕は医者に言われた余命よりも長く生きようと決めたんだ。この半年の間にダメだと思う日も何度かあったが、妻のことを思うともう少し頑張らないといけないと思ってね」
藤原さんは奥さんの為に生きているんだ。そこまで奥さんのことが好きなんだ。
僕にはそういう発想がなかった。
「倉田君は今、何の為に生きている?」
「僕は……」
希美に会いたい。希美と一緒にいたい。
そう思っていることに初めて気づく。でも、もう凪には行けない。
「僕は藤原さんに勝つためかな」
曖昧に笑って誤魔化すと、藤原さんが「後悔だけは残さないようにしなさい」と口にした。その言葉が胸に重く響いた。
*
ホスピスを出た後は真っすぐ帰る気になれず、野島崎灯台に立ち寄った。
モヤモヤした気分をスッキリさせたくて灯台に上った。展望台に出ると生温かい潮風に全身が包まれ、前髪が揺れる。地上で感じるよりも強い風だった。目の前には紺碧の海が広がっている。何度見ても壮観な眺めで、ずっと見ていたくなる。
海を見つめながら、今の僕は何の為に生きているのだろうと思う。
余命半年と言われ、運命から逃げるように東京を出て、南房総の最南端までやって来たが、藤原さんと話して、このままではいけない気がした。
僕にも生きる目標が必要なはずだ。しかし、希美以外に思い当たらない。つくづく希美が好きなんだと感じる。だったら希美の為に出来ることをするべきだ。今の希美は何を望んで、東京からここまでやって来たのだろう? なぜ凪で働いているのだろう? 希美は今、幸せなんだろうか?
そんなことを考えていたら、後ろで物音がした。
振り向くと、展望台に出て来た女性と目が合う。
「あっ」
僕の顔を見て女性の方が先に声を出した。
そこにいたのは水色のTシャツにジーンズ姿の希美だった。
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