星空の戦闘機 18歳の特攻兵。幼馴染の二人。あのときあなたは約束しました。「きっと君を迎えにいくと」

花丸 京

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8 東京オリンピックの紙吹雪

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かのんの店の隣の大家さんの土地には、二階建ての内科の前田医院が建った。
ビルマから帰った息子が医大を卒業すると同時に、大家さん夫婦が建てた。
モルタル造りで、窓がたくさんあった。
さらに大家さん夫婦は、その裏に日本家屋を建
所有していたほかの土地を売ったのである。
フィリピンにいった次男は、多くの日本兵の戦犯が解放されたあとも帰還しなかった。

一方、かのんの花屋をうまく後押ししてくれた混血のジョーは、キャバレー事業を成功させ、花売り娘の面倒を見終えたからと、おれはアメリカにいってくるぜ、と引退してしまった。
「おれは日本人だから、かならず戻ってくるぜ」
ジョーはそういったが、二度と会えなかった。
りんごの歌のジョーがいなくなると、身内がいなくなったようなさびしさを感じた。

『君の名は』をラジオで夢中で聴いていた。
いつしか街頭や家庭にテレビがやってきて、力道山が大活躍した。
かのんの店には、界隈かいわいの店や古くから銀座で生活をしている住民の客がいた。
好みの花もさまざまだ。
西洋風の色どりのよい派手な花を買っていく客。
古くからの日本の古風な花や、野に咲く花を好む客。

食うために生きていた時代は、過ぎ去っていた。
洗濯機、電気釜、テレビが家庭の常識になっていた。
戦争中のビルマでの苦難と悲劇の物語、『ビルマの竪琴たてごと』が爆発的に売れた。
同時に、現代を明るく生きる若者たちが主人公の『太陽の季節』という小説が世間をにぎわした。
若者たちは流行のファッションに憧れ、ロカビリーに夢中になった。
岩戸うわと景気とよばれる経済が巻き起こした風にあおられ、かのんの胸の奥の悲しみを置き去りに、時は矢のように進んだ。

かのんの三坪の店は、日々、春夏秋冬、季節の草花で満たされていた。
土曜も日曜もなかった。
朝の七時から夜の八時まで、かのんは働いた。
相変わらずのオカッパ頭だ。女性の従業員一人を置き、一日も休まなかった。
毎日が楽しかった。

「かのんさん、これ読みましたか」
大家さん夫婦がそろって、裏口から入ってきた。
手には新聞をもっていた。
新聞には黒く太い見出しが一面を染めていた。
『フィリピン、ガム島に二人の日本兵生存』
出征しゅっせいから十九年ぶりの生還』
皆川文蔵みながわぶんぞう一等兵が地元の島民に発見されたのだ。
さらに米軍の捜索により伊藤正軍曹ぐんそうも見つかった。
二人とも、木の実、川えび、魚、野生の豚などを捕まえ、食料にしていた。
二人とも三十九歳だった。

「こういう奇蹟きせきもあるものなんですねえ」
かのんは感想を述べた。
「まだたくさん隠れている兵隊がいると思うよ。日本政府は、本気で元兵士たちを探そうとしていないからね」
夫婦は無念そうに新聞に見入った。
夫婦もかのんも、ビルマから帰った三男にいろいろきいた。

帰りたくても帰れない兵士のほかに、自分の意思で帰らない兵士もいた。
現地の娘と結婚してそこに居つく。日本よりのんびりしていて生活も楽だとか。あとは個人的なつごうである。
また、現地人が組織する革命軍に入り、再植民化のために再び侵略してきた白人の軍と戦ったりもしている。
「もし、次男の方が帰ってきたらどうしますか」
「家を継いでもらいます。次男は踊りが上手でしたから」
 三男が、さっさと医者になってしまった現実が、奥さんには残念でたまらないようだった。
しかも三男は、近々ビルマにいって、逃亡生活のときに命を助けてくれた村の娘を嫁にし、日本に連れ帰るといっていた。
ビルマは、いくつも海をこえた遠い国だ。
そんな国に命の恩人の嫁さんを迎えに、またいくというのである。
三男の決意が、かのんには途方もない夢の行為のように感じられた。
夜、二階の自室で布団のなかに入ったとき、かのんは、あれからどんぐりさんはどうしているだろうかと、南の島の景色を思いだした。


飛行機はぶじに着陸することができた。
飛行機の爆音をきいて茂みからでてきたのは、小型の鹿だけだった。
ほかに不時着している者や住民がいれば、爆音をききつけ、姿を見せるはずだ。
そんなに大きな島ではない。
きっとようすをうかがいいにくると、どんぐりさんは茂みに隠れた。
相手はアメリカ兵かもしれない。
住んでいる土民も友好的とはかぎらない。
もし戦うとしても、武器はいつも身につけている拳銃と一丁のナイフだけだ。
しかし、あたりはしんとし、波と風の音しかきこえない。

