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中編
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「アシュヴィンさまは、非常に悩まれ、苦悩なさっておいでです。お仕えして10年、あれほど憔悴なさったアシュヴィンさまを拝見したことがありません……。いかなるときにも、常ににこやかになさっておられる方が。顔を引き攣らせ、笑顔の一つも浮かべることが出来ず、生々しく絶望の色をあらわにしておいでで」
私は応接の間で、アシュヴィンさまの側仕えの方と向き合っていました。
この数ヶ月、アシュヴィンさまにはお会いしていません。どうやら、私の周囲に大規模な結界が張り巡らされていて、アシュヴィンさまはそれに弾かれ、どうあっても私の耳目が届く範囲に近寄れないそうなのです。
女神様から変態避けの祝福を授かった、とは誰にも打ち明けられず。
はっきりした事情も分からぬまま、周囲の者がうろうろと右往左往する日々が続いています。
「ソフィアさま。どうか、あの方を拒まず、公爵家に迎え入れて下さいませんか。このままでは、あの方は苦しみのあまり身罷られてしまいそうです」
「身罷られる……」
つまり、私のせいでお亡くなりになってしまうだろう、と言われているのですが。
側仕えの方の目は真剣です。脅迫でもなんでもなく、心の底からアシュヴィンさまの身を案じておられるようです。
(アシュヴィンさまが?)
私はアシュヴィンさまの完璧な笑顔を思い出しました。完璧な声、完璧な態度。
あれが崩れるなどということが、あり得るのでしょうか。それは本当に、私の知っているアシュヴィンさまなのでしょうか。
「……それほどまでに、悩まれておいでなのですか」
私はおずおずと訊ねました。
「はい、無論でございます。そして、狂ったように方策を探し求めておいでです。神官たちを呼び集めたり、大図書館の書庫を片端から制覇して知恵を求めたり、夜も眠らずひたすら何かを書き付けたりなさっておいでで。あの方がいつ休まれているのか、誰にも分かりません」
「アシュヴィンさまが……」
私は胸につかえを感じました。
変態。女神様はアシュヴィンさまがそれだとおっしゃられましたが、変態とはつまり、何を指しているのでしょうか。アシュヴィンさまは何を考え、何を成しておられたのでしょうか。
それを知らぬまま、このままずっと、会えないままで良いのでしょうか。
(女神様。私はアシュヴィンさまと会って、あの方の口から、ご自身の話をお聞きしたいです。どうか……)
私は頭を垂れて、女神様に祈りました。
女神様は、私の言葉を聞き届けて下さったようです。
本当になんと優しく、慈悲深い女神様なのでしょう。
「女神、女神か……僕にとっては慈悲どころではない、羅刹のように残虐な方だったよ。ああ、ソフィア……」
公爵家の庭に入ってきたアシュヴィンさまが、私を見てハッと立ち止まり、それからよろめくような足取りで近付いてこられました。
ぎゅっと両手を握られ、熱病にでも掛かったかのような眼差しで見下されて、私は緊張のあまり身を硬くしました。しかし同時に、アシュヴィンさまの身が心配で、案じずにはいられません。
「アシュヴィンさま、お身体の調子は……大丈夫、なのですか?」
私が心配するのも無理からぬこと、だと思います。
アシュヴィンさまの様子は、私のよく知っていたお姿とは大いに違っていました。
射し込む日差しがその金の髪を透かして、星の輻射のような光を広げています。しかし、こんなに荒れて、まとわり付く藻の如く乱れた髪だったでしょうか。そして、その下の目は黒く隈ずんで鈍く、同時にぎらぎらとした熱を浮かべています。
私の手を取るアシュヴィンさまの手ですら、荒れてごわごわとした手触りです。
「アシュヴィンさま……」
「僕を心配してくれるんだね、ソフィア。良かった……完全に嫌われ、憎まれたのかと思った」
切ないお声でした。
私は一体、アシュヴィンさまの何を見ていたのでしょう。こんなにも私を想って下さっているというのに。私は自分の自信の無さを理由に、向き合うことを避けて……
(いえ、だからこそ、はっきりとお話をしなくては)
私はごくりと唾を飲み込みました。
「アシュヴィンさま」
「ソフィア?」
「どうぞお聞かせ下さいませ。私はアシュヴィンさまの口からお聞きしとうございます。アシュヴィンさまは一体、どのような『変態』で、どのような『変態行為』をなさって来られたのですか」
「…………」
沈黙が落ちました。
アシュヴィンさまはまじまじと私を見つめられ、
「……そうか。それが、女神様が君に守護を与えたもうた理由なんだね?」
「はい、そうです」
「なるほど。では……」
私は応接の間で、アシュヴィンさまの側仕えの方と向き合っていました。
この数ヶ月、アシュヴィンさまにはお会いしていません。どうやら、私の周囲に大規模な結界が張り巡らされていて、アシュヴィンさまはそれに弾かれ、どうあっても私の耳目が届く範囲に近寄れないそうなのです。
女神様から変態避けの祝福を授かった、とは誰にも打ち明けられず。
はっきりした事情も分からぬまま、周囲の者がうろうろと右往左往する日々が続いています。
「ソフィアさま。どうか、あの方を拒まず、公爵家に迎え入れて下さいませんか。このままでは、あの方は苦しみのあまり身罷られてしまいそうです」
「身罷られる……」
つまり、私のせいでお亡くなりになってしまうだろう、と言われているのですが。
側仕えの方の目は真剣です。脅迫でもなんでもなく、心の底からアシュヴィンさまの身を案じておられるようです。
(アシュヴィンさまが?)
