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2.宰相が椅子になった日
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「……座る? どういうことかしら」
さすがに、意味が分からない。私は眉をひそめて、彼をまじまじと見詰めた。
十年私に仕えた宰相閣下は、いかにも不出来な生徒に対するように軽く肩をすくめ、
「実際に、実行に移して頂いたほうが分かりやすいですかな。陛下、恐れながら、お立ち下さい」
「……ええ」
私はゆっくりと、肘掛け椅子から身を起こした。
ユリウスが歩み寄って来る。「ご無礼をお許しを」一ミリも詫びていないような声で言いながら、私をさらに脇に避けさせ、彼が私の椅子に腰を下ろした。
「……ユリウス?」
何が起きているのか分からない。なぜ、彼が促すような目線で、私をじっと見上げているのかも。
「私の上に座って頂きたい、と申し上げましたが」
「……はい?」
「女王の誓約も頂いております」
「……?!」
「ですから、上に座って頂きたく」
「……」
駄目だ。
何度考えても駄目だ。
いみがわからない
「……ちょっと待ってちょうだい」
「待って、状況が改善されるとでもお思いですか」
「改善されないわね!! それだけは確かだわ!!」
座るしかないらしい。彼の上に……彼の上に?! 考えては駄目だ、心を無にして座るしかない。混乱の極みにある頭が、幸いなことに真っ白になってくれたので、私は人形のような無表情でくるりと向きを変え、すとんと彼の腿の上に腰を下ろした。硬い。いつもの椅子より座高が高くて、筋肉の温もりが……いや、感じ取るのもいけない。
(私は無……私は無……)
まるでお祈りの文言のように唱え続けていたので、しばらく、その場に同じように無になっている人がいることに気付かなかった。
「……あら?」
どのくらい時間が経ったのだろうか。一時間ぐらい経った気がしたが、二十分ぐらいだったのかもしれない。
部屋はしんと静まり返っていて、私の椅子になっている宰相の呼吸すら聞こえない。というか、伝わってくる体温以外、生命反応らしきものが感じられない。
「……ユリウス?」
首を捻じ曲げて振り返ると、ごく至近距離にユリウスの顔が見えて、私は改めてびくっとした。動揺を押し込めて、感情の一切表れていない彼の顔を見る。冷静というレベルではない。人として生きている気配が感じられない顔だ。
「ちょ、ちょっと、ユリウス、大丈夫なの?」
「……私は女王陛下の椅子ですので。呼吸はいたしません」
「して! 呼吸して! 死ぬから!」
「……ご命令とあらば」
こんな命令を下さなければならない王が、歴史上存在しただろうか。私の他に、腹心の臣下を椅子として使わされた王はいるのか……考えるのはやめよう。
「……ユリウス。一体何がしたくて、貴方、こんなことになってるの?」
「何、と問われましても。これが私の生涯の願望でしたので」
「私の椅子になるのが?」
「仰るとおりです」
「そう……そうだったの……」
他にどう答えればいいというのか。そもそも、訊いた私が間違っていたのか。
「どうぞ、椅子にはお構いなく。常の通りにお過ごし下さい」
「椅子がこれっていうだけで、通常からは最大にかけ離れているけどね! それに貴方……いつまでこの状態でいるつもり?」
「生涯」
「生涯」
やめてわたしの精神がしんでしまう。
「一生、この部屋で座ってるわけにはいかないでしょう、貴方だって」
「陛下が椅子に座っておられない間に業務を遂行いたします。その他の椅子、例えば執務机の椅子などに於いては、私が椅子としての優先権を主張いたします」
椅子として(座ってもらう)優先権。宰相の言っていることを一応理解できてしまう自分の頭が恐ろしい。
「そう……」
これ以上、何か聞き出そうとするのは駄目だ。
私の心が削られるだけだ。
そう思っているのに、怖いもの見たさというか、猛獣が潜んでいる藪を叩きたくなる謎の衝動がこみ上げて、私は乾いた口調で訊ねていた。
「これが生涯の願望って、いつから? いつから私の椅子になりたいと思っていたの?」
「陛下が即位された日、初めてお目にかかった時からですな」
なるほど幼女趣味。と言ってしまっていいのだろうか。
そもそも、この行為に何の意味があるのか、という時点で、私にはユリウスの考えていることが分からないのだ。
「……そうだったのね……」
私は死んだ目をしていた自覚がある。
