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5.聖騎士さまの楽しみ
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前回までのあらすじ:私は元婚約者(本人に言わせれば現婚約者)のサフィード様に(魔力的な意味で)弄ばれて、悲鳴を上げて気絶しました。
……本当に、最悪だと思います。
敢えてはっきり言ってしまえば、あれは魔力的な意味での凌辱だった。散々蹂躙された感が凄い。狭い意味での純潔は守られているけれど、精神的な疲労が重たくのしかかっていた。
(このまま結婚したら、毎日あんな感じに……? こ、怖すぎる)
逃げたい。本当に、心底逃げたい。
「おや、今日も私から逃げることを考えていますね、ディルティーナ。とても可愛いですよ」
(……この人、何を言ってるのかしら)
言葉の前の部分と後ろの部分が、意味として繋がっていない。怖い。
だが、私は抗議することも、反発することもしなかった。ただ、彼と目を合わせないように、視線をすっとずらし、瞳の表情を消す。透明人間のように、自分の存在を気付かれず忘れ去られたいのだ。可能ならば、だけど。
「……」
無言の裡に、ガラガラと車輪がでこぼこ道を走る音が続いた。薄暗い馬車のなかに、閉ざされたカーテンごしの光が篭っている。私と向かい合わせに、ゆったりと足を組んで腰掛けている聖騎士様の方から、再び声が発せられた。
「ともあれ、今、ここで逃げるのはお勧めできませんね。貴方は通行証を持っていないでしょうし。私は聖騎士ゆえに、条約で自由な通行を保証されていますが」
「……通行証? 条約?」
突然出てきた単語に驚いて、私はサフィード様を見た。
サフィード様はふふっと、とっておきの悪戯を完成させた子供のような笑みを浮かべて、
「ここは隣国ですよ。つい二十分前ほどに国境を越えましたが、気が付いていませんでしたね」
「隣国……?」
「帝国アスフィーファです。数年前に我が国と和平を結びましたが、まだ何かと不安定な状況です。独り歩きは止めたほうがいいでしょうね」
「……」
私は真顔になった。
しばらく黙りこくって、状況を考える。またしても、してやられた。サフィード様に騙された。だが、私はサフィード様に対して怯え切っている上、隙あらば逃げたいとも思っているが、実行に移す気はない。サフィード様が本気になったら、街一つぐらいは焼き払える(※浄化する)のが分かっているのだから。表立って逆らうつもりはない。外側だけ見れば、私はとにかく従順なのだ。そんな私を騙す意味とは……?
(……つまり?)
私は、完全に能面のような無表情で、サフィード様を見つめた。
「……楽しいですか、サフィード様?」
「そういう返しが来るとは思っていませんでしたね」
「一体何が楽しいのか、純粋に疑問だったんです」
「なるほど」
サフィード様は楽しげな目で私を見た。水色の目が、薄暗がりでも光を吸ってきらきらと輝いている。気のせいかもしれないが、私の問いかけを聞いて、さらに光が増したように思えた。
「怯えていても、少しはまともに言葉が返せるようになりましたね? 進歩というより、半分自棄になっているようですが、それはそれで。貴方の新しい表情が見られるのは良いですね」
「……」
「その鋼のような無表情もとても愛らしい。今ここで、心から楽しそうに笑いなさい、と私に命じられたら、貴方はどうするのでしょうね?」
「……」
サフィード様の目。
笑っているのに、煌めいているのに、底知れない何かを覗き込んだように背筋が寒くなる。硬直したまま、身じろぎもせずに見つめ返したが、思わずひゅっと喉の奥が鳴った。
怖いのは、この人が私の表情を読んでいるからだ。私の貼り付けた顔の奥にある感情を読んで、まるで病巣を暴く医師のような顔をして分析してみせるからだ。
「……サフィード様は、なぜ」
なぜ、私を連れて歩く? なぜ、私が婚約破棄するのを許さない? なぜ、私? 特に何も持たない私に、何を求めているの?
