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第三章 事件発生
16.得体の知れない物は苦手だから巻き込むな
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電話越しに聞こえるシュウヘイの声は、明らかに様子がおかしかった。いつもは取り乱すことなどないメンタルも強いシュウヘイがこんな怯えた声を出すなど、明らかに何か異変が起きている。
「おいシュウヘイ、お前今どこにいる」
『ぼ、僕、自分ちに向かってたら、後ろから、あああ!』
「おい! 場所はどこだって!」
狗神が亮太のすぐ近くまでやってきた。電話の声に耳を傾けている様で、耳がピク、ピクと小さく動いていた。
『い、今っ北沢八幡に来ました! 亮太さん、助けて下さい! 怖いよおおお!』
もう少し人のいる所に行けばいいものを、と思い、平日のこの時間に人通りなどそもそも殆どないことに気が付いた。ではまあ仕方ない。
『あ、入って来れないみたいです! さすが神社!』
泣き声でシュウヘイが言った。怖がってるのか誉めてるのか分からないのは、そこはやはりシュウヘイというべきか。震えて動けないなどといったことはない。そういう意味ではとても生命力が強い奴だ。
「シュウヘイ、何が居るんだよ。お前の説明じゃよく分かんねえよ」
助けてくれと言われても、相手の正体が分からなければ対策の仕様がなかった。
『黒い人型の影っす! うねうねしてて、僕を追いかけて来るんです!』
追ってきている物が神社の境内に入ってこれないことで、少し落ち着きを取り戻したらしい。泣き声ではなくなっていた。よかった、と思うと同時に欠伸が出た。すると一気に眠気が襲ってきた。こりゃ拙い。身体が拒絶反応を起こしている。
だから、つい冷たい言葉がついて出た。
「でも、俺が行ってどうにかなるのか?」
そんな人外っぽいもの、亮太が行ったところでどうにもならなさそうである。それにそろそろ本当に寝たかった。
「朝までそこで待つとか」
もしかしたら、日が昇れば影は消えるかもしれない。亮太はダメ元で言ってみた。
『亮太さん、それはないっすよ! そんなことしたら、僕明日仕事休みますよ!』
「そりゃあ困る」
『じゃあ今すぐ来てください! そんで僕と朝まで居てください!』
「うーん」
好き好んで男と二人、朝まで過ごしたくはない。それに今は業務時間外である。しかも亮太にはどうしようも出来そうにない案件だ。
そしてごちゃごちゃ言い訳を自分の中で並べ立てているのは、要は正直そういうオカルト的なものが苦手だからだ。肝試しに進んで行く人間の気がしれない、あいつらは阿呆だと亮太は常日頃思っている。
『そこ、悩むところですか!』
とうとうシュウヘイに怒鳴られた。とりあえず誰か横に一緒にいればいいのだろう。亮太は小さく溜息をついた。
行きたくないけれど。
「分かった分かった、とりあえず行くよ」
『あいつ、正面の入り口の方を彷徨いてるんで、横の入り口から来たら鉢合わせないと思います! 早く来てくださいね!』
「分かったよ。じゃあ一旦切るぞ」
『えっちょっと亮太さ』
ブ、と亮太は通話を終了した。はあ、ともう一度小さく溜息をつく。
「私も行きましょう。恐らく亮太では対処出来ない輩です」
狗神がすっくと立ち上がった。凛々しくて結構なのだが、一緒に行ってどうするつもりなのか。少し眠くて面倒くさそうな亮太の表情に気付いた狗神が、責めるように言った。
「あまり放っておくと良くない部類のものかもしれませんよ。お知り合いなんですよね?」
「俺の店の店員だよ」
「じゃあ尚更ダメじゃないですか」
「得体の知れないのは嫌いなんだよ」
「怖いんですね」
「まあ、そうとも言うな」
シュウヘイには素直に言えなくとも、犬の狗神には正直に言えるあたり、亮太はやはり自分は捻くれていると思う。
「私が護ります、とりあえず向かいましょう」
「随分と熱心だな」
「まあ、ええ、はい」
狗神がお茶を濁した。怪しいが、まあ今はいい。
「アキラに家を空けることは言っておくか?」
狗神は静かな目をして答えた。
「無駄です。絶対朝まで起きません」
「……はいよ」
アキラは図太いとは思っていたが、アキラをよく知る狗神ですらこう言うのだから相当に図太いのだろう。
明日からは、帰宅しても気を使って静かにする必要はなさそうだな、と思った。
「ほら、行きますよ亮太」
