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12.シンデレラ、お義母さまと呼ぶ
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「──お義母さまと呼んでもいいですか?」
は?
沈黙が落ちる。たっぷり三分間ものあいだ、シェランの思考は停止した。
(お義母さま? この娘が? 俺を? 何て言った? お義母さまだって?)
勿論、答えなど最初から決まっている。「お断りよ、奥様とお呼び!」──これが唯一の正解だ。冷たく嘲るように、上から見下ろして言ってやればなおのこと良い。
シェランはシンデレラを見た。期待に煌めく瞳、その奥に微かに怯えを含んだエメラルドが、じっとシェランを見つめている。どこかで拾われてきた仔猫のように、痩せた身体がとくとくと脈打っている音が聴こえたような気がした。
「……そうね」
継子をイビる悪の継母とは思えないような言葉が、唇から零れ落ちた。
「勝手になさい。好きに呼ぶがいいわ、その……私はどうでもいいんですからねッ」
「はい、お義母さま」
「……!!」
シンデレラがふわっと微笑んだ。食卓の男どもの間に、ざわっと無言のざわめきが湧き起こる。
(おいおい)
シェランは平静な顔を保つのに苦労した。
(普段、暗い顔をして俯いてる娘が初めて見せる満開の笑顔とか、希少すぎて威力が増してるじゃないか。詐欺師並みだぞ)
彼らの間に恋愛感情はないが(当たり前である。継母と継姉と末の娘の組み合わせに、どんな恋愛が生じるというのか)、懐かない小動物が擦り寄ってきたような奇妙な感動があった。これはなかなか面白いな、詐欺の技の一つとして使えるんじゃないか? とシェランは半ば上の空で考えた。
考えながら、彼は長い指先を伸ばして昨夜焼いておいたクッキーの皿を引き寄せ、シンデレラの方に押しやった。
獲物は太らせてから食べるのが定石である。そう、それだけの話だ。
「これも食べなさい。なんなら、部屋に持っていったらいいわ」
「……お義母さまの手作りですね」
小皿を見下ろして、シンデレラが呟いた。感極まったような表情が滲み出ている。シェランがなんとはなしに見守っていると、ごそごそとナプキンを取り出し、宝石でも触れるようにクッキーを乗せて包み始めた。
まさかそのクッキーが、二週間もそのまま食べずに保管されているなんて、誰が思うだろうか。
「こら! そんなものを食べたらお腹を壊すでしょ、今すぐ捨てなさい!」
「食べる気はないからいいんです! 絶対に捨てません!」
しかも、あのシンデレラが真っ向から反発してくるとは。
シェランは威嚇するように背中を反らせた「悪の継母ポーズ」のまま、シンデレラの部屋の敷居を跨いだところで固まっていた。信じられん。驚愕の眼差しで、シンデレラと、その手の中にあるクッキーを交互に見つめる。
見たところ、かろうじてカビは生えていないようだ。だが、ナプキンに包んだだけで二週間も取っておいたクッキーなど、どんな邪悪な物体に成り果てているか分からない。
「そのうちカビが生えてくるわよ。いずれ後悔するに決まっています。いいから捨てなさい!」
「嫌でーすー!」
両足を開いて立つシンデレラは、徹底抗戦の構えである。
灰まみれになって青ざめていた顔には生き生きとした血の気が上り、今では年相応の少女らしさが漲っていた。随分と健康になったものだ……いや、そんな感慨に浸っている場合ではない。
「……分かったわ。今から私は厨房に行って、マフィンを焼きます」
「……!」
溜息をつきながら言うと、シンデレラの目が輝いた。
彼女が何か言う前に言葉を継ぐ。
「でも、そんな古いクッキーを持っている娘には食べさせてあげません。マフィンが欲しかったら、それはどこかに捨ててくるのよ、いいわね?」
「……焼くところを見ていてもいいですか」
「いいわよ。何なら作り方を教えてあげてもいいわ」
「……捨ててきます! お義母さま、待ってて下さい」
シンデレラは素早く外に駆け出した。その背中を見送って、やれやれと首を振り、
(……ん? 懐かれている……だと?)
