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第三章 後宮の花たち
第十話
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「本日はお招きいただき、誠にありがとうございます。メイリン様」
「いえ、わたくしの方こそ、先日はありがとうございました。ファン様」
そんなやり取りをして、わたくしたちは目の前の机に置かれた湯呑みを手に持ち、この日のために用意した香り高いお茶を口に運ぶ。
「……良い香りですね」
「気に入っていただけたようで何よりです」
うっとりとしたため息を漏らしてそう告げるファン様を見て、わたくしもつられるように自然と穏やかな笑みを浮かべていた。
――今日は、先日ファン様にお世話になったお礼にお茶会をしようと、彼女をわたくしの宮に招待していた。
生家にいた頃から他者を避けてきたため、お茶会を主催したことなどなく不安もあったが、人のために好まれそうなお茶を選んだりするのは、思いの外楽しかった。
そして客人が喜んでいる姿を見ると、安堵と共に喜びの感情が湧き上がるというのも初めて知った。
イェン兄様といるのとも、皇帝陛下と共にいるのとも違う、ほっこりと心温まるような感覚を、少しだけこそばゆく感じる。
ちらりと見てみれば、ファン様もあまり場馴れしていない様子で、嬉しそうにはしているけれど、どこかソワソワと落ち着かない様子だった。
先日のフォンス様主催のお茶会とは違い、この空間には温かい空気が広がっているのを感じる。
ただ、お茶会を主催した者として、このまま無言でお茶をすすっているだけではいけないという思いもあって、わたくしはゆっくりと口を開く。
「……ファン様は、後宮に入られてから長いのですか?」
わたくしの問いに、先ほどまで漂っていた温かい空気を冷ますように、少し暗い表情をしたファン様が控えめに答える。
「……いえ。私はメイリン様の前に入ったばかりで、まだまだ新参者です」
「そうなのですね。でもわたくしよりは先にいらっしゃったので、先輩ということになりますね」
ファン様が暗い表情をしていたので、わたくしはできるだけ明るい笑顔を浮かべて、話を明るい方向へと導こうとした。
そんなわたくしの心を知ってか、ファン様はまだ眉尻を下げながらではあるものの、気遣うような薄い笑みを浮かべる。
「先輩だなんて……。でも、そうですね……私も後宮に入ったばかりの頃、他のお妃様から嫌がらせを受けたので、そういった意味では先輩と言えるかもしれませんね」
そう言われて、ファン様がお茶を被ったわたくしに優しくしてくださった理由や、すぐに状況を察することができた理由を理解できた。
自分も同じことをされたからなのか、と。
しかし当初の目的である、会話を明るい方向に導くということは失敗に終わってしまったなと、わたくしは笑顔は浮かべているものの返答に困り、ただ固まっていた。
わたくしたちの間には、しーん……と静かな時が流れる。
気まずさを感じながらも、こういったときにどうしたものかと笑顔のまま悩んでいると、先にファン様が口を開く。
「その……差し支えなければ、メイリン様はなぜ後宮に入られたのかお聞きしてもよろしいですか?」
唐突な質問を不思議に思いながらも、無言でいるよりもずっと良いと感じたわたくしは、核心は避けながらも正直に答える。
「わたくしが後宮に来たいと、そう決意したからです」
わたくしの答えを聞いたファン様は、どこか寂しそうな残念そうな表情をしたかと思うと、目を伏せて、こぼすように言葉を漏らす。
「ご自分の意志でいらっしゃったのですね……強いご自分の意志があって、羨ましいです……」
「……ファン様は、どうして後宮に入られたのですか?」
彼女の表情から、良い返答が帰ってこないであろうことは分かっていながらも、どこか彼女が聞いてほしそうにしているように感じられて、自然と質問を投げかける。
するとファン様は目を伏せながら、どこか遠くを見ているような眼差しで答える。
「私は……役人をしている父の命令で、皇后になれと、後宮入りを決められました。そこに、私の意志はありませんでした」
ファン様は、自嘲気味な笑みをこぼしながら続ける。
「皇帝陛下は素敵な方ですが、私には皇后なんて務まらないと自覚しているので……父の願いを叶えることもできず……どう、すれば……良いのか……」
最後の方、ファン様の目元には涙が浮かんでいた。
そのことから、ファン様が心からそのことについて悩んでいることが分かった。
優しくしてくださったファン様に、心救われるような言葉を贈って差し上げたいという想いはあるけれど、こればかりは彼女自身が……彼女が心の中で解決するしかない問題だ。
父親の方針に従って皇后の座を目指すのか、父親の命令を無視して後宮で自分らしく過ごすのか。
ファン様の言葉から、彼女の中で答えはすでに決まりきっているように感じたが、彼女の優しさが、その答えを受け入れきれずにいるようにも感じられた。
だからわたくしは、せめて少しでも彼女の気晴らしになればと、穏やかな笑みを浮かべて彼女に言葉を贈る。
「……ファン様。これからも、時々こうしてお茶会にお誘いしてもよろしいですか?」
「え……?」
突然の誘いに、ファン様は目に涙を浮かべたまま困惑した様子だった。
そんな彼女ににっこりと笑みを浮かべ、わたくしは言葉を続ける。
「定期的にお会いして、こうして心の内をお話しましょう。皇帝陛下にも、もちろんお父様にも内緒で……友人同士の秘密のお茶会をいたしましょう」
いたずらっぽく口元に人差し指を当ててそう言うと、ファン様は最初ぽかーんっとしていたけれど、わたくしの言葉を理解するとくすっと笑みをこぼして答える。
「……ぜひ、お願いいたします」
そう答えるファン様の表情は、先ほどまでよりは明るく感じられた。