玄関の前で狗神が亮太を振り返った。出来る限り引き伸ばそうという亮太の意図など、お見通しなのだろう。
犬なのに。
亮太は重い腰を上げ、またコンバースを履いて紐をきっちりと結いた。
立ち上がると、亮太を見上げる狗神に言った。
「ちゃんと約束通り俺を護ってくれよ」
犬がどう亮太を護るのかは分からないが、今この場で一番頼りになるのは間違いなく狗神だった。
「お任せ下さい」
キッパリと言い切る狗神の言葉に、亮太は少しだけ勇気をもらえた気がした。
「行きますよ。案内して下さい」
「へいへい」
街灯が仄かに照らす住宅街を、おっさんと犬が駆けた。
◇
亮太の家から北沢八幡までは、普通に歩くと十分程度かかる。亮太はその距離を走って行ける自信は皆無だったが、タバコを吸わなかったせいかどうかは知らないが、身体がとても軽く感じて足がどんどん前に進んだ。
こんなこと、若い時分には当たり前だったが、ここ数年こんなに普通に走れたことなどない。さすがにおかしい、そう感じた。
タバコを吸う気が急になくなったり、腹が鳴ったり、今の様に軽やかに走れたり。何か自分の身体に変化が起こっている、そんな気がした。
茶沢通りから左に折れると、神社へと続く細い道に入った。
祭りの時期になると、この道を人がぎゅうぎゅうになりながら神輿を担いで通る。休憩所でビールを飲みつつ担ぐのは乙なのだが、この人相の悪さのせいで本物と見間違われる事がよくあったので、最近は神輿担ぎには参加していなかった。肩も擦りむけるし、その後店を開けるのもなかなか辛いので、いい口実が出来たと思うことにしている。
くねくねと折れる道を走っていくと、神社の鳥居が見え始めた。正面と横からと上の方からの入り口もあるのだが、T字路に黒い人影の様な物がいて道を塞いでいる。
あれだ、あれがシュウヘイの言ってた奴だ。
亮太と並走していた狗神が、言った。
「私が食い止めるので、亮太は中へ」
「食い止めるって! お前は大丈夫なのか!」
「あれなら大丈夫です。すぐに追いますのでご安心を」
そう言った瞬間、狗神は一気にスピードを上げてグングンと亮太の先を走り始めた。早い早い。
かなり手前から跳躍し、黒い人影の上の方に飛びついた。人影がそのまま狗神と一緒に地面に倒れ込む。
「悪いイヌガミ!」
狗神が影の上に乗り押さえ込んでいるのを横目に、亮太は一気に走り抜け、鳥居を潜った。
振り返り叫ぶ。
「イヌガミ!」
狗神が影の上から離れると、境内で待つ亮太の元に走ってきた。亮太がしゃがんで飛び込んできた狗神を見て、ハッとした。
「お前、怪我!」
耳が少し切れて血が滲んでいる。
「大したことはありませんが、爪でやられました。あれは女ですね」
「女!? 女の何なんだありゃ!」
亮太が狗神に尋ねていると、人声に気付いたのだろう、上からシュウヘイが声をかけてきた。
「亮太さーん?」
「シュウヘイ!」
亮太が小声で狗神に注意した。
「イヌガミ、あいつの前では喋るなよ」
「分かりました。……亮太、あれは生霊です。女の怨念がこの辺りに巣食っていた悪い気と混ざり合って作られたものでしょう」
亮太は自分の顔が思い切り歪んでいくのを止めることが出来なかった。生霊なんて、正にオカルトそのものじゃないか。いや無理無理無理無理。
「そんなのどうすりゃいいんだよ!」
小声で抗議する。もう帰りたかった。
「発生させた原因が心から反省して祓詞を唱えれば、恐らくは消えるかと」
狗神はあくまで冷静だった。何でこいつはこんなに平然としているんだろうか。
「発生させた原因?」
「当然、あの頭の軽そうな男です」
階段を息を切らして降りてくるシュウヘイをチラリと見て、狗神が吐き捨てる様に言った。
「……シュウヘイか」
「女性の恨み嫉みを買う様なことをされたのではないですかね」
正に今日その件でシュウヘイに忠告したばかりだった。亮太は深く頷いた。
「してるな」
「ではそれですね」
じゃああれはマナミの怨念ということだろうか? 深く考えたくはなかった。
「で、その祓詞ってのは何だ」
シュウヘイがここに着く前に聞いておかねばならない。
「素人には難しいので、略祓詞でいいでしょう」
「りゃ、略……」
犬に小難しいことを言われた。狗神は小さく溜息をついた。犬も溜息というものはつけるらしかった。
「何でもいいですから、『祓え給え清め給え』と繰り返させて下さい」
「わ、分かった」
「今回は小物なのでそれで消えるでしょう」
「こ、今回?」
「ほら、彼が来ましたよ」
シュウヘイが泣きそうな顔で亮太の元まで走ってきた。途端、狗神が黙り込んだ。
「亮太さん、来てくれたんっすね!」
「あ、ああ」
さて、どう伝えればいいか。
亮太は胸元の勾玉を握りしめた。
「おいシュウヘイ、お前今どこにいる」
『ぼ、僕、自分ちに向かってたら、後ろから、あああ!』
「おい! 場所はどこだって!」
狗神が亮太のすぐ近くまでやってきた。電話の声に耳を傾けている様で、耳がピク、ピクと小さく動いていた。
『い、今っ北沢八幡に来ました! 亮太さん、助けて下さい! 怖いよおおお!』
もう少し人のいる所に行けばいいものを、と思い、平日のこの時間に人通りなどそもそも殆どないことに気が付いた。ではまあ仕方ない。
『あ、入って来れないみたいです! さすが神社!』
泣き声でシュウヘイが言った。怖がってるのか誉めてるのか分からないのは、そこはやはりシュウヘイというべきか。震えて動けないなどといったことはない。そういう意味ではとても生命力が強い奴だ。
「シュウヘイ、何が居るんだよ。お前の説明じゃよく分かんねえよ」
助けてくれと言われても、相手の正体が分からなければ対策の仕様がなかった。
『黒い人型の影っす! うねうねしてて、僕を追いかけて来るんです!』
追ってきている物が神社の境内に入ってこれないことで、少し落ち着きを取り戻したらしい。泣き声ではなくなっていた。よかった、と思うと同時に欠伸が出た。すると一気に眠気が襲ってきた。こりゃ拙い。身体が拒絶反応を起こしている。
だから、つい冷たい言葉がついて出た。
「でも、俺が行ってどうにかなるのか?」
そんな人外っぽいもの、亮太が行ったところでどうにもならなさそうである。それにそろそろ本当に寝たかった。
「朝までそこで待つとか」
もしかしたら、日が昇れば影は消えるかもしれない。亮太はダメ元で言ってみた。
『亮太さん、それはないっすよ! そんなことしたら、僕明日仕事休みますよ!』
「そりゃあ困る」
『じゃあ今すぐ来てください! そんで僕と朝まで居てください!』
「うーん」
好き好んで男と二人、朝まで過ごしたくはない。それに今は業務時間外である。しかも亮太にはどうしようも出来そうにない案件だ。
そしてごちゃごちゃ言い訳を自分の中で並べ立てているのは、要は正直そういうオカルト的なものが苦手だからだ。肝試しに進んで行く人間の気がしれない、あいつらは阿呆だと亮太は常日頃思っている。
『そこ、悩むところですか!』
とうとうシュウヘイに怒鳴られた。とりあえず誰か横に一緒にいればいいのだろう。亮太は小さく溜息をついた。
行きたくないけれど。
「分かった分かった、とりあえず行くよ」
『あいつ、正面の入り口の方を彷徨いてるんで、横の入り口から来たら鉢合わせないと思います! 早く来てくださいね!』
「分かったよ。じゃあ一旦切るぞ」
『えっちょっと亮太さ』
ブ、と亮太は通話を終了した。はあ、ともう一度小さく溜息をつく。
「私も行きましょう。恐らく亮太では対処出来ない輩です」
狗神がすっくと立ち上がった。凛々しくて結構なのだが、一緒に行ってどうするつもりなのか。少し眠くて面倒くさそうな亮太の表情に気付いた狗神が、責めるように言った。
「あまり放っておくと良くない部類のものかもしれませんよ。お知り合いなんですよね?」
「俺の店の店員だよ」
「じゃあ尚更ダメじゃないですか」
「得体の知れないのは嫌いなんだよ」
「怖いんですね」
「まあ、そうとも言うな」
シュウヘイには素直に言えなくとも、犬の狗神には正直に言えるあたり、亮太はやはり自分は捻くれていると思う。
「私が護ります、とりあえず向かいましょう」
「随分と熱心だな」
「まあ、ええ、はい」
狗神がお茶を濁した。怪しいが、まあ今はいい。
「アキラに家を空けることは言っておくか?」
狗神は静かな目をして答えた。
「無駄です。絶対朝まで起きません」
「……はいよ」
アキラは図太いとは思っていたが、アキラをよく知る狗神ですらこう言うのだから相当に図太いのだろう。
明日からは、帰宅しても気を使って静かにする必要はなさそうだな、と思った。
「ほら、行きますよ亮太」
玄関の前で狗神が亮太を振り返った。出来る限り引き伸ばそうという亮太の意図など、お見通しなのだろう。
犬なのに。
亮太は重い腰を上げ、またコンバースを履いて紐をきっちりと結いた。
立ち上がると、亮太を見上げる狗神に言った。
「ちゃんと約束通り俺を護ってくれよ」
