【完結】召喚獣殿下 〜下っ端少女召喚士、この国最強の王弟殿下(40)を召喚します!

雪野原よる

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5.君が楽しいのであれば

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 王宮から真っ直ぐに伸びる、中央通りを歩いていくと、やがて港に突き当たる。

 波止場の側壁は高く盛り上げられ、その高台に海岸公園が作られていて、そこから、大型の帆船が出入りする港を見下ろせるようになっている。ベンチに腰を下ろして、青くきらきら輝く水平線を眺めながら、私は溜息をついた。

 いざとなると怖いのだ。ドキドキする。

 迷惑がられたらどうしよう。何も返せないのに、お礼だけ言って終わり、でいいのだろうか? 用もないのに呼び付けた、と怒られたら?

 そんなことを考えながら、家を出て歩いていたら、ついつい、道が尽きるところまで来てしまったのだ。

(……殿下は、怒ったりしない気もするけど)

 首を巡らして、王城の方角を見やる。
 城は小高い丘の上に聳え立っていて、街全体を睥睨している。細い見張りの塔が数本、空に突き刺さるように並び立っていた。その横に視線を流すと、コロッセウムの高い塀も垣間見える。

 王弟殿下は、今は王宮にいるのだろうか。「自邸に戻る」と言っていたような気もするけれど、ということは、王宮ではなくて殿下の邸? 殿下の邸って、どこにあるのだろう?

(……探りを入れられるかな?)

 召喚石を取り出し、手のひらに乗せる。契約の紋章が光を帯び、召喚石がしゅっと音を立てて消えた。分解された魔素が、細かな光の破片となって舞う。

 イシルディア殿下の魔力を感じた。圧倒的な、重厚な力の源泉。王宮にある? いや、王宮から少し離れた街中にいるみたいだ。その気配が、一瞬、掻き消え、

「……主殿?」

 目の前に、現出した。
 カツ、と、重たげな靴音が響く。黒い長衣とマントを纏った大きな体躯が、私の前まで歩み寄ってきた。貫くような金色の眼差し。
 私と視線が重なると、その目がすっと細められた。

「何かあったのかね?」
「い、いいいいいいえ」

 突然、肺の中から空気が無くなってしまったような気がした。私は口をぱくぱくさせ、それから、必死に込み上げる動揺を押し込めた。

「あ、あああの、私は殿下にお礼を言いたくて、でも呼び出したらご迷惑になるんじゃないかと悩んでいたところでして。ご、ご迷惑でしたか?」
「いや、全く問題はない」

 あっさりと返事が返ってきて、私はほっと息をついた。
 王弟殿下の表情が和らぐ。

「隣に座っても構わないかね?」
「は、はい、もちろん」

 殿下が、ゆっくりと私の横に腰を下ろした。彼の長駆が陽の光を遮って、私の上に影が落ちる。
 見上げると、彼は遠く港を眺めながら、にやにやと人の悪そうな笑みを浮かべていた。

「ちょうど、間抜けな甥に絡まれていたところだったんだ。主殿の気配が感じられたので、その場にほっぽり出してきたが。残念ながら、今の私には、主殿以外に何かを命じられる者はいない。そのことを分からせてやるいい機会だ」
「………えっ」

 彼の甥といえば。王太子殿下ではないか。
 再び固まってしまった私の頭を、イシルディア殿下はなだめるようにぽんぽんと叩いた。

「本当に、君が気にする必要はない。私が隠居の身なのは知っているだろう? 王族としての義務は、私にはもう関係ない。唯一、私の今の仕事は、召喚獣として君に仕えることだけだ」
「そ、それは……あ、ありがとうございます」

 お礼を言うべきことか、それとも言わない方がいいのか?
 召喚獣と召喚士の関係って、どんなだったっけ? 主従って?
 頭の中に疑問符が渦巻くが、お礼を言いたいことは、実際にたくさんあるのだ。ただ、伝え方がよく分からないだけで。

 潮の香りを含んだ風が、私たちの間を吹き抜ける。
 上空から、海鳥の鳴き声が、揺らめく陽光の破片とともに落ちてきた。

「……」

 イシルディア殿下は、しばらく黙って、何か考えているようだったが、しばらくして頷いた。

「では、少し、真面目な話をするとしよう。いや、真面目というか、深刻というか……」

 言葉を途切らせると、息を呑んで見守っている私を見下ろし、

「黒竜将軍というのが、数年前までの私の肩書の最大たるものだった。そのことは知っているね?」
「は、はい」

 話がどこから始まるのか掴めずに、私は瞬きした。

「あれは、王族の中で一番強い者に引き継がれる職だ。傍流であろうと、次代の王であろうと、力のみで決定され、そして逆らえない。王であれば、その位から引き摺り下ろしてでも就かされる。その役割は、この国の守護だ」
「……でも、今は空位なのでは?」
「そう、空位だ。私がその肩書を拒否し、この国には現在、敵と呼べる存在がいないからこそ、空位で済まされている」

 私に話して聞かせている、というより、独り言のような口調だった。

「敵はすべて、私が殺した。人間が踏み込める地、その隅々まで巡って、敵と、敵になりうる者すべてを殺して歩いた。国の守護とかいう、ご大層な名分のためじゃない。幼い頃から、お前は次代の黒竜だと言われ、そのために仕込まれ、他に生きていく道筋を知らなかった。ただ、義務感だけで剣を奮い、かつての友や、心を通わせられたかもしれない相手を殺した」
「……」
「戦いに感情は必要ない。君のように、戦いに泣き、勝利に酔う、そんな感情は私にはない。……だからこそ、君に手を貸したいと思う」

 穏やかな声。穏やかな表情。しかし、私が知らないもの、理解できない感情が、彼の顔に浮かび上がっている。
 四十年。彼が戦ってきた歳月。私がもっと歳を取っていれば、もっと世の中をよく知っていれば、彼を本当に理解することができただろうか?

「君は、本当に、感情が顔によく出るからね」
「そ……そうですか?」
「ああ。君が楽しそうにしていると、私も自分が楽しいのではないかという気がしてくる。それは、……本当に、貴重なことだ」

 ふと、コロッセウムで、楽しそうに対戦相手と対峙していた殿下の姿が思い出された。
 気負いもなく、ただ楽しそうで、羨ましい、と思ったはずだ。

「トーナメントのときは……」
「ああ、君は心底、勝利を渇望していて、私が差し出したものを、これだけが望みだというように受け取ってくれた。私は単に、王族の保身のために作り出された血塗れの殺人者でしかない。だが、あの瞬間、あの場にいた観客を含めて、私は君のための英雄になった。滑稽ではあるが、愉快な話だ。そして、おそらく、私にとっては大事なことだったんだろう」

 殿下は低く、笑い声を洩らした。

「だから、君は私の為に、幸せにならなければならない。君の幸せのために、私も可能な限り、力を尽くそう。だが、これは無償の奉仕などではなく、私にも見返りがあってやっていることだ。君が、それを、分かってくれればいいのだが」
「……分かりました」
「深く考える必要はないんだ。礼も必要ない。君が楽しいのであれば、それで十分だ」
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