わたくしも初めて、友人ができた喜びから、明るい笑顔が自然と顔に浮かんでいた。
「いえ、わたくしの方こそ、先日はありがとうございました。ファン様」
そんなやり取りをして、わたくしたちは目の前の机に置かれた湯呑みを手に持ち、この日のために用意した香り高いお茶を口に運ぶ。
「……良い香りですね」
「気に入っていただけたようで何よりです」
うっとりとしたため息を漏らしてそう告げるファン様を見て、わたくしもつられるように自然と穏やかな笑みを浮かべていた。
――今日は、先日ファン様にお世話になったお礼にお茶会をしようと、彼女をわたくしの宮に招待していた。
生家にいた頃から他者を避けてきたため、お茶会を主催したことなどなく不安もあったが、人のために好まれそうなお茶を選んだりするのは、思いの外楽しかった。
そして客人が喜んでいる姿を見ると、安堵と共に喜びの感情が湧き上がるというのも初めて知った。
イェン兄様といるのとも、皇帝陛下と共にいるのとも違う、ほっこりと心温まるような感覚を、少しだけこそばゆく感じる。
ちらりと見てみれば、ファン様もあまり場馴れしていない様子で、嬉しそうにはしているけれど、どこかソワソワと落ち着かない様子だった。
先日のフォンス様主催のお茶会とは違い、この空間には温かい空気が広がっているのを感じる。
ただ、お茶会を主催した者として、このまま無言でお茶をすすっているだけではいけないという思いもあって、わたくしはゆっくりと口を開く。
「……ファン様は、後宮に入られてから長いのですか?」
わたくしの問いに、先ほどまで漂っていた温かい空気を冷ますように、少し暗い表情をしたファン様が控えめに答える。
「……いえ。私はメイリン様の前に入ったばかりで、まだまだ新参者です」
「そうなのですね。でもわたくしよりは先にいらっしゃったので、先輩ということになりますね」
ファン様が暗い表情をしていたので、わたくしはできるだけ明るい笑顔を浮かべて、話を明るい方向へと導こうとした。
そんなわたくしの心を知ってか、ファン様はまだ眉尻を下げながらではあるものの、気遣うような薄い笑みを浮かべる。
「先輩だなんて……。でも、そうですね……私も後宮に入ったばかりの頃、他のお妃様から嫌がらせを受けたので、そういった意味では先輩と言えるかもしれませんね」
そう言われて、ファン様がお茶を被ったわたくしに優しくしてくださった理由や、すぐに状況を察することができた理由を理解できた。
自分も同じことをされたからなのか、と。
しかし当初の目的である、会話を明るい方向に導くということは失敗に終わってしまったなと、わたくしは笑顔は浮かべているものの返答に困り、ただ固まっていた。
わたくしたちの間には、しーん……と静かな時が流れる。
気まずさを感じながらも、こういったときにどうしたものかと笑顔のまま悩んでいると、先にファン様が口を開く。
「その……差し支えなければ、メイリン様はなぜ後宮に入られたのかお聞きしてもよろしいですか?」
唐突な質問を不思議に思いながらも、無言でいるよりもずっと良いと感じたわたくしは、核心は避けながらも正直に答える。
「わたくしが後宮に来たいと、そう決意したからです」
わたくしの答えを聞いたファン様は、どこか寂しそうな残念そうな表情をしたかと思うと、目を伏せて、こぼすように言葉を漏らす。
「ご自分の意志でいらっしゃったのですね……強いご自分の意志があって、羨ましいです……」
「……ファン様は、どうして後宮に入られたのですか?」
彼女の表情から、良い返答が帰ってこないであろうことは分かっていながらも、どこか彼女が聞いてほしそうにしているように感じられて、自然と質問を投げかける。
するとファン様は目を伏せながら、どこか遠くを見ているような眼差しで答える。
「私は……役人をしている父の命令で、皇后になれと、後宮入りを決められました。そこに、私の意志はありませんでした」
ファン様は、自嘲気味な笑みをこぼしながら続ける。
「皇帝陛下は素敵な方ですが、私には皇后なんて務まらないと自覚しているので……父の願いを叶えることもできず……どう、すれば……良いのか……」
最後の方、ファン様の目元には涙が浮かんでいた。
そのことから、ファン様が心からそのことについて悩んでいることが分かった。
優しくしてくださったファン様に、心救われるような言葉を贈って差し上げたいという想いはあるけれど、こればかりは彼女自身が……彼女が心の中で解決するしかない問題だ。
父親の方針に従って皇后の座を目指すのか、父親の命令を無視して後宮で自分らしく過ごすのか。
ファン様の言葉から、彼女の中で答えはすでに決まりきっているように感じたが、彼女の優しさが、その答えを受け入れきれずにいるようにも感じられた。
だからわたくしは、せめて少しでも彼女の気晴らしになればと、穏やかな笑みを浮かべて彼女に言葉を贈る。
「……ファン様。これからも、時々こうしてお茶会にお誘いしてもよろしいですか?」
「え……?」
突然の誘いに、ファン様は目に涙を浮かべたまま困惑した様子だった。
そんな彼女ににっこりと笑みを浮かべ、わたくしは言葉を続ける。
「定期的にお会いして、こうして心の内をお話しましょう。皇帝陛下にも、もちろんお父様にも内緒で……友人同士の秘密のお茶会をいたしましょう」
いたずらっぽく口元に人差し指を当ててそう言うと、ファン様は最初ぽかーんっとしていたけれど、わたくしの言葉を理解するとくすっと笑みをこぼして答える。
「……ぜひ、お願いいたします」
そう答えるファン様の表情は、先ほどまでよりは明るく感じられた。
わたくしも初めて、友人ができた喜びから、明るい笑顔が自然と顔に浮かんでいた。
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