犬がどう亮太を護るのかは分からないが、今この場で一番頼りになるのは間違いなく狗神だった。
「お任せ下さい」
キッパリと言い切る狗神の言葉に、亮太は少しだけ勇気をもらえた気がした。
「行きますよ。案内して下さい」
「へいへい」
街灯が仄かに照らす住宅街を、おっさんと犬が駆けた。
◇
亮太の家から北沢八幡までは、普通に歩くと十分程度かかる。亮太はその距離を走って行ける自信は皆無だったが、タバコを吸わなかったせいかどうかは知らないが、身体がとても軽く感じて足がどんどん前に進んだ。
こんなこと、若い時分には当たり前だったが、ここ数年こんなに普通に走れたことなどない。さすがにおかしい、そう感じた。
タバコを吸う気が急になくなったり、腹が鳴ったり、今の様に軽やかに走れたり。何か自分の身体に変化が起こっている、そんな気がした。
茶沢通りから左に折れると、神社へと続く細い道に入った。
祭りの時期になると、この道を人がぎゅうぎゅうになりながら神輿を担いで通る。休憩所でビールを飲みつつ担ぐのは乙なのだが、この人相の悪さのせいで本物と見間違われる事がよくあったので、最近は神輿担ぎには参加していなかった。肩も擦りむけるし、その後店を開けるのもなかなか辛いので、いい口実が出来たと思うことにしている。
くねくねと折れる道を走っていくと、神社の鳥居が見え始めた。正面と横からと上の方からの入り口もあるのだが、T字路に黒い人影の様な物がいて道を塞いでいる。
あれだ、あれがシュウヘイの言ってた奴だ。
亮太と並走していた狗神が、言った。
「私が食い止めるので、亮太は中へ」
「食い止めるって! お前は大丈夫なのか!」
「あれなら大丈夫です。すぐに追いますのでご安心を」
そう言った瞬間、狗神は一気にスピードを上げてグングンと亮太の先を走り始めた。早い早い。
かなり手前から跳躍し、黒い人影の上の方に飛びついた。人影がそのまま狗神と一緒に地面に倒れ込む。
「悪いイヌガミ!」
狗神が影の上に乗り押さえ込んでいるのを横目に、亮太は一気に走り抜け、鳥居を潜った。
振り返り叫ぶ。
「イヌガミ!」
狗神が影の上から離れると、境内で待つ亮太の元に走ってきた。亮太がしゃがんで飛び込んできた狗神を見て、ハッとした。
「お前、怪我!」
耳が少し切れて血が滲んでいる。
「大したことはありませんが、爪でやられました。あれは女ですね」
「女!? 女の何なんだありゃ!」
亮太が狗神に尋ねていると、人声に気付いたのだろう、上からシュウヘイが声をかけてきた。
「亮太さーん?」
「シュウヘイ!」
亮太が小声で狗神に注意した。
「イヌガミ、あいつの前では喋るなよ」
「分かりました。……亮太、あれは生霊です。女の怨念がこの辺りに巣食っていた悪い気と混ざり合って作られたものでしょう」
亮太は自分の顔が思い切り歪んでいくのを止めることが出来なかった。生霊なんて、正にオカルトそのものじゃないか。いや無理無理無理無理。
「そんなのどうすりゃいいんだよ!」
小声で抗議する。もう帰りたかった。
「発生させた原因が心から反省して祓詞を唱えれば、恐らくは消えるかと」
狗神はあくまで冷静だった。何でこいつはこんなに平然としているんだろうか。
「発生させた原因?」
「当然、あの頭の軽そうな男です」
階段を息を切らして降りてくるシュウヘイをチラリと見て、狗神が吐き捨てる様に言った。
「……シュウヘイか」
「女性の恨み嫉みを買う様なことをされたのではないですかね」
正に今日その件でシュウヘイに忠告したばかりだった。亮太は深く頷いた。
「してるな」
「ではそれですね」
じゃああれはマナミの怨念ということだろうか? 深く考えたくはなかった。
「で、その祓詞ってのは何だ」
シュウヘイがここに着く前に聞いておかねばならない。
「素人には難しいので、略祓詞でいいでしょう」
「りゃ、略……」
犬に小難しいことを言われた。狗神は小さく溜息をついた。犬も溜息というものはつけるらしかった。
「何でもいいですから、『祓え給え清め給え』と繰り返させて下さい」
「わ、分かった」
「今回は小物なのでそれで消えるでしょう」
「こ、今回?」
「ほら、彼が来ましたよ」
シュウヘイが泣きそうな顔で亮太の元まで走ってきた。途端、狗神が黙り込んだ。
「亮太さん、来てくれたんっすね!」
「あ、ああ」
さて、どう伝えればいいか。
亮太は胸元の勾玉を握りしめた。
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