サフィード様が、私に関心を抱いていることは確かだ。そのせいで、今の私はこんな状況に追い込まれているのだから。それなのに、彼が私に抱いている感情の種類が、私には分からない。
「……ふふ」
私の顔から、私の中でぐるぐると渦巻いている感情を読んだだろうに、サフィード様は薄い唇の端を持ち上げて微笑んだだけだった。
暗がりの中でも、彼の周りは仄かに輝いているように見える。逆に、闇の魔力を纏う私の周辺は、うっすらと影に覆われているだろう。完全に闇に覆われてしまえば隠れられるのに、サフィード様はそれを許さない。私の隠れ処を奪う彼の光は、時に暴力的に思える。
「そろそろ、五ヶ月が経ちますね。私が貴方と共に行動するようになってから」
「は、はい」
(……何の話なの?)
「感情が乱高下すればするほど、記憶には色濃く残るものでしょう。貴方にとって、この五ヶ月間は、決して忘れられない日々になったことでしょうね」
「……それは」
「このまま、永遠に忘れられない一年になると良いですね、ディルティーナ?」
サフィード様はそう言いながら、生まれたばかりの赤児を見守る神の使いのような、柔らかく慈愛に満ちた微笑みを揺蕩わせた。
だが、彼が言っている言葉の意味とは。
(……ヒィッ)
冷たい氷を押し当てられたようだ。私の胸中に悲鳴がこだました。
怖い。怖すぎる。
(脅迫? 脅迫なの?)
かろうじて、身を縮こめて蹲りたい衝動を堪えて、彼の方を凝視する。視線を逸らすのも恐ろしいからだが、そうなると、相変わらずくっきり、はっきりと彼の魂に刻まれた名が見えてしまう。「聖なる死の執行者」……しかも、僅かだけれど、以前よりも色濃くなっている?
それはそうだ。私と一緒に辺境の浄化に当たった数ヶ月のうちに、彼は数万の単位で生命を血祭り……浄化を終えている。
「ディルティーナ?」
「は、はぃっ」
「そろそろ、着きますよ」
「え?」
天国に、それとも地獄にですか?
混乱しきった頭がそんな呆けた問いを発していたが、サフィード様はただ、優しく微笑んだ。
「目的の街ですよ。観光がてら、街を歩いてデートでも楽しみましょうか」
そして、いかにも清廉な聖騎士らしい優雅な仕草で、私に向かって手を差し出した。
……本当に、最悪だと思います。
敢えてはっきり言ってしまえば、あれは魔力的な意味での凌辱だった。散々蹂躙された感が凄い。狭い意味での純潔は守られているけれど、精神的な疲労が重たくのしかかっていた。
(このまま結婚したら、毎日あんな感じに……? こ、怖すぎる)
逃げたい。本当に、心底逃げたい。
「おや、今日も私から逃げることを考えていますね、ディルティーナ。とても可愛いですよ」
(……この人、何を言ってるのかしら)
言葉の前の部分と後ろの部分が、意味として繋がっていない。怖い。
だが、私は抗議することも、反発することもしなかった。ただ、彼と目を合わせないように、視線をすっとずらし、瞳の表情を消す。透明人間のように、自分の存在を気付かれず忘れ去られたいのだ。可能ならば、だけど。
「……」
無言の裡に、ガラガラと車輪がでこぼこ道を走る音が続いた。薄暗い馬車のなかに、閉ざされたカーテンごしの光が篭っている。私と向かい合わせに、ゆったりと足を組んで腰掛けている聖騎士様の方から、再び声が発せられた。
「ともあれ、今、ここで逃げるのはお勧めできませんね。貴方は通行証を持っていないでしょうし。私は聖騎士ゆえに、条約で自由な通行を保証されていますが」
「……通行証? 条約?」
突然出てきた単語に驚いて、私はサフィード様を見た。
サフィード様はふふっと、とっておきの悪戯を完成させた子供のような笑みを浮かべて、
「ここは隣国ですよ。つい二十分前ほどに国境を越えましたが、気が付いていませんでしたね」
「隣国……?」
「帝国アスフィーファです。数年前に我が国と和平を結びましたが、まだ何かと不安定な状況です。独り歩きは止めたほうがいいでしょうね」
「……」
私は真顔になった。
しばらく黙りこくって、状況を考える。またしても、してやられた。サフィード様に騙された。だが、私はサフィード様に対して怯え切っている上、隙あらば逃げたいとも思っているが、実行に移す気はない。サフィード様が本気になったら、街一つぐらいは焼き払える(※浄化する)のが分かっているのだから。表立って逆らうつもりはない。外側だけ見れば、私はとにかく従順なのだ。そんな私を騙す意味とは……?
