9 / 12
●九ペエジ
しおりを挟む
まだ積もって溶けない雪に包まれた庭を、旦那様は静かに眺めていた。そっと部屋をあけ、気配を殺して入る。『私達』が室内にいる事に気づいていない。
御坊ちゃまが旦那様の肩を叩いたら、旦那様はとても驚いて振り返った。すかさず御坊ちゃまは日誌を差し出す。
旦那様の眼をみて、ゆっくりとはっきりと言った。
「日誌を見ました。このままでは父上が死んでしまうのですよね」
旦那様はとっさに私を睨みつけた。しかし御坊ちゃまは私と旦那様の間に割ってはいる。
「僕は貴方に死んで欲しくない。どうして死にたがっているのか、どうして僕を買ったのか教えてください」
御坊ちゃまのまっすぐな眼差しに押され、旦那様はとても困った表情を浮かべた。突然の事に旦那様も気が動転していたのかもしれない。
どれだけ沈黙が続いたかわからないが、御坊ちゃまはまっすぐに旦那様を見続けた。
その輝くばかりに澄んだ瞳で、眼をそらす事も許さない勢いで、じっと見つめる。
「貴方の事を知りたい」
ゆっくりとはっきりと紡ぐ声は、旦那様には聞こえないけれど、見えてはいる。
根負けしたように、唇を振るわせ、旦那様は重い口を開けた。
「私は醜く弱い化物だ……」
そう呟く旦那様の声は、せつないほどに弱々しい。
旦那様は静かに昔語りを始める。
ーー長い、長い時を生きてきた。
昔は戦地に赴いては、死にかけの兵士の血をすすったり、自殺志願者を見つけては血をすすったり。でも……たとえ助からぬ命や、自死を望むものであっても、人を殺して生きながらえるのも嫌気がさす。
では死なない程度に、少量づつ、多くの人から吸い続けたらどうなるか。
「これも問題がある。言い伝えのように、血を吸った人間を吸血鬼に変える力は、私には無い。だが……」
そう言いよどんでから、旦那様はちらりと私を見た。
「美佐。お前は私に血を舐められてどう感じた?」
思い返して身体の芯から熱くたぎる感じがした。御坊ちゃまは何も知らないから、眼を丸くして私をじっと見つめる。そうじっと見られると……とても言いづらいのだが。
「良くわかりませんが……気持ちよかった……と、思います」
旦那様は小さく頷いた。
「舐める程度だったから、そのくらいですんだのか。私にはよくわからないが、吸血鬼に血を吸われることは、人に非常に快楽を与えるようなのだ。麻薬のようにその心地よさに溺れる人間がいる」
眉間に皺を寄せ、不愉快そうに「あれは面倒だった」と呟く。一度きりのつもりでも、一度その快楽を味わったものが、また吸ってくれと旦那様にせがむことも多かったそうだ。
「麻薬と同じで、物理的に時間をおけば、その快楽を忘れて元に戻れる。だが吸われたいばかりに、暴れたり、叫んだり……見苦しくてうるさいから、大人しくなるまで部屋に閉じ込めたこともあった」
そうやって人を狂わせてまで生きることにも嫌気がさしてきた頃、旦那様はとある令嬢と出会った。桐之院家の一人娘で、あの写真の女性だ。
旦那様はあえて名前を口にしなかった。だから私達も聞かなかった。
「長い私の人生の中で、彼女は特別な存在だった。私が吸血鬼だと言っても、まったく恐れることも無く、朗らかに笑って。私をまるで普通の人間みたいにあつかって。それがとても心地よかった。そして私と彼女は惹かれ合って結婚した」
旦那様はその女性を深く愛していた。だから快楽に溺れるさまを見たくなくて、血を吸わなかった。
しかし……運命は非常に残酷だ。その女性は人間で、旦那様は吸血鬼。寿命が違う。
旦那様が愛した女性は不治の病に冒され、医師も匙を投げる程に病み衰えてしまったそうだ。
旦那様は彼女を失いたくなかった。どうにか生かす道はないかと探したが、見つからなかった。
徐々に弱っていく彼女を側で見ていて耐えきれず、無駄なことだとわかっていても、伝説にすがってしまった。
