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5.木苺美味い
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セーガルが一国の君主となったことは、それなりに理解しているつもりだ(たった今聞いたばかりだが)。
過去の私より、今の私よりも、遥かに高い身分となってしまったことも。だが、馬車の中のセーガルがあまりに変わりなくて、私の前で可愛く尻尾を振ってしまう狐のままだったため、その情報を上手く呑み込めていなかったのだが。
「……とても、豪華な城だな」
馬車を降りて、暗い夜空を仰ぎ見て、私はそれだけを言った。
相応しい言葉が出て来ない。私の語彙力が死んでいる。
その場で立ち止まってしまった私の横をすり抜けて、数段階を登ってから、セーガルは振り返った。口をぽかんと開けた小さなリス(つまり私のことだ)を見下ろして、くすりと笑う。
「マノリ人の築城技術は有名ですからね。お気に召されましたか」
「気に入ったと言ったら、くれるのか?」
「無論。私の持ち物は全て、閣下の持ち物でございますから」
「お、おお……」
私の物は私の物。セーガルの物は私の物。なんと気前のいい部下に恵まれたのだろう。
ならば早速……とは、ならない。
私はセーガルの主君だが、暴君ではないのだ。悪辣なる暗黒魔法大臣の娘ではあるが。
私はぷるぷると顔を振って、真剣な表情に戻してから、腕を組み、自慢の尻尾を膨らませて、せいぜい偉そうにふんぞり返ってみせた。
「ふむ。帝国に居た頃は、城といえば城塞みたいなものだったからな。思わず呆気にとられてしまった」
「技術の粋を見せ付け、富を誇示するための城ですからね、これは。帝国でも、宗教的な寺院はやたらゴテゴテと豪華なものが多いですが」
「私は戦ばかりに明け暮れていたからな……宗教心も薄かった」
過去を懐かしみながら見上げた。
暗闇に向かって、細長い旗を靡かせた尖塔が幾つも林立していた。白亜の宮殿だ。だが、よく見るとその表層は一色ではなく、彩度の異なる白を様々に染め付けたタイルで覆われていた。左右の棟は抽象的な文様のような複雑なシンメトリーとして広がっている。優美と洗練の極み。
「私もですよ」
「ん?」
セーガルの声が夜風に乗って届いて、私が耳をひくひくっと揺らした時、彼はすでに長衣の裾を翻して先に進んでいた。
「元々、人間の神など信仰してはおりませんでしたが。貴方をあのような目に遭わせた神など、一ミリの敬意にも値しない」
「……」
低く苦い、吐息のような声。
(ああ、当然か)
私を慕っていた部下を置き去りにしてしまったのだ。それから流れた歳月を思うと、私の胸中にも苦いものが広がった。
だがとにかく、首を振って感傷を追い払うと、私はユーグを呼んだ。彼の肩に飛び乗って、セーガルの後を追いかける。
入り口のアーチは、蜂の巣型の丸天井に繋がっていた。その先には大森林を思わせる垂直な柱と、無数の半円を描く伽藍。鮮やかな衣を纏った人々が行き来する広間の両側には、細い水路が引かれてちろちろと水が流れ、蝋燭の灯が密集して立ち並んでいる。
硝子の水盤に落ちる水が、一定間隔を置いて涼やかな音を立てている。世界樹を描き出した広大な絨毯が敷き詰められて、その深い厚みの中に全ての足音が吸い込まれていく。
私は田舎者、いや田舎リス剥き出しでキョロキョロと辺りを見回した。まあ、リスはそもそもキョロキョロする生き物なので、何もおかしくはない。
「……しかし、セーガル。お前はこういうのが似合っているな。様になっているというか」
わらわらと集まってくる使用人たちに傅かれ、私はセーガルの私室に通された。途中でユーグとは別れている。彼は使用人用の客室に案内されるようだ。
