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17.弱き者は集え
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王都の北東。昼も夜も絶やさず灯し続けられる火が、鮮やかなステンドグラスを通して輝く。その壮麗な建物が、光の教会本部だ。その最奥には、代々恭しく引き継がれてきた御神体が安置されている。
光の神アークウェルの核。それの、一部とされるもの。どうしてそんなものが地上にあって、人間の間で伝えられることになったのか、私にはさっぱり事情が分からないけれど、それは置いといて。
見た目は、永遠に自ら発光し続ける小さな石らしい。だが、その石は、今は秘蹟安置所には存在しない。
光の教会の司祭たちが、それをリオルに埋め込んだからだ。
魔獣、魔物、精霊。これまでも、様々なものを人の器に下ろす、封印する試みは行われてきたと、イシルディア殿下は言っていた。殿下の言うとおり、そんなものは普通は成功するはずがないのだが。
リオルは、双子の妹エウィリナと、魔力を共有していた。二人分の魔力が見込める。しかも、滅多にないほど高濃度の光の魔力だ。素性も怪しく、スラム街のようなところで生まれ育った子供たちは、守ってくれる大人もなく、幼いゆえに簡単に言うことを聞かせられる。彼らを連れてきた司祭たちは、この計画に夢中になった。
「あいつらは腐っている以上に、狂信者だ。光の神が降臨すれば、自分たちには無限の恩恵が与えられると信じてる」
薄暗く、妙にがらんとした広間の真ん中に立ち、リオルが憎々しげに顔を歪めて言う。
彼の腕に取り付いて、エウィリナが支えているが、私がせっせと回復魔法を掛けたせいか、大分顔色は良くなっていた。立っていても倒れる心配はなさそうだ。
「実際、どうなのかい? 恩恵なんてものはあるのか? 今のままだと、アークウェルは、人間を滅ぼそうとしてるとしか思えないんだけどね」
玉座の傍らに立つ王太子殿下が、首を傾げた。
砂漠に現れた巨大な神の貌は、少し離れた見張りの砦からも見えたという。出現した場所が、王都から遠く離れていて、人の棲まない砂漠であったことは幸いというか、リオルとエウィリナが人らしい情を持っていることの証だ。幼い頃から利用され続け、何度も絶望を味わってきたというのに、彼らは多くの人を巻き込むことを避けたのだ。
もっとも、そのまま放置しておけば、すぐさま国全体を覆い尽くし、やがては大陸一つを消滅させるだろうという。リオルとエウィリナだけでなく、宮廷魔術師たちの見立てだ。
リオルは半眼になっているが、
「神は人に恩恵なんて与えない。ただ、人が、神の創造物から都合のいい部分を掠め取ってるだけだ。あまりに強烈な力そのものだから、呼び出せば国一つぐらいは簡単に消え去るけど、それが神の意志というわけでもない。神は人に関心なんか抱かない」
淡々と説明している。
もちろん、彼は、心底光の教会を憎んでいる。核を埋め込まれ、魔力を吸い上げられ、肉体的にずたずたにされていても、誰かに助けを求めることさえできなかった。制約魔法を掛けられていたという。
「あれは光の魔力を吸って育つから、闇の魔物になれば、食い止められるんじゃないかと思ったこともあった。でも、結局、駄目だった。後は、対抗できるとしたら、師匠ぐらいしか……師匠が例の魔獣と一体化すれば、アークウェルと戦って、勝てるんじゃないかと。だから封印を解こうとしたんだが、師匠は魔獣化しなかったし」
(むしろ、結果としては、殿下はより強くなったんだけどなあ)
私は心の中で呟いたが、黙っていた。今は、大事なのはそのことじゃない。
「イシルディア殿下は、何とかすると言ってました」
居並ぶ人々を見渡しながら、私は言った。
玉座には、国王陛下。隣に王妃様。王太子殿下。魔封じ一族から三名。宮廷魔術師が一人。後は、リオルとエウィリナ、それに私だけだ。
