Dragon's Song-竜は祈りを捧ぐ その傍に在る者と共に

篁 玖月

文字の大きさ
48 / 48
亡国の残響

港に残る傷

 城門を出ると、昼過ぎの陽光が石畳に白く落ちていた。

 市場の売り声は聞こえる。通りを行き交う人もいる。けれど、どこかいつもより声が少なかった。立ち止まった者たちの視線が、ひとつの方角へ流れている。何があったかは分からない。ただ、何かあったのだとは感じている――そういう空気だった。

 ノアは足を速めた。隣でレクサスが、静かについてくる。
 確かめなければならなかった。
 あれが本当にアルピーヌだったのか。そして、彼がどこへ去ったのかを。

 港に近づくほど、空気が変わっていった。
 最初に気づいたのは、足を止めた魚売りだった。台の向こうで手を止め、港の方角を眺めている。その隣では、買い物籠を抱えた女が連れの耳に何かを囁いた。
 路地の角では、子どもが数人固まって港を指差している。

「なんかでかいのきてる」
「ホークだろ、あれ」
「でも壊れてない? 動いてないし」

「レクサス殿下、港で何か――」

 人垣の中から、男が声をかけてきた。レクサスは足を止めず、しかし声だけは穏やかに返した。

「ああ、確認に向かっているところだよ。心配をかけたね」

 ノアは前を向いたまま歩いた。

 先に見えたのは、曳航されて戻った飛行艇団の旗艦ホーク級だった。船腹には深い裂け目が走り、応急の覆いが張られている。岸壁へ繋がれた綱は何重にも渡され、甲板では被害を免れた飛行艇団員たちが慌ただしく立ち働いていた。

 水竜たちの助けで、ようやくここまで引いてきたのだろう。濡れた船腹が、鈍く光っていた。

 係留された旗艦に近づき、ノアは損傷した船腹へ視線を向けた。背後ではモコが、水辺を覗き込むように首を伸ばしている。ときおり鼻をひくりと動かしては、沖の方角へ顔を向けた。

 少し離れたところでは、レクサスが飛行艇団員から被害の経緯を聞き取っていた。短く指示を返しながらも、ときおりその視線はノアたちのいる水辺へ向く。目が合うわけでもない。ただ、確かめるように――それだけで十分だった。

 損傷した旗艦の向こう、港外れの水面に青い影が浮かんでいた。こちらに気づいたのか、大きな水竜がゆるやかに水を分けて近づいてくる。

『お久しぶりですね、ノア』

 低く澄んだ声は、海の底から届くように深い。けれど、その響きは波が寄せるようにやわらかかった。

「……今回も、力を貸してくださってありがとうございます。レガリアとの戦いのとき、王都を共に護ってくださったことも、父から聞きました」

 アクアはそっと目を伏せた。

『せめて、届いた命だけでも取りこぼしたくありませんでした』

 ひと呼吸の間があった。その静けさの奥に、間に合わなかったかもしれないものへの痛みが滲んでいるのをノアは感じた。

 その背後で、小さな水音がいくつも重なる。
 波間から子水竜たちが顔をのぞかせ、こちらをじっと見つめていた。

 そのうちの一頭が、はっとしたように目を見開いた。

『あ……あのときの、おねえちゃん』

 つられるように、ほかの子らもそろそろと水面を割って近づいてくる。

『ほんとだ……!』
『もこもこもいる!』
『ぼくたちも、みたよ! ひっぱったの!』

 一頭が遠慮がちに鼻先を寄せてきた。ふわ、と水の匂い。まだ幼い体毛が、陽光にほわりと輝いている。

「……覚えていてくれたの?」

 子水竜たちは誇らしげに首を上げた。場の重さを感じ取っているのか、それ以上はしゃぐことはない。それでも、明るんだ目だけは隠しようがなかった。ノアは思わず息をゆるめた。モコも、鼻先をほんの少しだけ子水竜たちの方へ傾けた。

『しろいの、あっちいった』

 小さな鼻先が、北西の沖へ向く。

『しろいの、おっきいのといっしょだった』

 言葉は拙い。けれど、見たものをそのまま伝えようとしているのは分かった。

 アクアが静かに口を開く。

『この子たちも救助を手伝ってくれました。海に落ちた者たちを見つけ、岸へ導き、この艦をここまで引くのにも力を貸してくれたのです』

 アクアの視線が、遠い沖へ流れる。

『海の上が、いつになく騒がしかったのです。気になって海面へ出たときには、大きな飛行艇が落ちかけ、若い氷竜がそこから離れていくのが見えました』

「アルピーヌ……」

 その名を口にしたことで、曖昧だった輪郭がひとつ定まった。
 あれは、やはり彼だったのだ。

『驚いてその先を見渡すと、さらに遠く――北西に霧に紛れて飛び去る、見慣れぬ金属の艇がありました。氷竜もまた、その消えた先へ向かっていったのです』

 指先がこわばる。

「……北西」

 沖を閉ざしていた霧は、もうほとんど消えかけていた。
 それでも、その向こうまでは見通せない。どれほど目を凝らしても、氷竜の影も、見慣れぬ金属の艇影も見つけることはできなかった。

 アクアは遠い水面へ目を向けた。

『あの竜は、苦しんでいるように見えました。己の意思だけで動いているようには、私には思えませんでした』

 その声は、彼をただ敵と呼んでしまうにはあまりにも静かだった。

『追うことも考えました。けれど、あのときは海に落ちた者たちを助ける方が先でしたから』

 ノアは何も返せなかった。それが正しいのだと分かる。分かるからこそ、胸に残るものがあった。

*  *  *

 アクアがふたたびノアを見た。

『……自分を責めているのですね』

 息が止まる。否定しようとして、できなかった。

『そう思うのは、あなたが彼を見捨てていなかったからでしょう。けれど、その痛みに呑まれてしまわないでください』

「……はい」

 小さく、それだけ返した。波の音だけが、しばらく続いた。

 アクアは沖の白い霧へ視線を向けた。

『私は、もう少しこの近海を見ます。彼が再び海へ追われることがあれば、今度も気づけるように。異変があれば、また力を貸しましょう』

 顔を上げる。

「……お願いします」

 アクアは一度、深く穏やかに頷いた。

『ええ。彼もまた、見捨ててよい命ではありませんから』

 その一言が、ノアの胸に静かに落ちた。

『ノア』

『あなたは、彼の声を聞こうとしたのでしょう』

 息を呑む。否定も、言い訳もなかった。

『……それでよかったのだと、私は思います』

 唇を、そっと結んだ。

『どうか、お気をつけて。王国が動くほどの事であれば、敵もまた、次を考えているはずです』

「はい」

 頷くと、アクアは静かに目を細めた。少し離れたところで報告を終えたレクサスもまた、黙って一礼する。

『では、私はこのまま近海を見ていましょう』

 水面が静かに揺れた。深い青の身が波に溶けるように沈み、あとには細く長い波紋だけが残った。
 見えなくなってもなお、この海のどこかで見守っているのだと分かる静けさがあった。

 ノアは海の向こうを見た。
 白く閉ざしていた霧は、もうすっかり消えていた。

 ただ、何もなかったことにするには、港に残った傷が大きすぎた。

 その静けさを破るように、ひとつ甲高い声が港に響いた。

「うわあああああ!? ホークが何でこんな有様になってんの!?」

 振り返った飛行艇団員たちの間を、ひとりの女が駆け抜けていく。

「セラ機関士長……!」

「戻ったんですか、もう!?」

「戻るわよ! 妹の出産に付き添って、実家守って、やっと息つけると思ったらホークが沈みかけたって何!? じっとしてられるわけないでしょ!」

 その声に、重く沈んでいた港の空気がわずかに揺れた。
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

十六歳の妹の誕生日、私はこの世を去る。

あいみ
恋愛
碌に手入れもされていない赤毛の伯爵令嬢、スカーレット。 宝石のように澄んだ青い髪をした伯爵令嬢、ルビア。 対極のような二人は姉妹。母親の違う。 お世辞にも美しいと言えない前妻の子供であるスカーレットは誰からも愛されない。 そばかすだらけで、笑顔が苦手な醜い姉。 天使のように愛らしく、誰からも好かれる可愛い妹。 生まれつき体の弱いルビアは長くは生きられないと宣告されていた。 両親の必死に看病や、“婚約者の献身的なサポート”のおかげで、日常生活が送れるようになるまで回復した。 だが……。運命とは残酷である。 ルビアの元に死神から知らせが届く。 十六歳の誕生日、ルビアの魂は天に還る、と。 美しい愛しているルビア。 失いたくない。殺されてなるものか。 それぞれのルビアを大切に思う想いが、一つの選択をさせた。 生まれてくる価値のなかった、醜いスカーレットを代わりに殺そう、と。 これは彼女が死ぬ前と死んだ後の、少しの物語。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

