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想いが届いた、そのあとは
今日も、明日も、隣にいる
春の光が、王城の庭を満たしていた。
噴水の水音は穏やかで、白い石畳に反射する陽射しが、ゆっくりと揺れている。
王としての執務を終え、外套を腕にかけて回廊を抜けると、視界の先に見慣れた背中があった。
白い外套。腰に帯びた剣。そして、凛と伸びた背筋。
「……ノア」
名を呼ぶと、彼女はすぐに振り返った。
以前よりも、その反応はずっと自然で、近い。
「お疲れさまです、陛下」
そう言ってから、ほんの一瞬だけ口元が緩む。
その表情を見るたびに、胸の奥が静かに温かくなる。
「巡回?」
「はい。城下と北門の報告を終えたところです」
「相変わらずだね」
「それが、私の役目ですから」
そう言い切る声音は、昔と変わらない。
――いや、少しだけ変わったかもしれない。
どこか、安心した響きが混じるようになった。
「少し、休んでいかない?」
「いいんですか?」
「今日は、王妃殿下の予定も空いてるって聞いたから」
「……もう」
小さくため息をつきながらも、ノアは噴水の縁に腰を下ろした。
自然と、その隣に座る。
肩が触れる距離。今では、意識する方が難しい距離。
指先が、そっと彼女の手に触れる。
離れない。
「……慣れましたね」
ノアが、ぽつりと呟く。
「何に?」
「こうして、並んでいることに」
少しだけ照れたような横顔。
それを見て、思わず笑ってしまう。
「僕は、まだ慣れてない」
「え?」
「隣にいるのが、当たり前になってしまったことに」
ノアは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。
「それは……悪いことですか?」
「いいや。むしろ、怖いくらいうれしい」
手を伸ばし、彼女の指を絡める。
指先には、聖騎士として積み重ねてきた傷が残っている。
それが、誇らしくて。同時に、愛おしい。
「今日も、無理はしてない?」
結婚してからも、王になってからも。
この問いだけは、変わらない。
ノアはゆっくり首を振った。
「していません。ちゃんと、自分で選んでいます」
「……そっか」
それだけで、十分だった。
風が吹き、木々がざわめく。
噴水の水音が、一定のリズムで続いている。
「レックス」
「なに?」
「あなたが王になっても……こうして、声をかけてくれるのが、嬉しいです」
その言葉に、胸の奥がきゅっと鳴る。
「僕は、君が聖騎士を続けてくれているのが、嬉しい」
「それ、矛盾していませんか?」
「してないよ。……君が君でいることが、一番だから」
ノアは一瞬黙り込み、それからそっと肩に頭を預けてきた。
「……ずるいですね」
「何が?」
「そんなふうに言われたら……私は、もっと欲張りになります」
肩に伝わる体温。それだけで、世界が少し静かになる。
寿命の差も、未来の不確かさも、消えてはいない。
それでも。今日も彼女は自分の足で歩いていて、僕はその隣にいる。
王としての責務も、神竜としての宿命も、すべてを抱えたまま。
それでも、こうして指を絡め、同じ景色を見ている。
それを――幸せと呼ばずに、何と呼べばいいんだろう。
「……帰ろうか、ノア」
「はい。レックス」
彼女は立ち上がり、自然に僕の手を取った。
その仕草が、あまりにも当たり前で。
胸の奥が、静かに満たされる。
今日も、明日も。歩けるところまで、一緒に。
それでいい。それがいい。
そのまま並んで歩き、回廊の角で足を止めた。
彼女は次の任務へ、僕は王としての仕事へ戻る時間だ。
指先が離れる。
それでも、胸の奥に残る温もりは消えなかった。
「行ってらっしゃい、レックス」
「……君も」
短いやりとりだけで、十分だった。
背を向けて歩き出しても、不思議と不安はない。
今日の終わりに、また同じ場所へ戻る。
その確信が、静かに胸の奥に根を張っていた。
* * *
夜の王城は、昼とはまるで別の顔をしている。
回廊を照らす灯りは控えめで、噴水の水音も、どこか眠たげだった。
執務を終えた僕は、肩の力を抜きながら私室の扉を開ける。
「……ただいま」
そう声をかけると、部屋の奥から、微かな衣擦れの音がした。
「お帰りなさい、レックス」
柔らかな声。
振り向いたノアは、すでに外套を外し、騎士装束の上着だけを羽織っていた。
長い一日を終えたあとの、少し緩んだ表情。
それを見るだけで、胸の奥がほっとする。
「今日は、遅かったですね」
「うん。どうしても、決裁が片付かなくて」
「……お疲れさまです」
そう言って、彼女は自然に近づいてくる。
距離が詰まるのを、もう止める理由はなかった。
そっと、抱き寄せる。
騎士として鍛えられた体は、相変わらずしなやかで、温かい。
「ノア」
「はい」
呼ぶだけで、ちゃんと応えてくれる。
それが、もう奇跡みたいだ。
「今日は……無理、してない?」