君主の居室は、やはり豪奢の極みだった。透かし模様の窓と壁、そこに更に複雑な陰影を投げ掛ける金銀の灯籠。繻子貼りの長椅子に腰掛けた優雅な黒狐……
似合っている。生まれついての金持ち貴族臭がぷんぷんする。
彼の目がこちらに向いた。薄い金色の目、猫のように縦長の瞳孔。
その頬に、やや皮肉っぽい笑みが浮かんだ。
「貴方も、今生では貴族の身ではございませんか」
「それはそうだが……」
「王侯貴族となるよりも、戦場で心行くまで戦って死にたいと、かつての閣下は仰られておりましたな」
「言ったか? ……言ったかもしれないな」
過去のことはそれなりに憶えているつもりなのだが。一度死んだせいか、微妙に自信がない。
ユーグがここにいたら、「閣下の脳はクルミですから」と揶揄われるところだ。
しかしセーガルは私に忠義を尽くす狐なのでそれ以上は追及せず、使用人たちに合図した。奥の戸が開いて、様々な盃や盆を捧げ持った者たちが入ってくる。
「──むっ?!」
私の鼻がぴくんと反応した。
新鮮な、採り立てほやほやの、ぷりっとした果実の匂い。目の前の卓に並べられていく皿には、山盛りの木苺、紅葉苺、熊苺、ブルーベリー、プラム、アプリコット、グースベリー、クラウドベリー……おいこら、何でもかんでも果実を並べればいいってものじゃないんだぞ! 旬というものがあってだな……うん美味い……温室栽培の割には悪くないな……粒ぞろいじゃないか……美味い……がぶっ、がぶ、がぶ
……リスとしての本能が他の全てを凌駕した。
ひとしきり貪り食らい、口の周りをべとべとに濡らして、手にした果物の汁をちゅーちゅー吸っているところで、私はふと我に返った。
「……」
「……」
無言でセーガルを見上げる。
向かいに腰を下ろしたセーガルは、器用に果物の皮を剥きながら、興味深そうに私を見ていた。間抜け面をした私と目が合うと、事もなげに言う。
「閣下の御為に300ヘクタールの果樹園と温室を整備させました。お役に立てたようですな」
「……お前、結婚して?」
思わず言ってしまった。
だって、苺、美味い。
本能に負けた私、悪くない。
過去の私より、今の私よりも、遥かに高い身分となってしまったことも。だが、馬車の中のセーガルがあまりに変わりなくて、私の前で可愛く尻尾を振ってしまう狐のままだったため、その情報を上手く呑み込めていなかったのだが。
「……とても、豪華な城だな」
馬車を降りて、暗い夜空を仰ぎ見て、私はそれだけを言った。
相応しい言葉が出て来ない。私の語彙力が死んでいる。
その場で立ち止まってしまった私の横をすり抜けて、数段階を登ってから、セーガルは振り返った。口をぽかんと開けた小さなリス(つまり私のことだ)を見下ろして、くすりと笑う。
「マノリ人の築城技術は有名ですからね。お気に召されましたか」
「気に入ったと言ったら、くれるのか?」
「無論。私の持ち物は全て、閣下の持ち物でございますから」
「お、おお……」
私の物は私の物。セーガルの物は私の物。なんと気前のいい部下に恵まれたのだろう。
ならば早速……とは、ならない。
私はセーガルの主君だが、暴君ではないのだ。悪辣なる暗黒魔法大臣の娘ではあるが。
私はぷるぷると顔を振って、真剣な表情に戻してから、腕を組み、自慢の尻尾を膨らませて、せいぜい偉そうにふんぞり返ってみせた。
「ふむ。帝国に居た頃は、城といえば城塞みたいなものだったからな。思わず呆気にとられてしまった」
「技術の粋を見せ付け、富を誇示するための城ですからね、これは。帝国でも、宗教的な寺院はやたらゴテゴテと豪華なものが多いですが」
「私は戦ばかりに明け暮れていたからな……宗教心も薄かった」
過去を懐かしみながら見上げた。
暗闇に向かって、細長い旗を靡かせた尖塔が幾つも林立していた。白亜の宮殿だ。だが、よく見るとその表層は一色ではなく、彩度の異なる白を様々に染め付けたタイルで覆われていた。左右の棟は抽象的な文様のような複雑なシンメトリーとして広がっている。優美と洗練の極み。