小型の鹿たちは、どこかに姿を消してしまった。
どんぐりさんは、飛行機のそばの茂みで一夜をすごした。
朝になってもまだ隠れていた。
むこうも、こっちのようすを窺っているかもしれなかった。
昼になった。
やはり風と波の音だけだった。

携帯食を三分の一だけ口にした。
飛行服の脚の外側に入っていた、非常用の水筒の水を三分の一だけ飲んだ。
どうやら島には、だれもいないようだった。
次の問題は、愛機の飛燕ひえんを爆破するかどうかだった。
不時着ふじちゃくした場合、機体の爆破が決まりだった。
しかし、愛機の飛燕はほとんど無傷だった。

もし友軍が現れ、海岸に着陸し、部品の調達が可能ならば、また離陸できる。
どんぐりさんは、一日をかけ、翼や胴体を椰子の葉でおおった。
その間にも、用心深くあたりに注意をした。
だが、人のようすは感じられなかった。
また、猛獣もうじゅうらしき動物の姿もなさそうだった。

どんぐりさんは、木陰に落下傘をひろげ、テントを作った。
残りの携帯食をはんぶん食い、水を飲んで眠った。
翌朝も人の気配はなかった。
ここはどこなのだろう、と思った。
特攻兵が無人島に着陸した話をきいたことがあった。
ある者は自分でカヌーを造り、島を脱出した。
しかし、どんぐりさんが不時着した場所は、飛行地図から遥かに離脱していた。
未知のエリアだった。

どんぐりさんは、海岸線を調べてみた。
小動物らしき足跡はあったが、人間のものはなかった。
だれかがいれば、もうとっくに姿を見せているはずだ。
歩いて島を横断しても、せいぜい二日というところだろう。
浅瀬の海には、たくさんの魚や貝がいた。
椰子の実はあるし、ジャングルの中にはパパイアもあった。

毒蛇などの生き物に気をつけ、奥に入ってみた。
一時間もすると小川にでた。 
澄んだ水が流れていた。
膝まで浸かり、流れに沿って歩くと池にでた。
上野の忍の池ほどの大きさの池だった。

里芋さといものような青い葉が、水面のはんぶんを埋めていた。
岸辺の一本を引き抜いてみた。
根が芋のように膨らんでいた。
デンプンの固まりだった。
太い根を何本か背負い、海岸にもどった。

浅瀬の海辺には、たくさんの貝や小魚がいた。
深みには海老えびや大きな魚もいた。
携帯品のなかには、タバコとマッチがあった。
火は貴重だった。
つけた火は消さぬよう、枯れ木をくべ続けた。
どうやら生きていけそうだった。

一息ついたとき、島が敵の空域か、味方の空域かが気になった。
とにかく愛機の飛燕は、しっかり隠しておいたほうがよさそうだった。
どんぐりさんは油断なく、島の空を見張った。
ひたすら、澄んだ青い空がひろがっているばかりだった。
できれば飛行機を修理し、また離陸させたかった。
ほんのすこしの部品があれば、飛行は可能だった。

どんぐりさんは、あらためて島を探検した。
海岸に沿って島をぐるっと廻ってみた。
どこまでいっても白い砂浜だった。
島は馬蹄形ばていけいだった。
そして、そこはやはり無人島だった。


日本とアメリカが、衛星テレビで結ばれる日がきた。
かのんは、店の棚の上に乗せたテレビを、不思議な面持ちで眺めていた。
いまアメリカで起こっている現実が、日本のテレビで同時に見られるのだ。
日本の国民は。全員が息をのんでテレビを見守った。

なにが映るのかとはらはらしていると、ケネディの姿が映った。
「アメリカの大統領が暗殺されました、」
いきなり白人のアナウンサーがそう告げた。

第一報が、アメリカ大統領の暗殺の報せだったのだ。
おどろきが全身をおおった。
アメリカというところは恐ろしい国だ。
胸がふるえた。
同時に、混血のジョーは大丈夫だろうか、と心配になった。
「かのんさん、たいへんだ、いまのアメリカのテレビ見ましたか」
店に少女が駆けこんできた。髪が長く、すこし肌が浅黒い。
ことばのアクセントが、まだちょっとおかしい。
少女の名前は前田花子。
大家さん夫婦の息子、前田医院の前田先生の一人娘である。

前田晴男は医大を卒業し、研修を終えた。
すると国交を再開したビルマに、厚生省の調査員の一人として派遣された。
半年後、ビルマ人の奥さんのチェーとバーンを連れたきた。
一人娘は前田靖男の子供だった。
チェーはビルマ語で星という意味だ。そのまま発音を生かし、日本名は千恵子。
娘のバーンは花の意味だ。だから花子にした。

