【完結】対兄最強兵器として転生しましたが、お兄様は塩対応です

雪野原よる

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23.我々が真剣に向き合う時(前編)

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「ん?」

 視界の端に、黒くふわっとした毛玉が写ったような気がした。

「今、何か……」
「どうした?」
「何か見えた気がしたんですけど……あれ、気のせい?」
「砂塵のせいだろう、特に際立って魔力の兆しは無い。それより……」

 うつ伏せに地面に倒れたアカレイヤは、完全に伸び切ったままピクリともしない。幾ら頑丈だとはいえ、人間がこんなことになって大丈夫なのだろうか。いや、普通の人間は走った勢いで洞窟の壁を粉砕したりしないけど……

(勇者こわい)

 ビクついている私の傍らで、お兄様が溜息を吐き出した。

「壁を打ち破った衝撃よりも、毒にやられたことによる発熱の方が重篤なようだな。見捨てるわけにもいかん、今だけ、かつてこの者が持っていた聖剣の精霊を戻してやろう。精霊の加護により、多少は解毒されるかもしれん」

 お兄様が帯剣を外して、倒れ伏したアカレイヤの背中に鞘ごと置いた。

 見るからにおそろしいドロドロした邪気を帯びた剣を、弱っている勇者の身体の上に乗っけたのである。

 100%親切心で。

「う……うぐっ……ぐうぅっ……」

 アカレイヤが顔を地にめり込ませたまま呻き始めた。さっきまで動かなかった四肢がピクピクしている。明らかに物凄い勢いで生気を吸われている模様。

「よし、息はあるようだな」
「お、お兄様……その冷静な判断が流石です!」
「ちょっとちょっと、妹ちゃんの反応はそれでいいの?! 魔王様は天然で酷いだけだから今更突っ込まないけどもぉ?!」

 セージャスが常識人らしく焦った声を上げた。

 セージャスが常識人?

 なんてとち狂った状況なのだろうか。しかし、私が自分の責任を全て棚に上げて一言物申すより先に、

「うう、酷い……そう、死の神の造り出すものは全て酷いのです……酷い……酷い……」

 嘆きの声が聴こえてきた。

 涙が滴るような、「しくしく……」という啜り泣きがまばらに纏わりつく。これから無意味な言い合いで盛り上がるはずだった私たちは言葉を呑み込んで、一斉にそちらを見た。

 暗い枝道から、その人はこちらに向かって近付いてきた。人? まるで幽霊のようだ。白い衣の裾を引き摺っていて、その上に滝のように長い髪が流れ落ちている。月のように淡く、神々しく輝く髪。金粉をまぶしたように、僅かな動きで粒子パーティクルがキラキラと光を反射する。

 圧倒的な存在感があるのに、闇に滲んで消え失せてしまいそうなほどに弱々しく病んで見えた。呪いの井戸から這い出してきたばかりのようだ。

「うう……しくしくしく」
「……あの、女神様。女神様ですよね?」

 私は恐る恐る声を掛けた。

「何があったんですか? 盛大な地雷を20個ぐらい同時に踏みました?」
「どんな戦場なのよそれは」

 セージャスが無邪気な疑問を呈してきた。

「ちがっ……違うのです。うう……しくしくしく」
「ねえ、だったらなんでこんなに泣いてるのかしら? 魔王様、何かまた無意識に酷いことして、女神様を虐めたりしたのぉ?」

 セージャスが顔を引き攣らせる。

 お兄様は真顔で首を振った。

「何故、そのようなことをする必要がある? その余地すら無いだろう。私と女神は今まで、完全に没交渉だ」

 女神の神殿を荒らし回ったりして、女神様に散々圧力を掛けていたことは、お兄様にとって「何もなかった」分類になっているらしい。「顔を合わせたことがない」という意味では、確かにその通りなのかもしれないけれど。

「だが、これだけの騒ぎを引き起こせば、流石に看過できず現れるだろうと踏んだが……予想した通りだな」
「えっ?」

 予想通り?

 この惨状が?

 私はお兄様の変色した腕をちらりと見た。相変わらず、毒々しく染まった青色が痛ましい。無言で佇んでいる執事たちと耳に毛が生えたバニーズたちを見回し、そのついでに地に倒れ伏した淫魔王と勇者を見た。うん、死屍累々だ。

「……」

 再び、お兄様に視線を戻した。一点の歪みも感じさせない整った横顔に迷いはなく、眼光は鋭く前方を見据えている。

(……うん)

 私はつつましい笑みを浮かべて、その奥の無表情を押し隠した。

 セージャスが悲鳴を上げる。

「ちょっと、ちょっと、妹ちゃん? 何、『明らかに、どう見ても計画通りでも予想通りでもないと思うけど、余計なこと言って損な役回りになりたくないから傍観者でいよう』みたいな態度取ってんのぉ?! ただでさえ突っ込み役が少ないのよ? 妹ちゃんが突っ込み入れないなら私が入れるしかないじゃない! そしてその結果、魔王様の蹴りを食らうのも私なんだけどぉ?!」
「蹴られて下さい。別に同情はしませんけど、骨は拾ってあげます」
「いい笑顔浮かべるのやめてぇ!」

