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10.明け暮れる

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 学園生活は、大した出来事もなく静かに過ぎた。

 私には数人の友人が出来た。毎日食堂でお茶をして、お義母さまが家から送ってくれたお菓子を一緒に食べる仲だ。美味しいお菓子は、大抵のことを解決してくれた。つまり、私に友達が出来たのは、お義母さまの気遣いのお陰である。

(お義母さまのお菓子……やっぱり美味しい)

 送られてくるお菓子には、綺麗な文字で書かれた手紙が毎回添えられている。「料理人が失敗した菓子です。貴方が消費なさい」……いつもどおりだ。「貴方には特に何も過剰な期待は寄せていません。嫌になったら無駄に虚勢を張らず帰って来なさい。貴方がいないと旦那様が気晴らしできずに鬱陶しいことこの上ないですからね」とも。

「エミリア……大丈夫?」

 手紙に視線を落とした私が無言で目を潤ませたので、隣に座っていたリリー嬢が恐る恐る言った。

「ええ」
「婚約者があんなことをなさっているのだから、心を痛められるのも分かるわ……大したことは出来ないかもしれないけれど、いつでも私たちに相談なさってね」
「え? 婚約者?」

 思わぬ単語を聞いて、私は瞬きした。

 私が驚いたので、かえって周りも吃驚したらしい。しばらく見つめ合って、それから気まずそうな雰囲気と共に目が逸らされた。

「……ごめんなさい、婚約者殿のことではなかったのね? 気にしないで」
「私の婚約者が何か……?」
「い、いえ、何でもないのよ」

 しまった。

 私だけが知らない何かが起きていたらしい。

 全くの他人よりも知らない婚約者。そういえば、存在そのものを忘れかけていた。

 私の情報収集力が低すぎる? しかし改めて思えば、そもそも婚約者殿が私に関わって来ないのである。贈り物も手紙もないし、学園で顔を合わせることもない。向こうが私に関心がないのは明らかだが、私だって、今まで婚約者殿のことは頭からすっぱ抜けていた。お互い様といえばお互い様だ。

 まあ、向こうがそれでいいならいいのでは? と思う。私だって、一応、貴族の中で生まれ育った人間だ。暗黙のルールや作法さえ守っていれば、私には何の咎もない。

(それより、お義兄さまの方が気になって……)

 お義兄さまとは、入学の日以来、会っていない。

 まさか、入学してもろくに会えないなんて思っていなかった。お義兄さまは研究生だから、私たち学生とは別の棟にいて、授業でも顔を合わせることはない。寮は男女別だ。学園内の行事でも姿を見ない。何より、お義兄さま自身が全く接触してこない。

 婚約者に放置されても気にならないが、お義兄さまに放置されているのは非常に堪える。
 お義母さまの優しい(文面は尖っているけれど)手紙を見て、思わず泣きたくなってしまうぐらいには。

 実は、たまたま顔でも見られないかと思って、研究棟の近くをうろついたことは何度かあるのだ。一度、遠目にお義兄さまらしき人影を見た。焦って走って追い掛けたけれど、その背中は角を曲がってそのまま消えてしまった。

 暗くなるまで、悄然とその辺をうろついた。ようやく諦めて、とぼとぼと学生棟まで帰ってきたときには、鼻から目にかけて、何かつんとしたものが込み上げてきていた。

 熱い滴が、目の縁に盛り上がる。ぽたり。いや、何を泣いているんだろう、私。ぽたり。泣いている場合じゃない。

(う……)

 涙腺を絞り上げるように、私は顔の筋肉を総動員して堪えた。ああ、やっぱり駄目だ、零れる……

「きゃあっ!」

 そのとき、突然、私の目の前で誰かが転んだ。

(え?)

 何が起きたのか、さっぱり分からなかった。

 呆然と立ち止まる私の前で、赤みを帯びた金髪が広がる。学生棟の廊下、目の前で床に手をついた少女が、私をきっ! と睨み上げていた。

 私と同じ学年の生徒らしい。私には触れてもいなかったと思うが、何も無いところで躓いて転んだのだろうか。

「……えっ? あ、あの、大丈夫ですか?」
「……」

 とりあえず声を掛けてみたが、何も応えず素早く身を翻して走り去ってしまう。よく分からないけれど、お陰で私の涙は止まった。どこの誰だか存じませんが、気を逸らしてくれて有難う。と私は心の中で礼を言った。





 それから時が過ぎて、現三年生の卒業パーティーの会場にて。
 私は、卒業生のマントを羽織り、片腕に女性を抱いた婚約者に、びしっと指を突き付けられていた。

「お前との婚約を破棄する!」

 周りの学生たちが、はっと息を呑む。私も息を呑んだ。

 ……あれ? どうしてこうなったんだっけ?
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