事態が事態なので、私の発言を遮ろうとする者はいない。身分を弁えろ! とか言われることもない。私が口を開くと、周囲はしんと静まり、真剣な視線が集中する。
「何とかする、とは?」
魔封じ一族のうち、一番偉そうな人が問いかけてくる。恐らく、公爵様だ。名前は覚えていないけれど。
「最終的には、魔獣を完全に解放して、自分は消滅するって意味だと思います」
「なんと……?」
「しかし、それでアークウェルを退けたとして、魔獣はどうなる? 王弟殿下の意識が残らず、古代の伝承のとおり、この国を覆い尽くすことになったりは……」
広間にざわめきが満ちる。
「そのときは、魔封じ一族の方が再封印するのでは?」
問い掛けてみたが、渋い顔で首を振られた。
「そんな力は、今やこの国の誰も持っていない。我々の命を賭けてもいいが、再封印は成らないだろう」
(よかった)
分かっていたことだが、再確認してほっとした。殿下を犠牲にして、再封印しようなどという流れにはなりそうもない。
本当は、再封印はできると思う。勿論、やったことはないけれど、妙に強い確信があるのだ。私は魔獣の真名を知っているし、イシルディア殿下は魔獣の一部と化しても、きっと、私が封印できるよう仕向けてくれるだろう。最悪な想像だけれど、イシルディア殿下も、それを見越して私を弾き飛ばしたのだろうと思う。魔獣の力を使いつつ戦い、力尽きたら魔獣に食われ、アークウェルを退ける。その後は、私が魔獣を封印すればいい。そういう筋書きだろう。
でも。
(そうはいかないですからね、殿下)
「ならば、なんとかしてイシルディア殿下に合流し、殿下を援護するしかありません」
私は言う。
そして、玉座に在る国王陛下を見上げる。
王様、あなたは何ができるんですか? ただ、弟の危機だというだけじゃない、国の危機に、あなたはどうするんですか?
そんな思いを込めて見つめると、陛下は肉付きのいい頬を軽く揺らした。
「……さすがはあのイシルディアの主だねえ。全く容赦というものが感じられない」
くつくつと笑う。どこもかしこも柔らかい曲線で出来ているような人で、イシルディア殿下とは似ても似つかないと思っていたけれど、穏やかな笑みを浮かべると、ぎょっとするくらい表情が似ていた。
「第一騎士団に出撃命令を出してある。今晩中には王都を出立するだろう。かつてイシルディアの率いていた兵だ、あれの援護には慣れている。その他の兵と魔術師たちは、準備ができ次第合流する。それと、光の教会の司祭たちだが」
「光の教会?」
「神の守護があるというのなら、是非とも見せてもらいたいからねえ。鎖をつけて一箇所に集めてある。機会があれば、盾になってもらうか、撹乱要員としてアークウェルの前に置かせてもらおう。彼らもさぞ喜ぶことだろう」
「へえ」
リオルが、少し愉快そうに唇の端を吊り上げる。ちらりと白い歯が見えた。こんな状況だし、すっかりやさぐれたような表情と悪役のような笑い方だが、それでもやはり、人形のように整った美しい顔だ。
「楽しみになってきたわ」
やはり美しい顔で、しかし感情が欠け落ちたような声で、エウィリナが呟く。
その無表情に、長年の受苦の重みと、摩耗しきった憎しみが透けて見える。
その顔を見て、にわかに、ふつふつとした怒りが湧いてきた。彼らにこんな顔をさせているのは、光の教会の司祭たちだ。イシルディア殿下だって、この二人に手を下したくなくて、それでも戦わざるを得なくて、苦痛を感じていた。それなのに、自分の痛みなど意味がないと、表に出していなかった。知っている。殿下が言わなくても、私は見ていたのだ。
そもそもの元凶が、すべて司祭たちの傲慢さと欲だ。許せない。なるべく酷い目に遭ってほしい。
「……」
気付くと、無言で、拳を握り締めていた。エウィリナが妙な顔をして、まじまじと私を見下ろしている。その視線で、はっと我に返った。
(今は、そういうことを考えてる場合じゃなかった)