結婚してから、何度目か分からない問い。
それでも、やめられない。
ノアは胸元に額を預けたまま、小さく笑った。
「していません。……ちゃんと、自分で戻ってきました」
「そっか」
腕の中で、彼女が少し身じろぎする。
その仕草ひとつで、心臓が跳ねるのは、王になっても変わらないらしい。
「レックス」
「なに?」
「……こうしていると、少しだけ、不思議な気分になります」
「不思議?」
「はい。王様と聖騎士、なのに……」
ノアは顔を上げ、僕を見た。
「ただの、夫婦みたいで」
言われた瞬間、頭の中が一瞬真っ白になる。
「……それ、今言う?」
「今だから、です」
いたずらっぽく微笑むのは、ずるい。
思わず、額に軽く口づけた。
「……っ」
「ごめん。反射」
「反射でそんなことするんですか、陛下」
「やめて。その呼び方」
ノアはくすっと笑って、今度は自分から距離を詰めてきた。
「じゃあ……レックス」
名前を呼ばれるだけで、胸が甘くなる。
唇が触れる。
深くはない、でも確かに、想いが伝わる距離。
離れたあとも、彼女はすぐには目を開けなかった。
その距離に、まだ触れていたくて。
離れたあと、ノアは少しだけ頬を赤らめていた。
「……騎士としては、不適切ですね」
「夫としては?」
「……とても、適切です」
その答えに、耐えきれず抱きしめ直す。
「ノア……」
「はい」
「君が聖騎士を続けてくれていて、よかった」
「……どうしてですか?」
「君が君でいられる場所を、失ってほしくないから」
彼女は一瞬、言葉を失ったようだったが、やがて静かに頷いた。
「私も……あなたが王でいてくれて、よかったです」
「それは意外」
「いえ。ちゃんと、帰ってくる場所を作ってくれたから」
その言葉が、胸の奥に沁みる。
寿命の差も、世界の行く末も、まだそこにある。
でも今は。
「……今日は、一緒に休もうか」
「はい。……その、腕、離しませんよね?」
「離すと思う?」
「思いません」
ノアは小さく笑い、僕の胸に顔を埋めた。
髪に触れ、背を撫でる。騎士でも、神竜でも、王妃でもない。
ただ、大切な人。
「レックス」
「うん」
「明日も、ちゃんと戻ってきます」
「うん。待ってる」
それだけで、十分だった。
世界がどう変わっても。
時間がどちらに流れても。
今夜、こうして同じ体温を分け合い、ただの夫婦として、今日を終える。
彼女は神竜で、僕はただの人間で、それでも同じ時間を歩いている。
それを奇跡と呼ぶなら、僕はこの奇跡を、最後まで生きる。
噴水の水音は穏やかで、白い石畳に反射する陽射しが、ゆっくりと揺れている。
王としての執務を終え、外套を腕にかけて回廊を抜けると、視界の先に見慣れた背中があった。
白い外套。腰に帯びた剣。そして、凛と伸びた背筋。
「……ノア」
名を呼ぶと、彼女はすぐに振り返った。
以前よりも、その反応はずっと自然で、近い。
「お疲れさまです、陛下」
そう言ってから、ほんの一瞬だけ口元が緩む。
その表情を見るたびに、胸の奥が静かに温かくなる。
「巡回?」
「はい。城下と北門の報告を終えたところです」
「相変わらずだね」
「それが、私の役目ですから」
そう言い切る声音は、昔と変わらない。
――いや、少しだけ変わったかもしれない。
どこか、安心した響きが混じるようになった。
「少し、休んでいかない?」
「いいんですか?」
「今日は、王妃殿下の予定も空いてるって聞いたから」
「……もう」
小さくため息をつきながらも、ノアは噴水の縁に腰を下ろした。
自然と、その隣に座る。
肩が触れる距離。今では、意識する方が難しい距離。
指先が、そっと彼女の手に触れる。
離れない。
「……慣れましたね」
ノアが、ぽつりと呟く。
「何に?」
「こうして、並んでいることに」
少しだけ照れたような横顔。
それを見て、思わず笑ってしまう。
「僕は、まだ慣れてない」
「え?」
「隣にいるのが、当たり前になってしまったことに」
ノアは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。
「それは……悪いことですか?」
「いいや。むしろ、怖いくらいうれしい」
手を伸ばし、彼女の指を絡める。
指先には、聖騎士として積み重ねてきた傷が残っている。
それが、誇らしくて。同時に、愛おしい。
「今日も、無理はしてない?」
結婚してからも、王になってからも。
この問いだけは、変わらない。
ノアはゆっくり首を振った。
「していません。ちゃんと、自分で選んでいます」
「……そっか」
それだけで、十分だった。
風が吹き、木々がざわめく。
噴水の水音が、一定のリズムで続いている。
「レックス」
「なに?」
「あなたが王になっても……こうして、声をかけてくれるのが、嬉しいです」
その言葉に、胸の奥がきゅっと鳴る。
「僕は、君が聖騎士を続けてくれているのが、嬉しい」
「それ、矛盾していませんか?」
