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楽しい逃走生活! ……だったはずでした

7.新生活! ※すでに不穏

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 新生活とか、新天地とか、特に意味はないんだけど清々しくていい言葉だと思う。大好き。

 何かを新しく始めるって、本当にわくわくする。私の場合、新たな逃走生活! なので、別にわくわくしてる場合ではないんだけれど。

(ふっ……完璧な逃走をキメてしまったわ)

 朝早く、パン屋の倉庫でごそごそと一日に必要なものを引き出して並べながら、ニヤニヤと心中に呟いてしまうぐらい、私は浮かれていた。

 悪役令嬢や聖女が国に見切りをつけて旅立つ展開とか、めちゃくちゃ大好物なのである。新たに広がる世界! 行き先の定番と言えば辺境の魔の森、冒険者ギルド、隣国、パン屋、食堂、宿屋という感じかな?

 魔の森はともかく、魔の山ならある。原作で、アナリア嬢がギルドの依頼で登って、聖獣と出会って契約するという山。私はアナリア嬢ではないので、聖獣に出会える気はしない。
 隣国は……言葉が違うし、そこまで家族と離れたいとは思わない(学園で会った人たちの記憶はほぼ消したけれど、家族には「貧乏な男爵家のために王都に出稼ぎに出ている」と思い込ませている)。

 というわけで、今はパン屋で働いています。

 そもそも、期間限定の逃走生活だ。レインフォール王子が婚約解消して、そんなに長く婚約者不在のままでいるはずがない。第三王子なのだから、国の思惑としても、すぐに新しい婚約者が宛てがわれるはずなのである。
 様子を見て、学園に戻ってもいいし(精神操作系魔法万歳!)、領地に戻ってもいいかなと思う。王都暮らしが楽しくて、このままここに居着いちゃうかもしれないし。

 先のことは分からないけれど、選択肢はある。素晴らしい。

「リリス、おはよう!」
「おはよう、レティ」

 階段を降りてきたレティと、挨拶を交わす。レティはパン屋のご主人夫妻の娘だ。三人いる娘さんの末っ子で、私と同い年で、ふわふわした雰囲気でとても可愛い。

「最近、昼時のお客さんが多いね。いつもの二倍焼いても間に合わないかも」

 真剣な口調で言うレティは、雰囲気こそふんわりだけれど、パン屋の次代を引き継ぐべく真面目に勉強中なのである。

「今の時期、何か行事とかあったっけ?」
「何もないはずなんだけど。やけに兵隊さんがうろついてるよね」
「兵隊?」
「気付いてなかった?」

 気付いてなかった。

 私は住み込みで働いているのだけれど、せっせとパンを捏ねたり焼いたり、ご主人夫妻とお茶をしたり、新しい生活に馴染むのに忙しくて、外の状況に意識が向いていなかった。どのみち、私に追手がかかるわけもない。特に禁術を使ったわけでもないし。

 だからその日も、特に危機感もなく仕事をして過ごして、昼前に一度買い出しに出掛けることにした。大きな藤のバスケットを揺らしながら、市場まで歩く。

「いらっしゃい! 新鮮なの入ってるよ」

 笑顔で挨拶を交わしながら、山積みに重なった薬草ハーブの前に屈み込んだ。粉やら卵やらはその店の人が届けてくれるけれど、薬草はきちんと見て選んで買うことになっているのだ。

「うーん、じゃあ、このチャービルとニゲラの種と……」

 言いかけたとき、ふと、視界の端に何か金属質の光が掠めた。

 あれ? と思いながら、目を上げてそちらを見る。市場の狭い通りに、数人の兵士が入ってくるのが見えた。見たところは一般兵だけれど、肩に赤い徽章がついている。レティに教えて貰ったところによれば、王都を護る第一騎士団の徴だ。そして、その胸元に光る、無機質な黒いレンズのようなもの。

(……何、あれ?)

 本能的にぞくりとした。

 あれは魔道具だ。何の用途かまでは分からないけれど、何かを感知するフィールドがあの周りに張り巡らされている。

 兵士たちが近付いて来て、そのぴりぴりする魔力の波動が私に触れた。魔力の粒子が乱される感覚。何かを測られている。背筋がぞわりとした。

「また兵士か……何かあったのかね?」

 薬草屋のおばさんが、不思議そうに呟く。魔力持ちでないので、あの奇妙にぞっとする感覚は感じていないらしい。

「……何でしょうね」

 分からないけれど、長居はしたくない。走り出したくなる気持ちを抑えて、早足でパン屋に戻った。午後の当番は裏での仕事だ。表に出たい気分ではないので良かった。なんとなく落ち着かないまま、バックヤードでごそごそと仕事をこなす。

「いらっしゃいませ!」

 扉のベルが鳴る音がして、レティの快活な声が聞こえた。その後に続くのは、お客様の明るい声、ではなくて、

「ここに、魔法使用の痕跡が検知された。店を調べさせて貰いたい」

 いかつく硬質な命令の声、それに重たげな軍靴の音だ。

(えっ、何?)

 バックヤードの床に屈み込んだ体勢のまま、私は固まった。

 レティの不安そうな声が聞こえてくる。

「えっと……魔法使用、ですか?」
「精神操作系の術だ。ここに術師はいるか?」
「精神操作系? いえ……ここは普通のパン屋ですし、そんな人はいませんけど」

 いる。

 いるんだけれど、今は魔法は使っていない。

 きっちり術を完成させて、そのまま逃走して以来、私は誰のことも精神操作していないのだ。必要がなかったから。

 それが、どうして嗅ぎ付けられた?

「裏の方から反応がある。入るぞ」

 靴音が近付いてくる。私は硬直し、……そして気付いた。

(あれだ!)

 部屋の隅に、無造作に置かれた私の鞄。その中から、急いで学園の校章を取り出した。制服の襟に留めるための金属製のバッジだ。表には知恵の象徴、フクロウが彫り込まれている。

 震える手で、冷たい金属を感じながら、それをカウンターの裏辺りに投げ込んだ。同時に垂れ幕が押し上げられて、バックヤードに兵士たちが乗り込んできた。

「失礼。ここに強い精神操作系魔法の痕跡が検出されている。調査に協力してくれ」

 兵士が言いながら、魔道具のレンズをバックヤードのそこここに向けた。
 すぐに場所が特定されたらしく、カウンターの裏に屈み込む。ひとかたまりになって、ああだこうだと言っていたが、じきに、手袋を嵌めた手で校章のバッジが拾い上げられた。

「……これだ」
「バッジ?」
「学園の校章だな」
「君、これは君のものか?」

 兵士たちの視線が私に向いた。ふるふると首を振って答えた。

「いえ、私は学園の生徒ではないので。お客様が落としていったのかもしれません」
「……こちらで預からせてもらう」

 来た時と同じように、どやどやと兵士たちが出て行く。私ははっと息を吐き出したが、

(……え、これ、どういうこと?)

 どうして、何が起きているの?
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