「私もですよ」
「ん?」
セーガルの声が夜風に乗って届いて、私が耳をひくひくっと揺らした時、彼はすでに長衣の裾を翻して先に進んでいた。
「元々、人間の神など信仰してはおりませんでしたが。貴方をあのような目に遭わせた神など、一ミリの敬意にも値しない」
「……」
低く苦い、吐息のような声。
(ああ、当然か)
私を慕っていた部下を置き去りにしてしまったのだ。それから流れた歳月を思うと、私の胸中にも苦いものが広がった。
だがとにかく、首を振って感傷を追い払うと、私はユーグを呼んだ。彼の肩に飛び乗って、セーガルの後を追いかける。
入り口のアーチは、蜂の巣型の丸天井に繋がっていた。その先には大森林を思わせる垂直な柱と、無数の半円を描く伽藍。鮮やかな衣を纏った人々が行き来する広間の両側には、細い水路が引かれてちろちろと水が流れ、蝋燭の灯が密集して立ち並んでいる。
硝子の水盤に落ちる水が、一定間隔を置いて涼やかな音を立てている。世界樹を描き出した広大な絨毯が敷き詰められて、その深い厚みの中に全ての足音が吸い込まれていく。
私は田舎者、いや田舎リス剥き出しでキョロキョロと辺りを見回した。まあ、リスはそもそもキョロキョロする生き物なので、何もおかしくはない。
「……しかし、セーガル。お前はこういうのが似合っているな。様になっているというか」
わらわらと集まってくる使用人たちに傅かれ、私はセーガルの私室に通された。途中でユーグとは別れている。彼は使用人用の客室に案内されるようだ。
君主の居室は、やはり豪奢の極みだった。透かし模様の窓と壁、そこに更に複雑な陰影を投げ掛ける金銀の灯籠。繻子貼りの長椅子に腰掛けた優雅な黒狐……
似合っている。生まれついての金持ち貴族臭がぷんぷんする。
彼の目がこちらに向いた。薄い金色の目、猫のように縦長の瞳孔。
その頬に、やや皮肉っぽい笑みが浮かんだ。
「貴方も、今生では貴族の身ではございませんか」
「それはそうだが……」
「王侯貴族となるよりも、戦場で心行くまで戦って死にたいと、かつての閣下は仰られておりましたな」
「言ったか? ……言ったかもしれないな」
過去のことはそれなりに憶えているつもりなのだが。一度死んだせいか、微妙に自信がない。
ユーグがここにいたら、「閣下の脳はクルミですから」と揶揄われるところだ。
しかしセーガルは私に忠義を尽くす狐なのでそれ以上は追及せず、使用人たちに合図した。奥の戸が開いて、様々な盃や盆を捧げ持った者たちが入ってくる。
「──むっ?!」
私の鼻がぴくんと反応した。
新鮮な、採り立てほやほやの、ぷりっとした果実の匂い。目の前の卓に並べられていく皿には、山盛りの木苺、紅葉苺、熊苺、ブルーベリー、プラム、アプリコット、グースベリー、クラウドベリー……おいこら、何でもかんでも果実を並べればいいってものじゃないんだぞ! 旬というものがあってだな……うん美味い……温室栽培の割には悪くないな……粒ぞろいじゃないか……美味い……がぶっ、がぶ、がぶ
……リスとしての本能が他の全てを凌駕した。
ひとしきり貪り食らい、口の周りをべとべとに濡らして、手にした果物の汁をちゅーちゅー吸っているところで、私はふと我に返った。
「……」
「……」
無言でセーガルを見上げる。
向かいに腰を下ろしたセーガルは、器用に果物の皮を剥きながら、興味深そうに私を見ていた。間抜け面をした私と目が合うと、事もなげに言う。
「閣下の御為に300ヘクタールの果樹園と温室を整備させました。お役に立てたようですな」
「……お前、結婚して?」
思わず言ってしまった。
だって、苺、美味い。
本能に負けた私、悪くない。
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