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それぞれの成長

本物はどれ?

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 十二歳になった西寧は、帳簿係となり、支店の帳簿を管理していた。

「この宝石は、偽物でしょう? どうしてこの値段で売ってしまったのですか?」

 帳簿をみて的確に聞く西寧の問いに番頭は、答えられずに、もごもごと口ごもった。まだ少年の西寧に、自分が本物と偽物を間違えたとは、言い辛かったからだ。

「特別な理由がないのでしたら、信頼を失う種になります。早く本物の宝石を持って謝罪に行きましょう。私も一緒に行きます」
 西寧は、帳簿をしまって、謝罪に行く準備をする。
 番頭が、本物の宝石を用意して、西寧と一緒に顧客の家に訪れる。

「本日、お買い求めいただいた宝石商で帳簿係をしております西寧と申します。大変申し訳ございませんでした。こちらの手違いで、間違った宝石をお渡ししてしまったようです。つきましては、お渡しするはずだった物をお持ちいたしましたので、お許しいただけますでしょうか」

 玄関を開けて出てきた家の者に、小さな西寧が丁寧に詫びをし、頭を下げれば、大抵の者は、なじることも怒鳴ることも出来ず、許してくれた。中には、西寧の年齢にしては大人びた振る舞いに驚き、喜んでくれる者もあった。
今回の客も、簡単にミスを許してくれそうだった。本物を受け取り、ニコニコしていた。美人の虎精。酒を出す店の店主だろうか。派手な顔立ちに似合う、華やかな身なりをしているが、貴族のように応対を下女に任せないで、自分で応対している。

「西寧君ではないか!」

 聞き覚えのある声が、部屋の中から響く。まずい。明院の声だった。どうやら、この客は、明院の知り合いのようだった。西寧の背筋が凍る。

「これは、明院様。みっともない所をお見せいたしまして、ご無礼をお許しください」

 隣でパクパクと口を動かすだけで声の出ない番頭の代わりに、西寧は、さらに深々と頭を下げる。

「宝石の目利きまで出来るのか。キミは」
明院が、楽し気に笑う。

「はい。しかし、この度は、ミスをしてしまいました。明院様のご友人にご迷惑をおかけしてしまいましたので、このように謝罪に参りました」

 このまま、経験の浅い子どもの西寧の失態にしておけば、明院が怒り出しても、損失は西寧自身へのとがめですむだろう。明院といえども、いきなりこの程度のことで子どもの首を刎ねるようなことはすまい。

「よくないね。それは。では、ちょっと勉強させてあげよう」

 明院が、西寧達に手招きをする。どうやら、簡単には帰れそうにない。

 手招きをされて、番頭と部屋に入れば、問屋の男が、明院に宝石を見せているところだった。店にも出入りのある問屋の男。大口の取引であれば、商人を通さずに卸すこともあるので、何も不思議はない。

「今、宝石を見せてもらっていてね。一緒に見ないかい? 目利きを披露してもらいたいんだ」

 断わるわけにはいかない。ここは、上司である番頭が返答するべきなのだろうが、番頭は先ほどから緊張で青くなってしまっている。

「わあ。見せていただけるんですって。番頭さん。私が見ても構いませんよね?」

 わざと多少子どもらしい言い方をする。そうすることで、番頭の返答を促す。番頭は、声を発さずにコクコクと首を縦に振る。
 部屋の隅に立ち尽くした番頭をおいて、西寧は、前に進み出る。もし間違えても、子どものしたことと許される幅は、番頭よりは広いだろう。ならば、俺が盾になるのが、正解だ。

「西寧君。この宝石を見分けてごらん。今、わざと問屋に粗悪品を混ぜてもらった。もし、全部分けられたら、今回のミスは、不問にしよう。だが、出来なければ、今後目利きに気合が入るように、少し罰を与えよう」

