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4.戯れの時間
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(……美味しそう)
罠だと思っていても、そそられてしまう。
本当にいい匂いだ。こくのあるバターの香り。漂ってくる甘み。でも、それは全部錯覚で、闇属性の魔力を注がれた食べ物を好もしく思う本能がそう思わせているだけかもしれない。
……などと考えて、私がその場で固まっていると、サフィード様が頷いた。
「それはそうでしょうね。闇の魔素を好ましく思うがゆえに、自分の好物を想起しているのでしょう。そして、その通りに美味しいですよ」
「……サフィード様は、読心魔法が使えるのですか?」
「使えませんが、貴方が考えていることは分かりますよ」
にっこりと微笑んで、恐ろしいことを言う。
「貴方はとても警戒心が強い。それは、何よりも自分の身を大事に思っているからです。なかなか居ないんですよ、我欲に満ちているわけでもなく、卑下して身を貶すでもなく、ただ自分を大切にして行動できる人というのは。それはともかく、これは本当に毒ではありません。私は嘘がつけませんから、安心して下さい」
「……嘘がつけない?」
「聖騎士の縛りをご存知ありませんか?」
サフィード様の声はどこまでも穏やかで、そして滑らかだ。
「神殿で誓いを立てるときに、誓約魔法を掛けられるのです。聖騎士として仕える間、いかなる嘘もつかないこと。この誓約に背いた場合、聖気が濁り、剣を握ることも術を行使することもできなくなります」
「そ、そうなんですか……初めて知りました」
ということは、サフィード様は一度も私に嘘をついていないということになる。しばらく、サフィード様の私に対するこれまでの言動を振り返ってみたが……途中で怖くなってやめた。
「……嘘をついてはいけなくても、言葉の定義はそれぞれですし、真実を黙っていることだってできますよね?」
「その通りです。いささか面倒ではありますが、腹芸は上達しますね」
サフィード様は優しく微笑み、
「そして、私は言葉通りに貴方を伴侶として望み、愛しているということになります。嘘は言っていませんよ?」
「……はい」
間違いない。(従順な奴隷のような)伴侶として望み、(愛玩動物のように)愛している、というやつだ。
そして、それを真っ向から指摘してみせるという無謀さは、私にはない。指摘したところで意味はないし、どのみち、言葉よりも行動が全てだ。婚約破棄したがっていた私を連れ回し、恐怖させ、怯えている私を見て美しく微笑んでいる、その時点で、彼の意図するところははっきりしている。
「最近、貴方は疲れが出ているようで、心配していたんです。これを食べて、元気を回復して、私を安心させてくれませんか?」
「……はい」
絶対に何か裏がある。だが、どんなに本能が警鐘を鳴らしても、私は彼のお願い(に見せかけた命令)に逆らえない。
手を伸ばし、クッキーを摘んで口に入れた。途端、ふわっと甘みと味わいが口の中に広がった。とても、とても美味しい。
(これは……)
思考が止まった。さらに手を伸ばして、次々とクッキーを取り、噛んで、味わっては次を口に入れる。止まらず、全て平らげたところで、全身が深く温まっているのを感じた。長く湯に漬かった後のように、隅々まで巡って、温かい湯気のような闇の魔力が纏い付き、立ち上っている。
「一時的な魔力欠乏症に陥りかけていましたからね。一度食べたら、もう我慢できないだろうと思っていました」
にこやかな声が降ってくる。
「どうですか? 一息に過剰なほどの魔力が供給されて、全身の巡りが早まっているでしょう。分かりますか?」
「それは何となく……」
分かりますが、と続けようとしたときだ。
サフィード様が、私の手を取った。手のひらに包み込むようにして握り、もう一方の手を上に載せる。長い指先が私の甲をなぞり、そして、急激に高まる熱とともに……なぜか、彼の魔力が流し込まれた。
