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3.王国の漂流者
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「……えっ?」
真夜中。独り暮らしの女の家。不穏な音。
それはもう、恐ろしいことしか考えられなかった。
だが、私だって何の備えもしていなかったわけではない。つい最近まで戦争をやっていたこの国では、軍流れの護身用武器が比較的簡単に手に入るのだ。それなりの値段はするけれど。
私は「猛毒の弾を発射する護衛具」とやらを手に、扉ににじり寄った。いざとなったら押せるよう、警報器も手のひらの中に握り締めている。しばらく外の音に耳を澄ませてから、少しだけ扉を開いてみた。
重たいものがずるり、と落ちる音がした。
(えっ)
濃厚な鉄の匂いが立ち込めて、思わず鼻がひくついてしまう。あれは何? じっと目を凝らすと、夜の暗がりの中に一塊のシルエットが黒々と浮かび上がっていた。
血塗れの人間が倒れている。大柄な体躯。男だ。
(どうしてこんな、私の家の前に)
護身用の武器を構えたまま、慎重に一歩、二歩近付く。
「……あの。大丈夫ですか? 意識はありますか?」
「……」
返事はない。
本当に死んでるの? それは困ったことになった……と思った時、コフッと咳込む音が聞こえた。扉の隙間から射す光を反射して、薄く開いた目が光る。
「……う」
「良かった、生きてましたか。近くの治療院に連絡しますので、少し待ってて下さい」
「う……」
「え?」
がしっと腕を掴まれて、引き留められる。弱っているはずなのに、なかなかの怪力だ。ちょっとしたホラー体験だった。
「……止めてくれ。人に知られるのは、まずい」
「しかし、酷い怪我を負われているのでは……」
「数日休めば治る。悪いが、あんたのところで匿ってくれ。礼はする」
「えっ」
それだけ言って、再び力尽きたらしい。かくんと、男の頭が項垂れた。
(……どうしたら、いいの)
有り得ない事態だ。私が紡いでいる物語だって、こんな唐突で意味の分からない展開にはならないだろうと思う。
関わりも無ければ責任も持てない。そんな私は、男が何と言おうと然るべき場所に通報するべきだろう。それが正しい……そう思っているのに、私は、どうやってこの重そうな男を部屋に運び込んだらいいのか、どこに寝かせるか? 怪我はどうしたらいいの? どう見ても血塗れだけれど……等々、次々と浮かんでくる無理難題に押し流されそうになりながら、その場に呆然と立ち尽くしていた。
「俺の名は、イシアンだ」
三日後。
私の予備のシーツと毛布を散々に汚しながらも、じきに意識を取り戻した男は、寝台に横たわったまま名乗った。
初めて明るいところで見る彼の瞳は、明るく澄んだ水色だ。とても綺麗な目だった。だが、それ以外の風貌というと……どう贔屓目に見ても美男子とは言えない。古い教会や城の雨樋に取り付けられている魔物やガーゴイル像、あれにかなり似ている。
とはいえ、相手は怪我人だ。目の周りの黒ずんだ隈や、薄汚れた印象を与える無精髭を何とかすれば、また雰囲気が変わって見えるかもしれない。
「私はシフェリア」
「変わった名前だな」
「風の神の名前だそうよ。貴方も変わった名前ね」
少なくとも、この国の出身ではなさそうだ。
私は優秀な医療士らしい微笑みを浮かべて、包帯を山ほど積んだ籠をベッドの傍に置いた。もちろん本職からは程遠いのだが、この三日間でそれなりの修練は重ねている。
「酷い怪我ね」
前の包帯を解いて、新しいものを巻きながら言う。
イシアンと名乗った男は、文句も言わず、大人しく腕を上げて巻かれるままになっている。シーツや包帯や薬といった負担はともかく、彼はそれなりに礼儀を弁えているし、とても扱いやすい客人だった。とはいえ、彼は大部分の時間はトールキン並に寝て過ごし、私は昼は仕事があるので、今までろくに会話を交わすことも無かったのだが。
「事情を話せる?」
「……すまん。あんたを巻き込んでしまって、世話までさせておいて本当にすまないとは思うんだが。面倒くさい筋からの仕事中なんだ」
「スパイ兼騎士をなさってるんでしょう。国王陛下直々の勅命で動いているんでしょ、それは何も言えなくても仕方ないわね」
私が言ったのは、ただの軽口だ。
少しばかりの観察はしていた。ずたずたになっていた服を脱がせると、その下の体は硬く鍛えられた筋肉がくっきりと盛り上がっていた。荷物は極端に少なく、身分証すら見付からない。ただの異国人でないことだけは確かだ。
とはいえ、彼の事情を追及する気もなかったのだ。だから、本当に冗談のつもりだったのだけれど、
「…………」
思いのほか、深刻そうな表情で黙りこくられて、私は内心ちょっと慌てた。
(え? 何か近いところを掠ってた? ドンピシャリとかじゃないよね?)
