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後編
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アシュヴィンさまは、庭園にしつらえられたお茶の卓にお座りになりました。
この面会がどのように転ぶかは分かりませんが、念のためにと用意されていたものです。幾重にも覆いを掛けた茶器はどれもまだ温かく、取り上げれば馥郁とした茶の薫りが漂いました。
「ソフィアも座って」
促されて、私も席につきます。
「まずはこれを」
アシュヴィンさまが、手ずからお茶を淹れて下さいました。畏れ多いことですが、何かお考えがあるのだろうと思って従います。
「飲んで」
「……はい」
促されるがままに、控えめにコクリとお茶を口に含むと、温かい液体が喉奥を下っていきました。私が普段嗜んでいるものと、特に大きな違いは感じられません。美味しいお茶です。
「では、そのカップをこちらに寄越してくれ」
待ちかねたように、アシュヴィンさまがおっしゃいました。
「……? はい」
アシュヴィンさまに、半ば中身が入ったままのカップを手渡しました。
「ああ……久しぶりの、ソフィアの……」
アシュヴィンさまが、震えるような声を洩らされました。そして、私の口をつけたカップに唇を押し当て、そのまま彫像のように硬直されました。
(………………え?)
「アシュヴィンさま?」
「……では、ソフィア。次だ」
およそ十分間ほど、私のカップに口をつけたまま微動だにされていなかったアシュヴィンさまですが、おもむろにカップを下に置くと、キリッとした顔でおっしゃいました。
「次はスプーン。いや、フォークにしよう。最もしゃぶりやすい形状のものは、ご褒美として後に回すべきだ」
「は? しゃぶる?」
「そこのケーキを一口、食べてくれ」
「……」
「よし、ではそのフォークをこちらに」
「……」
有無を言わせない迫力を感じたので、思わず従ってしまいました。
口に入れたケーキの味がしません。
ただ呆然として見ている私の目の前で、アシュヴィンさまは幸せそうに(私から奪った)フォークを口に含んでおられます。口に含む……しゃぶる……いえ、アシュヴィンさまがそんなことをなさるはずが……
「ああ……最高だ、久しぶりのソフィアのフォークは……」
──思いっきりしゃぶっておられますね!
「あ、あの……なぜ、そのように奇怪な真似を……?」
聞かない方が良かったのかもしれませんが、どうしても黙っていられず、問い掛けてしまいました。
アシュヴィンさまは目を上げて、私に向かって微笑まれました。
心なしか、その肌の艶が取り戻されて、元々の華やかな美貌が復活してきたようです。まるで乾き切った大地に水が満ちる如くに……この場合、くったりしたアシュヴィンさまが得たのは、私が口をつけたカップとフォークですが……
「僕は、君が口をつけたもの全てをしゃぶらずにはいられない病気なんだ」
なんと爽やかにおっしゃるのでしょうか。
「ついでに、僕の得た『祝福』についても話しておこうか、ソフィア。僕の『祝福』は『隠密』だ。君を付け回し、君が使用した食器は全て僕が舐め、君が唇に塗ったものはその後全て僕が使わせてもらった」
「……………」
「君を傷付けたいと思ったことはない。理解してもらえるか分からないが……僕にとっては必要なことなんだ」
「そ、そうなのですね」
「ソフィア……怒っているかい?」
「ええと、それは」
怒ってはいません。
とても気持ち悪いなとは思いますが。
女神様のおっしゃるとおり、アシュヴィンさまは変態でした。ですが、予想以上に私にしか害がなく、その害といっても「気持ち悪い」というだけなので、どう反応してよいものか迷ってしまいます。
これで、アシュヴィンさまが犯罪者だったり大量殺人犯だったりしたら、全力で忌避していたことでしょうが……いえ、アシュヴィンさまは犯罪は犯しておられますね。私の屋敷に不法侵入なさっていたらしいので。
私は視線を落としました。
