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暮色蒼然の罪咎
罪
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「はぁ…はぁ……」
暗い建物の中で自分の真っ赤な手を見つめる。何も覚えていない。だがそこには真っ赤に染まった自分の手が見える。そして、何故か口から血が垂れていた。血の味がする。その血の味が心地よく、そして怖くなった。
なんだよこれ……何があった……?訳が分からなかった。
足元を見れば布の切れ端が血を吸って赤黒く染まっている。鉄の臭いがツンと鼻につく。
俺は恐怖でその場から逃げ去る。頭が真っ白で何も考えられなかった。俺はどうしてあの場所にいて、手が真っ赤に染まって、血の味がするのか。頭がぐちゃぐちゃになってどうしたらいいのかわからなくなった。ただがむしゃらに暗い建物から出ようと階段を降りる。
「はぁ…はぁ…」
息が苦しい。脇腹が痛い。足元がふらつく。俺は階段の手すりを掴み息を整えようとした。下を向いていたため気が付かなかったが、目の前は月明かりに照らされた踊り場で大きな鏡と階数が見える。かなり階段を駆け下りたつもりだったがそんなことはなかった。たったの3階でこんなにも息が上がっていたというのか。体力がなさすぎる。
何も思い出せなくて、体力がなくて動けなくなった情けない俺の姿を踊り場の鏡は写していた。
俺の髪は血液のように赤く長い直毛。そして髪が長く前髪も左目を隠すように流れている。瞳は水色かかった灰色。俺はこんな顔をしていたのか。
「お前は誰だよ」
と鏡に写った自分自身に尋ねるが返事は帰ってはこない。当たり前のことなのだがそれでも教えてほしかった。自分が誰で何故こんなことをしているのか。
少し落ち着いたのか再び階段を降りながら今までの事を思い出そうとする。
あの布の切れ端と足元の血溜まりと俺の口から血が垂れていた事から恐らく俺が人間を喰らってしまっただろう。
血の味は心地よかったが、人を殺してしまった。何となく昔にも似たようなことがあった気がする。少しずつ記憶がはっきりしてくる。俺は人を殺した。それも無意識の内に。罪が徐々に大きくなる。そのたびに俺の心にのしかかる。辛い。苦しい。それでも尚、頭では人を食らえと、力を欲せと鳴り響く。でも心は傷つけるのが怖い、嫌だと罪をこれ以上重ねるなと叫んでいる。俺の心はぐちゃぐちゃになっていた。
いつの間にか階段を降りきったようで扉に手をかける。簡単に開いた。鍵がかかってなかったらしい。
扉を開けると月明かりが差し込む。ずっと暗闇にいたせいか少しだけ眩しいがすぐ慣れた。
外に出ると風が通り過ぎる。涼しい。
建物から出たのはいいが住宅街の中である。人がいない場所に行かなければと俺は再び走る。夜だとはいえ人を見つけてしまうと、また無意識に人間を食べるかもしれない。
ずっと走って疲れたのか足がもつれる。人の気配がない場所で休憩しようと、死角になりそうな路地裏に腰掛ける。月明かりが届かないため暗くなっている。暗さがちょうどよく疲れたのもありすぐに寝てしまった。
抜けるような青空。下には断崖絶壁と海。俺はそこで浮いていた。
何が起きたか一瞬わからなかったが、それが夢だと気付く。
「俺を喰っても美味しくないぞ!」
不穏な声が下から聞こえた。俺はその声の主まで降りる。大きく真っ黒な何が男の子と女の子の3人と向かい合わせで立っていた。この黒いのはわからないが少し離れたところで、本を持った少年がクスクスと笑っている。
すると真っ黒な何かは狙いを一人の男の子に向けて襲いかかる。
俺はその光景が嫌でたまらなかった。だから飛び出した。夢の中だというのに。
「やめろ!!」
という声も聞こえないのに。すり抜ける手。狙った男の子を庇う別の男の子。逃げる狙われていた男の子と女の子。本を持った少年は庇って血を流して命が消えかけの男の子に対して上機嫌な声で
「【王】は僕が殺すから安心して死んでよ」
と言い、逃げる2人を追いかけた。
この風景は……。俺だ。俺の記憶だ……。遠い昔のように感じる記憶。そして、これは俺のもう一つの罪。何故ならば俺は本を持った少年だったからだ。そして、この時には狂っていた。本によって。意識なんてなくて、ただ目の前の【王】と呼ばれた男の子を殺したかっただけの傀儡だった。力ないただの男の子の筈なんだ。王族とかじゃなくて、【王】の力を授かる筈だった、ただの男の子の筈で、俺はどうして……。
罪の記憶がどこまでも俺につきまとう。【王】や女の子は結局あのとき死んだのか覚えていない。ただ、庇った男の子は死んだってことはわかる。俺の手は血で汚れすぎていて、元の手には戻れない。
「ね…きみ……」
かすかに声がする。
「はっ!?」
声で飛び起きる。長い髪を一つにまとめた男がしゃがんで目の前にいた。
「びっくりさせたなら申し訳ないね。こんなところで寝るなんて風邪ひくよ?」
「ほ、放っといてくれ!」
俺は一目散で逃げ出す。傷つけないようにただひたすらに。
「ちょっと待ってよ!逃げなくてもいいのに!!」
放っといてくれと言ったのに男は追いかけてくる。意識があるうちに逃げなきゃ。傷つける前に。
走っていると俺は違和感を覚えた。かなり走っているはずだが、昨日より全然息が上がらないし疲れもない。追いかけてくる男はかなり息が上がっていてしんどそうなのに。
やがていつの間にか人気のない場所まで出てしまった。後ろを振り返ると男はもう追ってきていない。
「逃げ切れて良かった……」
と独り言を呟いてみる。特に理由はないが……。
少し空は明るくなっている。夜明けが近づいていた。
しかし、昨日までの体力とは段違いに増している。息も上がらない、息苦しさもない。どうして急に……?