狂信者たちの処遇は、国王陛下がきちんと定めて下さるだろう。とにかく、後回しだ。
「一つ、お願いがあるのですが」
私は申し出た。
「何かな?」
「転移魔法が使える人を呼んで下さい。私を、殿下の近くに飛ばしてもらいたいので」
「君が? ……分かった、準備ができ次第、呼ぶようにしよう。他には?」
さすがに、決断が早い。余計なことも聞こうとしない。やっぱり、イシルディア殿下を思い出す──いや、今は本当に、すぐにイシルディア殿下のことばかり思い出すのは止めなくてはならない。彼の不在をいっそう強く思い出してしまって、気持ちが潰えそうになるから。
「じゃあ……召喚石と魔石を、ありったけ貰えると有難いです」
「分かった。貯蔵庫まで、王宮召喚士に案内させよう」
「有難うございます」
それからしばらく、魔術師たちの進言やら、今後の防衛計画などを聞いていたが、ここでの役割は終えたと判断して、私はその場から去ることにした。
姉たちから貰った召喚士の鞄に、詰められるだけの召喚石と魔石を詰め込み、足早に王宮の裏へ向かう。転移魔法陣の準備ができたという知らせが来たのだ。
「ちょっと、待って貰えるかしら」
背後から、声が追いかけてきた。
振り向くと、濃い影に覆われた長身が二人、その場に佇んでいた。紫、オレンジ、淡い緋色の夕日が色合いを滲ませながら、彼らの輪郭を片側だけ浮かび上がらせている。
なるべく急いだのに、もう夕方になってしまった。このまま、夜を越してしまうかもしれない。たった一人で戦っている人を置き去りにしたまま。
「何ですか?」
なるべく丁寧に接したかった。彼らは、イシルディア殿下の教え子だから。でも、何と言ったらいいか分からなくて、どことなく素っ気ない口調になってしまったみたいだ。
いつもはリオルが先に立っているような印象があったが、今、前に立って私を見下ろしているのはエウィリナだった。リオルはその背後で庇われているような格好で、曖昧な顔をしてこちらを覗いている。
「師匠を助けに行くんでしょう? だったら、提案があるの。私たちと、契約を交わさない?」
「……召喚の契約ですか?」
予想外だ。話についていけなくて、私は瞬きした。
「ええ。私たちは魔物ですもの。私もリオルも弱っていて、大して魔力はないわ。でも、少しなら援護できる。それに、召喚獣になれば、どこにいても召喚陣で繋がれるでしょう。便利だと思うわ」
「それは、そうですね」
いい話かもしれない。私の力量では扱いきれず、二人の魔力では少ないかもしれないが、今は何であれ、どんな助けでも欲しかった。
「でも、言っておかなくちゃいけないことがあります。私は、弱いです」
二人に向かって、はっきりと宣言する。しなくてはいけないのだ。騙したくはないから。
「イシルディア殿下は、強いから、自分ができないこと、限界があることを見定めていますけど。私は弱いし、安定しないので、自分の限界がどこなのか、全く分かっていないんです。魔法だけは、殿下がかなり鍛えてくれましたけど」
「……無茶をする可能性がある、ということかしら?」
「はい。成功するか失敗するか分からないことを、自分でも怖くて不安でたまらないのに、必要だと思えばやります」
どれも、薄氷を踏むようなことだ。奇跡的に、失敗したことがない。それが自分の実力なのか、と言われれば、違うと思うが、今のところ、自分の実力の限界がどこにあるのかさえ分からない。やってみなくては分からない。恐ろしくあやふやだ。
でも、そのせいで、イシルディア殿下と出会えたのだ。
「今から、殿下を援護しに行きます。できることは何でもやるつもりです。そのとき、何ができるのか、自分でも分かりません。どこまで失敗するのかさえ分からないんです」
それでもいいですか? と、声に出さずに問いかける。
リオルとエウィリナは顔を見合わせ、それから、ふふっと破顔した。
二人が笑うのを見たのは初めてだ。意外と幼く見える。……あれ? この二人、実は私とそれほど歳が違わなかったりする?