「してないよ。……君が君でいることが、一番だから」
ノアは一瞬黙り込み、それからそっと肩に頭を預けてきた。
「……ずるいですね」
「何が?」
「そんなふうに言われたら……私は、もっと欲張りになります」
肩に伝わる体温。それだけで、世界が少し静かになる。
寿命の差も、未来の不確かさも、消えてはいない。
それでも。今日も彼女は自分の足で歩いていて、僕はその隣にいる。
王としての責務も、神竜としての宿命も、すべてを抱えたまま。
それでも、こうして指を絡め、同じ景色を見ている。
それを――幸せと呼ばずに、何と呼べばいいんだろう。
「……帰ろうか、ノア」
「はい。レックス」
彼女は立ち上がり、自然に僕の手を取った。
その仕草が、あまりにも当たり前で。
胸の奥が、静かに満たされる。
今日も、明日も。歩けるところまで、一緒に。
それでいい。それがいい。
そのまま並んで歩き、回廊の角で足を止めた。
彼女は次の任務へ、僕は王としての仕事へ戻る時間だ。
指先が離れる。
それでも、胸の奥に残る温もりは消えなかった。
「行ってらっしゃい、レックス」
「……君も」
短いやりとりだけで、十分だった。
背を向けて歩き出しても、不思議と不安はない。
今日の終わりに、また同じ場所へ戻る。
その確信が、静かに胸の奥に根を張っていた。
* * *
夜の王城は、昼とはまるで別の顔をしている。
回廊を照らす灯りは控えめで、噴水の水音も、どこか眠たげだった。
執務を終えた僕は、肩の力を抜きながら私室の扉を開ける。
「……ただいま」
そう声をかけると、部屋の奥から、微かな衣擦れの音がした。
「お帰りなさい、レックス」
柔らかな声。
振り向いたノアは、すでに外套を外し、騎士装束の上着だけを羽織っていた。
長い一日を終えたあとの、少し緩んだ表情。
それを見るだけで、胸の奥がほっとする。
「今日は、遅かったですね」
「うん。どうしても、決裁が片付かなくて」
「……お疲れさまです」
そう言って、彼女は自然に近づいてくる。
距離が詰まるのを、もう止める理由はなかった。
そっと、抱き寄せる。
騎士として鍛えられた体は、相変わらずしなやかで、温かい。
「ノア」
「はい」
呼ぶだけで、ちゃんと応えてくれる。
それが、もう奇跡みたいだ。
「今日は……無理、してない?」
結婚してから、何度目か分からない問い。
それでも、やめられない。
ノアは胸元に額を預けたまま、小さく笑った。
「していません。……ちゃんと、自分で戻ってきました」
「そっか」
腕の中で、彼女が少し身じろぎする。
その仕草ひとつで、心臓が跳ねるのは、王になっても変わらないらしい。
「レックス」
「なに?」
「……こうしていると、少しだけ、不思議な気分になります」
「不思議?」
「はい。王様と聖騎士、なのに……」
ノアは顔を上げ、僕を見た。
「ただの、夫婦みたいで」
言われた瞬間、頭の中が一瞬真っ白になる。
「……それ、今言う?」
「今だから、です」
いたずらっぽく微笑むのは、ずるい。
思わず、額に軽く口づけた。
「……っ」
「ごめん。反射」
「反射でそんなことするんですか、陛下」
「やめて。その呼び方」
ノアはくすっと笑って、今度は自分から距離を詰めてきた。
「じゃあ……レックス」
名前を呼ばれるだけで、胸が甘くなる。
唇が触れる。
深くはない、でも確かに、想いが伝わる距離。
離れたあとも、彼女はすぐには目を開けなかった。
その距離に、まだ触れていたくて。
離れたあと、ノアは少しだけ頬を赤らめていた。
「……騎士としては、不適切ですね」
「夫としては?」
「……とても、適切です」
その答えに、耐えきれず抱きしめ直す。
「ノア……」
「はい」
「君が聖騎士を続けてくれていて、よかった」
「……どうしてですか?」
「君が君でいられる場所を、失ってほしくないから」
彼女は一瞬、言葉を失ったようだったが、やがて静かに頷いた。
「私も……あなたが王でいてくれて、よかったです」
「それは意外」
「いえ。ちゃんと、帰ってくる場所を作ってくれたから」
その言葉が、胸の奥に沁みる。
寿命の差も、世界の行く末も、まだそこにある。
でも今は。
「……今日は、一緒に休もうか」
「はい。……その、腕、離しませんよね?」
「離すと思う?」
「思いません」
ノアは小さく笑い、僕の胸に顔を埋めた。
髪に触れ、背を撫でる。騎士でも、神竜でも、王妃でもない。
ただ、大切な人。
「レックス」
「うん」
「明日も、ちゃんと戻ってきます」
「うん。待ってる」
それだけで、十分だった。
世界がどう変わっても。
時間がどちらに流れても。
今夜、こうして同じ体温を分け合い、ただの夫婦として、今日を終える。
彼女は神竜で、僕はただの人間で、それでも同じ時間を歩いている。
それを奇跡と呼ぶなら、僕はこの奇跡を、最後まで生きる。
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