「やっと追いかけっこ終わりかい?」
と見知った声がして、俺の肩に手を乗せられる。
恐怖で後ろを振り返られない。かなり遠くまで逃げた筈なのに。そして、今まで全然追いついていたことには気が付かなかった。
「いやぁ助かったよ。息上がりすぎて死ぬかと思った。ところで君…悪魔だよね?」
そう言いながら肩から手を離す。まだ恐怖で足がすくむ。早く逃げないと行けないのに。
しかし、追いかけてきた挙句に人を悪魔呼ばわりなんて心外だ。
「何に怯えているのかい?足が震えているけど」
男は僕の目の前にやってくる。ここでまともに男の顔を見た。紫かかった黒髪で一つに束ね、左目に眼帯をしている若い男。心の内を見透かしそうな目をしていて、正直怖い。
「う、うるさい。放っといてくれって言ったのに!」
「放っとけと言われても、悪魔は祓わないとね」
「俺は悪魔じゃない!!勝手に追いかけてきてなんだよ!!」
悪魔じゃない……と思いたい。だけど人を殺したことを悪魔と呼ぶならばそれは……。
「その顔からして感情が入り混じってるね。君は人を食べたかい?まぁ聞かなくてもわかるけど」
「どういうことだよ」
本当に俺のすべてを見透かされているのか…?微笑んでいる裏にそう思わされる目をしていた。
「そのままの意味だよ。人を食べたよね?一人だけみたいだけど」
この人に対して多分、食べていないと嘘を吐いても無意味だと悟った。そして、このまま逃げてもさっきのように捕まるのがオチだ。
「どうしてそれを……」
「僕、こういうのを得意としている探偵でね。もうちょっと当ててみようか。昨日人を喰ったことで自我を持ったが、人を傷つけるのが怖くなって逃げた。今日僕と追いかけっこしてた時、全く息も切らさずそこそこ遠いところまでかなりの速度で走っていたことに疑問持たなかったかい?」
やはりこの人は全てを知られていた。探偵というがここまで心の内まで知っているのは何者なのだろうか?それよりも、このままだと自分の身に悪い予感しか……。
【自分だけ生きていて最低だな】【俺を食べたくせに生きようだなんて。死んでしまえよ】と突如聴こえた。いや、俺の心の声なのか幻聴なのかわからないが、少なくとも俺を責め立てる。罪の記憶がどこまでも俺を責め立てる。確かに責め立てられても仕方がない。それ程までに俺は……。それなのに俺は自分の身が可愛い。何故か生きたい死にたくないとも思っている。死ぬのも怖い、罪の記憶も怖い。やはり俺は情けない。情けなさ過ぎて自身に対して嘲笑したくなる。
「君、泣いてるけど大丈夫かい?」
泣いてる?俺が?そう思いながら目を擦る。涙が溢れて下に流れた。あぁ、結局俺はどこまでも我が身が可愛いのか。
「……怖い。人を傷つけるのも自分が死ぬのも。かと言って、やってしまった罪に対して背負ったまま生きるのも怖い」
涙は止まることを知らず、涙が溢れては流れる。死ぬかもしれないと思いつつ、いつの間にか心の内を男に話していた。話し相手になってくれたからなのか、記憶も含めて話してしまった。
男は話を聞いてくれた。最初怪しいやつだと疑っていたが案外いい人かもしれない。すると、男は口を開く。
「そうなんだね。なるほど……。ここで言うのもなんだけど、自分が何者かすら認識できてないよね。多分そこから向き合わないと永遠にその罪の記憶を受け入れられないよ」
自分が何者か……。確かに罪の記憶以外何も思い出せない。名前も、何もかも。あるのは罪の記憶と鬱陶しい程に今も頭の中で囁く、人を喰らい力を欲せという言葉だけ。……言葉?鳴り響く言葉が鬱陶しい程にあるのは無意識下で根付いているから?もしかして、男が言ってた悪魔は人を殺したことに対してかと思っていたが、そうではなく人間ではないってことなのか……?
「俺は本当に悪魔なのか…?人間じゃなくて……?」
「ずっとそうだと言ってたんだけどなぁ…。まぁずっと人間かと思っていたみたいだし、受け入れるのも大変かもね」
気がついたところで自分は人間ではないという事を人に言われるのはなかなか辛い。ということはやっぱり祓われるのだろうか。そういうオカルト系を得意としている探偵らしいし……。
「なぁ、俺が悪魔なんだとしたら、お前に祓われるのか?」
「実はどうしようかなって迷ってるんだ。人を傷つけたくないっていうのは本心みたいだし、かと言って悪魔を野放しにしたら無意識に殺してしまうでしょ?本来悪魔は人間を食べて成長するみたいだし、本能的に備わってると思うんだよそういうの。そんなやってしまった事に後悔してる人を殺すような事は僕、嫌なんだ」
男は静かに微笑んだ。男の目からは迷っていると言いながらも真っ直ぐな目をしていた……いやこの男はずっと真っ直ぐ俺を見ていた。人は悪魔を問答無用で祓いそうな気がするのに、ずっとこの男は俺の事を悪魔としてではなく【俺】を見ていた。
「だから、君に選択肢をあげようと思う。生きるか死ぬか好きに選ぶといい。罪の記憶から逃げたければ祓うし、罪の記憶を抱えて生きるならばそれでもいい」
「俺が選ぶのか……?」
だからこそ、尊重したいのかもしれない。男は【俺】を見ているから。
「そうだよ。あぁでもいくつか言い忘れてた。祓うと言っても、僕そんな力ないから精神的にじっくり壊していくことしか出来ないんだ。多分その辺の祓魔師その他諸々より苦痛倍以上だろうねぇ……。死にたくても死なないから」
男は表情を変えずに淡々と話す。
いや、怖い。普通に怖い。祓魔師ということはエクソシストだよな……。そんな力がないって言う割にはかなりえげつない。
「言い忘れてたこと2つ目。君の記憶多分だけど、前世の記憶だね。過去は人間で、それも曰く付きの【本】を持って【王】を殺そうだなんて、思い当たる節一つしかない」
「前世……?あれが?というか知ってるのか!?あの本を!」
本を知っているだなんて、普通はあり得ない話だった。持ち主を転々として、そして本を知っている部外者は執行者と呼ばれる人が殺すような物騒な本。
