Dragon's Song-竜は祈りを捧ぐ その傍に在る者と共に

篁 玖月

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亡国の残響

技術の体温、悪意の純度

 大聖堂からの呼び出しは、昼を少し過ぎた頃だった。
 伝言は簡素で、要件だけを告げる。神官長が会いたい、と。

 詰め所を出たノアが城の回廊へ出ると、ちょうど角からレクサスが現れた。呼び出しは彼にも届いていたらしい。外套の襟を整えながら近づき、自然に歩幅を合わせる。穏やかな目が、ノアの表情をすくい取った。

「一緒に行こう。……嫌な予感がする顔だ」

「隠せてない?」

「うん。君は、顔に出る」

 からかう調子ではない。そう言って、彼は並ぶ位置を少しだけ近づけた。それが彼の気遣いだった。

 少し遅れて、モコの気配が二人の後ろに添う。
 ノアがふと振り返ると、モコは鼻先を寄せてきた。柔らかな体毛の奥から漏れる息が、手袋越しにあたたかい。

 ――大丈夫、と言うみたいに。

 大聖堂の門をくぐると、空気が変わった。冷えではない。静けさが少し硬い。石壁の匂いが澄み、足音が遠くなる。

 案内も祈りの声もない回廊を抜け、イスズの部屋の前で立ち止まる。扉は閉じているのに、向こうに人の気配があった。

 ノアが控えめに声をかけるより早く、内側から錠が外れる音がして、扉がわずかに開いた。

「来たね」

 イスズの軽い声に促され、ノアとレクサスは中へ入る。
 室内は整理されていた。机の上だけが例外で、紙の束が積まれ、角を揃え、折れを伸ばし、順番を確かめる手つきがやけに丁寧で――それをしているのはルフレだった。

 机の端には書き取り用の紙。短い単語がいくつか並び、書き直しの跡が以前より減っている。
 ノアはそこで、息をひとつ緩めた。元気そうだ。ここにいる。それだけでよかった。

 遅れて入ってきたモコが、迷いなく机のそばへ寄った。ルフレの手元を邪魔しない距離で鼻先を寄せ、じっと様子をうかがう。

 ルフレは一瞬だけ目を上げ、それから小さく眉をほどいた。指先が、無意識にモコの額を撫でる。

 モコは満足そうに喉を鳴らし、また二人の後ろへ下がった。

「ルフレ。ここにいたんだね」

「……うん。神官長の手伝い、してた」

 ルフレが答えるより早く、横から声が飛んだ。

「手伝いはついで。主は勉強」

 イスズは悪びれずに言い、指で書き取りの紙を叩いた。ルフレが眉を寄せる前に、レクサスがふっと笑う。

「いいことだね。続けて。……焦らなくていい」

 ルフレの肩が、ほんの少しだけ落ちる。ノアには、その変化が分かった。

 イスズは二人に向き直り、いつもの軽い調子のまま言った。

「急に呼び出して悪いねぇ。……この前の回収物、覚えてる?」

 ノアはすぐに頷いた。回収物は二つ。ルクラ村では鐘を壊すための火薬。チェリア村では、倒壊した倉庫の床下から引きずり出した小さな円筒形の器具。
 ルフレは書き取りを続けたまま、木箱をちらりと見た。視線だけが、何度も戻ってくる。

