最低最悪のクズ伯爵

kae

文字の大きさ
42 / 48
空白の5年間

しおりを挟む
「なんっっなんだあのクソ親父は!!」

 次の日の朝、早起きして約束の庭に来たセドリックの第一声はそれだった。
 前日よりも早めに来たのに、既にエリスは一人での鍛錬を始めていて、汗を流していた。
 セドリックが来たことに気づき、剣を丁寧に置く。

 ユリアとレオハルトは、今日はいないようだ。
 まだ寝ているのだろう。

「えー、あれがお話していた俺のクソ親父です。……分かってもらえて嬉しいよ」
 
 セドリックのいるほうへと歩きながら、エリスがなんてことないかのように、穏やかに笑いながら言う。
 その様子から、昨晩のあのクソ親父の言葉がエリスにとって、よくある日常的に言われている言葉なのだということが分かる。

 きっと何度も。
 今までに何度も何度も、あんなようなことがあったのだろう。
 慣れてしまうほどに。

「なにが『怪盗エリス』だ。あんなバカげた話を信じる奴なんて、いるわけがないだろう」
「……」

 今度も当然、「そうだ、そうだ」と返事があるものだと予想していたセドリックは、エリスが黙り込んだので、不審に思ってその顔をのぞいた。

「……いやいや。それが結構、皆信じちゃってるんだけどね」
「はあ!? なんでだ? 証拠でもあるのか? まさか本当に盗んでいるわけじゃないんだろう?」

「……逆に君は、なんでそんなに俺のこと信じるのよセディ君……」
「お前はそんなことしない。分かるだろ」
「……」
「おい、どうしたエリス」

 間髪入れずに、なんの疑いもなくエリスを信じると言ったセドリックを、エリスは表情の読めない顔で、しばらくボーっと見つめてきた。
 笑うべきか、泣くべきか、どういう表情をするべきか分からなくて、結果的にただの無表情になってしまったかのようだった。

「……おいおい、どうした」
 セドリックが次にそう声を掛けたのは、エリスが急に下を向いて、しゃがみこんでしまったからだった。
 本当に急に、まるで崩れ落ちるようだった。
 しばらく無表情だったエリスが、突然慌てて下を向いて、まるで何かを隠すように、ストンとしゃがみこんでしまった。

 しかしその顔をずっと覗き込んでいたセドリックには、エリスが下を向く直前、耐えられないというように、くしゃりと無表情が崩れたのが見えていた。

「おい、エリス?」
「……ちょっと待って」

 一体どうしたんだと追い打ちをかけるセドリックに、掠れた小さな声で、エリスが答えた。
 その声の響きを聞いて、セドリックは言われた通り大人しく待つことにしたのだった。




*****




「いやー本当、お前すごいね。俺とは別の世界を生きてきたんだろうね」

 10分近く待ってようやく立ち上がったエリスが、セドリックの座っているテーブルに近づいてきた。
 あまりに沈黙が長すぎて、セドリックは庭の隅に置いてあるテーブルセットに座って待っていたのだ。

「別の世界? なんのことだ」
「……なんでもないです」

 エリスはそう言うと、一瞬いつものヘラリとした顔で笑ったが、セドリックが全く笑わないことを悟ると、すぐにやめた。

「お前、なんであいつらのいう事をヘラヘラ聞いているんだ。なんとかならないのか」
「例えばどうやって?」
「例えば……そうか。騎士になれば、騎士爵が貰えて独立できるのか」
「貴族の子どもが騎士学校に入るのに、親の許可がいるって知っている?」
「…………」

 知っているに決まっている。
 騎士学校に限らず、貴族の子が学園に通うには、親のサインが必要だった。

「エリス、お前が学園を中退して騎士学校に入ると言っていたのは、あれは……」
「学園に入って、3年間ずっと学年10位以内の成績を収めたら、騎士学校に入るサインをしてやる。お前には無理だろうけどなってクソ親父に言われてたんだよなー。バカ正直に信じて3年間頑張って、10位以内クリアして、よくやったサインしてやるって言うから学園を中退したら、やっぱり止めた。家の為に働けってさ」
「そんなことが許されるのか……」

