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4.夕闇
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「うちの領地と接する辺りに新しい国が建って、君主は黒狐王って呼ばれてるって、本当に知らなかったんですか、閣下? 俺ですら知ってるのに? 頭の中にクルミ入ってるんですか?」
「やかましいぞ働き蜂、ぶんぶん唸るな」
私はむっつりと答えた。
戦いに明け暮れた前世ならともかく、今の私は自分の尻尾を愛でるのに忙しいのである。ふわふわした毛に顔を埋めているだけで、一、二時間などあっという間に経ってしまう。それに比べたら、周辺諸国の栄枯盛衰など重要度が低すぎて耳に入らないのである。
……まあ、負け惜しみにしか聞こえないから言わないが。
私はちらりと右側を見上げた。
豪華なクッションと詰め物で埋め尽くされた馬車の中、窓側に腰掛けた黒狐王セーガル、真ん中に私、左側にユーグ。凸凹感が凄い。
本来の身分から言えば、ユーグは御者の隣に座らせるべきなのだろうが、私の手足、踏み台として使い勝手がいいので同乗させたのだ。
「……」
私が見上げると、セーガルは目を細めて微笑みかけてきた。本当に笑っているのか作り笑いなのか、判然としない胡散臭い笑みだ。この笑みの裏側では、「この従者、やけに閣下に馴れ馴れしいじゃないか後でシメてやる」とか考えているのかもしれないが分からない。
セーガルは下々の仕事ぶりに口を出さない。私の世話役を買って出ることもないし、私の部下に対する采配に口出しすることもない。世話係には世話係の領分があり、仕事がある。それを侵犯してはならないと弁えているのだ。
彼の仕事は私を勝たせること。そして、恐らく……死なせないことだったはずだ。
「グラデスギルド様」
彼が口を開いた。
「ん、何だ?」
「この一帯はユクノール市に繋がる商業路です。外の景色をご覧になっては?」
「ユクノール市……」
ふと、何かの記憶が刺激された。ユクノール……ユクノール、何だったか……と考え込んでいる間もなく、セーガルが馬車の小窓を閉ざしていたカーテンを引く。夕闇と、賑やかな灯りが目に飛び込んできた。
「おお」
じゅうじゅうと肉の焼ける匂いがする。屋台でも出ているのか?
私はリスなので焼肉にはあまり興味が無いのだが(食べられないことはない)、好奇心をそそられて、セーガルの肩の上にぴょんと飛び乗った。
「……っ」
一瞬、セーガルが息を詰めたのが感じられた。顔色こそ変わらないが、私が窓の外を覗き込んでいる間、肩の筋肉が微妙に張り詰めたままだ。私はその顔を見上げながら言った。
「馬車の揺れが少ないから、舗装が立派なんだなとは思っていたんだが。商業路というか、もはやこの一帯全てが都市のようじゃないか。随分栄えているんだな」
「ユクノールはかつてマノリ人たちが建てた商業都市です。東西を繋ぐ巨大な通商の道を栄えさせ、誰でも安全に通れるようにした。農地に縛り付けられたホブネイル人とは文明の基盤が異なる」
セーガルは低く、謳うように都市の名前を並べた。
「ユクノール、セド、グアッカ、ロドカ。貴方がいなくなってから、残された兵の一部を率いてこれらの都市を攻略しました。全てマノリ人の建てた都市です。通商路を押さえ、貴方を殺したホブネイル人どもの帝国を締め上げて、じわじわと衰亡させるために」
「……セーガル」
そうだ。
どこでユクノールの名を聞いたのか、私は思い出した。
あの日もこんな夕闇が広がっていた。夕食の支度をする使用人たちが忙しく行き来する館の中、人目も構わず、セーガルは私の前に跪いていた。
黒い分厚い耳をぺたりと寝かせ、長い尾を垂らし、引き攣った声音で、
「閣下、心からお願い申し上げます。宮廷からの召喚状は無視して下さい。今すぐこの地を離れて、ユクノールへお向かい下さい。閣下の安全の為です」
繰り返し、セーガルは哀願していた。「ユクノールへ」「そこでなら閣下の安全が保たれる」「どうかお聞き届けを」と。
それを聞かず、私は最強の戦士なのだからと、帝国の命令を無視できないと、自ら死地に足を踏み入れて殺されたのは私だ。私だけではなく、共をしていた十三名を道連れにして。
「……ユクノール、か」
思い出すだけで胸が詰まった。
自分の愚かさは、幾ら詫びても足りない。そしてこれは、詫びる時でもないのだろう。
セーガルが実は私を恨んでいて、これが全て罠だったとしても受け止めよう。ただ今は真率に、主としての役割を果たそうではないか。
「長らく苦労を掛けた。心からお前を誇りに思う。お前が私の参謀でいてくれて良かった」
数十年間の労苦をいたわる言葉を告げ、それからふと思いついて、彼の黒い髪を撫でた。私の手では、そこまでしか届かなかったので、額の辺りをちょいちょいと。
「……っ、グラデスギルド様……!」
セーガルは息を呑み、何かを言おうと口を開いたが、結局そのまま口を閉じた。勢いよく顔を逸らし、窓枠に頬杖をつく。彼らしくもない、拗ねた子供のような仕草だ。
座席の上で、彼のふかふかした尻尾の先が飛び跳ねていた。逆に耳は意地でも動かさないつもりか、死んだように頑なに直立している。獣人としてはかなり感情を押し隠せた方だと思うが、残念なことに今の彼はほぼ人型だ。頬の赤みがくっきりと見えている。