「いいよ。どうせ、何度も死んだと思ってた身だ」
「いいわ。不確定要素に命を賭けるなら、賭けたいと思える方に賭けたいですもの」
「どのみち、俺たちは簡単には死なない身体になってるしな」
「魔性としての特性ですか? 死なない?」
「無限復活だ。心臓が止まっても、そのうちまた動き出す。それで、今までなんとか凌いできたんだ」
「壮絶ですね」
私には、そう言うことしかできない。
エウィリナが微笑んだ。
「そんな顔しないで。……これから、よろしくね?」
「はい」
殿下に、「君は、考えていることが全部顔に出る」と言われたなあ……と思いながら、私は両手を差し出した。自然に進み出て、エウィリナが右手、リオルが左手を取る。
淡い輝き。だんだん熱くなってきて、色濃い光となる。うっすら水色がかった白だ。契約の紋章が描かれ、カチリと何かが嵌った音がした。
ふわっと、魔力の風が流れ込んでくる。
「わっ……綺麗ですね」
思わず、声が洩れた。
二人の魔力は、完全に一体化していて同じだ。薄い紗のベールのような、さざめくような澄んだ光。朝日のような漂白された白。
(ん?)
「……闇属性の魔性になったんじゃ?」
不審に思って見上げると、双子は再び顔を見合わせて苦笑し、
「だから、力が安定しなくて困ってるんだよ。光属性が強すぎて、使えるのもほぼ光魔法ばっかりなのに、肉体と乖離しすぎてるっていう……」
リオルが答えてくれる。
「なるほど……それは大変ですね」
(苦労してばっかりだなあ、この人たち)
何かできるだろうか。そんなことを考えている余裕なんかないのに、思わずそう思ったとき、ふと、思いついた。
「あれ、でも、召喚士と召喚獣は属性を共有するから……その場合、光と闇でも反撥しないで共存できるって、殿下が……」
「え?」
双子が目を丸くした。
しばらく沈黙した後、まじまじと私を見て、
「本当だ……へえ、これ、すごいな? 召喚の契約って、こんな役得があったのか。師匠が何て言うか……いや、師匠だし、やっぱり俺たちを見たら殺しにかかってくるかな?」
「リオ、私たち、今は師匠と同じ召喚獣なのよ? 同じ召喚士のもとで働くのよ? 殺しに来るはずないわ」
「え? それって……すごいな?」
「リオったら、さっきからそればっかり」
「エウィだって、さっきから手の震えが止まってないじゃないか」
仲良く混乱しているみたいだ。
私は張り詰めていた気が緩んで、ちょっとだけ笑ってしまった。
二人の顔を交互に見て、言う。
「じゃあ、殿下を助けに行きましょう」
光の神アークウェルの核。それの、一部とされるもの。どうしてそんなものが地上にあって、人間の間で伝えられることになったのか、私にはさっぱり事情が分からないけれど、それは置いといて。
見た目は、永遠に自ら発光し続ける小さな石らしい。だが、その石は、今は秘蹟安置所には存在しない。
光の教会の司祭たちが、それをリオルに埋め込んだからだ。
魔獣、魔物、精霊。これまでも、様々なものを人の器に下ろす、封印する試みは行われてきたと、イシルディア殿下は言っていた。殿下の言うとおり、そんなものは普通は成功するはずがないのだが。
リオルは、双子の妹エウィリナと、魔力を共有していた。二人分の魔力が見込める。しかも、滅多にないほど高濃度の光の魔力だ。素性も怪しく、スラム街のようなところで生まれ育った子供たちは、守ってくれる大人もなく、幼いゆえに簡単に言うことを聞かせられる。彼らを連れてきた司祭たちは、この計画に夢中になった。
「あいつらは腐っている以上に、狂信者だ。光の神が降臨すれば、自分たちには無限の恩恵が与えられると信じてる」
薄暗く、妙にがらんとした広間の真ん中に立ち、リオルが憎々しげに顔を歪めて言う。
彼の腕に取り付いて、エウィリナが支えているが、私がせっせと回復魔法を掛けたせいか、大分顔色は良くなっていた。立っていても倒れる心配はなさそうだ。
