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4.貴方に語る物語は
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「──、─~、……~」
耳馴染みのない異国の言葉が聴こえた。
私の小さな家の奥。狭い寝室のベッドに横たわったまま、イシアンが低く歌を口ずさんでいるのだ。
無意識のものだろう。まだ傷も塞がり切らず、一日中横になって、窓の外を眺めているしかない。気を紛らわすために、適当な歌詞をリフレインしているように思えた。
(……やけに美声だわ)
私も、人のことをとやかく言える容姿ではないけれど、イシアンはどちらかというと不細工な部類だろう。だけど笑顔は悪くないし、声は深みがあって男らしい美声だ。
(変な人)
そんなことを考えていたからか。邪魔をするつもりはなかったのに、つい声を掛けてしまった。
「どこの国の歌なの?」
歌が止んだ。イシアンの水色の目がこちらを向いて瞬く。
私が「ごめん」と片手を挙げて謝ると、顔に皺を寄せて笑った。
「俺の母国の子守唄だ。ここからはずっと遠い場所にある国でな……俺も、十つのときに離れて以来、一度も帰ってない。でも、無意識下に染み付いてるもんだな」
本当に漂流者なのね、と思いながら、他のことを訊ねた。
「やっぱり傷が痛むの?」
「まあな……慣れてはいるんだが」
「痛み止めを飲み過ぎるのもいけないわよね。温かいお茶でも淹れてきましょうか?」
「それも有難いんだが……できれば、また、あんたの話が聞きたい」
「うーん……」
私は唸った。
なんと私は、この一週間というもの、この男に自分が書いたお話を読んで聞かせているのである。やはり、夜通し傷が痛んで眠れない彼を見かねたことがきっかけだった。そしてそもそもの始め、私がお話を書いていることを知られてしまったきっかけはトールキンだ。
「あの猫……猫だよな? あれ……何て名前なんだ?」
「猫よ。一応。トールキンというの」
「丸いし、でかいし、伸びるな……」
もちもちした物体と化していたトールキンを見ながら、いかにも感心したように彼が言うので、何気なく訊ねたのだ。
「貴方も猫を飼ってたりするの?」
「悪友が押し付けてきたのがいてな。留守中はそいつに預けてあるんだが。細くてスラッとして、めちゃくちゃ高慢ちきで、いつも文句しか言わねえんだ」
「名前は?」
「ジョロキア」
「……強そう」
「女王様だよ。まだ三歳ぐらいなのに、世の人間は皆自分に傅くと思ってやがる」
「ふふ、トールキンに会わせてみたいな。ひょっとして、彼のお姫様かもしれない」
またしても私は、うっかり口を滑らせたのだ。
トールキンを主人公にした物語を書いていること。それ以外にも、これまでも沢山書いていること。ただ自分の楽しみとして、ひっそりと書き続けているのだということを。
なんで言ってしまったのか分からない。彼はスパイ容疑があるけれど、私を籠絡しようとするでもなく、どちらかというといつも素の、くたびれた表情を見せていた。絡め取られたわけではないのだ。一度だけ、私をやけに褒めちぎるようなことを言っていたけれど、それは高熱を出して浮かされていたときの話だし。
夜中、寝台の中で魘されていた彼を見舞ったら、手を強く引かれて言われたのだ。
「……助けてくれたのがあんたで良かった。最初見たとき、森の中に住んでる妖精かと思った。この世のものとは思えないぐらい美人だな、あんたは」
……彼が今、そんなことを口走ったのを覚えているかどうか。それは分からないが、そんな褒められ方をするとは予想の斜め上すぎて、記憶に強く残り過ぎて、彼に警戒心が持てなくなっているのかもしれない。
「……分かったわ。何の話がいい? また、トールキン王子の話の続きを?」
そして今も、断ることもなくずるずると、自分だけのために書いた物語を読んで聞かせているのである。
「それも気になるが、今はあの話が気になるな。魔法の灰色の城に住むお姫様の話」
「……意外と気に入ってるのね」
「あんな城があるなら住みたいって思うぜ。本当に夢みたいな場所だろ。そろそろ平和な暮らしに戻りたいって、もうここ何年も思ってる。なかなか叶わないけどな」
そう呟いた彼の額にはうっすらと汗が滲んでいて、また痛みがぶり返してきたのが分かる。
それとも、治らずに何度もぶり返すのは、心に負った傷の方だろうか?