 言ってから、許されてしまうことに気が付く。
 貴族の次男なんていうのは、本人には実質的になんの権力もない。

 きっとケーヴェス子爵は分かっていたのだろう。
 エリスが騎士爵を得て、ケーヴェス家から離れようとしていることに。

「……騎士学校に入らせたくないのなら、なぜ学園を中退させる必要があるんだ」
「跡継ぎである兄貴より、次男である俺がいい成績なのが、気に入らなかったみたいよ」
「……」

 エリスの返答に、セドリックはいちいち黙り込んでしまう。
 あまりに予想外過ぎて。
 セドリックが考えもつかないような理由。
 『別の世界』とはこれのことなのだろうか。

「……見習い騎士から成り上がれば……」
「誰が子爵に恨まれる危険をおかして、見習いにつけてくれるんだ? ……色々と頼み込んでみたけど、ダメだったな」
「それは……そうだろうな」

 この答えはなんとなく予想ができた。
 だけど例え騎士学校に入れなくても、エリスは見習いとして1からやっていける可能性を捨てずに、鍛錬を続けていたのだろう。
 ……もうとっくに騎士になるのを諦めた様子の今でも鍛錬を続けているのは、きっとそれが好きだからなのだろうが。

「じゃあ商人として、独立して商会を……これも無理か」
「商会設立の届け出の時に、親の貴族の許可がいるねぇ。平民だって商会設立時に、身元調査があるくらいだし」
「あとは……跡取り娘と結婚するくらいか。生家の支配から逃れられるのは」

 跡取り娘と結婚して、その家を継げば、爵位を継げる。
縁を切るまではいかなくても、少なくともケーヴェス家の言いなりになる必要はなくなる。

「ま、それが一番望みがあるな。今まで何人か、こんな俺と結婚したいって言ってくれる子がいたけど。あのクソ親父が兄貴の方と結婚しろって言って相手の家に乗り込むから、今のところ全部話は潰れてきた。本人はそれでも俺と結婚するのを諦めないって言ってくれても、その子の家族が止める。当然だね」

 それはそうだろう。
 いくら本人はエリスと結婚したい、父親や兄貴がどんな人かなんて関係ないと言ったところで、やはり家族は止めるだろう。
 本人の幸せのためにも。
そして家のためにも、あんなクソ親父と関りを持ちたくはないはずだ。

 ならば止める家族がいなければどうだろう?
 本人が既に女当主となっているとか……。

「あ、ルガー夫人」
「それな。ルガー子爵家の女当主代理。とある夜会で、ルガー夫人が一人でウロウロしていて、絶好のチャンスだと思って狙ってたら、どこからともなく現れた色男にもっていかれたんだけどな」
「いやあれは……」
「まあいいさ。そんな下心満載で近づいても、ルガー夫人だって困っただろうし」

 軽い調子で言うその言葉は、重い。

 『やってみたけど、だめだった』

 言葉で言うのは一瞬で済む。
 だけど実際にやってみるのに、エリスは一体何年掛けてきたのだろう。
 3年間上位の成績をキープして。
 見習い騎士になれないか、鍛錬をし続けながら色んな人に頼んでみて。
 何人かの恋人との縁談が潰れて。

 何年かけて、何回かけてエリスは、こうやって穏やかに、諦めてきたんだろう。

「さ。それじゃあいい加減に、今朝の鍛錬を始めますか」

 レオを助けてもらったセドリックが、エリスにお礼をすると言った時、なぜエリスは「特にやってもらいたいことはない」と言ったのだろう。
 伯爵家の跡継ぎであるセドリックに、なんとかしてほしいとは思わなかったのだろうか。

 そこまで考えて、セドリックはエリスの為に、自分が何もできないことに気が付いた。
 まだ伯爵でもなんでもないセドリックには。
 ……剣の鍛錬時にカカシとして突っ立っていること以外に、何も。




しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について

えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。 しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。 その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。 死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。 戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。

ひみつの姫君

らな
恋愛
男爵令嬢のリアはアルノー王国の貴族の子女が通う王立学院の1年生だ。 高位貴族しか入れない生徒会に、なぜかくじ引きで役員になることになってしまい、慌てふためいた。今年の生徒会にはアルノーの第2王子クリスだけではなく、大国リンドブルムの第2王子ジークフェルドまで在籍しているのだ。 冷徹な公爵令息のルーファスと、リアと同じくくじ引きで選ばれた優しい子爵令息のヘンドリックの5人の生徒会メンバーで繰り広げる学園ラブコメ開演! リアには本人の知らない大きな秘密があります!

処理中です...