そしてその日、私と宰相が共に執務をこなすようになってから初めて、前代未聞と言っていいぐらいに仕事が滞って山を成し、私のもとに苦情が殺到した。
さすがに、意味が分からない。私は眉をひそめて、彼をまじまじと見詰めた。
十年私に仕えた宰相閣下は、いかにも不出来な生徒に対するように軽く肩をすくめ、
「実際に、実行に移して頂いたほうが分かりやすいですかな。陛下、恐れながら、お立ち下さい」
「……ええ」
私はゆっくりと、肘掛け椅子から身を起こした。
ユリウスが歩み寄って来る。「ご無礼をお許しを」一ミリも詫びていないような声で言いながら、私をさらに脇に避けさせ、彼が私の椅子に腰を下ろした。
「……ユリウス?」
何が起きているのか分からない。なぜ、彼が促すような目線で、私をじっと見上げているのかも。
「私の上に座って頂きたい、と申し上げましたが」
「……はい?」
「女王の誓約も頂いております」
「……?!」
「ですから、上に座って頂きたく」
「……」
駄目だ。
何度考えても駄目だ。
いみがわからない
「……ちょっと待ってちょうだい」
「待って、状況が改善されるとでもお思いですか」
「改善されないわね!! それだけは確かだわ!!」
座るしかないらしい。彼の上に……彼の上に?! 考えては駄目だ、心を無にして座るしかない。混乱の極みにある頭が、幸いなことに真っ白になってくれたので、私は人形のような無表情でくるりと向きを変え、すとんと彼の腿の上に腰を下ろした。硬い。いつもの椅子より座高が高くて、筋肉の温もりが……いや、感じ取るのもいけない。
(私は無……私は無……)
まるでお祈りの文言のように唱え続けていたので、しばらく、その場に同じように無になっている人がいることに気付かなかった。
「……あら?」
どのくらい時間が経ったのだろうか。一時間ぐらい経った気がしたが、二十分ぐらいだったのかもしれない。
部屋はしんと静まり返っていて、私の椅子になっている宰相の呼吸すら聞こえない。というか、伝わってくる体温以外、生命反応らしきものが感じられない。
「……ユリウス?」
首を捻じ曲げて振り返ると、ごく至近距離にユリウスの顔が見えて、私は改めてびくっとした。動揺を押し込めて、感情の一切表れていない彼の顔を見る。冷静というレベルではない。人として生きている気配が感じられない顔だ。
「ちょ、ちょっと、ユリウス、大丈夫なの?」
「……私は女王陛下の椅子ですので。呼吸はいたしません」
「して! 呼吸して! 死ぬから!」
「……ご命令とあらば」
こんな命令を下さなければならない王が、歴史上存在しただろうか。私の他に、腹心の臣下を椅子として使わされた王はいるのか……考えるのはやめよう。
「……ユリウス。一体何がしたくて、貴方、こんなことになってるの?」
「何、と問われましても。これが私の生涯の願望でしたので」
「私の椅子になるのが?」
「仰るとおりです」
「そう……そうだったの……」
他にどう答えればいいというのか。そもそも、訊いた私が間違っていたのか。
「どうぞ、椅子にはお構いなく。常の通りにお過ごし下さい」
「椅子がこれっていうだけで、通常からは最大にかけ離れているけどね! それに貴方……いつまでこの状態でいるつもり?」
「生涯」
「生涯」
やめてわたしの精神がしんでしまう。
「一生、この部屋で座ってるわけにはいかないでしょう、貴方だって」
「陛下が椅子に座っておられない間に業務を遂行いたします。その他の椅子、例えば執務机の椅子などに於いては、私が椅子としての優先権を主張いたします」
椅子として(座ってもらう)優先権。宰相の言っていることを一応理解できてしまう自分の頭が恐ろしい。
「そう……」
これ以上、何か聞き出そうとするのは駄目だ。
私の心が削られるだけだ。
そう思っているのに、怖いもの見たさというか、猛獣が潜んでいる藪を叩きたくなる謎の衝動がこみ上げて、私は乾いた口調で訊ねていた。
「これが生涯の願望って、いつから? いつから私の椅子になりたいと思っていたの?」
「陛下が即位された日、初めてお目にかかった時からですな」
なるほど幼女趣味。と言ってしまっていいのだろうか。
そもそも、この行為に何の意味があるのか、という時点で、私にはユリウスの考えていることが分からないのだ。
「……そうだったのね……」
私は死んだ目をしていた自覚がある。
そしてその日、私と宰相が共に執務をこなすようになってから初めて、前代未聞と言っていいぐらいに仕事が滞って山を成し、私のもとに苦情が殺到した。
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