彼女の血を吸って吸血鬼にできたなら、ずっと一緒に生きられるのではないかと。
「初めてすすった彼女の血の味は、濃厚な甘露のようで、飢えた私の身体に染みた。白い素肌に滴る血がきらきら光ってみえて……あれほど美味い血は他にない」
うっとりと笑みを浮かべる旦那様の顔は、ぞくりとするほど艶めいていて、どれほどその血が魅力的だったのか、とても伝わってきた。
「私は夢中でむさぼった。そして私に血を吸われ、病で苦しみ青白かった彼女の肌が、赤く上気して。艶かしい程に美しい笑みを浮かべた」
うっとりと笑みを浮かべた後、悲痛なまでに顔をしかめて項垂れた。
「しかし……それは無駄なあがきだ。彼女を吸血鬼にすることはできなかったし、むしろ彼女の死期を早めただけだ。彼女は病の苦しみから解き放たれたかのように、美しい笑顔のまま、私の腕の中で息絶えた」
自分の腕の中で、愛する女が冷たく固くなっていくのを感じて……覚悟した。
「その時、私は決めたのだ。もう誰の生き血も吸わないと。私の長い生涯で、最後の血の味は、彼女の血がよい」
旦那様はすぐに死ぬつもりだったらしい。でも……まだ旦那様の生涯は終わらない。
血を飲むことをやめれば死ねると思ったが、そう簡単なことではなかったそうだ。
完全に血を飲まずに飢えに耐え続けることは苦しく、自死をしようとしても普通の人間より丈夫な為になかなか死に切れない。
「そこで考えた。売血によって少しだけ血を補いつつ、自分を弱らせようと。じっくり、ゆっくり、死ねばいい……そう思った」
売血の血を得る為に、裏取引の場に訪れるようになって数年。
ーーそしてそこで、御坊ちゃまに出会った。
御坊ちゃまが旦那様の肩を叩いたら、旦那様はとても驚いて振り返った。すかさず御坊ちゃまは日誌を差し出す。
旦那様の眼をみて、ゆっくりとはっきりと言った。
「日誌を見ました。このままでは父上が死んでしまうのですよね」
旦那様はとっさに私を睨みつけた。しかし御坊ちゃまは私と旦那様の間に割ってはいる。
「僕は貴方に死んで欲しくない。どうして死にたがっているのか、どうして僕を買ったのか教えてください」
御坊ちゃまのまっすぐな眼差しに押され、旦那様はとても困った表情を浮かべた。突然の事に旦那様も気が動転していたのかもしれない。
どれだけ沈黙が続いたかわからないが、御坊ちゃまはまっすぐに旦那様を見続けた。
その輝くばかりに澄んだ瞳で、眼をそらす事も許さない勢いで、じっと見つめる。
「貴方の事を知りたい」
ゆっくりとはっきりと紡ぐ声は、旦那様には聞こえないけれど、見えてはいる。
根負けしたように、唇を振るわせ、旦那様は重い口を開けた。
「私は醜く弱い化物だ……」
そう呟く旦那様の声は、せつないほどに弱々しい。
旦那様は静かに昔語りを始める。
ーー長い、長い時を生きてきた。
昔は戦地に赴いては、死にかけの兵士の血をすすったり、自殺志願者を見つけては血をすすったり。でも……たとえ助からぬ命や、自死を望むものであっても、人を殺して生きながらえるのも嫌気がさす。
では死なない程度に、少量づつ、多くの人から吸い続けたらどうなるか。
「これも問題がある。言い伝えのように、血を吸った人間を吸血鬼に変える力は、私には無い。だが……」
そう言いよどんでから、旦那様はちらりと私を見た。
「美佐。お前は私に血を舐められてどう感じた?」
思い返して身体の芯から熱くたぎる感じがした。御坊ちゃまは何も知らないから、眼を丸くして私をじっと見つめる。そうじっと見られると……とても言いづらいのだが。
「良くわかりませんが……気持ちよかった……と、思います」
旦那様は小さく頷いた。
「舐める程度だったから、そのくらいですんだのか。私にはよくわからないが、吸血鬼に血を吸われることは、人に非常に快楽を与えるようなのだ。麻薬のようにその心地よさに溺れる人間がいる」
