10 / 38
10.ひょっとして:向いてない
しおりを挟む
(……ああ、そうだよな。そうなるよな)
二階の窓枠に寄りかかって、眼下の光景を見下ろしながら、シェランは果てしなく暗くやさぐれた気分でいた。
(なんでもっと早くに、こうなると気付かなかった)
窓枠につけた背中をずり落とし、力の抜けた身体を半ば床に沈める。いつも美しく整えられている銀の髪に指を入れて、いらいらと掻き回したところで、階下から楽しそうな声が響いてきた。
といっても、楽しげなのは部下たちばかりで、シンデレラの声は変わらずに暗く、呪われた霊か何かのようにボソボソとしている。
「シンデレラ! 最新式の掃除魔道具ですわ! でもきっと、シンデレラは使い方なんて知らないだろ、ですわ?」
「……はい、知りません」
「ハハハッ、こんなことも知らないのか、ですわ! だが心配することはない、この継姉たちが教えるのですわ!」
「有難うございます、アン姉さま、ドリス姉さま……」
「任せろですわ。この魔道具があれば、シンデレラの仕事もぐんと減るだろ、ですわ!」
……彼の部下たちは、本当に心の優しい奴らなのだ。
今では、この家の力仕事全般を請け負っているのはアンガスだ。それでも体力は有り余っているようで、気が付いたら庭仕事まで買って出て、庭の隅に可愛らしい花壇を作っていた。花を愛でる熊のような男、という構図だ(ただしムキムキの身体にドレス姿である)。
ドクも負けてはいない。シンデレラの仕事が自然に減っていくのと同時に、この家の銀器類が全てピカピカと照り輝き始めた。「何かを無心で磨いているのが好き」と真顔で語る男だ。いつ磨いているのかは知らないが。
(あいつらめ……)
シェランはシェランで、たまに厨房に篭っては、見事な手料理を彼らに振る舞っていたりするのだが、そんなことは今、都合よく忘れ果てている。自分のことは棚上げにして、シェランは部下たちの人の良さを呪った。
(ちっ……このまま諦めるのか?)
シンデレラに嫌がらせをせず、このまま平和な日々を送らせてやる? 男爵家から手を引く?
どちらも魅力的な選択肢とは思えない。
(そんな中途半端な詐欺は認めんぞ。必ずやり通す。シンデレラを虐め抜いて、容赦なくこの家から追い出してやる)
その夜、シェランは屋敷の中を歩きながら、心中でそんな誓いを新たにしていた。
傍目から見れば、厳しくも憂いに満ちた表情の貴婦人が、暗い邸内で物思いに耽っているように見える。ランプの灯が、その白く整った顔を幻想的に照らし出す。無論、その中身は幻想的でも何でもない、ただの俗欲まみれの詐欺師なのだが。
「……ん?」
シェランはふと、顔を上げ、耳を澄ませた。
何か、小さな声が聞こえたのだ。夜風に乗って、近くの部屋から響いてくる。誰か、泣いているような──
考える間も置かず、シェランは扉を開け、その部屋の中に押し入った。
シンデレラの部屋だ。
「……おい」
男の声で呼び掛けてしまってから、シェランは一旦呼吸を整え、冷たい男爵夫人の声音を取り繕った。
「どうしたの。何を泣いているのかしら」
シンデレラが泣いている。暗い部屋の寝台の中で眠ったまま、悪夢を見ながら泣いているようだ。細く痩せた手を虚空に突き出し、掠れた声で懇願している。
「お……おかあさま、いや、もうしわけ、ありません……はたらくから……わたし、もっとはたらくから、ゆるして」
「シンデレラ」
大股に寝台に近付き、シェランはその小さな手を取った。
一息で、心に浮かんだままに言う。
「……それは夢よ。もうその人はいない。貴方は無事で、許されている」
「ゆるされている……?」
「ええ。もう二度と辛いことは起きない。辛いこと、苦しいことは終わったの。全部終わったから、貴方はもう、好きにしていいのよ。解放されたの。大丈夫」
そう言うと、彼の手の中にある痩せた手が、その見た目からは想像もつかないほど強い力で握り返してきた。水に溺れる者から縋り付かれているようだ。
シェランはその手を柔らかく握り締めた。
「大丈夫……」
二階の窓枠に寄りかかって、眼下の光景を見下ろしながら、シェランは果てしなく暗くやさぐれた気分でいた。
(なんでもっと早くに、こうなると気付かなかった)
窓枠につけた背中をずり落とし、力の抜けた身体を半ば床に沈める。いつも美しく整えられている銀の髪に指を入れて、いらいらと掻き回したところで、階下から楽しそうな声が響いてきた。
といっても、楽しげなのは部下たちばかりで、シンデレラの声は変わらずに暗く、呪われた霊か何かのようにボソボソとしている。
「シンデレラ! 最新式の掃除魔道具ですわ! でもきっと、シンデレラは使い方なんて知らないだろ、ですわ?」
「……はい、知りません」
「ハハハッ、こんなことも知らないのか、ですわ! だが心配することはない、この継姉たちが教えるのですわ!」
「有難うございます、アン姉さま、ドリス姉さま……」
「任せろですわ。この魔道具があれば、シンデレラの仕事もぐんと減るだろ、ですわ!」
……彼の部下たちは、本当に心の優しい奴らなのだ。
今では、この家の力仕事全般を請け負っているのはアンガスだ。それでも体力は有り余っているようで、気が付いたら庭仕事まで買って出て、庭の隅に可愛らしい花壇を作っていた。花を愛でる熊のような男、という構図だ(ただしムキムキの身体にドレス姿である)。