「多少はね。気にならないかい?本の行方と【王】の生存を」
勿論知りたかった。本よりも【王】であった男の子と女の子のことを。あのあと、俺は何もかも抜け落ちたのだから。
「あの男の子と女の子は生きているのか!?」
「【王】である男の子はね。女の子は死んだよ。本によって出された悪魔によって」
また、罪が増えた。知らないうちに俺のせいでこぼれ落ちる命が多すぎる。罪をこれ以上増やさないでくれ……。こぼれ落ちないでくれ……。
「厳密には」
と男の口が開く。
「厳密には、【王】以外の2人も生きている。ここではなく上で」
「上で生きている?どういうことだ…?」
「君みたいに別の存在になってね。輪廻転生っていうものだよ」
「それは……もう別人じゃないか」
「死んだ男の子前世を覚えているよ。何もかもね」
本当にただの探偵なのだろうか……?色々と知りすぎている。
「そんなのまるで会ったことあるような言い方だな」
「会ってはいないけど見ていたという方が正しいね。とりあえずこの話はお終いね。君昨日から食べてないんでしょ?さっさと決めた方がいいよ。意識があるうちに」
話を終わらせてしまった。何か隠したいことがあるのだろうか……?もう一つ疑問がある。生きるという選択肢を選んだとて、見逃すわけがない。饑餓状態になると無意識に殺すと言うならば、他の人に危険性が及ぶからだ。
「もう一つ聞いていいか?」
「うん?いいよ」
「生きることを選択しても何もしていない訳がないよな?」
「勿論するよ。僕と契約だよ。人を殺さない事を約束して君は人間を食べなくて済むようにする。過去は勿論消せないけど、それぐらいなら出来るよ。まぁ多少は僕のお願いを聞いてもらったり、監視するけど」
いい人かと思えば凄く怪しい人に見える。少なくともこの男はただの探偵ではないということは分かる。
俺はどうすればいい……?果たして罪の記憶を抱えて生きられるのだろうか?いっそ死んでしまったほうが……。
「罪をなくすことは不可能だ。でも、やるべき事はあるよ」
「やるべき事?」
「君なら見つかるよ。まぁ死んだら見つけるのは無理だけどね」
「あんたは俺を生かしたいのか?」
「さぁね。自分で考えてごらん」
さっぱりわからない男だ。俺に何をさせたいのかわからない。見透かしそうな眼をしているのにこちらからは、何も読み取ることが出来なかった。ただ、話を聴いていると男は俺に生きてほしいという感じがする。わざわざ、それぞれの行方を話してくれたのだから。ただ……俺は果たして罪と向き合えるのだろうか。生きていることで押しつぶされてしまわないだろうか。やるべきことはもう検討が付いている。もし、その記憶を持っている男の子に会えたとして果たして面と向かって謝罪が出来るのか。もちろん許されるわけがない。謝ってその人生が帰ってくるわけでもない。ただそれは俺のケジメ。ケジメを付けなければ恐らく罪から逃げる卑怯者だ。情けない自分から一歩も踏み出せずこのまま、死んでもいいのだろうか。だけど、例え手が血で汚れていたとしても、この男はここまで道を作ってくれた。【俺】として接してくれた。優しさを無下にはしたくはない。だから俺は……。
「俺は生きたい。ただし、怖いからじゃない。罪と怖さと向き合わないと、俺は卑怯者で心まで本当の悪魔になってしまう気がする。だから契約でもなんでもしてくれ」
「君なら言うと思ったよ。わかった良いよ。あっ、その前に君の左目拝借してもいい?」
思い出したかのようにまたえげつないことを話す。
「左目を拝借!?抉るのか!?」
「そんなわけない。僕が嫌だよ。僕の力を左目に集約するんだ。ただ、呪いみたいなものでね、他人が目を見ると恐怖に苛まれるようになっちゃうから隠してた方がいいよ」
「ずっと思ってたがとんでもないこと言うし、普通の人間じゃ知らないことも知ってるし、肝心な事を言うの忘れるし、絶対ただの探偵じゃないよな?」
何者かわからないが少なくともただの探偵ではないのは確か。
「肝心な事を忘れるは余計な一言だよ。まぁそうだね。生きることを選択した君に教えてあげようか。これも縁というものだし。僕の名前は神戸 蘭。探偵であり、所謂【神様】だ。まぁ神という肩書きみたいなものだけど」
「神!?蘭が?」
言われたときはデタラメかと思っていた。しかしどうやら目を見るに本当らしい。
「一応ね。この話長くなりそうだし、さくっと契約しようか」
「さくっとって軽く言われても何をすればいいんだよ」
「ただ僕の目を見て……ってあぁ!!また忘れてた!!」
「さっきからかなり忘れているな!!!今度は何!?」
凄い人なのか抜けてる人なのかもうわからない。
「ごめんね。契約することを【神化】って言うんだけど、神は人から忘れ去られると死ぬんだよ。ってことで君も一緒ね。ただそれじゃ生きることは出来ても、ただの非力な悪魔だから何も出来ない。悪魔は人間を食らって成長するみたいに、君の場合は悪魔を食らって成長することになるんだよ」
「人から忘れ去られることで死んで、悪魔を喰らって成長するのか…?」
「そうそう。多少のお願いっていうのも悪魔祓い手伝ってっていう感じだから」
「ちゃっかりしてるな蘭は……」
悪魔祓いというか悪魔狩りをさせて、それを食べてってことか……。
「一石二鳥だよ。どうせ1つのことをするなら2つの目的果たしたほうがいいでしょ?まぁお話はこれぐらいにしておこうか。君、気がついてないみたいだけど、饑餓状態なりかけだよ」
「は?いや……」
饑餓状態になりかけ……?普通に意識はあって、腹は減ってなくて……。いや、足と手が震えて頭の中で呪いのように繰り返す言葉もより一層大きくなっている。なぜ今まで気が付かなかったのだろうか?そんなことよりここまで長々と話していて、いざ契約しようとしていたときに忘れていたことを話すと言うのが、饑餓状態寸前になった原因では……?