 明院が隣に座った西寧の頭を撫でる。笑顔だが、目が笑っていない。気を付けないと、これは何か無理難題を申し付ける気なのかもしれない。

「あの、罰とは……。どのようなことでしょう?」

「大したことないよ。気にしないでいい。正解すればいいだけだよ」

 やはり、明らかにしてはもらえなかった。損の大きなやり取り。主導権は完全に明院に握られている。
西寧は、観念して目利きを始める。問屋の男が、不安そうな顔で見ている。知っている男だ。小さい西寧を心配してくれているのだろう。

 一つ一つ傷を確かめ、イミテーションが混じっていないかルーペを使って吟味する。一通り分け終わったところで、もう一度検討する。これ以上無いくらいに丁寧に見たのに、チラリと見た問屋の男の表情が硬い。逆に、明院の瞳の奥には、意地悪い光が宿っている。まだ、何か見落としがあるのかも知れない。もう一度確認し直している途中で気づく。

 幻術だ。

 この中に、幻術で本物に見せかけている宝石が混じっている。幻術にかからないようにするためには、どうすればいいんだっけ?以前、店の者に聞いた話を思い出す。確か、幻術のかかった品物を高く買いかけた時、偶然怪我をした。その怪我の痛みで覚醒して気づけたとか。それ以外の方法は知らない。ならば、することは、一つ。

「ナイフをお借りできますか?」

 家主の女が、果物ナイフを持ってくる。西寧は、ナイフを受け取ると、迷わず自分の太ももに突き立てた。

 痛い。

 ビリリと大きな痛みが走る。部屋の隅の番頭が、ヒッと小さな悲鳴をあげる。血がだらりと流れ出る。血が部屋の床を汚さないように、西寧は、服を割いて血を抑える。痛みをこらえながら、机の上の宝石をみると、本物とは似ても似つかない石ころが混じっている。見つけた。西寧は、その石を粗悪品に入れる。

「これで、終わりです」

 痛みを堪えて、宣言する。席を立ち番頭の横に戻ろうとすると、明院に腕を抑えられる。膝に載せられる。

「西寧君に、包帯と傷薬を」

 明院が声を掛けると、家主が慌てて用意して持ってくる。治療を始めようとする家主の手を押さえて、明院が自ら西寧の血を拭う。

「め、明院様?? ええと、申し訳ありません。自分でしでかしたことですので、自分で致します。どうか、お放し下さい」
西寧が慌てる。

 周りの大人たちも、皆驚いて、西寧と明院を見ている。こんな風に他人の世話を焼きたがる明院は、初めて見るからだろう。

「まさか、幻術の破り方まで知っているとは、思わなかったよ。少し意地悪をし過ぎた詫びだよ。治療ぐらいさせてくれたまえ」

 明院が、膝に載せた西寧の太ももに薬を塗りつける。薬が染みて西寧の顔が痛みで歪むのを、明院がニタリと笑う。
 これが、詫びだと? わざと強く押さえつけて、痛いように治療していないか?
 きっと、見破られて仕事を押し付けられなかったことの腹いせに、痛がる西寧を楽しんでいるのだ。西寧は、痛みで悲鳴をあげそうなのを震えながら必死で堪える。膝に載せられている。きっと、震えは明院にばれている。悔しい。クフッ。どうしても堪えられず時々漏れる声に、明院が笑う。
 完全に遊ばれている。悪趣味だ。西寧は、ゾッとする。
 包帯を巻き終わった頃には、西寧の金の瞳には、こぼれそうなほど涙が張っていた。自分の袖で涙を拭う。

「痛かったかい? 良薬ほど痛いものだからね」

 しれっと明院が言う。嘘つけ。どこにでもある普通の薬だ。知っている。

「あの、ありがとうございます。これ以上は、明院様への失礼となりましょう。降ろしていただけませんでしょうか」

 西寧の言葉に、明院は膝から降ろしてくれた。満足したのだろうか。本当は、そのまま崩れ落ちそうなところを踏ん張って、部屋の隅の番頭の隣まで移動して立つ。番頭は、西寧にどう声を掛けていいのかもわからずオロオロしている。

「全部正解だよ。西寧君。約束通り、今回は何も言わず許してあげよう」

 問屋が、慌てて宝石を片付ける。明院の機嫌は良さそうだ、これ以上おかしなことを言われる前に立ち去りたい。挨拶を早々にして、慌てて外に出る。もう、だいぶ遅い時間。繁華街が、酔っ払いでいっぱいになる時間帯だった。