私はアシュヴィンさまの完璧な笑顔を思い出しました。完璧な声、完璧な態度。
あれが崩れるなどということが、あり得るのでしょうか。それは本当に、私の知っているアシュヴィンさまなのでしょうか。
「……それほどまでに、悩まれておいでなのですか」
私はおずおずと訊ねました。
「はい、無論でございます。そして、狂ったように方策を探し求めておいでです。神官たちを呼び集めたり、大図書館の書庫を片端から制覇して知恵を求めたり、夜も眠らずひたすら何かを書き付けたりなさっておいでで。あの方がいつ休まれているのか、誰にも分かりません」
「アシュヴィンさまが……」
私は胸につかえを感じました。
変態。女神様はアシュヴィンさまがそれだとおっしゃられましたが、変態とはつまり、何を指しているのでしょうか。アシュヴィンさまは何を考え、何を成しておられたのでしょうか。
それを知らぬまま、このままずっと、会えないままで良いのでしょうか。
(女神様。私はアシュヴィンさまと会って、あの方の口から、ご自身の話をお聞きしたいです。どうか……)
私は頭を垂れて、女神様に祈りました。
女神様は、私の言葉を聞き届けて下さったようです。
本当になんと優しく、慈悲深い女神様なのでしょう。
「女神、女神か……僕にとっては慈悲どころではない、羅刹のように残虐な方だったよ。ああ、ソフィア……」
公爵家の庭に入ってきたアシュヴィンさまが、私を見てハッと立ち止まり、それからよろめくような足取りで近付いてこられました。
ぎゅっと両手を握られ、熱病にでも掛かったかのような眼差しで見下されて、私は緊張のあまり身を硬くしました。しかし同時に、アシュヴィンさまの身が心配で、案じずにはいられません。
「アシュヴィンさま、お身体の調子は……大丈夫、なのですか?」
私が心配するのも無理からぬこと、だと思います。
アシュヴィンさまの様子は、私のよく知っていたお姿とは大いに違っていました。
射し込む日差しがその金の髪を透かして、星の輻射のような光を広げています。しかし、こんなに荒れて、まとわり付く藻の如く乱れた髪だったでしょうか。そして、その下の目は黒く隈ずんで鈍く、同時にぎらぎらとした熱を浮かべています。
私の手を取るアシュヴィンさまの手ですら、荒れてごわごわとした手触りです。
「アシュヴィンさま……」
「僕を心配してくれるんだね、ソフィア。良かった……完全に嫌われ、憎まれたのかと思った」
切ないお声でした。
私は一体、アシュヴィンさまの何を見ていたのでしょう。こんなにも私を想って下さっているというのに。私は自分の自信の無さを理由に、向き合うことを避けて……
(いえ、だからこそ、はっきりとお話をしなくては)
私はごくりと唾を飲み込みました。
「アシュヴィンさま」
「ソフィア?」
「どうぞお聞かせ下さいませ。私はアシュヴィンさまの口からお聞きしとうございます。アシュヴィンさまは一体、どのような『変態』で、どのような『変態行為』をなさって来られたのですか」
「…………」
沈黙が落ちました。
アシュヴィンさまはまじまじと私を見つめられ、
「……そうか。それが、女神様が君に守護を与えたもうた理由なんだね?」
「はい、そうです」
「なるほど。では……」
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