ドクも負けてはいない。シンデレラの仕事が自然に減っていくのと同時に、この家の銀器類が全てピカピカと照り輝き始めた。「何かを無心で磨いているのが好き」と真顔で語る男だ。いつ磨いているのかは知らないが。
(あいつらめ……)
シェランはシェランで、たまに厨房に篭っては、見事な手料理を彼らに振る舞っていたりするのだが、そんなことは今、都合よく忘れ果てている。自分のことは棚上げにして、シェランは部下たちの人の良さを呪った。
(ちっ……このまま諦めるのか?)
シンデレラに嫌がらせをせず、このまま平和な日々を送らせてやる? 男爵家から手を引く?
どちらも魅力的な選択肢とは思えない。
(そんな中途半端な詐欺は認めんぞ。必ずやり通す。シンデレラを虐め抜いて、容赦なくこの家から追い出してやる)
その夜、シェランは屋敷の中を歩きながら、心中でそんな誓いを新たにしていた。
傍目から見れば、厳しくも憂いに満ちた表情の貴婦人が、暗い邸内で物思いに耽っているように見える。ランプの灯が、その白く整った顔を幻想的に照らし出す。無論、その中身は幻想的でも何でもない、ただの俗欲まみれの詐欺師なのだが。
「……ん?」
シェランはふと、顔を上げ、耳を澄ませた。
何か、小さな声が聞こえたのだ。夜風に乗って、近くの部屋から響いてくる。誰か、泣いているような──
考える間も置かず、シェランは扉を開け、その部屋の中に押し入った。
シンデレラの部屋だ。
「……おい」
男の声で呼び掛けてしまってから、シェランは一旦呼吸を整え、冷たい男爵夫人の声音を取り繕った。
「どうしたの。何を泣いているのかしら」
シンデレラが泣いている。暗い部屋の寝台の中で眠ったまま、悪夢を見ながら泣いているようだ。細く痩せた手を虚空に突き出し、掠れた声で懇願している。
「お……おかあさま、いや、もうしわけ、ありません……はたらくから……わたし、もっとはたらくから、ゆるして」
「シンデレラ」
大股に寝台に近付き、シェランはその小さな手を取った。
一息で、心に浮かんだままに言う。
「……それは夢よ。もうその人はいない。貴方は無事で、許されている」
「ゆるされている……?」
「ええ。もう二度と辛いことは起きない。辛いこと、苦しいことは終わったの。全部終わったから、貴方はもう、好きにしていいのよ。解放されたの。大丈夫」
そう言うと、彼の手の中にある痩せた手が、その見た目からは想像もつかないほど強い力で握り返してきた。水に溺れる者から縋り付かれているようだ。
シェランはその手を柔らかく握り締めた。
「大丈夫……」
22
あなたにおすすめの小説
包帯妻の素顔は。
サイコちゃん
恋愛
顔を包帯でぐるぐる巻きにした妻アデラインは夫ベイジルから離縁を突きつける手紙を受け取る。手柄を立てた夫は戦地で出会った聖女見習いのミアと結婚したいらしく、妻の悪評をでっち上げて離縁を突きつけたのだ。一方、アデラインは離縁を受け入れて、包帯を取って見せた。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~
甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」
「全力でお断りします」
主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。
だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。
…それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で…
一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。
令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……
【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~
いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。
地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。
「――もう、草とだけ暮らせればいい」
絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。
やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる――
「あなたの薬に、国を救ってほしい」
導かれるように再び王都へと向かうレイナ。
医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。
薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える――
これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる