命をかけて恋をした、ちっぽけな少年の物語

ロジャー・フェデ郎

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第2章 あの日と同じ

あの日と同じ

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「ただいま…」

蓮は、予定よりも30分ほど遅れて帰宅した。
汗で湿った靴下が、フローリングの廊下に足跡をつけていく。
家の電気はついていない。

「母さん?………誰もいない?」

家の中は、不気味なほど静まり返っていて、キッチンの流し台の蛇口からポタポタと水が落ちる音だけが響く。
リビングのドアを開けて、部屋に入る。するとーー



パンッ!パンパンッ!


「せーのっ」

『蓮~!お帰りなさい!!』


家族が盛大に迎えてくれた。
蓮の頭には、クラッカーから飛び出たビニールテープや小さな紙吹雪が、ドサッと盛り上がっている。

「お帰り!蓮」

美代子が蓮を抱きしめた。
妹の彩(さやか)も、飛びついてきた。

「お兄ちゃん、お帰りっ!」

彩は、中学3年生の可愛い妹だ。彼氏がいるらしいがもしも彩を傷つけるようなことがあれば…と、脅してあるからおそらく心配はないだろう。
今はそれよりも……

蓮は2人の背中に手を回し、きつく抱きしめる。

「あぁ…ただいまっ…!」

あぁ、せっかく声を振り絞ったのに、最後の方は上手く声が出なかったじゃねえかよ。

蓮は、力のことなんて忘れて暫くの間このまま抱きしめていた。






***


その日の夕飯は、出張から帰ってきた父も混ぜて家族水入らずで焼肉を食べに行った。
決して、高級なものを食べたとかいつもと違うことをしたとか、そういうことではない。

いつも通り過ごすことができる幸せを、家族で改めて噛み締めたのだ。 
蓮に限っては、どんなに頑張ったところで普通に暮らせそうにないが。

親友も、一番気を許すことのできた女子も…
蓮の元には戻ってこない。



誰かの未来を変えれば、自分の存在が消える。

自分という存在を殺さないならば、 他人の死を見て見ぬ振りをしなければならない。

なんて、醜い誕生日プレゼントだろうか。
蓮の人生は狂ってしまった。
きっとこれからも仲良く出来たはずなのだ。中島も仁坂も。


蓮は家に帰ってくると、風呂をシャワーで済ませて自分の部屋にこもった。
ベットに飛び込み目を瞑ると、今日の出来事が走馬灯の様に巡った。

もう寝ようかと、部屋の電気を消すリモコンに手を伸ばした時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。

「入るわよ~?」

美代子の声だ。蓮は身体を起こして、答えた。

「良いよ」

内開きのドアが小さく悲鳴をあげて開き、そこから美代子の姿が覗いた。

「どうしたの?」

美代子は少し躊躇ったように見えた。
美代子は、ベッドの上に腰掛けた。それから、どこか遠くを見るように目を細めて話し始めた。

「夏希ちゃん……交通事故で亡くなったって」

蓮は言葉が出なかった。

夏希が死んだ?どの夏希?あぁ、幼稚園の頃、確か一緒だった奴か…!なんだよ、驚かせんなよ! 

「あんたと同じ……歩道を歩いたら、居眠り運転のトラックが突っ込んできて跳ねられちゃったって…」 

自分の膝が震えているのがわかる。



自分があの時…見ず知らずの男を助けなければ、仁坂は死なずに済んだのか…? 

勝手な正義感で動いたせいで、彼女は死んだのか…?
人助けなんかじゃなかったじゃないか…!俺は…俺は人殺しだ………! 



鼓動が早くなる。呼吸が荒くなり、どんどん息苦しくなる。視界がゆらゆらと歪む。

「ハァ…ハァッ…!」 

「蓮!?大丈夫!?蓮、蓮!」 



暫くの間、こんな状態が続いていて美代子は救急車を呼ぼうとしたが、蓮は止めた。
美代子に背中をさすってもらい、ようやく落ち着いてきた。震えが止まった。

「今日はもう寝なさい…明日、また詳しいことは話すから」 

蓮は頷くと、電気を消してベッドに入った。 

美代子が部屋から出て行くと、部屋には無限とも思える暗闇が訪れた。



「夏希…」 



久しく呼んでいなかった彼女の名前を呟いた。

なぜ夏希は俺をお茶に誘ったのだろう。 
デートという単語の選択。
強引に手をつないできたこと。


全く気がつかなかった彼女の気持ち…。

きっと、あの『デート』 が続いていれば、彼女は俺によりを戻そうと提案したのだろう。
俺の返事は、おそらく『OK』。


彼女に対する気持ちは打ち切った?
まさか。未だに大好きだ。彼女の笑顔。華奢な身体。仕草、口癖。

電車で彼女を見た時……心の底から喜びを叫びたくなったあの感覚。
どうして…どうして気がつかなかったんだ!