「というか、ここまで引き伸ばした蘭のせいだからな?」
「ごめんごめん。今度は無いから多分。意識があるうちにしてしまおうか。僕の目を見ていてね」
そう言うと蘭は左目の眼帯を外す。左目は金色で、その目に何故か心惹かれていた。吸い込まれそうなきれいな瞳だった。
「冥府の地より帰る者、像と肖を与え、罪穢れは冥府へと流し給え」
意味がわからない呪文のようなものを蘭は唱える。その時だった。俺の左目が焼けるほどに痛くなる。ただただ痛くて熱い。痛みで気絶するかと思った途端嘘のように痛みと熱が引いた。
「えっ……」
逆に不安になる。もう終わったのか?という疑問とやっと終わったのかという安心が入り混じって。
「終わったよ。呆気なくね。空っぽの罰というのは一瞬で終わるから意味はない。これからだよ大変なのは。孤独という罰が始まるからね。罪の記憶は君にしかわからない」
そう言って蘭は再び眼帯を着ける。
孤独という罰。俺は罪の記憶を背負って生きていくしかない。もう人を食べなくても良いという安心と、だからといって殺してしまった事実は変わらない。それは俺にしかわからない。贖罪は決して果たされない。それでも自身のケジメはつけなければ。
「そういえは名前ってあるの?」
「えっ……いや……」
俺の名前なんて気にしていなかった。名前は覚えていない。前世の名前も覚えてない。
「よし、僕の助手に付けてもらおうかな。僕ネーミングセンスないし」
「助手?」
「探偵に助手は付き物だよ。ちょっと変わった人間だけどね」
「人間……」
神化したとはいえ人間を見ても何もないだろうか。普通に話せるだろうか。心配で仕方がない。
「大丈夫。彼女は良い子だから。今日は朝から来るみたいだし丁度いいね。ということで僕の事務所に行こうか」
と蘭は微笑んだ。この人なら頼れるかもしれない。凄い人なのに少し抜けていて。完璧じゃないのが逆に人間味がある。俺はこれからどうなるか全く分からない。ただこの人についていけば、罪の記憶から押しつぶされないと思う。
「ここだよ」
そう言って蘭は事務所のドアを開ける。ドアの奥には女が掃除していた。
「もう!朝から何してたの!?」
「悪魔拾ってた」
蘭は俺の背中を押す。
「お、おい!?」
「悪魔拾ってた!?!?この赤髪が!?大丈夫なの??」
「大丈夫大丈夫。足を洗った悪魔だから。で、この人に名前つけてあげて。名無しらしいから」
「名無し?記憶がないの?」
「あぁ…」
女は最初は驚いていたものの、あまり怖がっている様子には見えない。逆に心配そうな顔をしていた。
「俺が怖くないのか?」
「うーん。怖くないって言えば嘘になるけど蘭が連れてきたんだし大丈夫かなって」
「そうか……」
やっぱり蘭は頼れる人だったんだ。【神】じゃなくて、一人の人として。
「僕はトイレ行くからよろしく」
蘭はトイレに篭ってしまった。
「はぁ……わかった。決めておくね。うーんじゃあ【フォーラス】で!私達のための存在になって欲しいからね。多分拾ったってことらここで働くんでしょ?私は楓って言うの。よろしくね!」
優しい笑顔で楓が迎えてくれる。
「ありがとう。よろしく」
罪の記憶は自分自身のみしかわからないから孤独。だけど、その孤独を分け合うようにすることは容易ではないけれど、この人達ならば、少しだけ罪の記憶から向き合えそうな気がする。最初は人が怖かった。無意識の内に傷つけてしまいそうだったから。だけど、今はほんの少しだけ気持ちが軽くなった。
「フォーラスって名前にしたんだ。フォーラスの歓迎会でもしようか。嫌だと言っても無理やり参加させるけどね」
蘭はトイレから聞こえていたようだ。ただ少し気になるのは相変わらず、明るく振る舞っているように見えて、少し顔色が悪いこと。もし、俺のために体力を使ったのだとしたら、少し申し訳ない。
「ちょっと蘭!?それはパワハラっていうの!!」
「いや、大丈夫なんだけど……。休憩してからでもいいか?」
俺のために歓迎会をしてくれるなんて本当にいいのかと少し困る。だが、好意を無下にも出来ない。それに、当の本人は疲れている様子だから。
「全然いいよ!蘭が勝手に言ってるだけだし。その辺のソファで休憩していて!」
「僕の事務所なんだけどね……。まだ先は長いし、今だけでもいいからゆっくりしてよ」
そう言って蘭は奥の部屋に行ってしまった。やっぱり疲れていた。
「じゃあ私も買い出し行こうかな。フォーラスくんはゆっくり休んで」
「いや、俺も一緒に行っていいか?」
「嬉しいけど、フォーラスくんも……ってもしかして、蘭のために休憩したいって言ったの?」
「まぁ…うん」
「蘭を気遣ってくれてありがとうね。あの人ほんと抜けてるから……。じゃあ一緒に行こう」
楓は俺の腕を引っ張る。
いつの間にか、人間に対する恐怖が少しずつ消えていた。路頭に迷って、ただそこで罪の記憶に押しつぶされ人間に恐怖し逃げていたあのときとは違って、今は地に足を踏みしめている。現実を見ている。昨日の今日で全て考えが変わるわけではないがそれでも罪の記憶と背負って歩むことに決めた。やるべき事はあるのだから。
「あぁ行こう」
俺は外へと歩き出した。
暗い建物の中で自分の真っ赤な手を見つめる。何も覚えていない。だがそこには真っ赤に染まった自分の手が見える。そして、何故か口から血が垂れていた。血の味がする。その血の味が心地よく、そして怖くなった。
