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最終章 罰

この幸せは数多の犠牲の元に

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 『君が居るから安心だよ』
 『君が居るから幸せだよ』

 どこからか声がする。
 優しくて、透き通っていて、狂ってしまうほど美しい。
 
 両腕の内側と胸の上辺りが温かい。
 そうだ、俺は大切な何かを守り切ったんだ。

 ぼやける世界をざっと凝視する。
 暖かくて明るい、何故かホッと安心するような暖かな世界だ。

 あれ、でもなんか空との距離が近い気がする。
 ここ高いのか。
 下はどうなっているんだろう。

 視線をそっと下に向ける。
 
 『お前の罪は必ず罰せられる』
 『お前の守った宝物は必ず罰せられる』

 まるで天国のように思える世界の土台になっていた物を見た。
 それは数多の死体。
 腐ったブドウの様に潰れた無数の眼球。

 『お前の幸せは必ず崩壊する』

 グロテスクな土台が俺に何かを訴えかけている。
 幸せな俺の世界を汚そうと手を伸ばしてくる。

 そんな不気味極まりない土台を銀色の触手がグシャリ、ビシャリと音を立てながら潰していく。
 その音を聞く度に、この暖かな幸せが壊れてしまうんじゃないかって不安がじわりと心に滲みよる。

 『あなた達二人の罪人にどんな罰が下るのか、冥府の世界から監視し続けています』
 「はっー」

 ハッとして目が覚める。
 視界に映るのは猛スピードでスライドする風景を映したオレンジ色の窓。
 耳に入り込むのは電車の走行音。

 「寝たてのか……俺」
 「もうちょっと寝てても良いよ。降りる駅に着いたら起こしてあげるから」

 声がした方向に目を向ける。
 そこにはキルケーの日誌を読んで移動時間を潰しているファナエルの姿があった。

 『次の駅で降りるからあと2,3分ぐらいかな』
 『アキラは昨日も寝ずに私の事見守ってくれてたし、寝れるときに寝て貰わないと』

 「いや、もう降りるなら起きとくよ」
 「ん、分かった。でも、私の為に無茶して体壊さないでね?」
 「大丈夫大丈夫。このままだと駅降りた時に寝違えりそうだし、今起きるぐらいが丁度よくてー」

 寝ている体を起こそうとしたその瞬間、俺はふと違和感を覚える。
 なんか、腕の内側と胸の上あたりがすっごい暖かい。
 おまけになんかすごい良い匂いがする。

 一体なんだろうと思って視線をキョロキョロと動かすと……そこにあったのは寝ている間、無意識にファナエルの左腕を抱きしめていた自分の体だった。

 「あ、いや。これは違くて!!」
 「恋人同士なんだから恥ずかしがらなくていいのに」

 驚いて勢い良く体を逸らした俺を見てファナエルはクスリと笑う。
 「まぁそう言う所が好きなんだけど」と呟いた彼女は座り直した俺の身体めがけてグィッと近づいた。

 「せっかくの二人旅なんだし、こう言うシチュエーションも楽しまないと。アキラだって恥ずかしがってる以上にこの状況を楽しんでるんだから、甘んじて私の体にくっつくべきだよ」

 ファナエルは読んでいたキルケーの日誌をパタンと閉じ、全体重を俺に預けて肩の上にチョコンと頭をのせる。
 この旅を始めてからというもの、ファナエルは俺によく甘える様になった。
 まぁ、可愛いし、ファナエルが俺の前だとのびのび出来るって考えてくれている事自体はとびきり嬉しい。

 むしろ、こんな状況なのにまだヘタレな部分が残っている自分にびっくりだ。 

 桜薬おうやく市を出て今日で大体2週間。
 東へ進む路線の電車を探し、乗り継ぎを繰り返し、終電になったらどこかで寝る。
 とにかく桜薬おうやく市から離れる事だけを考えためちゃくちゃな旅だけど、今までに感じたことの無い非日常感と隣に居てくれるファナエルの存在で存外楽しい旅になっている。

 「そういえば、今どこらへんなんだ?」
 「今は長野県あたりだよ。ここまで来れば、アルゴスを失った天界の神様達は私達を見失ってると思う」
 「そっか、とりあえず目的達成だな」
 「それなら、お祝いとして今日は二人で美味しいもの食べない?」

 ファナエルはそう言うと、右手の人差し指で斜め前に座っているカップルを指さした。
 きっとあの二人の心の声を聞けば何かが分かるんだろうと思った俺は、堕天使の力を使いながら耳を澄ます。

 『指輪は買った、雰囲気の良い店も見つけた。よ~し、今日こそプロポーズするぞ!!』
 『今日誘ってもらったお店、友達に聞いたら凄い雰囲気良いって言ってたんだよね。もしかして今日プロポーズとかされたりして』

 なんとも幸せそうな声が聞えてくる。
 
 「予約とか必要ないお店みたいだよ。駅から歩いて行ける所みたいだし行ってみない?」
 「そうだなぁ……そういやここ一か月は駅弁とかコンビニ飯しか食べてないな」
 「お金は心配しなくていいって言ってるのに、アキラったら150円ぐらいのおにぎりしか買わないんだから」
 「いくら何でも彼女に生活費全部を賄ってもらってるのは申し訳なくて」
 「私はあと何100年ぐらい人間世界で過ごせる様のお金を用意してたんだよ。アキラに出会って無かったら遠くの地方に何度も転校しても余裕なぐらいの蓄えがあるんだから、この旅にかかる出費に関してアキラは何の心配もしなくていいの」

 ファナエルはスマホを取り出して、目の前のカップルが行こうとしていた店のホームページを開く。
 そこには洋風でおしゃれな内装の店内と、色鮮やかなイタリア料理の写真が沢山映し出されている。

 気づけば俺はその写真を食い入る様に見つめていたようで、お腹の音がなるのと同時に電車は駅に到着していた。
 
 「それじゃぁ、今日ぐらいは甘えさせてもらおうかな」
 「今日とは言わずにいつでも甘えてくれていいんだよ。アキラが欲しいゲームとかも全然買ってあげる」
 「旅の荷物が増えて邪魔になるから要らないかな」
 「そっか……それでも、私に出来る事なら何だってしてあげるからね」

 フワリと彼女の髪が揺れ動く。
 ファナエルの体温をふんわりと含んだ空気が俺の耳をくすぐった。

 「だってアキラはいつも守ってくれてるから。私の体も心も……ずっと望んでた夢も」

 誰にも聞こえない様な小さな声で彼女は囁いた。
 言いたい事を言ったからかその顔はどこか満足げだ。

 「行こうアキラ。素敵なディナーが私達を待ってるよ」

 彼女はすっと席を立ちあがって俺に手を伸ばす。
 その手が離れない様に、どこにも行ってしまわない様に、その手を俺はぎゅっと握り返した。

 罪を背負ったあの日から時間は流れて季節は8月。
 俺達の幸せを求める逃避行はまだまだ始まったばかりだ。
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