目の前に、再びなみなみとお茶を湛えるカップが置かれています。状況に混乱した私は、そのまろやかな味と香りに癒やされたい、喉の渇きを癒やしたいのですが、それを実行した場合、アシュヴィンさまは……黙ってはおられないでしょう。
「……」
今も、こちらをじっと見ておられます。
それはもう、滅茶苦茶、じっと、獲物を狙う鷹のような目を光らせて見ておられます。私がカップに口をつけた瞬間、奪い取ろうと企んでおられる目です。
「……アシュヴィンさま。我慢して下さるおつもりは?」
「それは無理だね」
「そうですか……」
私は考えました。
「無理なのでしたら、仕方ありませんね」
「ああ、ソフィア」
アシュヴィンさまが、嘆声のような、感極まったような声を洩らされました。
「君のそういう、実は適応能力が高くて割り切りが早いところが、とても好きだよ」
「有難うございます、アシュヴィンさま。私もアシュヴィンさまの……変態なところはあまり好きとは言えませんが、全く浮気とは縁がなさそうなところ、気持ちは悪いですが一途と言えば言えなくもないところは好きです」
「そうか、嬉しいよ」
アシュヴィンさまは、初恋が叶った少年の如く、ほんのりと頬を染められました。
「じゃあ、今度はそのスプーンをくれるかい」
「仕方がありませんね、どうぞ」
それから私たちは、久しぶりのお茶の時間をゆっくりと堪能いたしました。私にとっても、アシュヴィンさまとのお茶の時間はかけがえがなく、それが途絶えていたときは寂しく思っていたのだ、と認識させられました。何かを口に入れたり唇に触れたりするごとに、アシュヴィンさまにお渡ししなければならないのは非常に面倒でしたが。
「少しでも早く、君と結婚したい、ソフィア」
「まあ……それはどうでしょう。私はもう少し、心の準備が必要な気がしてきたのですけど」
「実は、心の距離が開いている?!」
アシュヴィンさまは変態ですが、やはり、私にとっては大事なお方です。
ですが、その言動に慣れるには、私にとって今しばらく時間が必要なようです。
この面会がどのように転ぶかは分かりませんが、念のためにと用意されていたものです。幾重にも覆いを掛けた茶器はどれもまだ温かく、取り上げれば馥郁とした茶の薫りが漂いました。
「ソフィアも座って」
促されて、私も席につきます。
「まずはこれを」
アシュヴィンさまが、手ずからお茶を淹れて下さいました。畏れ多いことですが、何かお考えがあるのだろうと思って従います。
「飲んで」
「……はい」
促されるがままに、控えめにコクリとお茶を口に含むと、温かい液体が喉奥を下っていきました。私が普段嗜んでいるものと、特に大きな違いは感じられません。美味しいお茶です。
「では、そのカップをこちらに寄越してくれ」
待ちかねたように、アシュヴィンさまがおっしゃいました。
「……? はい」
アシュヴィンさまに、半ば中身が入ったままのカップを手渡しました。
「ああ……久しぶりの、ソフィアの……」
アシュヴィンさまが、震えるような声を洩らされました。そして、私の口をつけたカップに唇を押し当て、そのまま彫像のように硬直されました。
(………………え?)
「アシュヴィンさま?」
「……では、ソフィア。次だ」
およそ十分間ほど、私のカップに口をつけたまま微動だにされていなかったアシュヴィンさまですが、おもむろにカップを下に置くと、キリッとした顔でおっしゃいました。
「次はスプーン。いや、フォークにしよう。最もしゃぶりやすい形状のものは、ご褒美として後に回すべきだ」
「は? しゃぶる?」
「そこのケーキを一口、食べてくれ」
「……」
「よし、ではそのフォークをこちらに」
「……」
有無を言わせない迫力を感じたので、思わず従ってしまいました。
口に入れたケーキの味がしません。
ただ呆然として見ている私の目の前で、アシュヴィンさまは幸せそうに(私から奪った)フォークを口に含んでおられます。口に含む……しゃぶる……いえ、アシュヴィンさまがそんなことをなさるはずが……
「ああ……最高だ、久しぶりのソフィアのフォークは……」
──思いっきりしゃぶっておられますね!