なんだよこれ……何があった……?訳が分からなかった。
足元を見れば布の切れ端が血を吸って赤黒く染まっている。鉄の臭いがツンと鼻につく。
俺は恐怖でその場から逃げ去る。頭が真っ白で何も考えられなかった。俺はどうしてあの場所にいて、手が真っ赤に染まって、血の味がするのか。頭がぐちゃぐちゃになってどうしたらいいのかわからなくなった。ただがむしゃらに暗い建物から出ようと階段を降りる。
「はぁ…はぁ…」
息が苦しい。脇腹が痛い。足元がふらつく。俺は階段の手すりを掴み息を整えようとした。下を向いていたため気が付かなかったが、目の前は月明かりに照らされた踊り場で大きな鏡と階数が見える。かなり階段を駆け下りたつもりだったがそんなことはなかった。たったの3階でこんなにも息が上がっていたというのか。体力がなさすぎる。
何も思い出せなくて、体力がなくて動けなくなった情けない俺の姿を踊り場の鏡は写していた。
俺の髪は血液のように赤く長い直毛。そして髪が長く前髪も左目を隠すように流れている。瞳は水色かかった灰色。俺はこんな顔をしていたのか。
「お前は誰だよ」
と鏡に写った自分自身に尋ねるが返事は帰ってはこない。当たり前のことなのだがそれでも教えてほしかった。自分が誰で何故こんなことをしているのか。
少し落ち着いたのか再び階段を降りながら今までの事を思い出そうとする。
あの布の切れ端と足元の血溜まりと俺の口から血が垂れていた事から恐らく俺が人間を喰らってしまっただろう。
血の味は心地よかったが、人を殺してしまった。何となく昔にも似たようなことがあった気がする。少しずつ記憶がはっきりしてくる。俺は人を殺した。それも無意識の内に。罪が徐々に大きくなる。そのたびに俺の心にのしかかる。辛い。苦しい。それでも尚、頭では人を食らえと、力を欲せと鳴り響く。でも心は傷つけるのが怖い、嫌だと罪をこれ以上重ねるなと叫んでいる。俺の心はぐちゃぐちゃになっていた。
いつの間にか階段を降りきったようで扉に手をかける。簡単に開いた。鍵がかかってなかったらしい。
扉を開けると月明かりが差し込む。ずっと暗闇にいたせいか少しだけ眩しいがすぐ慣れた。
外に出ると風が通り過ぎる。涼しい。
建物から出たのはいいが住宅街の中である。人がいない場所に行かなければと俺は再び走る。夜だとはいえ人を見つけてしまうと、また無意識に人間を食べるかもしれない。
ずっと走って疲れたのか足がもつれる。人の気配がない場所で休憩しようと、死角になりそうな路地裏に腰掛ける。月明かりが届かないため暗くなっている。暗さがちょうどよく疲れたのもありすぐに寝てしまった。
抜けるような青空。下には断崖絶壁と海。俺はそこで浮いていた。
何が起きたか一瞬わからなかったが、それが夢だと気付く。
「俺を喰っても美味しくないぞ!」
不穏な声が下から聞こえた。俺はその声の主まで降りる。大きく真っ黒な何が男の子と女の子の3人と向かい合わせで立っていた。この黒いのはわからないが少し離れたところで、本を持った少年がクスクスと笑っている。
すると真っ黒な何かは狙いを一人の男の子に向けて襲いかかる。
俺はその光景が嫌でたまらなかった。だから飛び出した。夢の中だというのに。
「やめろ!!」
という声も聞こえないのに。すり抜ける手。狙った男の子を庇う別の男の子。逃げる狙われていた男の子と女の子。本を持った少年は庇って血を流して命が消えかけの男の子に対して上機嫌な声で
「【王】は僕が殺すから安心して死んでよ」
と言い、逃げる2人を追いかけた。
この風景は……。俺だ。俺の記憶だ……。遠い昔のように感じる記憶。そして、これは俺のもう一つの罪。何故ならば俺は本を持った少年だったからだ。そして、この時には狂っていた。本によって。意識なんてなくて、ただ目の前の【王】と呼ばれた男の子を殺したかっただけの傀儡だった。力ないただの男の子の筈なんだ。王族とかじゃなくて、【王】の力を授かる筈だった、ただの男の子の筈で、俺はどうして……。
罪の記憶がどこまでも俺につきまとう。【王】や女の子は結局あのとき死んだのか覚えていない。ただ、庇った男の子は死んだってことはわかる。俺の手は血で汚れすぎていて、元の手には戻れない。
「ね…きみ……」
かすかに声がする。
「はっ!?」
声で飛び起きる。長い髪を一つにまとめた男がしゃがんで目の前にいた。
「びっくりさせたなら申し訳ないね。こんなところで寝るなんて風邪ひくよ?」
「ほ、放っといてくれ!」
俺は一目散で逃げ出す。傷つけないようにただひたすらに。
「ちょっと待ってよ!逃げなくてもいいのに!!」
放っといてくれと言ったのに男は追いかけてくる。意識があるうちに逃げなきゃ。傷つける前に。
走っていると俺は違和感を覚えた。かなり走っているはずだが、昨日より全然息が上がらないし疲れもない。追いかけてくる男はかなり息が上がっていてしんどそうなのに。
やがていつの間にか人気のない場所まで出てしまった。後ろを振り返ると男はもう追ってきていない。
「逃げ切れて良かった……」
と独り言を呟いてみる。特に理由はないが……。
少し空は明るくなっている。夜明けが近づいていた。
しかし、昨日までの体力とは段違いに増している。息も上がらない、息苦しさもない。どうして急に……?
「やっと追いかけっこ終わりかい?」
と見知った声がして、俺の肩に手を乗せられる。
恐怖で後ろを振り返られない。かなり遠くまで逃げた筈なのに。そして、今まで全然追いついていたことには気が付かなかった。
「いやぁ助かったよ。息上がりすぎて死ぬかと思った。ところで君…悪魔だよね?」
そう言いながら肩から手を離す。まだ恐怖で足がすくむ。早く逃げないと行けないのに。
しかし、追いかけてきた挙句に人を悪魔呼ばわりなんて心外だ。
「何に怯えているのかい?足が震えているけど」
男は僕の目の前にやってくる。ここでまともに男の顔を見た。紫かかった黒髪で一つに束ね、左目に眼帯をしている若い男。心の内を見透かしそうな目をしていて、正直怖い。
「う、うるさい。放っといてくれって言ったのに!」
「放っとけと言われても、悪魔は祓わないとね」
「俺は悪魔じゃない!!勝手に追いかけてきてなんだよ!!」
悪魔じゃない……と思いたい。だけど人を殺したことを悪魔と呼ぶならばそれは……。
「その顔からして感情が入り混じってるね。君は人を食べたかい?まぁ聞かなくてもわかるけど」
「どういうことだよ」
本当に俺のすべてを見透かされているのか…?微笑んでいる裏にそう思わされる目をしていた。
「そのままの意味だよ。人を食べたよね?一人だけみたいだけど」
この人に対して多分、食べていないと嘘を吐いても無意味だと悟った。そして、このまま逃げてもさっきのように捕まるのがオチだ。
「どうしてそれを……」
「僕、こういうのを得意としている探偵でね。もうちょっと当ててみようか。昨日人を喰ったことで自我を持ったが、人を傷つけるのが怖くなって逃げた。今日僕と追いかけっこしてた時、全く息も切らさずそこそこ遠いところまでかなりの速度で走っていたことに疑問持たなかったかい?」
やはりこの人は全てを知られていた。探偵というがここまで心の内まで知っているのは何者なのだろうか?それよりも、このままだと自分の身に悪い予感しか……。
【自分だけ生きていて最低だな】【俺を食べたくせに生きようだなんて。死んでしまえよ】と突如聴こえた。いや、俺の心の声なのか幻聴なのかわからないが、少なくとも俺を責め立てる。罪の記憶がどこまでも俺を責め立てる。確かに責め立てられても仕方がない。それ程までに俺は……。それなのに俺は自分の身が可愛い。何故か生きたい死にたくないとも思っている。死ぬのも怖い、罪の記憶も怖い。やはり俺は情けない。情けなさ過ぎて自身に対して嘲笑したくなる。
「君、泣いてるけど大丈夫かい?」
泣いてる?俺が?そう思いながら目を擦る。涙が溢れて下に流れた。あぁ、結局俺はどこまでも我が身が可愛いのか。
「……怖い。人を傷つけるのも自分が死ぬのも。かと言って、やってしまった罪に対して背負ったまま生きるのも怖い」
涙は止まることを知らず、涙が溢れては流れる。死ぬかもしれないと思いつつ、いつの間にか心の内を男に話していた。話し相手になってくれたからなのか、記憶も含めて話してしまった。
男は話を聞いてくれた。最初怪しいやつだと疑っていたが案外いい人かもしれない。すると、男は口を開く。
「そうなんだね。なるほど……。ここで言うのもなんだけど、自分が何者かすら認識できてないよね。多分そこから向き合わないと永遠にその罪の記憶を受け入れられないよ」
自分が何者か……。確かに罪の記憶以外何も思い出せない。名前も、何もかも。あるのは罪の記憶と鬱陶しい程に今も頭の中で囁く、人を喰らい力を欲せという言葉だけ。……言葉?鳴り響く言葉が鬱陶しい程にあるのは無意識下で根付いているから?もしかして、男が言ってた悪魔は人を殺したことに対してかと思っていたが、そうではなく人間ではないってことなのか……?
「俺は本当に悪魔なのか…?人間じゃなくて……?」
「ずっとそうだと言ってたんだけどなぁ…。まぁずっと人間かと思っていたみたいだし、受け入れるのも大変かもね」
気がついたところで自分は人間ではないという事を人に言われるのはなかなか辛い。ということはやっぱり祓われるのだろうか。そういうオカルト系を得意としている探偵らしいし……。
「なぁ、俺が悪魔なんだとしたら、お前に祓われるのか?」
「実はどうしようかなって迷ってるんだ。人を傷つけたくないっていうのは本心みたいだし、かと言って悪魔を野放しにしたら無意識に殺してしまうでしょ?本来悪魔は人間を食べて成長するみたいだし、本能的に備わってると思うんだよそういうの。そんなやってしまった事に後悔してる人を殺すような事は僕、嫌なんだ」
男は静かに微笑んだ。男の目からは迷っていると言いながらも真っ直ぐな目をしていた……いやこの男はずっと真っ直ぐ俺を見ていた。人は悪魔を問答無用で祓いそうな気がするのに、ずっとこの男は俺の事を悪魔としてではなく【俺】を見ていた。
「だから、君に選択肢をあげようと思う。生きるか死ぬか好きに選ぶといい。罪の記憶から逃げたければ祓うし、罪の記憶を抱えて生きるならばそれでもいい」
「俺が選ぶのか……?」
だからこそ、尊重したいのかもしれない。男は【俺】を見ているから。
「そうだよ。あぁでもいくつか言い忘れてた。祓うと言っても、僕そんな力ないから精神的にじっくり壊していくことしか出来ないんだ。多分その辺の祓魔師その他諸々より苦痛倍以上だろうねぇ……。死にたくても死なないから」
男は表情を変えずに淡々と話す。
いや、怖い。普通に怖い。祓魔師ということはエクソシストだよな……。そんな力がないって言う割にはかなりえげつない。
「言い忘れてたこと2つ目。君の記憶多分だけど、前世の記憶だね。過去は人間で、それも曰く付きの【本】を持って【王】を殺そうだなんて、思い当たる節一つしかない」
「前世……?あれが?というか知ってるのか!?あの本を!」
本を知っているだなんて、普通はあり得ない話だった。持ち主を転々として、そして本を知っている部外者は執行者と呼ばれる人が殺すような物騒な本。