眉間に皺を寄せ、不愉快そうに「あれは面倒だった」と呟く。一度きりのつもりでも、一度その快楽を味わったものが、また吸ってくれと旦那様にせがむことも多かったそうだ。
「麻薬と同じで、物理的に時間をおけば、その快楽を忘れて元に戻れる。だが吸われたいばかりに、暴れたり、叫んだり……見苦しくてうるさいから、大人しくなるまで部屋に閉じ込めたこともあった」
そうやって人を狂わせてまで生きることにも嫌気がさしてきた頃、旦那様はとある令嬢と出会った。桐之院家の一人娘で、あの写真の女性だ。
旦那様はあえて名前を口にしなかった。だから私達も聞かなかった。
「長い私の人生の中で、彼女は特別な存在だった。私が吸血鬼だと言っても、まったく恐れることも無く、朗らかに笑って。私をまるで普通の人間みたいにあつかって。それがとても心地よかった。そして私と彼女は惹かれ合って結婚した」
旦那様はその女性を深く愛していた。だから快楽に溺れるさまを見たくなくて、血を吸わなかった。
しかし……運命は非常に残酷だ。その女性は人間で、旦那様は吸血鬼。寿命が違う。
旦那様が愛した女性は不治の病に冒され、医師も匙を投げる程に病み衰えてしまったそうだ。
旦那様は彼女を失いたくなかった。どうにか生かす道はないかと探したが、見つからなかった。
徐々に弱っていく彼女を側で見ていて耐えきれず、無駄なことだとわかっていても、伝説にすがってしまった。
彼女の血を吸って吸血鬼にできたなら、ずっと一緒に生きられるのではないかと。
「初めてすすった彼女の血の味は、濃厚な甘露のようで、飢えた私の身体に染みた。白い素肌に滴る血がきらきら光ってみえて……あれほど美味い血は他にない」
うっとりと笑みを浮かべる旦那様の顔は、ぞくりとするほど艶めいていて、どれほどその血が魅力的だったのか、とても伝わってきた。
「私は夢中でむさぼった。そして私に血を吸われ、病で苦しみ青白かった彼女の肌が、赤く上気して。艶かしい程に美しい笑みを浮かべた」
うっとりと笑みを浮かべた後、悲痛なまでに顔をしかめて項垂れた。
「しかし……それは無駄なあがきだ。彼女を吸血鬼にすることはできなかったし、むしろ彼女の死期を早めただけだ。彼女は病の苦しみから解き放たれたかのように、美しい笑顔のまま、私の腕の中で息絶えた」
自分の腕の中で、愛する女が冷たく固くなっていくのを感じて……覚悟した。
「その時、私は決めたのだ。もう誰の生き血も吸わないと。私の長い生涯で、最後の血の味は、彼女の血がよい」
旦那様はすぐに死ぬつもりだったらしい。でも……まだ旦那様の生涯は終わらない。
血を飲むことをやめれば死ねると思ったが、そう簡単なことではなかったそうだ。
完全に血を飲まずに飢えに耐え続けることは苦しく、自死をしようとしても普通の人間より丈夫な為になかなか死に切れない。
「そこで考えた。売血によって少しだけ血を補いつつ、自分を弱らせようと。じっくり、ゆっくり、死ねばいい……そう思った」
売血の血を得る為に、裏取引の場に訪れるようになって数年。
ーーそしてそこで、御坊ちゃまに出会った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中
桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。
やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。
「助けなんていらないわよ?」
は?
しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。
「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。
彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる