【完結】ずっと一緒だった宰相閣下に、純潔より大事なものを持っていかれそうです

雪野原よる

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1.女王陛下の憂鬱な日

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「即位十周年、おめでとうございます!」
「女王陛下、万歳!」
「陛下に誉れあれ!」
「万歳!」

 露台から身を乗り出した私を、眩い陽光と花の香りが包み込む。
 明るい昼の日差し。賑やかな歓声。

 城の前庭を埋め尽くす民衆に向かって、私は(笑顔は無料だものね)と思いながら笑みを振り撒き、レースの手袋に包まれた手を振ってみせた。

「陛下、万歳!」

 可愛らしい声が上がり、薔薇の花びらが降ってくる。ところどころ開かれた城の窓から、花籠を手にした少女たちが、地上に向けてせっせと花を撒いているのだ。
 お城に仕える小間使いの少女たちだけれど、今日はめいめい空色のドレスを着て、おめかししている。歳の頃は……私と同じくらい。

(十年前、あんなことにならなければ、今頃私もああして花を撒いていたかもしれないのね)

 頭の片隅でそんなことを考えながら、私は身体を引き、くるりと向きを変えて、部屋の中へ戻っていった。カツカツと響き渡る靴音が、石床から分厚い絨毯に変わるにつれて無音に沈む。

 御用伺いの女官を片手を振って下がらせ、私は自室の肘掛け椅子に腰を下ろした。十年前、小さな私が座ると、足が床に着かなかった椅子。肘置きは遠すぎて、私の腕との間に隙間ができた。今はもちろん、足は床に着くし、肘置きに腕を預けることもできる。

「ふう……」
「お疲れですね、陛下」

 背後から、声が響いた。

 私にだけ聞こえるよう、低められた声量。

 他の召し使いと臣下全てを下がらせたとしても、この男だけは意に介さず、いつでも私の傍らに控えている。下がって、と命じたこともない。執務室、寝室、玉座の間、謁見室。さすがに浴室までついてきたことはないけれど、その必要があれば、顔色も変えずに入ってくるような気がする。

「そうね、疲れたわ、ダールベルク公」

 敢えて名前は呼ばず、爵位で呼ぶ。

「貴方も疲れたでしょう。こんな小娘に、十年間も仕えていて」
「……珍しい。陛下が感情を露わにされるとは。何か苛立つようなことがお有りで?」
「失恋したのよ」
「失恋?」

 何をとぼけているのだろう。
 私は振り返って、真っ向からユリウス──ダールベルク公の名前だ──を睨み付けた。

「五回目ね。貴方に振られたのは」
「ご冗談を」
「貴方の鉄面皮、昔から頼りにしているけれど、今はめちゃくちゃ引っ掻いてやりたい気分だわ」

 十年前。

 突然、重たい王冠を頭に被せられて、六歳の私は呆然として玉座に座っていた。大人たちがひそひそと囁き合い、探る眼差しを投げ掛けてくる、凍り付くように空気が冷えたその場で、真っ先に跪いて私に忠誠を誓ってくれたのは、当時二十五歳だったユリウスだった。

 その時、私は恋に落ちたのだ。

 誰からも望まれず、期待されない女王であった私が、たった一人の味方に縋りついてしまった、と思われそうだが、昔の私は、とにかくぼーっとした子供だった。状況も把握できず、膝を付いて私を見上げたユリウスの、温度のない藍色の眼差しが綺麗だと思って、それで惚れてしまったのだ。

 六歳と二十五歳。もちろん、どうにもならない。

 でも、今なら、十六歳と三十五歳だ。ユリウスは結婚もしていない(私に付き添いすぎたせい?)。いけるんじゃないかと、期待してもおかしくないと思う。

「記憶にございませんな」
「前もそう言ったわね、書面にしろって。だから、ちゃんと書面にして渡したわよ? 三日後に、そのまま私の机に返送されてきたけれど」
「喫緊の問題ではないと、自動的に判断してお返ししたようですね」
「他人事すぎる……最悪な断り文句だわ」

 私は、全身からほうっと息を吐き出すように溜息をついた。

 私の視線の先に、ユリウスがいる。十年前、彼は若くして宰相職を継いだばかりで、私と同じように、推し量るような、探るような周囲の目を向けられていた。でも、彼は全く揺らがず、細身をかっちりとした礼衣に包んで、溶けない氷のような無表情で立っていた。

 それから十年して、彼は以前より身体の厚みを増した。少年じみた雰囲気は消えて無くなり、衣服には様々な階位を表す飾紐が連ねられた。さらりとした銀髪は昔と同じ、一つに束ねて後ろに流され、全く変わらない藍色の目が、瞬きもせず私を見下ろしている。これがユリウスでなければ、嫌われているのか、でなければ私を暗殺する計画でも思案しているんじゃないのかと思うぐらい、情の混じらない、揺らがない瞳だ。正直に言ってしまえば、私は、ユリウスが笑うのを見たことがない。

(ずっと近くにいて、ずっと力になってくれていたとはいえ、人として好きだとは限らないものね)

 逆に、ユリウスは誰といても笑ったことがないので、どんな相手なら好きなのかもさっぱり分からないのだが。

 私はユリウスが好きだから、ここまで近くで支えられて、上手くやってこられたのだと思うけれど、ユリウスにはそういう感情はないのかもしれない。いや、さすがに五回も断られれば私にだって分かる。この恋は、望みがないのだ。

「……潮時なのかもしれないわね」

 重たい気持ちが零れそうなのを抑えて、私はぽつりと言った。

「貴方には、数え切れないぐらい助けられてきたわ。貴方がいなければ、十年もやってこられなかった。そんな貴方に、私の一方的な気持ちを押し付けるわけにもいかないものね」
「……」
「本当に感謝しているのよ、これでも」

(ああ、駄目だわ、泣いたりしては)

 お飾りのような女王、と言われながらも、それなりに必死に頑張ってきたのだ。私は女王だ。一人では立てなくて、周りに支えられて何とか立っていられるような女王だけれど、それなりに矜持もある。

 そうやって、私が自分を必死に鼓舞しているというのに、ユリウスはごく平静な、何一つ気にかかっているものはない、とでもいうような声で、

「それはそれは。お言葉は有難く承ります。ですが、十年もお仕えした褒美というのならば、もう少し別の形で賜りたく」
「褒美? 珍しいわね、貴方が褒美だなんて」

 珍しいどころか、初めてではないだろうか。ユリウスが、何かを欲しがるなんて。

(まあ、何でもいいわ)

 私は投げやりに頷いた。

「私が授けられる褒美なら、何でも上げるわ」
「そのお言葉、女王の言にして絶対、と誓って頂いても?」
「いいわ。女王として絶対に果たすと誓います」

 ここまで前置きしておいて、何を求めるつもりだろうか。
 さすがに興味が湧いて、私はユリウスの顔をじっと見詰めた。
 憎たらしいことに何一つ見通せない、変わらない鉄面皮のまま、ユリウスは頷いた。

「では、陛下。私の上に座って頂けますかな」
「……は?」
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