 私とセージャスがやり合っていると、お兄様がこちらを向いた。金色に染まった瞳が深みを増して輝いている。

「……セージャス。私の妃と、随分と仲が良いようだな?」
「まさかの嫉妬! とばっちりすぎる!」
「あの……少しは私のこと、構ってくれてもいいのではありませんか? 簡単に意識が逸れ過ぎなのでは?」

 顔を覆っていた手の指の隙間から、ぽたぽたと涙の雫をこぼしながら、女神様が控えめに言った。口調は抑えられているけれど、とても恨めしそうな目をしている。

 涙の膜が張られて、その色はだいぶ不明瞭になっていたけれど、僅かに紫がかった赤に見えた。金色の睫毛に縁取られていて、ぐずぐずに泣き濡れているのに美しい。宝石のように澄んでいる。

「はい、ごめんなさい」

 なんとなく気の毒な気がして、私は咄嗟に謝った。

 お兄様の目がすうっと細まる。

「……こんなときこそ、シュテイゼルの出番ではないか? 長年培った手練手管を披露してしかるべきだろう。淫魔族の長として、女性を籠絡し意のままに動かす術を発揮して見せよ。シュテイゼル。……シュテイゼル?」
「そこで倒れて気絶してます」
「肝心の場で使えんとは。役立たずめ」

 お兄様が吐き捨てたが、この場合は誰を責めていいのだろうか。

 とりあえず、

「お兄様、冷酷な魔王っぽくて素敵です!」
「……ねえ、妹ちゃん、本当にそれでいいの? 本当に?」

 セージャスが不安そうに念押ししてくるが、私は無視した。

 お兄様は冷徹な台詞を吐いているときでも玲瓏として美しい。それは厳然たる事実なのだから、私は単に事実を述べているに過ぎないのである。

「また脱線してます……」
「あ、はい、すみません」
「女神が泣いてるんですよ、どんな異常事態なのか気になりませんか? すわ天変地異の先触れかと不安になるでしょう?」
「だって女神様、かなり人間くさいところがあるので……」

 オタクは割と情緒不安定なのである。

「で、何が起きたんです? 大体、こうやって人間の姿を取って地上に下りることって、普通はないんですよね?」
「これは投影用端末です。大した力はなく、単に地上をうろつきたいときに用いるのですが……痛っ」

 女神様が声を上げたかと思うと、その長い服の裳裾をたくし上げた。黒い毛玉が纏わりついて、顕わになった足首にむしゃぶりついている。

「な、何なんですかこの毛玉。歯! 歯が鋭い! 痛いですよ?!」
「さあ……女神様のほうがご存知なのでは? 生きているものはみな女神様の管轄なんでしょう?」
「設計図は立てましたが、その後の進化が複雑すぎましたからね……痛い、痛いってば、きゃ、きゃあ!」

 女神様は悲鳴を上げながら毛玉を振り払い、「ふう」と溜息をついた。

「……まるであの人のようです。私が何をしていても噛み付いてくるし、作ったもの全てに干渉してくるんです。いや、あの人は歯を使って噛み付いてきたりしませんけど……それどころか言葉すら交わしたことがありませんけど」

 段々声が小さく沈んでいく。

「あの人は生まれたときから遠くて……唯一の対だと言われていたのに、実体で相まみえることすらなくて。避けられているのかと思いきや、私が作ったもの全てに死の呪いを掛けてきますし。大地は風化していくし、生き物によっては本当に僅かな寿命しか与えられなくて。その上、魔族とか魔王なんていうものまで作って、私の世界を滅ぼそうとしてきますし。嫌われからの溺愛とか言いますけど……私、嫌われ過ぎなのでは?」

 じわっと、女神様の目に新たな涙が浮かぶ。

「な、なるほど?」

 私はかろうじて相槌を打った。

(これ、死の神のことだよね?)

 死の神の嫌がらせ? そう言われても、なかなか共感がしづらい。私たちは、生者がいずれ死ぬのは自明の理である世界に生きているので。

「しかし、本当に言葉を交わしたことすら無いんですか?」
「無いのです。気配は常に感じるのですが、どこにいるのかは分からず……今だって、どこからか視線を感じます」

 怖っ。

「だから、私は考えたのです。あの人に実体というものを持ってもらう。神の姿というものは、人間が持つイメージに強く影響されます。人こそが、この世に在るどんな生き物よりも深く空想力というものを持つものだから。そんな彼らに、神々の代理戦争たる戦いを華々しく戦ってもらい、ここに新たな神話を築き上げるのです。死の神とはこんな姿をしているのだ、と深層意識に刻み付けるのです!」
「そんな理由で戦争を起こしていいんですか」
「いけませんか」

 女神様の倫理観がズレている。私が言うのも何だけれど。

「それだと、死の神は大きな鎌を持ってるとか」

 ちらっとお兄様の方を見る。

「骸骨の姿をしているとか」

 骸骨執事の方を見ながら言った。

「とにかく、そういうイメージが膨らみませんか? それでいいんですか?」
「それは勿論、勝者こそが正義ということで」

 女神様は自信満々、迷いのない声で言い切った。

「勝った方が自由に相手の姿を思い描くのです。黒髪の美形、私も背が高い方なので190cmは欲しいですね。複数の会社を経営する傲慢な金持ちで、強引な俺様タイプ、焼き餅焼きでヤンデレがいいです。独占欲の余り、私の作るもの全てに手出ししてくるんですけど実はそれは全部愛情の裏返しで」
「えっ………ええ?!」
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