異世界に来て10年、伝えられない片想いをしている――伴侶と認識されているとは知らずに

豆腐と蜜柑と炬燵
恋愛
異世界に来て、10年。 田中緑(26歳)は、町の食事亭で働きながら、穏やかな日常を過ごしている。 この世界で生きていけるようになったのは、あの日―― 途方に暮れていた自分を助けてくれた、一人の狼の半獣人のおかげだった。 ぶっきらぼうで、不器用で、それでも優しい人。 そんな彼に、気づけば10年、片想いをしている。 伝えるつもりはない。 この気持ちは、ずっと胸の中にしまっておくつもりだった。 ――けれど。 彼との距離が少しずつ変わっていくたび、 隠していたはずの想いは、静かに溢れはじめる。 これは、 10年伝えられなかった片想いが、 ゆっくりと形を変えていく物語。

聖力を奪われたので、まぁいいかと力を上げたら文字通り弾け跳んだ話

ラララキヲ
ファンタジー
 私は先代聖女様に見つけられて聖女になった。その時から村から出て王都の教会で暮らしている。  聖女は代々王族と縁付く決まりがあり、歴代で初となる『平民』の聖女の私ですら王族の婚約者にされてしまった。そのことに一番反対したのは婚約者に選ばれた第二王子様。  そしてそんな私の元に同じ村出身で『自称私の親友』と言い張る女が押しかけて来た。  なんだか周りが面倒臭いけど、何を言われようとも『私が聖女なのは変わらない』ので問題ないです。 ◇テンプレ聖女モノ。 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾もあるかも。 ◇なろうにも上げる予定です。 ※女性向けHOTランキング☆2位☆入り!!!ファンタジー☆1位☆入り!!ありがとうございます!!

勘当された泥まみれ令嬢は、公爵家に愛でられる

霞灯里
恋愛
【役立たずと言われた私のスキル《花の帳》は意外と有能でした】 草花を愛し、庭で植物を育て土に触れて生きる日々。 そんな彼女が授かったスキルは、《花の帳》。 それは世界中の植物の情報が記された、ただの“植物図鑑”。 毎日のように全身土で汚れていた彼女は、『泥まみれ令嬢』と実の姉に嘲笑われた。 更にその話を姉達の手によって貴族社会にまで広められる。 そして役立たずと蔑まれ続けた末に、”婚活”より”花市”を優先した彼女は家を追い出されることになる。 「アイリス、お前はどこまで家名に泥を塗る気だ!」 「役立たずは要らないわ。あなたはもう、ドルマン家の娘ではありません」 ドルマン子爵家の三女アイリスは、家族からそう言い渡され、勘当された。 けれど――そんな“泥まみれ令嬢”は、思いがけない機会により価値を見出される。 ひょんなことから出会った公爵家三男。彼は家族の不運に奔走していた。 そんな彼を手伝ったことをきっかけに、《花の帳》の真価が明らかになる。 そして気づけば逃げ場が無いほど、公爵家の人々に囲い込まれていた。 「わ、私はただ、花を愛でながら静かに暮らしたいだけなんですけど……!?」 公爵家の一族がこぞってアイリスに心を奪われた理由は、その力の真価だけじゃない。 泥にまみれても笑っていられる、まっすぐで優しい彼女自身の在り方に惹かれたのであった。 「私が愛でられてどうするの!?」 これは蔑まれ続けた草花を愛する“泥まみれ令嬢”が、過保護すぎるほど溺愛されていく物語。 ※小説家になろう、カクヨムでも連載中。短編予定。 ※不定期更新です。

「お産の手伝いなど下女の仕事だ」と追放された産婆令嬢、公爵夫人の難産を、誰も取り上げられなかった

Lihito
ファンタジー
産婆の技を「まやかし」と蔑んだ宮廷医師に婚約を破棄され、王都を追われたフィリーネ。 山あいの町で医師カールと出会い、産婆不在の地で母子の命を守り始める。 やがて王都では逆子の分娩に失敗した元婚約者が信頼を失い、若い女性医師マルガレーテが自らの意志でフィリーネを訪ねてくる。 三日間の実技指導で産婆術を託されたマルガレーテは王都に戻り、その報告が医学院を動かす。 産婆術は正式な医療技術と認定され、元婚約者は資格を剥奪された。 命を迎える手は、静かな町で今日も温かい。

転生後はゆっくりと

衣更月
ファンタジー
貧しい集落で生まれたリリは、生まれた瞬間から前世の記憶があった。 日本人特有の”配慮”に徹した赤ん坊を演じていたことで、両親から距離を置かれた挙句、村人からも「不気味な子」として敬遠されることに…。 そして、5才の誕生日に遠くの町に捨てられた。 でも、リリは悲観しない。 前世の知識チートは出来ないけど、大人メンタルで堅実に。 目指すは憧れのスローライフが出来るほど、ほどほどの守銭奴としてリリは異世界人として順応していく。 全25話(予定)

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。