「その、私は空想癖があるから……この家のことも、心の中では『私の王国』って呼んでるぐらいで。だから、貴方はさしずめ、王国に辿り着いた漂流者ってところね」
ぎこちなく笑みを作って言う。言い終えてから、ちょっと慌てた。
場を誤魔化すためといっても、ほとんど見知らぬ相手に話す内容ではなかった。
どんな空想を心の中に温めていようと、それは人の自由だけれど、人に共感なんて求められない。理解してもらえるような話ではないと自分でも納得している。なのに、なぜかさらりと、口から出てしまったのだ。
「……え、あの」
無駄に口を開け閉めする私の前で、イシアンは頷き、
「ああ。確かにこの家はどこか空気が違うな。妙に穏やかな感じがするというか……あんたの人徳か? ここに流れ着けたとは、まだまだ俺の運も腐っちゃいないんだな」
そんなことを言う彼の方こそ、妙に穏やかな顔をしていて、その表情のまま私に向けた笑顔が、ガーゴイル像みたいな顔をしているくせにやたら爽やかで、他意なく澄んでいて綺麗で、私はふと胸を衝かれるような気分になったのだった。
真夜中。独り暮らしの女の家。不穏な音。
それはもう、恐ろしいことしか考えられなかった。
だが、私だって何の備えもしていなかったわけではない。つい最近まで戦争をやっていたこの国では、軍流れの護身用武器が比較的簡単に手に入るのだ。それなりの値段はするけれど。
私は「猛毒の弾を発射する護衛具」とやらを手に、扉ににじり寄った。いざとなったら押せるよう、警報器も手のひらの中に握り締めている。しばらく外の音に耳を澄ませてから、少しだけ扉を開いてみた。
重たいものがずるり、と落ちる音がした。
(えっ)
濃厚な鉄の匂いが立ち込めて、思わず鼻がひくついてしまう。あれは何? じっと目を凝らすと、夜の暗がりの中に一塊のシルエットが黒々と浮かび上がっていた。
血塗れの人間が倒れている。大柄な体躯。男だ。
(どうしてこんな、私の家の前に)
護身用の武器を構えたまま、慎重に一歩、二歩近付く。
「……あの。大丈夫ですか? 意識はありますか?」
「……」
返事はない。
本当に死んでるの? それは困ったことになった……と思った時、コフッと咳込む音が聞こえた。扉の隙間から射す光を反射して、薄く開いた目が光る。
「……う」
「良かった、生きてましたか。近くの治療院に連絡しますので、少し待ってて下さい」
「う……」
「え?」
がしっと腕を掴まれて、引き留められる。弱っているはずなのに、なかなかの怪力だ。ちょっとしたホラー体験だった。
「……止めてくれ。人に知られるのは、まずい」
「しかし、酷い怪我を負われているのでは……」
「数日休めば治る。悪いが、あんたのところで匿ってくれ。礼はする」
「えっ」
それだけ言って、再び力尽きたらしい。かくんと、男の頭が項垂れた。
(……どうしたら、いいの)
有り得ない事態だ。私が紡いでいる物語だって、こんな唐突で意味の分からない展開にはならないだろうと思う。
関わりも無ければ責任も持てない。そんな私は、男が何と言おうと然るべき場所に通報するべきだろう。それが正しい……そう思っているのに、私は、どうやってこの重そうな男を部屋に運び込んだらいいのか、どこに寝かせるか? 怪我はどうしたらいいの? どう見ても血塗れだけれど……等々、次々と浮かんでくる無理難題に押し流されそうになりながら、その場に呆然と立ち尽くしていた。
「俺の名は、イシアンだ」
三日後。