「……」
それを見ながら、私は思った。この狐、私に懐きすぎだろ、と。
「やかましいぞ働き蜂、ぶんぶん唸るな」
私はむっつりと答えた。
戦いに明け暮れた前世ならともかく、今の私は自分の尻尾を愛でるのに忙しいのである。ふわふわした毛に顔を埋めているだけで、一、二時間などあっという間に経ってしまう。それに比べたら、周辺諸国の栄枯盛衰など重要度が低すぎて耳に入らないのである。
……まあ、負け惜しみにしか聞こえないから言わないが。
私はちらりと右側を見上げた。
豪華なクッションと詰め物で埋め尽くされた馬車の中、窓側に腰掛けた黒狐王セーガル、真ん中に私、左側にユーグ。凸凹感が凄い。
本来の身分から言えば、ユーグは御者の隣に座らせるべきなのだろうが、私の手足、踏み台として使い勝手がいいので同乗させたのだ。
「……」
私が見上げると、セーガルは目を細めて微笑みかけてきた。本当に笑っているのか作り笑いなのか、判然としない胡散臭い笑みだ。この笑みの裏側では、「この従者、やけに閣下に馴れ馴れしいじゃないか後でシメてやる」とか考えているのかもしれないが分からない。
セーガルは下々の仕事ぶりに口を出さない。私の世話役を買って出ることもないし、私の部下に対する采配に口出しすることもない。世話係には世話係の領分があり、仕事がある。それを侵犯してはならないと弁えているのだ。
彼の仕事は私を勝たせること。そして、恐らく……死なせないことだったはずだ。
「グラデスギルド様」
彼が口を開いた。
「ん、何だ?」
「この一帯はユクノール市に繋がる商業路です。外の景色をご覧になっては?」
「ユクノール市……」
ふと、何かの記憶が刺激された。ユクノール……ユクノール、何だったか……と考え込んでいる間もなく、セーガルが馬車の小窓を閉ざしていたカーテンを引く。夕闇と、賑やかな灯りが目に飛び込んできた。
「おお」
じゅうじゅうと肉の焼ける匂いがする。屋台でも出ているのか?
私はリスなので焼肉にはあまり興味が無いのだが(食べられないことはない)、好奇心をそそられて、セーガルの肩の上にぴょんと飛び乗った。
「……っ」
一瞬、セーガルが息を詰めたのが感じられた。顔色こそ変わらないが、私が窓の外を覗き込んでいる間、肩の筋肉が微妙に張り詰めたままだ。私はその顔を見上げながら言った。
「馬車の揺れが少ないから、舗装が立派なんだなとは思っていたんだが。商業路というか、もはやこの一帯全てが都市のようじゃないか。随分栄えているんだな」
「ユクノールはかつてマノリ人たちが建てた商業都市です。東西を繋ぐ巨大な通商の道を栄えさせ、誰でも安全に通れるようにした。農地に縛り付けられたホブネイル人とは文明の基盤が異なる」
セーガルは低く、謳うように都市の名前を並べた。
「ユクノール、セド、グアッカ、ロドカ。貴方がいなくなってから、残された兵の一部を率いてこれらの都市を攻略しました。全てマノリ人の建てた都市です。通商路を押さえ、貴方を殺したホブネイル人どもの帝国を締め上げて、じわじわと衰亡させるために」
「……セーガル」
そうだ。
どこでユクノールの名を聞いたのか、私は思い出した。
あの日もこんな夕闇が広がっていた。夕食の支度をする使用人たちが忙しく行き来する館の中、人目も構わず、セーガルは私の前に跪いていた。
黒い分厚い耳をぺたりと寝かせ、長い尾を垂らし、引き攣った声音で、
「閣下、心からお願い申し上げます。宮廷からの召喚状は無視して下さい。今すぐこの地を離れて、ユクノールへお向かい下さい。閣下の安全の為です」
繰り返し、セーガルは哀願していた。「ユクノールへ」「そこでなら閣下の安全が保たれる」「どうかお聞き届けを」と。
それを聞かず、私は最強の戦士なのだからと、帝国の命令を無視できないと、自ら死地に足を踏み入れて殺されたのは私だ。私だけではなく、共をしていた十三名を道連れにして。
「……ユクノール、か」
思い出すだけで胸が詰まった。
自分の愚かさは、幾ら詫びても足りない。そしてこれは、詫びる時でもないのだろう。
セーガルが実は私を恨んでいて、これが全て罠だったとしても受け止めよう。ただ今は真率に、主としての役割を果たそうではないか。
「長らく苦労を掛けた。心からお前を誇りに思う。お前が私の参謀でいてくれて良かった」
数十年間の労苦をいたわる言葉を告げ、それからふと思いついて、彼の黒い髪を撫でた。私の手では、そこまでしか届かなかったので、額の辺りをちょいちょいと。
「……っ、グラデスギルド様……!」
セーガルは息を呑み、何かを言おうと口を開いたが、結局そのまま口を閉じた。勢いよく顔を逸らし、窓枠に頬杖をつく。彼らしくもない、拗ねた子供のような仕草だ。
座席の上で、彼のふかふかした尻尾の先が飛び跳ねていた。逆に耳は意地でも動かさないつもりか、死んだように頑なに直立している。獣人としてはかなり感情を押し隠せた方だと思うが、残念なことに今の彼はほぼ人型だ。頬の赤みがくっきりと見えている。
「……」
それを見ながら、私は思った。この狐、私に懐きすぎだろ、と。
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