完全に自分の置かれた状況が分からなくなったシェランであった。
は?
沈黙が落ちる。たっぷり三分間ものあいだ、シェランの思考は停止した。
(お義母さま? この娘が? 俺を? 何て言った? お義母さまだって?)
勿論、答えなど最初から決まっている。「お断りよ、奥様とお呼び!」──これが唯一の正解だ。冷たく嘲るように、上から見下ろして言ってやればなおのこと良い。
シェランはシンデレラを見た。期待に煌めく瞳、その奥に微かに怯えを含んだエメラルドが、じっとシェランを見つめている。どこかで拾われてきた仔猫のように、痩せた身体がとくとくと脈打っている音が聴こえたような気がした。
「……そうね」
継子をイビる悪の継母とは思えないような言葉が、唇から零れ落ちた。
「勝手になさい。好きに呼ぶがいいわ、その……私はどうでもいいんですからねッ」
「はい、お義母さま」
「……!!」
シンデレラがふわっと微笑んだ。食卓の男どもの間に、ざわっと無言のざわめきが湧き起こる。
(おいおい)
シェランは平静な顔を保つのに苦労した。
(普段、暗い顔をして俯いてる娘が初めて見せる満開の笑顔とか、希少すぎて威力が増してるじゃないか。詐欺師並みだぞ)
彼らの間に恋愛感情はないが(当たり前である。継母と継姉と末の娘の組み合わせに、どんな恋愛が生じるというのか)、懐かない小動物が擦り寄ってきたような奇妙な感動があった。これはなかなか面白いな、詐欺の技の一つとして使えるんじゃないか? とシェランは半ば上の空で考えた。
考えながら、彼は長い指先を伸ばして昨夜焼いておいたクッキーの皿を引き寄せ、シンデレラの方に押しやった。
獲物は太らせてから食べるのが定石である。そう、それだけの話だ。
「これも食べなさい。なんなら、部屋に持っていったらいいわ」
「……お義母さまの手作りですね」
小皿を見下ろして、シンデレラが呟いた。感極まったような表情が滲み出ている。シェランがなんとはなしに見守っていると、ごそごそとナプキンを取り出し、宝石でも触れるようにクッキーを乗せて包み始めた。
まさかそのクッキーが、二週間もそのまま食べずに保管されているなんて、誰が思うだろうか。
「こら! そんなものを食べたらお腹を壊すでしょ、今すぐ捨てなさい!」
「食べる気はないからいいんです! 絶対に捨てません!」
しかも、あのシンデレラが真っ向から反発してくるとは。
シェランは威嚇するように背中を反らせた「悪の継母ポーズ」のまま、シンデレラの部屋の敷居を跨いだところで固まっていた。信じられん。驚愕の眼差しで、シンデレラと、その手の中にあるクッキーを交互に見つめる。
見たところ、かろうじてカビは生えていないようだ。だが、ナプキンに包んだだけで二週間も取っておいたクッキーなど、どんな邪悪な物体に成り果てているか分からない。
「そのうちカビが生えてくるわよ。いずれ後悔するに決まっています。いいから捨てなさい!」
「嫌でーすー!」
両足を開いて立つシンデレラは、徹底抗戦の構えである。
灰まみれになって青ざめていた顔には生き生きとした血の気が上り、今では年相応の少女らしさが漲っていた。随分と健康になったものだ……いや、そんな感慨に浸っている場合ではない。
「……分かったわ。今から私は厨房に行って、マフィンを焼きます」
「……!」
溜息をつきながら言うと、シンデレラの目が輝いた。
彼女が何か言う前に言葉を継ぐ。
「でも、そんな古いクッキーを持っている娘には食べさせてあげません。マフィンが欲しかったら、それはどこかに捨ててくるのよ、いいわね?」
「……焼くところを見ていてもいいですか」
「いいわよ。何なら作り方を教えてあげてもいいわ」
「……捨ててきます! お義母さま、待ってて下さい」
シンデレラは素早く外に駆け出した。その背中を見送って、やれやれと首を振り、
(……ん? 懐かれている……だと?)
完全に自分の置かれた状況が分からなくなったシェランであった。
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