私の予備のシーツと毛布を散々に汚しながらも、じきに意識を取り戻した男は、寝台に横たわったまま名乗った。
初めて明るいところで見る彼の瞳は、明るく澄んだ水色だ。とても綺麗な目だった。だが、それ以外の風貌というと……どう贔屓目に見ても美男子とは言えない。古い教会や城の雨樋に取り付けられている魔物やガーゴイル像、あれにかなり似ている。
とはいえ、相手は怪我人だ。目の周りの黒ずんだ隈や、薄汚れた印象を与える無精髭を何とかすれば、また雰囲気が変わって見えるかもしれない。
「私はシフェリア」
「変わった名前だな」
「風の神の名前だそうよ。貴方も変わった名前ね」
少なくとも、この国の出身ではなさそうだ。
私は優秀な医療士らしい微笑みを浮かべて、包帯を山ほど積んだ籠をベッドの傍に置いた。もちろん本職からは程遠いのだが、この三日間でそれなりの修練は重ねている。
「酷い怪我ね」
前の包帯を解いて、新しいものを巻きながら言う。
イシアンと名乗った男は、文句も言わず、大人しく腕を上げて巻かれるままになっている。シーツや包帯や薬といった負担はともかく、彼はそれなりに礼儀を弁えているし、とても扱いやすい客人だった。とはいえ、彼は大部分の時間はトールキン並に寝て過ごし、私は昼は仕事があるので、今までろくに会話を交わすことも無かったのだが。
「事情を話せる?」
「……すまん。あんたを巻き込んでしまって、世話までさせておいて本当にすまないとは思うんだが。面倒くさい筋からの仕事中なんだ」
「スパイ兼騎士をなさってるんでしょう。国王陛下直々の勅命で動いているんでしょ、それは何も言えなくても仕方ないわね」
私が言ったのは、ただの軽口だ。
少しばかりの観察はしていた。ずたずたになっていた服を脱がせると、その下の体は硬く鍛えられた筋肉がくっきりと盛り上がっていた。荷物は極端に少なく、身分証すら見付からない。ただの異国人でないことだけは確かだ。
とはいえ、彼の事情を追及する気もなかったのだ。だから、本当に冗談のつもりだったのだけれど、
「…………」
思いのほか、深刻そうな表情で黙りこくられて、私は内心ちょっと慌てた。
(え? 何か近いところを掠ってた? ドンピシャリとかじゃないよね?)
「その、私は空想癖があるから……この家のことも、心の中では『私の王国』って呼んでるぐらいで。だから、貴方はさしずめ、王国に辿り着いた漂流者ってところね」
ぎこちなく笑みを作って言う。言い終えてから、ちょっと慌てた。
場を誤魔化すためといっても、ほとんど見知らぬ相手に話す内容ではなかった。
どんな空想を心の中に温めていようと、それは人の自由だけれど、人に共感なんて求められない。理解してもらえるような話ではないと自分でも納得している。なのに、なぜかさらりと、口から出てしまったのだ。
「……え、あの」
無駄に口を開け閉めする私の前で、イシアンは頷き、
「ああ。確かにこの家はどこか空気が違うな。妙に穏やかな感じがするというか……あんたの人徳か? ここに流れ着けたとは、まだまだ俺の運も腐っちゃいないんだな」
そんなことを言う彼の方こそ、妙に穏やかな顔をしていて、その表情のまま私に向けた笑顔が、ガーゴイル像みたいな顔をしているくせにやたら爽やかで、他意なく澄んでいて綺麗で、私はふと胸を衝かれるような気分になったのだった。
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