【R18】その男装は暴かれる

象の居る

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2.逃げなくちゃ

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 しばらく待っても何も起こらないので、ふらつく足で馬車まで戻った。酷い獣くささが充満している。荷馬車は木が砕けて車輪が折れ、中の荷物が地面に散らばっていた。繋がれてた馬は消え、血だまりには何本かの足と何かの残骸。ムッとする血の匂い。投げ出された護衛たちの武器。誰もいない。残ってるのは千切れた手足だけ。

 魔獣だ。
 あんな、あんなのがいる。

 初めて魔獣を見た。話で聞くのと実際に見るのじゃ天と地ほど違う。あんなのに敵うわけがない。

 絶望と一緒に、ふと気づく。
 私、一人だ。


 一瞬で 頭まで鳥肌が立ち、体が震え出した。
 逃げなきゃにげなきゃにげなきゃ。 散らばってる食料をやみくもに拾って立ち上がろうとしたら、スカートの裾を踏んで血だまりの中へ倒れ込んだ。
 這いつくばった目の先に、真っ赤な血にまみれた人間の手が落ちている。芋虫みたいな太い指にいくつも指輪をつけた商人だった手。奉仕に慣れる前、陰茎を押し込んでくる手をよく間近で見た。体の奥から突き上げられるようにおう吐した。何度も吐いて何もない汁だけになっても吐いた。苦しくて息が切れる。ずって這ってそこを離れ、焚火の場所に置いてあった桶の水でウガイをし、喉の渇きがおさまるまでひたすら飲んだ。

 花摘みをして何度も息を吐くうちに、震えは止まって少し落ち着きを取り戻す。

 呼吸をして目を閉じる。立ち上がったら、血に濡れた服が肌に張り付く気持ち悪さに気づいた。酷い光景を目に入れないためにまぶたを閉じて息をはき 、逃げるために必要なことはなにかと考える。

 まずは服を着替えよう。今朝、乾いてた商人の着替えをしまったばかりだ。雨用のマントもあったはず。歩いて移動するからブーツもあったほうがいい。
 ここからどこへ行く? 来た道を戻って商人が死んだと知らせて奴隷を続ける? 荷馬車で向かっていた知らない街まで行く? そこなら私を知る人はいない……?

 奴隷から逃げられる可能性に思い当たり、胸が震えた。今しかない。

 犯罪奴隷になったのは冤罪だった。私の許嫁を気に入っていた勤め先の商会の娘が、盗品を私のカバンへ紛れ込ませて嵌めた。
 大きな商会の娘と、そこで働く片親の従業員のどちらを信用するのか。その従業員には病気の母がいて、薬代を必要としてるならなおさら。警吏たちはろくに調べもしない。あっというまに奴隷になり、母も心労で死んだと聞いた。

 私がここでいなくなっても死んだと思われるはず。大丈夫、きっと。ここから離れて、1人で歩いて、私ひとりで。…………女が一人で旅なんて、どう見られるか。
 商人と護衛たちにされたことを思い出し、ブルリと体が震えた。
 ダメだ、女一人だと知られたら何されるかわからない。……男なら? 男なら金目のものを取られるだけで済む? 幸い、背は男並みだから。

 頭を振ってまぶたを開けた。早くここを離れないと。

 目当ての荷物を探し、壊れた荷台の隙間から引っ張り出した。汚れた服を脱いで顔と体を水で拭くと、左胸にある忌々しい奴隷紋が目に入った。でも、主人が死んだ今なら何したって痛まない。
 焚きつけの枝を切るために持っていたナイフを手に取った。汚れてしまった髪をほどき、ナイフを当てて切り落とす。じゃりじゃり音がして頭が軽くなっていく。

 切り終わった髪の毛を枝の上に捨てて火を着けた。嫌な臭いが鼻につく。
 体から髪の毛を払い落して、小さい胸をさらに潰すために布を巻いた。ぶかぶかな商人の服に袖を通し、ズボンの紐を絞って結びながら他に必要なものを思い浮かべる。水と食料、ナイフ、火打ち金、それを入れるカバン、あとは、……そう、お金。何につけても重要だ。

 入用なものを探して荷馬車の周りをグルリとまわったら、山盛のフンがあった。それを見つけた途端、無意識に止めていた鼻にもの凄い獣臭が押し寄せた。むせながら後ずさりして探し物に戻り、必要なものをかき集めて焚火まで戻って、やっと深呼吸をする。
 拾ってきた割れた板を火に投げ入れ、勢いが強くなったところでさっきまで着ていた服も火にくべた。炎になめられて黒くなる服を見ながら、これで逃げられると思った。

 荷物を詰めたカバンを持ってその上にマントを羽織る。燃え尽きた焚火を掻きまわして服の灰を崩した。焦げた匂いと、荷馬車のほうから漂うフンの獣臭が混じって酷く臭い。こんな臭いなら誰も近寄らないんじゃないだろうか。

 あ、……それ

 何か引っ掛かった。記憶を探る。たしか、農作物の被害の話で、……畑の害獣を追っ払うのに強い獣のフンを置くと聞いた。強い獣の縄張りだと思われて、近寄らなくなるって。でもフンだから商売には向かいとかなんとか。
 それだ。
 臭くても良い、生きたまま食べられたり襲われたりするよりよっぽどいい。山のようなフンのところに戻って、生暖かいそれを手ですくった。柔らかい泥のような感触で、マントに塗りやすい。どれだけ付ければいいのかわからず不安で、結局マントの足から下全体に塗りたくった。
 桶に残ってた水で手を洗い、吐き気をもよおす匂いを少しでも減らしたくて鼻に布を巻き付けた。できることはこれで全部。隊商の残骸から離れるため足を踏み出した。

 街道から離れすぎない木立の中、はりだして盛り上がる木の根に気をつけて歩く。暗くなる前になるべく進みたくて焦りがつのる。
 あの大きいのが出てくるまで、護衛は魔獣を見かけないと言っていた。あれに怯えて逃げ出したのかもしれない、わからないけど。出るかわからない魔獣も怖いし、人間はもっと怖い。捕まれば逃亡奴隷の罰を受けることになってしまう。
 主人が死ねば奴隷は相続人のもの。相続人がいなければ自由になるけど、滅多にない。商人なら確実に相続人がいるはずだから、出てくる前に遠くへ行かなかなきゃいけない。

 足元が見えないほど暗くなってから野営に入った。マントを脱いで少し離れたとこにおき、寄りかかれそうな木の根元に腰を降ろした。鼻を塞いでた布を外して水を飲む。カバンから干し肉と堅パンを出して齧った。
 奴隷から逃げ出す高揚は消えてしまい、今は不安で頭が重い。できることを1つずつやっていくしかないけれど。
 他の旅人に見つかりたくないから火は焚かない。水筒は2つ持ってきたけど、水場を見つけないと間に合わないだろう。朝露を集めるために藪草に皮を広げて結んだ。
 やることを終え、マントの中で丸まった。臭いけど寝てるあいだに襲われるなんてごめんだ。カバンを枕に目を閉じる。夢で悲鳴が響くたびに目を覚まし、あまり眠れないまま朝を迎えた。
 案外たくさん集まった朝露を飲み、残りは水筒に入れた。堅パンを齧ってから出発する。

 今日も昨日のように歩いた。休憩を取りながら足をすすめるけど、あまり眠れなかったせいか体が重い。日が暮れるまでなんとか歩き、適当な木の根元に座り込んだ。
 はっ、と目が覚めると真っ暗だった。胸を打ち鳴らす鼓動と自分の荒い呼吸音が響く。遠くから鳥のような鳴き声が耳に聞こえ、息を全部吐き出した。汗が噴き出して頭がガンガンする。このまま眠りたいけど朝露を集める準備しなきゃいけない。
 昨日と同じように準備をし、少しでも食事を取って水を飲んだ。そして目をつむる。今日は眠れるかもしれない。

 途中で二度ほど目が覚めたが一昨日よりは眠れた。朝食をとって歩き、昼に休憩をとって座る。
 疲れた。ずっと不安を抱えているのはすごく疲れる。

「おい、アンタ」
「ヒッ」

 誰?
 恐る恐る声のほうを見ると、鼻面の長いオオカミが立っていた。毛皮に包まれた頭に三角の耳がついてる。背の高いしっかりした体に剣を下げて、私を見てた。

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