「実際、どうなのかい? 恩恵なんてものはあるのか? 今のままだと、アークウェルは、人間を滅ぼそうとしてるとしか思えないんだけどね」
玉座の傍らに立つ王太子殿下が、首を傾げた。
砂漠に現れた巨大な神の貌は、少し離れた見張りの砦からも見えたという。出現した場所が、王都から遠く離れていて、人の棲まない砂漠であったことは幸いというか、リオルとエウィリナが人らしい情を持っていることの証だ。幼い頃から利用され続け、何度も絶望を味わってきたというのに、彼らは多くの人を巻き込むことを避けたのだ。
もっとも、そのまま放置しておけば、すぐさま国全体を覆い尽くし、やがては大陸一つを消滅させるだろうという。リオルとエウィリナだけでなく、宮廷魔術師たちの見立てだ。
リオルは半眼になっているが、
「神は人に恩恵なんて与えない。ただ、人が、神の創造物から都合のいい部分を掠め取ってるだけだ。あまりに強烈な力そのものだから、呼び出せば国一つぐらいは簡単に消え去るけど、それが神の意志というわけでもない。神は人に関心なんか抱かない」
淡々と説明している。
もちろん、彼は、心底光の教会を憎んでいる。核を埋め込まれ、魔力を吸い上げられ、肉体的にずたずたにされていても、誰かに助けを求めることさえできなかった。制約魔法を掛けられていたという。
「あれは光の魔力を吸って育つから、闇の魔物になれば、食い止められるんじゃないかと思ったこともあった。でも、結局、駄目だった。後は、対抗できるとしたら、師匠ぐらいしか……師匠が例の魔獣と一体化すれば、アークウェルと戦って、勝てるんじゃないかと。だから封印を解こうとしたんだが、師匠は魔獣化しなかったし」
(むしろ、結果としては、殿下はより強くなったんだけどなあ)
私は心の中で呟いたが、黙っていた。今は、大事なのはそのことじゃない。
「イシルディア殿下は、何とかすると言ってました」
居並ぶ人々を見渡しながら、私は言った。
玉座には、国王陛下。隣に王妃様。王太子殿下。魔封じ一族から三名。宮廷魔術師が一人。後は、リオルとエウィリナ、それに私だけだ。
事態が事態なので、私の発言を遮ろうとする者はいない。身分を弁えろ! とか言われることもない。私が口を開くと、周囲はしんと静まり、真剣な視線が集中する。
「何とかする、とは?」
魔封じ一族のうち、一番偉そうな人が問いかけてくる。恐らく、公爵様だ。名前は覚えていないけれど。
「最終的には、魔獣を完全に解放して、自分は消滅するって意味だと思います」
「なんと……?」
「しかし、それでアークウェルを退けたとして、魔獣はどうなる? 王弟殿下の意識が残らず、古代の伝承のとおり、この国を覆い尽くすことになったりは……」
広間にざわめきが満ちる。
「そのときは、魔封じ一族の方が再封印するのでは?」
問い掛けてみたが、渋い顔で首を振られた。
「そんな力は、今やこの国の誰も持っていない。我々の命を賭けてもいいが、再封印は成らないだろう」
(よかった)
分かっていたことだが、再確認してほっとした。殿下を犠牲にして、再封印しようなどという流れにはなりそうもない。
本当は、再封印はできると思う。勿論、やったことはないけれど、妙に強い確信があるのだ。私は魔獣の真名を知っているし、イシルディア殿下は魔獣の一部と化しても、きっと、私が封印できるよう仕向けてくれるだろう。最悪な想像だけれど、イシルディア殿下も、それを見越して私を弾き飛ばしたのだろうと思う。魔獣の力を使いつつ戦い、力尽きたら魔獣に食われ、アークウェルを退ける。その後は、私が魔獣を封印すればいい。そういう筋書きだろう。
でも。
(そうはいかないですからね、殿下)
「ならば、なんとかしてイシルディア殿下に合流し、殿下を援護するしかありません」
私は言う。
そして、玉座に在る国王陛下を見上げる。
王様、あなたは何ができるんですか? ただ、弟の危機だというだけじゃない、国の危機に、あなたはどうするんですか?