「この近くにあるのよ。灰色のお城みたいな家が。ずっと門が閉ざされてるし、誰か住んでいる気配もないし、庭の奥までは見えないんだけど。魔法にかかっていそうな家が」
「それも何かのお話みたいだな。もっと話して聞かせてくれ」
「……眠らなくていいの?」
彼の体力は大丈夫なのだろうか。心配になって訊ねると、彼は少し熱が出ていると分かる顔をこちらに向けて、強く透明な眼差しで笑った。
「ああ、あんたの話が聞きたいんだ、もっと」
耳馴染みのない異国の言葉が聴こえた。
私の小さな家の奥。狭い寝室のベッドに横たわったまま、イシアンが低く歌を口ずさんでいるのだ。
無意識のものだろう。まだ傷も塞がり切らず、一日中横になって、窓の外を眺めているしかない。気を紛らわすために、適当な歌詞をリフレインしているように思えた。
(……やけに美声だわ)
私も、人のことをとやかく言える容姿ではないけれど、イシアンはどちらかというと不細工な部類だろう。だけど笑顔は悪くないし、声は深みがあって男らしい美声だ。
(変な人)
そんなことを考えていたからか。邪魔をするつもりはなかったのに、つい声を掛けてしまった。
「どこの国の歌なの?」
歌が止んだ。イシアンの水色の目がこちらを向いて瞬く。
私が「ごめん」と片手を挙げて謝ると、顔に皺を寄せて笑った。
「俺の母国の子守唄だ。ここからはずっと遠い場所にある国でな……俺も、十つのときに離れて以来、一度も帰ってない。でも、無意識下に染み付いてるもんだな」
本当に漂流者なのね、と思いながら、他のことを訊ねた。
「やっぱり傷が痛むの?」
「まあな……慣れてはいるんだが」
「痛み止めを飲み過ぎるのもいけないわよね。温かいお茶でも淹れてきましょうか?」
「それも有難いんだが……できれば、また、あんたの話が聞きたい」
「うーん……」
私は唸った。
なんと私は、この一週間というもの、この男に自分が書いたお話を読んで聞かせているのである。やはり、夜通し傷が痛んで眠れない彼を見かねたことがきっかけだった。そしてそもそもの始め、私がお話を書いていることを知られてしまったきっかけはトールキンだ。
「あの猫……猫だよな? あれ……何て名前なんだ?」
「猫よ。一応。トールキンというの」
「丸いし、でかいし、伸びるな……」
もちもちした物体と化していたトールキンを見ながら、いかにも感心したように彼が言うので、何気なく訊ねたのだ。
「貴方も猫を飼ってたりするの?」
「悪友が押し付けてきたのがいてな。留守中はそいつに預けてあるんだが。細くてスラッとして、めちゃくちゃ高慢ちきで、いつも文句しか言わねえんだ」
「名前は?」
「ジョロキア」
「……強そう」
「女王様だよ。まだ三歳ぐらいなのに、世の人間は皆自分に傅くと思ってやがる」
「ふふ、トールキンに会わせてみたいな。ひょっとして、彼のお姫様かもしれない」
またしても私は、うっかり口を滑らせたのだ。
トールキンを主人公にした物語を書いていること。それ以外にも、これまでも沢山書いていること。ただ自分の楽しみとして、ひっそりと書き続けているのだということを。
なんで言ってしまったのか分からない。彼はスパイ容疑があるけれど、私を籠絡しようとするでもなく、どちらかというといつも素の、くたびれた表情を見せていた。絡め取られたわけではないのだ。一度だけ、私をやけに褒めちぎるようなことを言っていたけれど、それは高熱を出して浮かされていたときの話だし。
夜中、寝台の中で魘されていた彼を見舞ったら、手を強く引かれて言われたのだ。
「……助けてくれたのがあんたで良かった。最初見たとき、森の中に住んでる妖精かと思った。この世のものとは思えないぐらい美人だな、あんたは」
……彼が今、そんなことを口走ったのを覚えているかどうか。それは分からないが、そんな褒められ方をするとは予想の斜め上すぎて、記憶に強く残り過ぎて、彼に警戒心が持てなくなっているのかもしれない。
「……分かったわ。何の話がいい? また、トールキン王子の話の続きを?」
そして今も、断ることもなくずるずると、自分だけのために書いた物語を読んで聞かせているのである。
「それも気になるが、今はあの話が気になるな。魔法の灰色の城に住むお姫様の話」
「……意外と気に入ってるのね」
「あんな城があるなら住みたいって思うぜ。本当に夢みたいな場所だろ。そろそろ平和な暮らしに戻りたいって、もうここ何年も思ってる。なかなか叶わないけどな」
そう呟いた彼の額にはうっすらと汗が滲んでいて、また痛みがぶり返してきたのが分かる。
それとも、治らずに何度もぶり返すのは、心に負った傷の方だろうか?
「この近くにあるのよ。灰色のお城みたいな家が。ずっと門が閉ざされてるし、誰か住んでいる気配もないし、庭の奥までは見えないんだけど。魔法にかかっていそうな家が」
「それも何かのお話みたいだな。もっと話して聞かせてくれ」
「……眠らなくていいの?」
彼の体力は大丈夫なのだろうか。心配になって訊ねると、彼は少し熱が出ていると分かる顔をこちらに向けて、強く透明な眼差しで笑った。
「ああ、あんたの話が聞きたいんだ、もっと」
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