「多少はね。気にならないかい?本の行方と【王】の生存を」
勿論知りたかった。本よりも【王】であった男の子と女の子のことを。あのあと、俺は何もかも抜け落ちたのだから。
「あの男の子と女の子は生きているのか!?」
「【王】である男の子はね。女の子は死んだよ。本によって出された悪魔によって」
また、罪が増えた。知らないうちに俺のせいでこぼれ落ちる命が多すぎる。罪をこれ以上増やさないでくれ……。こぼれ落ちないでくれ……。
「厳密には」
と男の口が開く。
「厳密には、【王】以外の2人も生きている。ここではなく上で」
「上で生きている?どういうことだ…?」
「君みたいに別の存在になってね。輪廻転生っていうものだよ」
「それは……もう別人じゃないか」
「死んだ男の子前世を覚えているよ。何もかもね」
本当にただの探偵なのだろうか……?色々と知りすぎている。
「そんなのまるで会ったことあるような言い方だな」
「会ってはいないけど見ていたという方が正しいね。とりあえずこの話はお終いね。君昨日から食べてないんでしょ?さっさと決めた方がいいよ。意識があるうちに」
話を終わらせてしまった。何か隠したいことがあるのだろうか……?もう一つ疑問がある。生きるという選択肢を選んだとて、見逃すわけがない。饑餓状態になると無意識に殺すと言うならば、他の人に危険性が及ぶからだ。
「もう一つ聞いていいか?」
「うん?いいよ」
「生きることを選択しても何もしていない訳がないよな?」
「勿論するよ。僕と契約だよ。人を殺さない事を約束して君は人間を食べなくて済むようにする。過去は勿論消せないけど、それぐらいなら出来るよ。まぁ多少は僕のお願いを聞いてもらったり、監視するけど」
いい人かと思えば凄く怪しい人に見える。少なくともこの男はただの探偵ではないということは分かる。
俺はどうすればいい……?果たして罪の記憶を抱えて生きられるのだろうか?いっそ死んでしまったほうが……。
「罪をなくすことは不可能だ。でも、やるべき事はあるよ」
「やるべき事?」
「君なら見つかるよ。まぁ死んだら見つけるのは無理だけどね」
「あんたは俺を生かしたいのか?」
「さぁね。自分で考えてごらん」
さっぱりわからない男だ。俺に何をさせたいのかわからない。見透かしそうな眼をしているのにこちらからは、何も読み取ることが出来なかった。ただ、話を聴いていると男は俺に生きてほしいという感じがする。わざわざ、それぞれの行方を話してくれたのだから。ただ……俺は果たして罪と向き合えるのだろうか。生きていることで押しつぶされてしまわないだろうか。やるべきことはもう検討が付いている。もし、その記憶を持っている男の子に会えたとして果たして面と向かって謝罪が出来るのか。もちろん許されるわけがない。謝ってその人生が帰ってくるわけでもない。ただそれは俺のケジメ。ケジメを付けなければ恐らく罪から逃げる卑怯者だ。情けない自分から一歩も踏み出せずこのまま、死んでもいいのだろうか。だけど、例え手が血で汚れていたとしても、この男はここまで道を作ってくれた。【俺】として接してくれた。優しさを無下にはしたくはない。だから俺は……。
「俺は生きたい。ただし、怖いからじゃない。罪と怖さと向き合わないと、俺は卑怯者で心まで本当の悪魔になってしまう気がする。だから契約でもなんでもしてくれ」
「君なら言うと思ったよ。わかった良いよ。あっ、その前に君の左目拝借してもいい?」
思い出したかのようにまたえげつないことを話す。
「左目を拝借!?抉るのか!?」
「そんなわけない。僕が嫌だよ。僕の力を左目に集約するんだ。ただ、呪いみたいなものでね、他人が目を見ると恐怖に苛まれるようになっちゃうから隠してた方がいいよ」
「ずっと思ってたがとんでもないこと言うし、普通の人間じゃ知らないことも知ってるし、肝心な事を言うの忘れるし、絶対ただの探偵じゃないよな?」
何者かわからないが少なくともただの探偵ではないのは確か。
「肝心な事を忘れるは余計な一言だよ。まぁそうだね。生きることを選択した君に教えてあげようか。これも縁というものだし。僕の名前は神戸 蘭。探偵であり、所謂【神様】だ。まぁ神という肩書きみたいなものだけど」
「神!?蘭が?」
言われたときはデタラメかと思っていた。しかしどうやら目を見るに本当らしい。
「一応ね。この話長くなりそうだし、さくっと契約しようか」
「さくっとって軽く言われても何をすればいいんだよ」
「ただ僕の目を見て……ってあぁ!!また忘れてた!!」
「さっきからかなり忘れているな!!!今度は何!?」
凄い人なのか抜けてる人なのかもうわからない。
「ごめんね。契約することを【神化】って言うんだけど、神は人から忘れ去られると死ぬんだよ。ってことで君も一緒ね。ただそれじゃ生きることは出来ても、ただの非力な悪魔だから何も出来ない。悪魔は人間を食らって成長するみたいに、君の場合は悪魔を食らって成長することになるんだよ」
「人から忘れ去られることで死んで、悪魔を喰らって成長するのか…?」
「そうそう。多少のお願いっていうのも悪魔祓い手伝ってっていう感じだから」
「ちゃっかりしてるな蘭は……」
悪魔祓いというか悪魔狩りをさせて、それを食べてってことか……。
「一石二鳥だよ。どうせ1つのことをするなら2つの目的果たしたほうがいいでしょ?まぁお話はこれぐらいにしておこうか。君、気がついてないみたいだけど、饑餓状態なりかけだよ」
「は?いや……」
饑餓状態になりかけ……?普通に意識はあって、腹は減ってなくて……。いや、足と手が震えて頭の中で呪いのように繰り返す言葉もより一層大きくなっている。なぜ今まで気が付かなかったのだろうか?そんなことよりここまで長々と話していて、いざ契約しようとしていたときに忘れていたことを話すと言うのが、饑餓状態寸前になった原因では……?
