【完結】ずっと一緒だった宰相閣下に、純潔より大事なものを持っていかれそうです

雪野原よる

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3.喋っても喋らなくてもこの椅子は大変

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「……陛下の椅子としては、この状況は非常に不本意です」
「貴方の職業は椅子ではなく、宰相だったはずなんだけどね? どうしてそんなに椅子としてのプロ根性が染み付き過ぎてるのか、本当に分からなくて怖いわ。貴方、つい最近まで人間じゃなかった?」
「世過ぎの職として宰相を務めてはおりますが、天職はこれと思い定めておりますので」
「あ、うん、そうね、なるほど」

 ユリウスの発言を適当に流しながら、私は机に山成す書類を手早く仕分けていった。

「はい、これは貴方の案件ね。認可がいるものだけ返して頂戴」
「ではこちらを」
「はい、承認したわ」

 さらさらとサインを施し、玉印を押し、分からない部分があれば説明を求める。返事はすぐ後ろ、頭の上辺りから降ってくる。必要な書類は横から差し出される。深く考えてはいけない。無心になってみれば、これはこの上なく効率のいい執務環境なのだ。

 宰相は不本意そうだが、私の絶望に勝るはずがない。宰相が私の椅子になってしまったために、以来、王城が麻痺しそうなほどに仕事が滞ってしまったのである。
 仕事はしなければならない。宰相は椅子に固執している。結果として、宰相が執務机の椅子に座り、私がその上に座って、その日の業務を果たす形に落ち着いた。というか、それ以外の選択肢がなかったのだ。

「陛下、失礼いたします……う、うぎゃあああぁぁあ?!!」

 入室した部下が、悲鳴を上げてもんどり打って倒れるのはもう見飽きた。

 最初の頃こそ、私の精神もがりがりと削り取られて、灰になるのも時間の問題と思われたけれど。人間、どうにもならないと分かれば生きていけるものだ。私の対外的な体面は死んでしまったけれど。

「深呼吸、深呼吸よ、書記官。それで少しは正気が保てるわ。頑張って書類を渡して頂戴」
「……はっ! へ、陛下、何という覚悟に満ちたお顔を……!」

 部下が涙ながらに呟いたり、何かに目覚めた顔をして出て行くのもまた、見飽きた。この分では、城内どころか、諸外国にまで旬の話題を提供していてもおかしくはない。

(もう嫁には行けないわね……)

 私は嫁がず、婿を取る立場なのだが、それはもはやどうでもいい。
 こんな椅子を所持している時点で、婿入りしてくる勇者がいるわけがない。
 宰相に対する私の恋は……うん、もはや黒歴史と化している。忘れられるかはともかく。

「陛下、ご機嫌うるわしゅう! いえ、麗しくはないみたいですねえ」

 婿は来なくても、見物にやってくる奴ならいた。

 大股で執務室に乗り込んできた、そこそこに付き合いの長い顔を見上げて、私は渋面を形作った。

「何の用件かしら、レルゲイト将軍? わざわざ見物にやってくる程に暇を持て余しているのかしら?」
「いやあ、これは時間を作ってでも見に来る価値があるかと思いまして」

 日に灼けた顔に、大口を開けた開けっぴろげな笑顔。笑い皺の寄った顔は、私が初めて会ったときから少し老けた気がするが、変わらず陽気で人懐こい。
 ユリウスより少し年上で、彼の次に私に忠誠を誓ってくれた人物だ。というか、軍に大きな影響力を持つ彼を口説き落として私の陣営に加えたのはユリウスだった。だから、この二人はそれなりに交流があるはず、なのだが。

「随分と座りにくそうな椅子ですねえ」

 顎に手を当てて観察しながら、レルゲイト将軍が含みのある声で言う。

 私はちらりと背後を見て、黙りこくったユリウスを眺めてから、抑揚のない口調で答えた。

「……これはこれで、仕事は割と捗るのよ」
「でも、面白みがない変態が椅子では、陛下も心が休まらないでしょう」
「……っ」

 いけない。余りに的確すぎた。
 痛いところを突かれて、私は沈黙した。
 代わりに口を開いたのは、私の椅子……ではなく、ユリウスだ。

「レルゲイト。陛下のご判断に口を差し挟むな。終生椅子としての栄誉を与えられたのは私だ」

 そんなものを与えた記憶はない。

「だが、椅子が一脚しかないのは不便だろう? 何なら、俺も陛下の椅子に加えて頂いて……」
「私と陛下の間に割って入るなら、容赦はしない」
「お選びになるのは陛下だろう?」

 まるで二人の臣下の間で取り合われているようなやり取りだが、私の目は死んだままだ。

「……遊ぶのはやめて頂戴、将軍。ユリウス、仕事するわよ」
「はっ」

 私の叱咤を合図に、再び執務に取り掛かる。レルゲイト将軍はしばらくその場に立って、様子を眺めていたが、だんだんその目が憐憫の色を帯びてきたのが感じられた。

「……陛下がお気の毒過ぎる」
「ようやく分かってくれたのね、嬉しいわ」

 乾いた声で返して、ユリウスに新たな書類を手渡す。

「同情するなら、心の広い夫になりそうな人を探して来てくれると有難いわ。私はこの状態だけれど、それでもいいって言ってくれる人がいれば」
「……陛下の座っているその男はどうなんです?」
「この人は椅子であって、夫ではないらしいわ」
「しかし実態として、陛下に夫ができた場合、夫を椅子にしなければ浮気と見做されるのでは?」
「……あら、そうなのかしら?」

 もう訳が分からない。椅子が絡むと夫婦問題がややこしくなる、ということだけは察せられる。

「陛下の椅子は私一人で十分です。ぽっと出の夫などに譲る気はございません」
「ぽっと出どころか、湧いて出そうな予兆もないけれどね! 貴方のせいで」
「仕方がない……陛下が夫を椅子になさる、というのであれば、陛下の夫候補を全て潰した上で、私が夫として務めさせて頂きます」
「私の夫候補は(精神的に)全員潰れた後だと思うわ! それはそうと、この流れでその結論は最悪すぎるでしょう。一生恨んでもいい?」
「一生、他に椅子を持たれないのであれば」

 私としても、他にどうしようもないことは分かっていたのだ。

 もはや、純潔よりも大事なものを人質に取られたような状態なのだ。人生とか、名誉とか、精神力とか。その他もろもろ。

 でも、納得はできても、心情としては別だ。その後、私がユリウスに対して、散々冷たくしてしまったのは仕方がないと思う。彼は本当にどうしようもない椅子、いや人? なのだから。
 私がどんなに冷たく当たっても、彼は女王としての私をきちんと支えてくれたし、根本のところでは私をいつも大切にしてくれた。だから、私もいつまでも怒っているわけにはいかなかったのだけれど。でも、しかしだ。

 執務室でも玉座でも、私を絶対に膝の上から離さない彼を、愛妻家の見本みたいに持て囃す風潮が広まってしまったことについて、私は本当に、心底、どうしたって納得がいかないでいる。
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