そんな思いを込めて見つめると、陛下は肉付きのいい頬を軽く揺らした。
「……さすがはあのイシルディアの主だねえ。全く容赦というものが感じられない」
くつくつと笑う。どこもかしこも柔らかい曲線で出来ているような人で、イシルディア殿下とは似ても似つかないと思っていたけれど、穏やかな笑みを浮かべると、ぎょっとするくらい表情が似ていた。
「第一騎士団に出撃命令を出してある。今晩中には王都を出立するだろう。かつてイシルディアの率いていた兵だ、あれの援護には慣れている。その他の兵と魔術師たちは、準備ができ次第合流する。それと、光の教会の司祭たちだが」
「光の教会?」
「神の守護があるというのなら、是非とも見せてもらいたいからねえ。鎖をつけて一箇所に集めてある。機会があれば、盾になってもらうか、撹乱要員としてアークウェルの前に置かせてもらおう。彼らもさぞ喜ぶことだろう」
「へえ」
リオルが、少し愉快そうに唇の端を吊り上げる。ちらりと白い歯が見えた。こんな状況だし、すっかりやさぐれたような表情と悪役のような笑い方だが、それでもやはり、人形のように整った美しい顔だ。
「楽しみになってきたわ」
やはり美しい顔で、しかし感情が欠け落ちたような声で、エウィリナが呟く。
その無表情に、長年の受苦の重みと、摩耗しきった憎しみが透けて見える。
その顔を見て、にわかに、ふつふつとした怒りが湧いてきた。彼らにこんな顔をさせているのは、光の教会の司祭たちだ。イシルディア殿下だって、この二人に手を下したくなくて、それでも戦わざるを得なくて、苦痛を感じていた。それなのに、自分の痛みなど意味がないと、表に出していなかった。知っている。殿下が言わなくても、私は見ていたのだ。
そもそもの元凶が、すべて司祭たちの傲慢さと欲だ。許せない。なるべく酷い目に遭ってほしい。
「……」
気付くと、無言で、拳を握り締めていた。エウィリナが妙な顔をして、まじまじと私を見下ろしている。その視線で、はっと我に返った。
(今は、そういうことを考えてる場合じゃなかった)
狂信者たちの処遇は、国王陛下がきちんと定めて下さるだろう。とにかく、後回しだ。
「一つ、お願いがあるのですが」
私は申し出た。
「何かな?」
「転移魔法が使える人を呼んで下さい。私を、殿下の近くに飛ばしてもらいたいので」
「君が? ……分かった、準備ができ次第、呼ぶようにしよう。他には?」
さすがに、決断が早い。余計なことも聞こうとしない。やっぱり、イシルディア殿下を思い出す──いや、今は本当に、すぐにイシルディア殿下のことばかり思い出すのは止めなくてはならない。彼の不在をいっそう強く思い出してしまって、気持ちが潰えそうになるから。
「じゃあ……召喚石と魔石を、ありったけ貰えると有難いです」
「分かった。貯蔵庫まで、王宮召喚士に案内させよう」
「有難うございます」
それからしばらく、魔術師たちの進言やら、今後の防衛計画などを聞いていたが、ここでの役割は終えたと判断して、私はその場から去ることにした。
姉たちから貰った召喚士の鞄に、詰められるだけの召喚石と魔石を詰め込み、足早に王宮の裏へ向かう。転移魔法陣の準備ができたという知らせが来たのだ。
「ちょっと、待って貰えるかしら」
背後から、声が追いかけてきた。
振り向くと、濃い影に覆われた長身が二人、その場に佇んでいた。紫、オレンジ、淡い緋色の夕日が色合いを滲ませながら、彼らの輪郭を片側だけ浮かび上がらせている。
なるべく急いだのに、もう夕方になってしまった。このまま、夜を越してしまうかもしれない。たった一人で戦っている人を置き去りにしたまま。
「何ですか?」
なるべく丁寧に接したかった。彼らは、イシルディア殿下の教え子だから。でも、何と言ったらいいか分からなくて、どことなく素っ気ない口調になってしまったみたいだ。
いつもはリオルが先に立っているような印象があったが、今、前に立って私を見下ろしているのはエウィリナだった。リオルはその背後で庇われているような格好で、曖昧な顔をしてこちらを覗いている。
「師匠を助けに行くんでしょう? だったら、提案があるの。私たちと、契約を交わさない?」
「……召喚の契約ですか?」
予想外だ。話についていけなくて、私は瞬きした。
「ええ。私たちは魔物ですもの。私もリオルも弱っていて、大して魔力はないわ。でも、少しなら援護できる。それに、召喚獣になれば、どこにいても召喚陣で繋がれるでしょう。便利だと思うわ」