「というか、ここまで引き伸ばした蘭のせいだからな?」
「ごめんごめん。今度は無いから多分。意識があるうちにしてしまおうか。僕の目を見ていてね」
そう言うと蘭は左目の眼帯を外す。左目は金色で、その目に何故か心惹かれていた。吸い込まれそうなきれいな瞳だった。
「冥府の地より帰る者、像と肖を与え、罪穢れは冥府へと流し給え」
意味がわからない呪文のようなものを蘭は唱える。その時だった。俺の左目が焼けるほどに痛くなる。ただただ痛くて熱い。痛みで気絶するかと思った途端嘘のように痛みと熱が引いた。
「えっ……」
逆に不安になる。もう終わったのか?という疑問とやっと終わったのかという安心が入り混じって。
「終わったよ。呆気なくね。空っぽの罰というのは一瞬で終わるから意味はない。これからだよ大変なのは。孤独という罰が始まるからね。罪の記憶は君にしかわからない」
そう言って蘭は再び眼帯を着ける。
孤独という罰。俺は罪の記憶を背負って生きていくしかない。もう人を食べなくても良いという安心と、だからといって殺してしまった事実は変わらない。それは俺にしかわからない。贖罪は決して果たされない。それでも自身のケジメはつけなければ。
「そういえは名前ってあるの?」
「えっ……いや……」
俺の名前なんて気にしていなかった。名前は覚えていない。前世の名前も覚えてない。
「よし、僕の助手に付けてもらおうかな。僕ネーミングセンスないし」
「助手?」
「探偵に助手は付き物だよ。ちょっと変わった人間だけどね」
「人間……」
神化したとはいえ人間を見ても何もないだろうか。普通に話せるだろうか。心配で仕方がない。
「大丈夫。彼女は良い子だから。今日は朝から来るみたいだし丁度いいね。ということで僕の事務所に行こうか」
と蘭は微笑んだ。この人なら頼れるかもしれない。凄い人なのに少し抜けていて。完璧じゃないのが逆に人間味がある。俺はこれからどうなるか全く分からない。ただこの人についていけば、罪の記憶から押しつぶされないと思う。
「ここだよ」
そう言って蘭は事務所のドアを開ける。ドアの奥には女が掃除していた。
「もう!朝から何してたの!?」
「悪魔拾ってた」
蘭は俺の背中を押す。
「お、おい!?」
「悪魔拾ってた!?!?この赤髪が!?大丈夫なの??」
「大丈夫大丈夫。足を洗った悪魔だから。で、この人に名前つけてあげて。名無しらしいから」
「名無し?記憶がないの?」
「あぁ…」
女は最初は驚いていたものの、あまり怖がっている様子には見えない。逆に心配そうな顔をしていた。
「俺が怖くないのか?」
「うーん。怖くないって言えば嘘になるけど蘭が連れてきたんだし大丈夫かなって」
「そうか……」
やっぱり蘭は頼れる人だったんだ。【神】じゃなくて、一人の人として。
「僕はトイレ行くからよろしく」
蘭はトイレに篭ってしまった。
「はぁ……わかった。決めておくね。うーんじゃあ【フォーラス】で!私達のための存在になって欲しいからね。多分拾ったってことらここで働くんでしょ?私は楓って言うの。よろしくね!」
優しい笑顔で楓が迎えてくれる。
「ありがとう。よろしく」
罪の記憶は自分自身のみしかわからないから孤独。だけど、その孤独を分け合うようにすることは容易ではないけれど、この人達ならば、少しだけ罪の記憶から向き合えそうな気がする。最初は人が怖かった。無意識の内に傷つけてしまいそうだったから。だけど、今はほんの少しだけ気持ちが軽くなった。
「フォーラスって名前にしたんだ。フォーラスの歓迎会でもしようか。嫌だと言っても無理やり参加させるけどね」
蘭はトイレから聞こえていたようだ。ただ少し気になるのは相変わらず、明るく振る舞っているように見えて、少し顔色が悪いこと。もし、俺のために体力を使ったのだとしたら、少し申し訳ない。
「ちょっと蘭!?それはパワハラっていうの!!」
「いや、大丈夫なんだけど……。休憩してからでもいいか?」
俺のために歓迎会をしてくれるなんて本当にいいのかと少し困る。だが、好意を無下にも出来ない。それに、当の本人は疲れている様子だから。
「全然いいよ!蘭が勝手に言ってるだけだし。その辺のソファで休憩していて!」
「僕の事務所なんだけどね……。まだ先は長いし、今だけでもいいからゆっくりしてよ」
そう言って蘭は奥の部屋に行ってしまった。やっぱり疲れていた。
「じゃあ私も買い出し行こうかな。フォーラスくんはゆっくり休んで」
「いや、俺も一緒に行っていいか?」
「嬉しいけど、フォーラスくんも……ってもしかして、蘭のために休憩したいって言ったの?」
「まぁ…うん」
「蘭を気遣ってくれてありがとうね。あの人ほんと抜けてるから……。じゃあ一緒に行こう」
楓は俺の腕を引っ張る。
いつの間にか、人間に対する恐怖が少しずつ消えていた。路頭に迷って、ただそこで罪の記憶に押しつぶされ人間に恐怖し逃げていたあのときとは違って、今は地に足を踏みしめている。現実を見ている。昨日の今日で全て考えが変わるわけではないがそれでも罪の記憶と背負って歩むことに決めた。やるべき事はあるのだから。
「あぁ行こう」
俺は外へと歩き出した。
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