(……つまり?)
私は、完全に能面のような無表情で、サフィード様を見つめた。
「……楽しいですか、サフィード様?」
「そういう返しが来るとは思っていませんでしたね」
「一体何が楽しいのか、純粋に疑問だったんです」
「なるほど」
サフィード様は楽しげな目で私を見た。水色の目が、薄暗がりでも光を吸ってきらきらと輝いている。気のせいかもしれないが、私の問いかけを聞いて、さらに光が増したように思えた。
「怯えていても、少しはまともに言葉が返せるようになりましたね? 進歩というより、半分自棄になっているようですが、それはそれで。貴方の新しい表情が見られるのは良いですね」
「……」
「その鋼のような無表情もとても愛らしい。今ここで、心から楽しそうに笑いなさい、と私に命じられたら、貴方はどうするのでしょうね?」
「……」
サフィード様の目。
笑っているのに、煌めいているのに、底知れない何かを覗き込んだように背筋が寒くなる。硬直したまま、身じろぎもせずに見つめ返したが、思わずひゅっと喉の奥が鳴った。
怖いのは、この人が私の表情を読んでいるからだ。私の貼り付けた顔の奥にある感情を読んで、まるで病巣を暴く医師のような顔をして分析してみせるからだ。
「……サフィード様は、なぜ」
なぜ、私を連れて歩く? なぜ、私が婚約破棄するのを許さない? なぜ、私? 特に何も持たない私に、何を求めているの?
サフィード様が、私に関心を抱いていることは確かだ。そのせいで、今の私はこんな状況に追い込まれているのだから。それなのに、彼が私に抱いている感情の種類が、私には分からない。
「……ふふ」
私の顔から、私の中でぐるぐると渦巻いている感情を読んだだろうに、サフィード様は薄い唇の端を持ち上げて微笑んだだけだった。
暗がりの中でも、彼の周りは仄かに輝いているように見える。逆に、闇の魔力を纏う私の周辺は、うっすらと影に覆われているだろう。完全に闇に覆われてしまえば隠れられるのに、サフィード様はそれを許さない。私の隠れ処を奪う彼の光は、時に暴力的に思える。
「そろそろ、五ヶ月が経ちますね。私が貴方と共に行動するようになってから」
「は、はい」
(……何の話なの?)
「感情が乱高下すればするほど、記憶には色濃く残るものでしょう。貴方にとって、この五ヶ月間は、決して忘れられない日々になったことでしょうね」
「……それは」
「このまま、永遠に忘れられない一年になると良いですね、ディルティーナ?」
サフィード様はそう言いながら、生まれたばかりの赤児を見守る神の使いのような、柔らかく慈愛に満ちた微笑みを揺蕩わせた。
だが、彼が言っている言葉の意味とは。
(……ヒィッ)
冷たい氷を押し当てられたようだ。私の胸中に悲鳴がこだました。
怖い。怖すぎる。
(脅迫? 脅迫なの?)
かろうじて、身を縮こめて蹲りたい衝動を堪えて、彼の方を凝視する。視線を逸らすのも恐ろしいからだが、そうなると、相変わらずくっきり、はっきりと彼の魂に刻まれた名が見えてしまう。「聖なる死の執行者」……しかも、僅かだけれど、以前よりも色濃くなっている?
それはそうだ。私と一緒に辺境の浄化に当たった数ヶ月のうちに、彼は数万の単位で生命を血祭り……浄化を終えている。
「ディルティーナ?」
「は、はぃっ」
「そろそろ、着きますよ」
「え?」
天国に、それとも地獄にですか?
混乱しきった頭がそんな呆けた問いを発していたが、サフィード様はただ、優しく微笑んだ。
「目的の街ですよ。観光がてら、街を歩いてデートでも楽しみましょうか」
そして、いかにも清廉な聖騎士らしい優雅な仕草で、私に向かって手を差し出した。
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