何もかも覚えている。この2年間、彼女のことを忘れた日など一度もなかった。 

改めて彼女という存在の大きさを思い知った。
涙が溢れ出てくる。自分は、彼女のように、誰かにとって大きな存在になれるのだろうか。

俺の勝手な正義感が、彼女の夢も、思いも、記憶も、何もかも奪ってしまった。


「ごめん…なぁ……。っ…夏希ぃ…!」 


蓮の情けない嗚咽を、深い深い闇が受け止めた。
蓮は、いつの間にか闇の中に沈み込み、深い眠りについてしまった。 




***







部屋の暗闇はすっかり晴れて、カーテンの隙間から差してくる日差しで目が覚めた。

身体を起こす。少し疲れが残っている。いつもよりも重い。

ここのところ、蓮は不運の連続だというのに、空は気持ちの良いほどに晴れている。
一点の曇りなし。見事に澄んだ青空だった。

夏希が死んだのだという事実を改めて認識すると、また胸が締め付けられた。 

机の前に立てかけてあるコルクボード。そこに貼り付けられた写真には、屈託のない笑顔でピースサインを見せる正樹と蓮が写っている。 

蓮は写真を勢いよく剥がし、机の横にあったステンレス製のゴミ箱に投げ込んだ。
カランカランと乾いた音が、暖かな空気の部屋を踊った。 



無性に外をぶらつきたくなって、蓮は寝間着を脱ぎ捨てた。くしゃくしゃに丸まって落ちている寝間着を見て、俺にはお似合いだと、蓮は鼻で嗤った。 

夏希から誕生日プレゼントにもらったカバンを肩から下げ、財布と携帯を詰めて部屋を出た。

「どこ行くの?」 

美代子がエプロンで手を拭きながら、歩み寄ってきた。

「ちょっと外出てくるよ…」 

美代子は、蓮の胸中を察したようで、行ってらっしゃいと優しく送り出してくれた。



夏希の葬式は明後日、行われるそうだ。

会いたい。

動かなくても良い。

自分のことを覚えていなくて良い。 

最後にお礼と、お詫びの言葉を彼女に……




もう2度と……会えない。 会えないってなんだ?
会話ができない。思いを共有できない。
当たり前って、こんなに幸せなんだ。


でも彼女は……俺のことを覚えていない。 
俺が一目惚れして告白したことも。バレンタインの日、チョコに砂糖と間違えて塩が入っていたことも。
彼女の誕生日に、サプライズでバラを100本プレゼントしたせいで懐が寒くなって、翌週の遊園地デートで奢ってもらったことも…………

何もかも、忘れてしまったのだ。


蓮は今、彼女と初めて出会った場所へ向かっていた。





***


彼女と初めて出会った場所……近所にある小さな公園だった。

俺はその日、部活の大会で負けて先輩たちを県大会に出場させることができず、ブランコに揺られながら泣いていた。

確かその日も、こんな澄んだ青空だった。

彼女は、太陽のように曇った心に光を射してくれた。

『大丈夫ですか…?』 

彼女はそう言って、目の腫れた蓮にハンカチを差し出した。
蓮は遠慮がちに、顔の前で手を振ったが、

『使ってください』 

そう、笑顔で言った。
この時、蓮はこの笑顔に何度も救われるなんて思いもしなかった。
さすがに、これ以上遠慮する気にはならず、彼女の言葉に甘えてハンカチで目元を拭った。

『ありがとう』 

洗って返すよ、と彼女に伝えたが、その瞬間にハンカチをスッと抜き取られてしまった。

彼女は、蓮に優しく囁いた。

『私でよかったら…お悩み、聞きましょうか?話せば楽になることもありますよ』 

蓮はその甘い言葉に見事に乗せられて、自分のミスで負けてしまったかもしれないこと、顧問に怒鳴られたこと。挙げ句の果てに、母親の愚痴まで聞いてもらったのだ。

『あっ…なんか、ごめん。俺ばっかり…』 

彼女はクスクスと笑って、

『感受性豊かな人なんですね…表情のバリエーションがすごく多い…!』 

蓮はその時、お腹を抱えながら、小さく笑う彼女の姿を愛おしく思った。 

そのあと、ちょっと遅れて自己紹介をして、連絡先を交換してそれぞれの家に向かったのだ。


これが、蓮と夏希との出会い。 






ーーーーーーそして今日も、あの日と同じように…


蓮はブランコに揺られながら、泣いていた。
もう、十分泣いたはずだった。本当はもっとやるべきこともあった。だが、なんだか無性に泣きたくなった。

泣く場所は、家を出る前からここだと決めていた。 
ここで泣いていれば、夏希が戻ってきてくれる気がした。

あの日のように、細くしなやかな指先で肩をトントンとつつかれて……


「大丈夫ですか…?」 


ーーーーーーーーーーーーーーーえ? 










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