「……っ?!」
全身の毛穴が、ぶわっと開いた気がした。
サフィード様の聖なる気が、私の中で弾けた。全てを浄化する光が、狂暴な奔流となって全身を駆け巡る。私は無意識に、引き裂かれるような悲鳴を上げていた。
「いや……っ、あぁ……!」
稲妻のようにバチバチと鳴る、力の反撥で目が眩む。その衝撃で、私は崩れ落ちそうになった。
サフィード様が片手を伸ばして、揺らぐ私の肩をそっと支えた。優しい手つきだが、その接触だけで心臓がひねり潰されそうなほどの衝撃を受ける。
「う……、く、やめて、やめて下さい……!」
「懇願する貴方も良いですね、見ていて非常に扇情的です」
そこは嘘だと思っていたかった。
「貴方も私も高濃度の魔力持ちな上、性質が相反しますからね。触れ合うだけでもなかなか刺激的ですが、注ぎ込めばさぞかし……とは思っていたんです。予想通りでしたね」
「……くっ」
私は全身の震えを堪えながら、なんとか顔を上げて彼を睨み付けた。震える小動物のような涙目なのは、自分でも自覚していたけれど。
「……生殺与奪の権を握られるのは怖いでしょう? でも、それ以上に、言いたくないこと、人に見せたくない姿を見せるのはお嫌でしょう。貴方は、自尊心が強いですからね。そして、賢い。私が誰よりも貴方の天敵だと、分かっていて行動を選んでいる。貴方のそんなところが、非常に愛おしいと思いますよ」
何だこれ。「貴方は壊したいほど素敵な玩具です」と言われているのか、「私は真性ドSなんです」と告白されているのか、どっちなのか。もともと知ってました、そのことは。と言ってみたい(言わない)
とにかく逃げるしかない。
手を外そうと藻掻くと、さらにしっかりと、指と指を組み合わせて握り込まれた。距離が近付く。どこまでも完璧な、穢れのない彼の端正な顔立ちが、神の使徒のように優しく、私に向かって美しく微笑んでいるのが見えた。
(……最悪だ)
無理。これは無理。こんな元婚約者は、絶対に嫌だ。
罠だと思っていても、そそられてしまう。
本当にいい匂いだ。こくのあるバターの香り。漂ってくる甘み。でも、それは全部錯覚で、闇属性の魔力を注がれた食べ物を好もしく思う本能がそう思わせているだけかもしれない。
……などと考えて、私がその場で固まっていると、サフィード様が頷いた。
「それはそうでしょうね。闇の魔素を好ましく思うがゆえに、自分の好物を想起しているのでしょう。そして、その通りに美味しいですよ」
「……サフィード様は、読心魔法が使えるのですか?」
「使えませんが、貴方が考えていることは分かりますよ」
にっこりと微笑んで、恐ろしいことを言う。
「貴方はとても警戒心が強い。それは、何よりも自分の身を大事に思っているからです。なかなか居ないんですよ、我欲に満ちているわけでもなく、卑下して身を貶すでもなく、ただ自分を大切にして行動できる人というのは。それはともかく、これは本当に毒ではありません。私は嘘がつけませんから、安心して下さい」
「……嘘がつけない?」
「聖騎士の縛りをご存知ありませんか?」
サフィード様の声はどこまでも穏やかで、そして滑らかだ。
「神殿で誓いを立てるときに、誓約魔法を掛けられるのです。聖騎士として仕える間、いかなる嘘もつかないこと。この誓約に背いた場合、聖気が濁り、剣を握ることも術を行使することもできなくなります」
「そ、そうなんですか……初めて知りました」
ということは、サフィード様は一度も私に嘘をついていないということになる。しばらく、サフィード様の私に対するこれまでの言動を振り返ってみたが……途中で怖くなってやめた。
「……嘘をついてはいけなくても、言葉の定義はそれぞれですし、真実を黙っていることだってできますよね?」
「その通りです。いささか面倒ではありますが、腹芸は上達しますね」
サフィード様は優しく微笑み、