 ノアは思わず目を細めた。――興味はあるのに、今はちゃんと我慢している。

「城の保管庫に入れたやつ、ですよね」

「そうそれ。……気になったからさ、アタシの方でも先に少し調べてみた」

 チェリア村で感じた冷えが、言葉を持って戻ってきた気がした。

「鐘を壊した方は火薬。成分は普通。問題はこっち」

 イスズは小さな木箱の留め具を外し、蓋をわずかに持ち上げた。中には布で固定された円筒が一本。

「……技術としては、素晴らしいよ」

 ノアの脳裏に、梁が折れ、木材の内部まで凍り割れていた倉庫の光景が浮かぶ。

「魔法が当たり前になる前の、古い時代のやり方。……でも、当時のままじゃない。ここまで小型で高出力は無かった」

 イスズは円筒を布ごと押さえ、指先で継ぎ目をなぞった。
 留め具をほんの少し外すと、内側の影が覗く。

「……ほら。外からは見えにくい位置に、石が仕込まれてる。……魔晶石だね。これで出力を底上げしてる」

 イスズは目だけを細めた。

「……確かアストラ大陸西部に、大きな鉱脈があったはずだ。けど、こっちじゃ流通しない。周囲の影響を受けやすくて、不安定だから」

 イスズはそこで、ほんの一拍だけ黙った。
 次の言葉だけが冷たかった。

「……全く。ろくでもない使い方を考えるもんだよ」

 目が細まる。楽しげにも見えて、同時に冷たい。
 指先が、箱の角を軽く叩いた。

「温度を管理できるってことは……保管庫や、病室にも役に立つだろうに」

 言い終えてから、息を吐くみたいに笑みが消える。

 ノアの胸の奥の冷えが、言葉になっていく。――目的が悪い。だからこそ、被害は確実になる。

 レクサスが静かに問う。

「……誰が、そんなことを」

「まだ分からない。……でも、竜に罪を着せたい奴がいる」

 ノアは小さく喉を鳴らした。人の手の悪意――それが、静かにノアの芯を撫でた。

「……アストラの石の流通を辿りましょう。港や精錬所――魔晶石の出どころを追えば、犯人に近づけるはずです。私が――」

「待って」

 レクサスの声は穏やかだったのに、否の形が崩れなかった。

「君には、ひとりで行ってほしくない。ただ、国として動くなら、どうしてもすぐには動けないんだ」

 イスズが淡く息を吐く。

「竜が狙われてるかもしれないのに、神竜の姿で飛んでいくなんて――もってのほかだからね」

 ノアが言い返そうとした瞬間、レクサスは静かに言い添えた。

「飛行艇団は三日もすれば戻る予定だ。それから動こう。……その間に、痕跡を集めよう」

 レクサスは短く息を吐いてから、言った。

「……聖騎士の行動を止める権利は、僕にはない。分かってる。でも……もし何かあったらと思うと」

 言葉が、そこで途切れた。

 ノアは短く息を吐き、頷いた。
 止められているのではない。大切に想われているのだと、分かってしまう。

「……分かりました。ひとりでは行きません」

 * * *

 大聖堂を後にするころ、空は澄んでいた。
 その後ろで、モコが妙に機嫌よさそうに歩いている。

 ノアが気づいて目を向けると、モコは何でもないふりをする。けれど、隠しきれない。

「……モコ、ご機嫌だね」

 レクサスが小さく笑った。

「さっき、撫でられたのが嬉しかったのかな」

 モコは返事の代わりに、鼻先をほんの少し上げてみせる。

 歩調を合わせるレクサスが、ちらりとノアを見る。

「……ルフレ、少し変わったね」

 ノアは前を向いたまま、小さく頷いた。
 その変化が嬉しくて、心が少しだけ温かくなる。

 城へ戻る途中で、ノアはふと思い出したように足を止める。

「ねえ。詰め所、寄ってもいいですか?」

「もちろん」

 レクサスは肩をすくめるみたいに笑った。

「投書箱、見ておきたくて。……それと、少しだけ」

 少しだけ、と続けた声が小さくなる。レクサスは微笑んだ。

「じゃあ、ついでにお茶でも。……ノアが淹れてくれるなら、嬉しい」

「……っ、もう。レックス、からかわないでください」

 そう返しながらも、ノアの肩の力がほんの少し抜けた。
 歩幅が揃うだけで、戻ってこられる場所があると思えた。

 詰め所は市民も立ち寄れるようにと用意された場所だ。昼下がりの光が窓から差し込み、木の机と椅子が整然と並ぶ。角の丸い家具は手触りがよく、飾りは控えめなのに、落ち着く。

 入口の脇に置かれた投書箱の蓋を、ノアは何気なく開けた。

 束の中に混じった一通に、指が止まる。封は丁寧で、紙も良い。けれど触れた瞬間に分かる。――急いで書かれたものだ。

 ノアは封を切り、目を走らせた。

 ——あの子が、姿を見せません。
 ——村の外れで見たきり、もう数日。
 ——何かあったのでは、と……心配で。

 差出人の名は、最後に小さく添えられていた。

 マレア。

 そして手紙の中ほど。竜の名が、ひとつ。

 アルピーヌ。

 ノアは、息を止めた。
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