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第一章 変わる関係

11話 どうしようもなく

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 ――グラウンド隅にある体育倉庫裏に俺は逃げ込んだ。
 運動部の喧騒を遠くに、俺は地面に座り込んで頭を抱える。

 出来る事なら世界の裏側にでも逃げ出したかった。
 
 こんな所に逃げ込んでも結局は家に帰ることになるんだ。
 そうすれば嫌でも由衣と顔を合わせることになる。
 
 今、由衣とは会いたくない。
 あんな告白の後で会えるわけがない。
 
 どうしようどうしようどうしようと、
 永延に考えていた。

 
 
 時間が経ち、とめどなく流れていた涙も止まり、頭に少しばかりの冷静さが戻ってくる。
 しかし、冷静になったところで突き付けられるのは非情な現実だ。
 みっともない告白をしてしまった事実は消えやしない。
 消えて居なくなりたいとすら思ってしまう。

「なにやってんだよ」

 その声に反応して抱えた頭を上にあげると、ムカつく顔が俺を見下していた。
 先輩の弟、新庄貴志しんじょうたかしだ。

「…………お前には関係ないだろ」
「探し回ったんたぞ、余計な手間をかけさせんな」
「……そんなこと頼んでないだろ…………もう、ほっといてくれ……」

 お前の顔なんざ見たくない。
 
「なあ……お前は妹のこと好きなのか?」
「…………さっきの見りゃわかんだろ」

 俺の無様な姿は見ていたはずだ。
 いちいち俺の口から言わせないでくれ。
 また泣きそうになる。

「いつから好きになったんだ?」
「お前には関係ないだろ」
「……そうかい」

 いきなり馴れ馴れしいやつだ。
 さんざん痛めつけられた俺の気持ちを考えろよ。

「お前がどう考えてるかは知らないが、俺はそんな悪い事だとは思わないけどな」
 
 弟くんはサラリとそんなことを言う。
 妹を好きになる事はどう考えても悪に決まってるだろ。
 
「姉さんが呼んでる。ついて来い」
「…………由衣に会いたくない」
「あいつならもう帰ったよ」 

 それを聞いて少しホッとしてしまう。問題の先送りにすぎないのに……

「ほら、早く来い。姉さんを待たせるな」

 俺は重い足取りでもう一度化学実験室へと戻った。


 ――


「ごめんなさい!」

 戻って来るなり先輩が駆け足で俺のところへ来ると開口一番に謝り、そして深く頭を下げた。
 こうもストレートに謝られるとは意外だった。
 弟の方は謝る素振りすら見せなかったからな。

「姉さんが謝る必要は無いだろ」

 ほら見ろこれだ。
 こいつはこれっぽっちも悪いと思っていない。

「……いいですよ。もう……済んだことですから」

 そう、先輩や弟くんに謝罪されたところで、もうどうしようもないのだ。
 
「でも……」

 先輩は今にも泣きだしそうな顔をしている。
 それだけで十分に気持ちが伝わってきた。
 
「大丈夫ですから……もう俺に、関わらないでください」
「そうはいかないわ! ……私達には責任があるから……だから君の力になりたいの!」

 とは言われてもどうしたものか……
 協力されたからといって、どうにかなるものではない。
 先輩が時間を巻き戻す超能力者ならまだしも……

「どうにか出来る問題じゃないんですよ」
「それについては私に考えがあるの! ……だから……話だけでも聞いてくれないかな?」
「…………わかりました」
 
 先輩には悪いが本気で期待しているわけではない。
 藁にもすがる思いというやつだ。
 それくらい俺は救いを求めていた。


 
 隣の準備室にて作戦会議とやらが始まった。
 俺と先輩が向かい合って席に着き、弟はというと腕を組んで窓際に立ち、つまらなそうに外を眺めている。こいつは俺に協力するつもりは無いらしい。