「どうなるかと思いましたよ」
番頭が、フウと息を吐く。

「私もです。殺されるかと思いました。あれ以外に、幻術を見破る方法を知らなくて、ずいぶん痛い思いもしました」

 西寧が、痛む足をさする。まだズキズキする。服も裂いてしまった。そんなに枚数は持っていない。血痕を洗って、つくろわなければならないだろう。

「ああ、裂いた服の代金を払わせて下さい。小さな西寧君を、矢面に立たせてしまった詫びです」

「本当ですか? 嬉しいです。ありがとうございます。助かりました」

 番頭の言葉に、手放しで西寧が喜ぶ。もとはと言えば、番頭のミスから始まった話。それなのに、西寧は、全く番頭を責めない。
 本当にこの子は十二歳なのか。番頭は、家で待つ自分の家族を思い出す。番頭の娘は、十一歳だった。甘えたで、学校の勉強が面倒だなんだと不貞腐れている。とても一年後にこのような振る舞いができるようには、ならないだろう。

「西寧君は、よほど苦労して育ったのでしょうね」

 番頭がポツリとつぶやいた言葉に、西寧は、寂しそうに笑う。

「そうでなければ、この時間に、こんなところで歩いていません。今頃、どこかの家で、親の帰りを待ちながら遊んでいるでしょう」

 笑いながら言った西寧の言葉に、番頭は、不用意なことを言ってしまったと後悔した。
 子どもが、いること自体が珍しい、夜の繁華街。客引きをする女や、酔って喧嘩する者の間を抜けて、西寧と番頭は店へ帰っていった。


 奴隷として売られた烏天狗の壮羽は、小さな部屋に、手かせ足かせを付けられて、押し込められていた。ご丁寧に、壮羽の翼には、飛んで逃げぬように羽に切れ込みまで入れられてしまった。

 いろいろな人の手に渡り、仲買人を渡り歩いた末に、また、新たな奴隷商人の手元に渡ることになった。こんな生活が、どのくらい続いただろう。小さかった壮羽の背は伸び、歳は、十七歳になっていた。

 鍵の掛けられた鉄格子入りの窓から下を覗けば、夜の繁華街を、大勢の人は行き来するのが見える。客を誘い込む女、家路を急ぐ男、喧嘩をしている集団と、それをはやし立てるやじ馬たち。そんなものが、眼下の通りには溢れていた。自暴自棄になっていた壮羽には、もはや、その誰もが下らないように思えて、何のために生きているのかも、分からなくなってしまった。次、武器を手に入れられたなら、命を絶とう。そのためには、どうすればいいのか。などと、そんなことばかり考えていた。

 壮羽が虚ろな目で窓の下の人の流れを眺めていると、子供が歩いているのが目に留まる。何かの書類を持って、大人と話し込んでいる。こんな時間に、こんなところで、子どもが何をしているのだろうと、気になって眺めていると、視線に気づいたのか、子どもが顔をあげる。黒い髪、褐色の肌の虎の子ども。黒い毛並みの虎の精。子どもの金の瞳が、壮羽を見つめる。真っすぐでキラキラした瞳に壮羽はドキリとした。

 こんな曇りのない瞳を持った主人に仕えたい。

 自分でも、驚くような考えが、頭に浮かんだ。子どもが、ニコリと笑って壮羽に手を振っていた。本当は、その場に飛んで行きたがったが、壮羽には、重い足かせがある。手かせもはめられている。翼には切れ込みまで入っていて飛べない。窓には、鉄格子が入っている。

 壮羽は子どもの視線から逃げるように、壁の後ろに隠れてしまった。その場にうずくまって、己の身の上を恥じて泣いていた。緑蔭。殺してしまった。今も、手の中に、動かなくなった緑蔭の感触が残っている。
 これは、私の罪の報いだ。どうして、あの時、死んでしまえなかったのだろう。
 そればかりを考えていた。
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