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第二話 武士の矜持
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源四郎の記憶は、十年前の道場に遡った。寛永寺近くの幕府の道場で、彼は若い旗本たちに剣を教えていた。北辰一刀流の型は、流れるように美しく、かつ実戦的だった。弟子たちは彼を「鬼の源四郎」と呼び、畏怖と尊敬の眼差しを向けた。だが、黒船来航後、幕府の内紛が深まるにつれ、道場にも暗い影が差した。開国派と攘夷派の対立が、武士たちの間に亀裂を生んだ。源四郎はどちらにも与せず、ただ剣を教えることに専念した。だが、それが彼の失脚を招いた。
ある日、道場に薩摩藩の浪士が現れ、試合を挑んできた。源四郎は一瞬で相手を打ち負かしたが、その浪士は笑いながら言った。「剣など、もう時代遅れだ。薩摩には大砲がある。いずれ江戸も火の海だ」。その言葉が、源四郎の心に突き刺さった。やがて、幕府の重臣から「剣術指南の役目は不要」と告げられ、彼は道場を追われた。以来、源四郎は浅草の長屋に身を隠し、酒と孤独に浸る日々を送っていた。
長屋の薄暗い灯の下、源四郎はスナイドル銃を手に取った。重い鉄の感触が、手に馴染まない。刀とは異なる、冷たく無機質な存在感。銃身の刻印「Snider-Enfield」をなぞりながら、彼は男の最期の言葉を思い出した。「この銃を…守れ…」。守るとは、銃を隠すことか。それとも、黒龍会の陰謀を暴くことか。源四郎は目を閉じ、深く息を吐いた。
彼は師・千葉周作の言葉を思い出した。「剣は心なり。心正しければ、剣も正しい」。だが、今、源四郎の手にあるのは剣ではない。銃だ。心はどこに宿るのか。時代は変わり、武士の生き方も変わる。源四郎は立ち上がり、銃を手に持ったまま、夜の闇へ踏み出した。黒龍会を追う決意が、彼の胸に宿った。
翌朝、源四郎は深川の市場へ向かった。スナイドル銃は長屋の床下に隠し、書状だけを懐に忍ばせていた。深川の市場は、魚の匂いと商人たちの活気で満ちていた。源四郎は人混みの中を歩きながら、かつての仲間、山崎左近の居場所を探した。左近は幕府の火器隊を辞めた後、深川で小さな船宿を営んでいると聞いていた。
市場の奥、川沿いの船着き場に、左近の船宿はあった。木造の小さな建物は、風雨に晒されて色褪せていた。源四郎が戸を叩くと、髭面の男が顔を出した。左近だった。かつての精悍な顔は、酒と疲労でやつれていた。「源四郎…生きていたのか」。左近の声には、驚きと懐かしさが混じっていた。
二人は囲炉裏を囲んで酒を酌み交わした。源四郎は書状を見せ、スナイドル銃のことを話した。左近の目は鋭く光った。「スナイドルか。あれは化け物だ。後装式で、弾を込めるのに数秒しかかからん。火縄銃の時代は終わったよ」。左近はそう言って、埃をかぶった木箱から古いゲベール銃を取り出した。「これでも時代遅れだ。スナイドルは、その上を行く」。
源四郎は銃の構造を尋ねた。左近は熱心に語り始めた。スナイドル・エンフィールドは、英国で開発された後装式ライフル。銃身の後部に開閉式のブリーチ部があり、薬莢を装填する。火薬と弾を別々に込める火縄銃とは異なり、戦場での速射が可能だ。刀や槍では太刀打ちできない。源四郎は、その説明を聞きながら、昨夜の銃声を思い出した。あの鋭い音は、確かに新時代の音だった。
左近は続けた。「だが、問題は数が少ないことだ。幕府が輸入したのは数百挺。新政府がそれを受け継いだが、江戸にはほとんど残っていない。黒龍会が百挺も持っているなら、ただの浪人集団じゃない。外国の金と繋がっているはずだ」。源四郎は書状の「外国の陰謀」を思い出した。オランダか、英国か。それとも、もっと遠い国か。
左近はさらに情報を提供した。「品川の港に、怪しい船が停泊してるって噂だ。夜になると、黒装束の男たちが荷を運び込む。蔵は海辺の倉庫街、朽ちかけた一角にあるらしい」。源四郎は頷き、左近に礼を言った後、左近の船宿の裏、川辺の空き地で、源四郎はスナイドル銃を試射することにし、銃を構えた。
重い鉄の感触が、手に馴染まない。刀なら、刃の重心を感じ、相手の動きを読む。だが、銃は異なる。標的を定め、引き金を引くだけ。単純だが、どこか魂を欠いた行為に思えた。
左近が指示した。「銃身を肩に当て、照準を合わせろ。遠くの木を狙ってみな」。源四郎は川の対岸、約100間(約200メートル)先の松の木に狙いを定めた。
息を止め、引き金を引いた。パンッ! 鋭い銃声が響き、松の木の枝が折れた。源四郎は驚いた。刀では届かぬ距離を、一瞬で撃ち抜いたのだ。