「あ、あの……なぜ、そのように奇怪な真似を……?」
聞かない方が良かったのかもしれませんが、どうしても黙っていられず、問い掛けてしまいました。
アシュヴィンさまは目を上げて、私に向かって微笑まれました。
心なしか、その肌の艶が取り戻されて、元々の華やかな美貌が復活してきたようです。まるで乾き切った大地に水が満ちる如くに……この場合、くったりしたアシュヴィンさまが得たのは、私が口をつけたカップとフォークですが……
「僕は、君が口をつけたもの全てをしゃぶらずにはいられない病気なんだ」
なんと爽やかにおっしゃるのでしょうか。
「ついでに、僕の得た『祝福』についても話しておこうか、ソフィア。僕の『祝福』は『隠密』だ。君を付け回し、君が使用した食器は全て僕が舐め、君が唇に塗ったものはその後全て僕が使わせてもらった」
「……………」
「君を傷付けたいと思ったことはない。理解してもらえるか分からないが……僕にとっては必要なことなんだ」
「そ、そうなのですね」
「ソフィア……怒っているかい?」
「ええと、それは」
怒ってはいません。
とても気持ち悪いなとは思いますが。
女神様のおっしゃるとおり、アシュヴィンさまは変態でした。ですが、予想以上に私にしか害がなく、その害といっても「気持ち悪い」というだけなので、どう反応してよいものか迷ってしまいます。
これで、アシュヴィンさまが犯罪者だったり大量殺人犯だったりしたら、全力で忌避していたことでしょうが……いえ、アシュヴィンさまは犯罪は犯しておられますね。私の屋敷に不法侵入なさっていたらしいので。
私は視線を落としました。
目の前に、再びなみなみとお茶を湛えるカップが置かれています。状況に混乱した私は、そのまろやかな味と香りに癒やされたい、喉の渇きを癒やしたいのですが、それを実行した場合、アシュヴィンさまは……黙ってはおられないでしょう。
「……」
今も、こちらをじっと見ておられます。
それはもう、滅茶苦茶、じっと、獲物を狙う鷹のような目を光らせて見ておられます。私がカップに口をつけた瞬間、奪い取ろうと企んでおられる目です。
「……アシュヴィンさま。我慢して下さるおつもりは?」
「それは無理だね」
「そうですか……」
私は考えました。
「無理なのでしたら、仕方ありませんね」
「ああ、ソフィア」
アシュヴィンさまが、嘆声のような、感極まったような声を洩らされました。
「君のそういう、実は適応能力が高くて割り切りが早いところが、とても好きだよ」
「有難うございます、アシュヴィンさま。私もアシュヴィンさまの……変態なところはあまり好きとは言えませんが、全く浮気とは縁がなさそうなところ、気持ちは悪いですが一途と言えば言えなくもないところは好きです」
「そうか、嬉しいよ」
アシュヴィンさまは、初恋が叶った少年の如く、ほんのりと頬を染められました。
「じゃあ、今度はそのスプーンをくれるかい」
「仕方がありませんね、どうぞ」
それから私たちは、久しぶりのお茶の時間をゆっくりと堪能いたしました。私にとっても、アシュヴィンさまとのお茶の時間はかけがえがなく、それが途絶えていたときは寂しく思っていたのだ、と認識させられました。何かを口に入れたり唇に触れたりするごとに、アシュヴィンさまにお渡ししなければならないのは非常に面倒でしたが。
「少しでも早く、君と結婚したい、ソフィア」
「まあ……それはどうでしょう。私はもう少し、心の準備が必要な気がしてきたのですけど」
「実は、心の距離が開いている?!」
アシュヴィンさまは変態ですが、やはり、私にとっては大事なお方です。
ですが、その言動に慣れるには、私にとって今しばらく時間が必要なようです。
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