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番外
私が椅子になればいいのね?
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「ユリウス。念の為に訊くけれど」
本当に「念の為」だ。できれば訊きたくないと思っている。
でも、まっとう、というか平凡な思考の持ち主(私)にとって、狂人の思考は訊かないで察することが出来る何か、というわけではないので。嫌でも確認しなければならない。
私は喉の奥から、強張った声を捻り出した。
「私は、膝の上に卵を乗せただけなのだけれど。それは貴方にとって、『私が椅子になった』という認識になるのね?」
「自明の理でございましょう」
「どう考えても自ずと明らかにならないわよね、それって」
溜息をついて、私は膝に乗せた卵の上にそっと手を被せた。この世界は残酷だ。狂人が権力を握り過ぎている。
どうか負けずにすくすくと育って欲しい。まだ孵化してもいない、いとけない小さな命を大切に思う心が芽生え始めたところで、背後の椅子がまた訳の分からないことを口走り始めた。
不機嫌極まりない、暗雲を孕んだおどろおどろしい声だ。
「陛下。どうしても椅子に成られるというのであれば、椅子認定試験を受けて頂く必要がございます」
「椅子認定試験?」
「世界椅子協会による国家資格を得られる試験です」
「世界椅子協会……」
「現存する唯一の国家認定機関です」
「私が認定した記憶が無いわ」
「それはどうでも良いことかと」
「全然良くないわよ?!」
女王の認可が、「どうでも良いこと」呼ばわりとは。国家資格なのに、この国唯一の王権所持者が無視されるって何事?
「その椅子協会とやらは、叛逆して新たな国家でも拓くつもりなの?」
「滅相もございません。現在、椅子協会は、椅子に座った女王陛下の像を聖女像として各家庭に配布し布教する活動を押し進めております」
「思った以上にヤバい宗教団体だったわ」
できれば一生関わり合いになりたくない組織だ。たった今、その教祖の膝の上に乗せられているのだけれど。
私は甘すぎるお茶をさらに一口啜った。やっぱり砂糖は六個必要だったかもしれない。
「椅子は現在、健康寿命を伸ばす趣味として人気を博しておりまして、各地に民間講座が開設されております」
民間講座。健康寿命が伸びるどころか、硬直状態が長すぎて動脈硬化による死者が多発するのではないかしら。
他国との外交折衝の最中に、嫌味な外交官たちから「おたくの国は最近、椅子による死亡率が上がっているそうで……椅子で死亡……フヒヒッ」「近代国家とは思えない死亡理由ですな、フフフ」とか笑われたらどうしよう。
(ありうる。滅茶苦茶ありえるわ)
悪い考えしか浮かんでこない。私が陰鬱な表情で黙りこくっていると、それをどう解釈したものか、宰相が慰め(?)の言葉を掛けてきた。
「ご安心下さい。椅子協会認定の講師が派遣され、講座の質も常に一定に保たれております」
「安心も何も、その点については何一つ心配していなかったわ」
「受講者、資格認定者からは喜びの声が続々と寄せられております。『密着しているのに絶対に手出しできないという極限状態がたまらない。新たな扉を開いた』『どんな肉感的美女を乗せてもピクリとも反応しなくなったのですがどうしてくれる』『妄想力が鍛えられた』『自分の至上の好みの相手しか乗せようとしない宰相閣下利己的スギ許サヌ、殺レ』などなど」
「今、犯罪予告が入ってなかった?」
受講者の質と層が不穏すぎる。
「まあ、それはとにかく」
細かいところまで気にして追及するには、私はすでに狂人に慣れ親しみ過ぎていた。それ以上突っ込む意欲も元気もなく、すげなく話の流れを打ち切る。
「卵を孵すために、私が椅子になればいいのね? 試験を受けろというのならまあ、受けてもいいわ。でも、それで私が椅子の認定を受けたら、私が何を膝に乗せようが、この先絶対に文句は言わせないわよ」
「……」
ちらりと視線を投げると、宰相の深く顰められた眉がピクリと震えた。冷ややかに細められた目が私を見つめる。
「ですが、陛下」
「何?」
「女王陛下は椅子に非ず、永劫に座す者でありその原則は覆されることがない。世界椅子協会の会則その一に明記されております」
「は?」
世界椅子協会会則その一?