左近が笑った。「どうだ、源四郎。こいつは剣の何倍も速い」。だが、源四郎の心は複雑だった。銃の力は認める。だが、この力は誰のために使うべきなのか。黒龍会がこの銃を手にすれば、江戸は再び戦乱の渦に巻き込まれる。源四郎は銃を下ろし、左近に言った。「品川の蔵へ行く。黒龍会の動きを確かめる」。
ある日、道場に薩摩藩の浪士が現れ、試合を挑んできた。源四郎は一瞬で相手を打ち負かしたが、その浪士は笑いながら言った。「剣など、もう時代遅れだ。薩摩には大砲がある。いずれ江戸も火の海だ」。その言葉が、源四郎の心に突き刺さった。やがて、幕府の重臣から「剣術指南の役目は不要」と告げられ、彼は道場を追われた。以来、源四郎は浅草の長屋に身を隠し、酒と孤独に浸る日々を送っていた。
長屋の薄暗い灯の下、源四郎はスナイドル銃を手に取った。重い鉄の感触が、手に馴染まない。刀とは異なる、冷たく無機質な存在感。銃身の刻印「Snider-Enfield」をなぞりながら、彼は男の最期の言葉を思い出した。「この銃を…守れ…」。守るとは、銃を隠すことか。それとも、黒龍会の陰謀を暴くことか。源四郎は目を閉じ、深く息を吐いた。
彼は師・千葉周作の言葉を思い出した。「剣は心なり。心正しければ、剣も正しい」。だが、今、源四郎の手にあるのは剣ではない。銃だ。心はどこに宿るのか。時代は変わり、武士の生き方も変わる。源四郎は立ち上がり、銃を手に持ったまま、夜の闇へ踏み出した。黒龍会を追う決意が、彼の胸に宿った。
翌朝、源四郎は深川の市場へ向かった。スナイドル銃は長屋の床下に隠し、書状だけを懐に忍ばせていた。深川の市場は、魚の匂いと商人たちの活気で満ちていた。源四郎は人混みの中を歩きながら、かつての仲間、山崎左近の居場所を探した。左近は幕府の火器隊を辞めた後、深川で小さな船宿を営んでいると聞いていた。
市場の奥、川沿いの船着き場に、左近の船宿はあった。木造の小さな建物は、風雨に晒されて色褪せていた。源四郎が戸を叩くと、髭面の男が顔を出した。左近だった。かつての精悍な顔は、酒と疲労でやつれていた。「源四郎…生きていたのか」。左近の声には、驚きと懐かしさが混じっていた。
二人は囲炉裏を囲んで酒を酌み交わした。源四郎は書状を見せ、スナイドル銃のことを話した。左近の目は鋭く光った。「スナイドルか。あれは化け物だ。後装式で、弾を込めるのに数秒しかかからん。火縄銃の時代は終わったよ」。左近はそう言って、埃をかぶった木箱から古いゲベール銃を取り出した。「これでも時代遅れだ。スナイドルは、その上を行く」。
源四郎は銃の構造を尋ねた。左近は熱心に語り始めた。スナイドル・エンフィールドは、英国で開発された後装式ライフル。銃身の後部に開閉式のブリーチ部があり、薬莢を装填する。火薬と弾を別々に込める火縄銃とは異なり、戦場での速射が可能だ。刀や槍では太刀打ちできない。源四郎は、その説明を聞きながら、昨夜の銃声を思い出した。あの鋭い音は、確かに新時代の音だった。
左近は続けた。「だが、問題は数が少ないことだ。幕府が輸入したのは数百挺。新政府がそれを受け継いだが、江戸にはほとんど残っていない。黒龍会が百挺も持っているなら、ただの浪人集団じゃない。外国の金と繋がっているはずだ」。源四郎は書状の「外国の陰謀」を思い出した。オランダか、英国か。それとも、もっと遠い国か。
左近はさらに情報を提供した。「品川の港に、怪しい船が停泊してるって噂だ。夜になると、黒装束の男たちが荷を運び込む。蔵は海辺の倉庫街、朽ちかけた一角にあるらしい」。源四郎は頷き、左近に礼を言った後、左近の船宿の裏、川辺の空き地で、源四郎はスナイドル銃を試射することにし、銃を構えた。
重い鉄の感触が、手に馴染まない。刀なら、刃の重心を感じ、相手の動きを読む。だが、銃は異なる。標的を定め、引き金を引くだけ。単純だが、どこか魂を欠いた行為に思えた。
左近が指示した。「銃身を肩に当て、照準を合わせろ。遠くの木を狙ってみな」。源四郎は川の対岸、約100間(約200メートル)先の松の木に狙いを定めた。
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左近が笑った。「どうだ、源四郎。こいつは剣の何倍も速い」。だが、源四郎の心は複雑だった。銃の力は認める。だが、この力は誰のために使うべきなのか。黒龍会がこの銃を手にすれば、江戸は再び戦乱の渦に巻き込まれる。源四郎は銃を下ろし、左近に言った。「品川の蔵へ行く。黒龍会の動きを確かめる」。
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