「そして、私は言葉通りに貴方を伴侶として望み、愛しているということになります。嘘は言っていませんよ?」
「……はい」
間違いない。(従順な奴隷のような)伴侶として望み、(愛玩動物のように)愛している、というやつだ。
そして、それを真っ向から指摘してみせるという無謀さは、私にはない。指摘したところで意味はないし、どのみち、言葉よりも行動が全てだ。婚約破棄したがっていた私を連れ回し、恐怖させ、怯えている私を見て美しく微笑んでいる、その時点で、彼の意図するところははっきりしている。
「最近、貴方は疲れが出ているようで、心配していたんです。これを食べて、元気を回復して、私を安心させてくれませんか?」
「……はい」
絶対に何か裏がある。だが、どんなに本能が警鐘を鳴らしても、私は彼のお願い(に見せかけた命令)に逆らえない。
手を伸ばし、クッキーを摘んで口に入れた。途端、ふわっと甘みと味わいが口の中に広がった。とても、とても美味しい。
(これは……)
思考が止まった。さらに手を伸ばして、次々とクッキーを取り、噛んで、味わっては次を口に入れる。止まらず、全て平らげたところで、全身が深く温まっているのを感じた。長く湯に漬かった後のように、隅々まで巡って、温かい湯気のような闇の魔力が纏い付き、立ち上っている。
「一時的な魔力欠乏症に陥りかけていましたからね。一度食べたら、もう我慢できないだろうと思っていました」
にこやかな声が降ってくる。
「どうですか? 一息に過剰なほどの魔力が供給されて、全身の巡りが早まっているでしょう。分かりますか?」
「それは何となく……」
分かりますが、と続けようとしたときだ。
サフィード様が、私の手を取った。手のひらに包み込むようにして握り、もう一方の手を上に載せる。長い指先が私の甲をなぞり、そして、急激に高まる熱とともに……なぜか、彼の魔力が流し込まれた。
「……っ?!」
全身の毛穴が、ぶわっと開いた気がした。
サフィード様の聖なる気が、私の中で弾けた。全てを浄化する光が、狂暴な奔流となって全身を駆け巡る。私は無意識に、引き裂かれるような悲鳴を上げていた。
「いや……っ、あぁ……!」
稲妻のようにバチバチと鳴る、力の反撥で目が眩む。その衝撃で、私は崩れ落ちそうになった。
サフィード様が片手を伸ばして、揺らぐ私の肩をそっと支えた。優しい手つきだが、その接触だけで心臓がひねり潰されそうなほどの衝撃を受ける。
「う……、く、やめて、やめて下さい……!」
「懇願する貴方も良いですね、見ていて非常に扇情的です」
そこは嘘だと思っていたかった。
「貴方も私も高濃度の魔力持ちな上、性質が相反しますからね。触れ合うだけでもなかなか刺激的ですが、注ぎ込めばさぞかし……とは思っていたんです。予想通りでしたね」
「……くっ」
私は全身の震えを堪えながら、なんとか顔を上げて彼を睨み付けた。震える小動物のような涙目なのは、自分でも自覚していたけれど。
「……生殺与奪の権を握られるのは怖いでしょう? でも、それ以上に、言いたくないこと、人に見せたくない姿を見せるのはお嫌でしょう。貴方は、自尊心が強いですからね。そして、賢い。私が誰よりも貴方の天敵だと、分かっていて行動を選んでいる。貴方のそんなところが、非常に愛おしいと思いますよ」
何だこれ。「貴方は壊したいほど素敵な玩具です」と言われているのか、「私は真性ドSなんです」と告白されているのか、どっちなのか。もともと知ってました、そのことは。と言ってみたい(言わない)
とにかく逃げるしかない。
手を外そうと藻掻くと、さらにしっかりと、指と指を組み合わせて握り込まれた。距離が近付く。どこまでも完璧な、穢れのない彼の端正な顔立ちが、神の使徒のように優しく、私に向かって美しく微笑んでいるのが見えた。
(……最悪だ)
無理。これは無理。こんな元婚約者は、絶対に嫌だ。
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