奥さんは、日本兵の言葉を信じた。
生まれた娘とともに、日本語の教科書で日本語を勉強した。
教科書は、晴夫が作った自家製である。
十年もの長い間、母子はひたすらまった。
前田家の三男の晴男は、嫁と一人娘をみんなに紹介した。
「私の命の恩人です」
そういって銀座の住民に紹介した。

奥さんは、背丈の高い瞳のきれいな女性だった。
艱難辛苦かんなんしんくを乗りこえ、迎えにいったのは、恋女房だったからだ。
二人は、あっさり日本に馴染なじんだ。
花子は日本の学校にいったので、すぐに言葉をおぼえた。
となりの花屋のかのんとも仲良しになった。
自分の名前とおり、花が好きだった。

なにかがあると、かのんの店にとびこんできた。
このときもケネディのニュースにおどろき、意見をききにきた。
大人気の大統領が銃で殺されたのである。
「みんな銃をもってるから、だれだって簡単に人を殺せるみたい。アメリカは恐いね」
「でもアメリカ映画、おもしろいよ。アメリカ人はみんな楽しそうで、おこってる人なんていないのに」
日本中の映画館には、アメリカ映画があふれた。
一回の入場料で、立て続けに三本もアメリカ映画が見られた。
日本にきて、花子もアメリカ映画を楽しんでいた。

いい国なのか、悪い国なのか。
親切な国なのか。残酷ざんこくな国なのか。
「じつは、アメリカ人の考えというのが、わたしにもよくわからないんだよ」
かのんは、思ったとおりを口にした。
「アメリカ人は、ああやってみんなが鉄砲もってるの?」
「アメリカ人に限らず、白人はみんなもっているみたいだね」
「なにかがあると、白人は撃ち合うわけだね」
とにかく、かのんには説明ができなかった。

花子はさらにかのんにきく。
「来年、日本でオリンピックやるけど、白人の人いっぱいくるけど、だいじょうぶなの?」
東京オリンピックが間近に迫り、連日マスコミをにぎわしていた。
「オリンピックは、スポーツの大会だから、そういう騒動とは関係ないよ」
「そうか」
花子が理解したかどうかは、わからなかった。
お客が入ってきた。

客が帰ると花子は、またきいた。
「どうしてかのんさんは、だんなさんがいないんですか? 父さんとかお母さんもいないんですか?」
遠い国からタイムスリップしてきた花子の質問だ。
かのんの楽しかった深川の子供時代がよみがえった。
どんぐりさんとの日々。父や母やどんぐりさんの父や母。
週末にかよった調布の244戦隊。焼け野原に立っている自分。
東京の空をおおうB-29の大群
迎え撃つ戦闘機。夜空にひらめく探照灯。
服部との出会い。二人で必死に生きた──。
花売り娘の世話をしおえ、ジョーはアメリカに旅立った。

花子には一口に話せなかった。
「わたしには、結婚を約束した男の人がいました。でもアメリカ軍と戦って、空で散ってしまったんだよ」
「散った? どういう意味?」
「アメリカの飛行機に激突して、死んだという意味」
花子は、激突が単なる激突ととらえたようだった。
「その人が好きだったから、わたしはほかの人とは結婚しないの」
ふーん、と花子はうなずいた。
「お父さんやお母さんは、どうしていないんですか?」
「アメリカの飛行機がきて爆弾を落とされ、やっぱり死んでしまった」
仏教徒の花子はそこで目を閉じ、手を合わせた。


日本では、飛行機のような電車、新幹線しんかんせんが大都市を結んで走ろうとしていた。
街にでれば、人々はきれいな服を着、明るい店でコーヒーを飲んで語らった。
洋品屋も若者のファッションを中心に様々な服を、食べ物も世界中の食べ物がアレンジされ、ならんだ。ないものはなにもなかった。
夜になればネオンが輝き、飲食街が軒をそろえ、歩道に男女の影があふれた。
もう、どこにも戦争に負けた痕跡こんせきはなかった。

花子の故郷のビルマは、いまだ瓦礫がれきの街だった。
石造りの大きな建築物が爆弾で破壊され、崩れた煉瓦れんがが山になっていた。
橋も途中で折れ、線路には草が生い茂っていた。
ビルマはイギリスから独立したあとも、戦禍せんかを残したままだ。
そして昔と変わらぬ高床式たかゆかしきの家が、崩れそうに軒をつらねている。
独立しても、なに一つ変わらないのだ。
太陽が照って椰子の葉が風に揺れ、ほこりが舞あがる。
イギリス人は、ねずみの鳴き声でビルマ人を呼びつけた。
それをビルマ

明けた年の十月十日だった。
かのんは店のテレビで、東京オリンピックの開会式の中継を眺めていた。
開会式がクライマックスに達したとき、紙吹雪かみふぶきが舞った。
「そうだ、もしかしたら……」
かのんは、椅子いすからたちあがった。
だれかが拾っているのかもしれない。
どんぐりさんの手紙──。
                    ●8章終

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