「それじゃ初めに確認しておきたいんだけど……澄谷君は由衣ちゃんの事が好きなんだよね?」
「……はい」
「君は由衣ちゃんとどうなりたいのかな? 私達みたいな関係になりたいのか……それとも『普通の兄妹』でいたいのか……」
「普通の兄妹です……それ以上の事は、望んでません」
「ならあそこで泣いて逃げ出すんじゃねぇよ。アホか」

 糞ムカつく弟くんが横やりを入れてくる。マジで殴ったろかこいつ……
 まあ殴ったところで三倍返しされそうだからやらないけど……こいつ強いからなあ……
 
「貴志は黙ってて! ……ごめんなさい。あとでちゃんと言っておくから」

 先輩は机ギリギリに頭を下げる。
 弟くんは面白くなさそうに視線を外に投げた。お前はもっと怒られろ。

「……まあ事実ですし、構いませんよ……」
「本当にごめんなさい……」

 先輩はそうとうな自責の念があるようだ。
 どうしてそこまで思ってくれているのかは分からないが、素直に嬉しかった。

「ほんと、あそこで俺があんなヘマしなかったら……全て丸く収まってたんですから」
「……後悔してる?」
「出来る事なら無かったことにしたいです……このままじゃ……家に帰れませんから」
「なら無かったことにしましょう」
 
 先輩は簡単に言ってくれるが、それが出来たらこんなに悩んだりはしない。
 出来るはずがない。

「どう……するんですか?」

 だけど無理だ無理だと思っていても、聞かずにはいられなかった。
 
「私が澄谷君の彼女になるの」

「…………へ?」

「正確には彼女のふりをするの」

 何をどう考えればそうなるの!?

「いい? 澄谷君。今日はまず、君の彼女として君の家に遊びに行きます」
「は、はい」

 わけがわからない。

「そうするとどう? 由衣ちゃんから見れば『お兄ちゃんが告白してきたと思ったら彼女を連れてきた』って混乱するわ」
「そ、そうでしょうね」

 俺も混乱しているわけだが……

「それで解決よ」
「どこが!?」

 全然解決してないし! 完全に兄として終わってると思うんだが!?

「あの告白は何かの間違いだったと思ってくれるはずよ」
「無理やりすぎでしょ! 完全に変なやつでしょ!」

 冗談を言っているならまだしも、大真面目にこれを言ってくるのだから驚きだ。

「出来るだけ私とイチャイチャしているところを由衣ちゃんに見せつけましょう」
「それじゃただの糞兄貴だ!」
「『妹にマジ告白して泣きじゃくる気持ち悪い兄貴』って思われるよりはいいでしょ?」

 確かにそうかもしれないが……
 いや――気持ち悪くて糞な兄貴だな、うん。間違いない。

「……恥の上塗りじゃないですか? それ……」
「黒歴史を隠すのには、糞で覆うのが一番よ」

 出来の悪い冗談だと思いたいが、先輩の声は力強く確固たる意志を持っている。
 
「私を信じてほしい。どっちみちこのままじゃ家に帰ることすら出来ないんでしょ?」

 ……まあ実際に今日は友達の家に泊まることにして、漫画喫茶で夜を明かそうかと思っていたくらいだ。

「本当にそれで大丈夫でしょうか……」
「毒を食らわば皿まで。毒にまみれましょう」

 頼りになるのか頼りにならないのか分からない人である。
 言っていることは滅茶苦茶なのに、自信があるのはひしひしと伝わってくる。

「君は今『普通の兄妹関係』のどん底に居るの。これ以上状況が悪くなることは無い――だから思いっきり場をかき乱す! それで全てを有耶無耶にしましょう!!」

 正直ちょっと格好良いと思ってしまった。言ってることは馬鹿だけど……

「力技過ぎる気がしますけど……」

 他に何か思い浮かぶわけでもないし……
 今日先輩が一緒に家に帰ってくれるというのは、かなり有難い。

「……お願いしても良いでしょうか……?」
「まかせて。責任はきちんと取ります」

 先輩は胸を張って宣言する。
 
 ただ、弟は面白くなさそうに、俺を睨み続けていた。
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