「つまり、陛下が試験を受けられても自動的に落ちる仕組みになっております」
「……さっき、私に椅子になる気なのかって念押しして訊いていなかった?」
「そんな未来はこの現世のどこにも存在しませんが念の為にと」
「私が椅子になる気なら、自分をむごたらしく踏めとか脅していたでしょう。ちょっと意味が分からないけれど」
「ありえない未来を実現なさる気なら、その程度のご褒美は必要かと」
「ご褒美……ご褒美ね……」
私は虚ろになった目を遠くに逸らした。
徒労感がすごい。元から話が通じるとは思っていないのだけれど、話を続ければ続けるほど、私の正気値がごりごりと削られていく。
(他国に亡命しようかしら。女王だけれど)
絶対に実現しないであろう現実逃避の夢を脳内に思い描いたところで、微動だにしない完璧椅子状態に入っていたはずの宰相が僅かに動いた。
厚みのある胸板が私の背中に近付いてきて、私の耳に、宥めるような囁きが落とし込まれる。
「ですので、陛下。卵を温めるというのなら、椅子の肘置きをお使い下さい」
「?」
肘置き?
ユリウスの言っている意味が分からず、私は胡乱な目を彼に向けた。
「貴方の椅子語はたまに意味が分からないわ……辞書でも作ったらどうなの」
「後で陛下の部屋に届けさせましょう」
「すでにあるのね?!」
本当に椅子語の辞書が存在するというのなら、百科事典並みに分厚いに決まっている。しかも結局、常人には理解できない世界観が延々と書き綴られて、こちらの常識に向かってひたすら殴り掛かってくるのだ……私にも、そのぐらいのことは予想できる。
(ひょっとして、本当に宗教なのでは?)
「肘置きとは、こちらです」
ユリウスが私の前に、掌を上にして差し出してきた。
まじまじと見つめる私に向かって、言葉遣いこそ丁重だが「これは譲る気がないな」と思わせる口調で、
「どうぞ、陛下。この上に卵をお乗せ下さい」
「え、ええ……?」
逆らうのも面倒になっていた私は、とりあえずその指示に従った。
ほんのりと青い卵は、彼の掌のくぼみの中にすっぽりと収まった。「陛下の手を添えて温められては?」と誘導される。何を企んでいるのかしら。眉間に皺を寄せながら、私はその上に手を乗せた。
「……」
沈黙が流れた。
座っている座面以外、彼とはどこも身体が触れていない(昨夜のクッションはきちんと挟んである)。背中も触れず、私の周りを弧を描くように隙間ができている。
触れず、壊れやすい卵を抱くように、前に回った彼の手の上にちょこん……と自分の手を乗せている私。それで満足したらしく、宰相の発していた威圧は消え去り、ただ安らかな空気が流れ始めていた。
……何なのかしらこの状況。
本当に「念の為」だ。できれば訊きたくないと思っている。
でも、まっとう、というか平凡な思考の持ち主(私)にとって、狂人の思考は訊かないで察することが出来る何か、というわけではないので。嫌でも確認しなければならない。
私は喉の奥から、強張った声を捻り出した。
「私は、膝の上に卵を乗せただけなのだけれど。それは貴方にとって、『私が椅子になった』という認識になるのね?」
「自明の理でございましょう」
「どう考えても自ずと明らかにならないわよね、それって」
溜息をついて、私は膝に乗せた卵の上にそっと手を被せた。この世界は残酷だ。狂人が権力を握り過ぎている。
どうか負けずにすくすくと育って欲しい。まだ孵化してもいない、いとけない小さな命を大切に思う心が芽生え始めたところで、背後の椅子がまた訳の分からないことを口走り始めた。
不機嫌極まりない、暗雲を孕んだおどろおどろしい声だ。
「陛下。どうしても椅子に成られるというのであれば、椅子認定試験を受けて頂く必要がございます」
「椅子認定試験?」
「世界椅子協会による国家資格を得られる試験です」
「世界椅子協会……」
「現存する唯一の国家認定機関です」
「私が認定した記憶が無いわ」
「それはどうでも良いことかと」
「全然良くないわよ?!」
女王の認可が、「どうでも良いこと」呼ばわりとは。国家資格なのに、この国唯一の王権所持者が無視されるって何事?