「それは、そうですね」
いい話かもしれない。私の力量では扱いきれず、二人の魔力では少ないかもしれないが、今は何であれ、どんな助けでも欲しかった。
「でも、言っておかなくちゃいけないことがあります。私は、弱いです」
二人に向かって、はっきりと宣言する。しなくてはいけないのだ。騙したくはないから。
「イシルディア殿下は、強いから、自分ができないこと、限界があることを見定めていますけど。私は弱いし、安定しないので、自分の限界がどこなのか、全く分かっていないんです。魔法だけは、殿下がかなり鍛えてくれましたけど」
「……無茶をする可能性がある、ということかしら?」
「はい。成功するか失敗するか分からないことを、自分でも怖くて不安でたまらないのに、必要だと思えばやります」
どれも、薄氷を踏むようなことだ。奇跡的に、失敗したことがない。それが自分の実力なのか、と言われれば、違うと思うが、今のところ、自分の実力の限界がどこにあるのかさえ分からない。やってみなくては分からない。恐ろしくあやふやだ。
でも、そのせいで、イシルディア殿下と出会えたのだ。
「今から、殿下を援護しに行きます。できることは何でもやるつもりです。そのとき、何ができるのか、自分でも分かりません。どこまで失敗するのかさえ分からないんです」
それでもいいですか? と、声に出さずに問いかける。
リオルとエウィリナは顔を見合わせ、それから、ふふっと破顔した。
二人が笑うのを見たのは初めてだ。意外と幼く見える。……あれ? この二人、実は私とそれほど歳が違わなかったりする?
「いいよ。どうせ、何度も死んだと思ってた身だ」
「いいわ。不確定要素に命を賭けるなら、賭けたいと思える方に賭けたいですもの」
「どのみち、俺たちは簡単には死なない身体になってるしな」
「魔性としての特性ですか? 死なない?」
「無限復活だ。心臓が止まっても、そのうちまた動き出す。それで、今までなんとか凌いできたんだ」
「壮絶ですね」
私には、そう言うことしかできない。
エウィリナが微笑んだ。
「そんな顔しないで。……これから、よろしくね?」
「はい」
殿下に、「君は、考えていることが全部顔に出る」と言われたなあ……と思いながら、私は両手を差し出した。自然に進み出て、エウィリナが右手、リオルが左手を取る。
淡い輝き。だんだん熱くなってきて、色濃い光となる。うっすら水色がかった白だ。契約の紋章が描かれ、カチリと何かが嵌った音がした。
ふわっと、魔力の風が流れ込んでくる。
「わっ……綺麗ですね」
思わず、声が洩れた。
二人の魔力は、完全に一体化していて同じだ。薄い紗のベールのような、さざめくような澄んだ光。朝日のような漂白された白。
(ん?)
「……闇属性の魔性になったんじゃ?」
不審に思って見上げると、双子は再び顔を見合わせて苦笑し、
「だから、力が安定しなくて困ってるんだよ。光属性が強すぎて、使えるのもほぼ光魔法ばっかりなのに、肉体と乖離しすぎてるっていう……」
リオルが答えてくれる。
「なるほど……それは大変ですね」
(苦労してばっかりだなあ、この人たち)
何かできるだろうか。そんなことを考えている余裕なんかないのに、思わずそう思ったとき、ふと、思いついた。
「あれ、でも、召喚士と召喚獣は属性を共有するから……その場合、光と闇でも反撥しないで共存できるって、殿下が……」
「え?」
双子が目を丸くした。
しばらく沈黙した後、まじまじと私を見て、
「本当だ……へえ、これ、すごいな? 召喚の契約って、こんな役得があったのか。師匠が何て言うか……いや、師匠だし、やっぱり俺たちを見たら殺しにかかってくるかな?」
「リオ、私たち、今は師匠と同じ召喚獣なのよ? 同じ召喚士のもとで働くのよ? 殺しに来るはずないわ」
「え? それって……すごいな?」
「リオったら、さっきからそればっかり」
「エウィだって、さっきから手の震えが止まってないじゃないか」
仲良く混乱しているみたいだ。
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二人の顔を交互に見て、言う。
「じゃあ、殿下を助けに行きましょう」
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