「その椅子協会とやらは、叛逆して新たな国家でも拓くつもりなの?」
「滅相もございません。現在、椅子協会は、椅子に座った女王陛下の像を聖女像として各家庭に配布し布教する活動を押し進めております」
「思った以上にヤバい宗教団体だったわ」
できれば一生関わり合いになりたくない組織だ。たった今、その教祖の膝の上に乗せられているのだけれど。
私は甘すぎるお茶をさらに一口啜った。やっぱり砂糖は六個必要だったかもしれない。
「椅子は現在、健康寿命を伸ばす趣味として人気を博しておりまして、各地に民間講座が開設されております」
民間講座。健康寿命が伸びるどころか、硬直状態が長すぎて動脈硬化による死者が多発するのではないかしら。
他国との外交折衝の最中に、嫌味な外交官たちから「おたくの国は最近、椅子による死亡率が上がっているそうで……椅子で死亡……フヒヒッ」「近代国家とは思えない死亡理由ですな、フフフ」とか笑われたらどうしよう。
(ありうる。滅茶苦茶ありえるわ)
悪い考えしか浮かんでこない。私が陰鬱な表情で黙りこくっていると、それをどう解釈したものか、宰相が慰め(?)の言葉を掛けてきた。
「ご安心下さい。椅子協会認定の講師が派遣され、講座の質も常に一定に保たれております」
「安心も何も、その点については何一つ心配していなかったわ」
「受講者、資格認定者からは喜びの声が続々と寄せられております。『密着しているのに絶対に手出しできないという極限状態がたまらない。新たな扉を開いた』『どんな肉感的美女を乗せてもピクリとも反応しなくなったのですがどうしてくれる』『妄想力が鍛えられた』『自分の至上の好みの相手しか乗せようとしない宰相閣下利己的スギ許サヌ、殺レ』などなど」
「今、犯罪予告が入ってなかった?」
受講者の質と層が不穏すぎる。
「まあ、それはとにかく」
細かいところまで気にして追及するには、私はすでに狂人に慣れ親しみ過ぎていた。それ以上突っ込む意欲も元気もなく、すげなく話の流れを打ち切る。
「卵を孵すために、私が椅子になればいいのね? 試験を受けろというのならまあ、受けてもいいわ。でも、それで私が椅子の認定を受けたら、私が何を膝に乗せようが、この先絶対に文句は言わせないわよ」
「……」
ちらりと視線を投げると、宰相の深く顰められた眉がピクリと震えた。冷ややかに細められた目が私を見つめる。
「ですが、陛下」
「何?」
「女王陛下は椅子に非ず、永劫に座す者でありその原則は覆されることがない。世界椅子協会の会則その一に明記されております」
「は?」
世界椅子協会会則その一?
「つまり、陛下が試験を受けられても自動的に落ちる仕組みになっております」
「……さっき、私に椅子になる気なのかって念押しして訊いていなかった?」
「そんな未来はこの現世のどこにも存在しませんが念の為にと」
「私が椅子になる気なら、自分をむごたらしく踏めとか脅していたでしょう。ちょっと意味が分からないけれど」
「ありえない未来を実現なさる気なら、その程度のご褒美は必要かと」
「ご褒美……ご褒美ね……」
私は虚ろになった目を遠くに逸らした。
徒労感がすごい。元から話が通じるとは思っていないのだけれど、話を続ければ続けるほど、私の正気値がごりごりと削られていく。
(他国に亡命しようかしら。女王だけれど)
絶対に実現しないであろう現実逃避の夢を脳内に思い描いたところで、微動だにしない完璧椅子状態に入っていたはずの宰相が僅かに動いた。
厚みのある胸板が私の背中に近付いてきて、私の耳に、宥めるような囁きが落とし込まれる。
「ですので、陛下。卵を温めるというのなら、椅子の肘置きをお使い下さい」
「?」
肘置き?
ユリウスの言っている意味が分からず、私は胡乱な目を彼に向けた。
「貴方の椅子語はたまに意味が分からないわ……辞書でも作ったらどうなの」
「後で陛下の部屋に届けさせましょう」
「すでにあるのね?!」
本当に椅子語の辞書が存在するというのなら、百科事典並みに分厚いに決まっている。しかも結局、常人には理解できない世界観が延々と書き綴られて、こちらの常識に向かってひたすら殴り掛かってくるのだ……私にも、そのぐらいのことは予想できる。
(ひょっとして、本当に宗教なのでは?)
「肘置きとは、こちらです」
ユリウスが私の前に、掌を上にして差し出してきた。
まじまじと見つめる私に向かって、言葉遣いこそ丁重だが「これは譲る気がないな」と思わせる口調で、
「どうぞ、陛下。この上に卵をお乗せ下さい」
「え、ええ……?」
逆らうのも面倒になっていた私は、とりあえずその指示に従った。
ほんのりと青い卵は、彼の掌のくぼみの中にすっぽりと収まった。「陛下の手を添えて温められては?」と誘導される。何を企んでいるのかしら。眉間に皺を寄せながら、私はその上に手を乗せた。
「……」
沈黙が流れた。
座っている座面以外、彼とはどこも身体が触れていない(昨夜のクッションはきちんと挟んである)。背中も触れず、私の周りを弧を描くように隙間ができている。
触れず、壊れやすい卵を抱くように、前に回った彼の手の上にちょこん……と自分の手を乗せている私。それで満足したらしく、宰相の発していた威圧は消え去り、ただ安らかな空気が流れ始めていた。
……何なのかしらこの状況。
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